その想い、この願い、そして望み、それぞれの。
日向玄乃丈にとって、その日の朝の目覚めは最悪だった。
「………日向サン、大丈夫デスか?」
「全然大丈夫じゃない…」
昨日、たまたま、偶然のことなのだが。
呼ばれて立ち寄ったふみこの屋敷庭にて、金から稽古をつけてもらっていた己の弟子のラリアットが。
「……あの馬鹿にどんな稽古をつけていたんだ、お前さんは……」
「エエト…アノ…真剣に、ということで…」
「ああ、そうだろうよ…あれだけ強烈な反撃させるくらいだもんなぁ」
金が制止の声を上げる間すらなく、モロに日向の首に決まって。
伊達に修羅場を潜り抜けていない日向は辛うじて受身を取ったものの、渾身の一撃にも匹敵するそれを相殺するほどの効果はなく、結果見事としかいい表せない勢いで『吹っ飛ばされ』た。
すぐに手当てを受けたものの痛みばかりは完全に取り切れず、お陰で一晩たった今、言い表し難い痛みにベッドに撃沈しているのである。
「夕方、皆さんが集まるまで休むして下サイ。
それにあまりにも辛いようでしたら、皆さんが集まる前にお断りシマスし…」
「…………」
金が湿布を取り替えながらそう言えば、日向は痛みとはまた違った意味で渋面を作る。
「なあ、金さんや」
「ハイ?」
「……この年になって祝われるってのは……俺にはなんとも微妙なんだがね」
そう。
今日は一月三十日。
なんとも不運なこの日向玄乃丈の誕生日だった。
「………おいおい……なんだこれは」
自分は夢を見ている。
そう自覚したとき、日向は一面の蓮華畑に佇んでいた。
「こりゃまた見事なモンだが……なんだってこんな所にいる夢を見てるのかね、俺は」
ソフト帽も、黒眼鏡もなく、夢にしては妙にリアルな蓮華の香りとそよぐ風を肌に感じながら、日向は流石に所在無げにガシガシと頭を掻く。
黒眼鏡がないせいでやけにクリアな視界の中、何処を見渡しても広がるのは蓮華の花ばかり。
煙草を求めて上着を探れば、目的の物は見つかったばかりかきちんとその感覚があって。
一本取り出し、紫煙を燻らせるために雷球を呼び出しかけて………。
『玄乃丈』
不意に背後から声を掛けられ、日向は動きを止めた。
「……なん、で……」
『何でって…どうしてそんなことを聞くの?あなたはこれが夢だって知っているのに』
「…………」
振り向くことすら出来ず、掠れる声でようやくそれだけ呟く日向とは裏腹に、声をかけた相手はころころと鈴が転がるように笑いながら軽やかに彼の前に回り込むと、日向が記憶に留めている春の陽だまりのような微笑みを浮かべる。
『久しぶりね玄乃丈』
現れたのは、かつての恋人。
その最後すら看取れず、望まない形で復活を強いられ、その為に己が封じた太陽の女神。
そんな彼女の動きにあわせるように、さわり、さわりと静かに風が吹き渡り、驚愕に目を見開く日向を優しく撫でて行く。
彼女はそんな日向の手を取り、座るように促してから『逢いたかったわ、私のオオカミさん』と、呼ばれなくなって久しくなった名で彼を呼んだ。
「夢、だよな」
『そうよ』
「……随分とリアルだな」
『夢だもの』
手を引かれて蓮華畑に座り込む日向の頬を、彼女は何度も何度も撫でては微笑んで。
『でもね、玄乃丈』
と悪戯を思いついた幼子のような表情を見せる。
『こうして逢えたのは、あなたがあなたを取り戻したからよ』
「……?」
『昨日、面白い怪我をしたわね』
「!!……俺は面白くなんかない」
少しとはいえ死を覚悟したほどだったのに面白いなどと言われて、日向は思い切り渋面を作って不満を訴えた。
「全く……あの手間と世話のかかる不肖の弟子のせいで、俺は身の危険が絶えない」
『ほら、それ』
「はぁ?」
仏頂面のまま盛大にため息を吐いてみせると、彼女は再びころころと笑ってから、今度は日向の顔を両手で挟みこんで覗き込む。
『口では突き放したようなを言っても、あなたはとても優しいから』
「………………」
『私との思い出でない大切なものを、しかも沢山見つけたでしょう?
誰かを想うことを諦めたり、自分や他人の何かを願うことを忘れたりは出来なかった』
「俺、は……」
そんな事はない、と言いかけた日向の唇に、彼女は彼の頬を挟んでいた片手をそっと外して人差し指で言葉を封じて。
『だから、こんな穏やかな表情ができるようになったわ』
「……………」
それが自分の幸せであると言いたげに彼女は笑みを深くして、言葉に詰まったままの日向の頭をそっと抱き寄せた。
「……………」
『……………』
ざわり、と一瞬だけ風が強く吹き、一際強い蓮華の香りと共にしばし二人はそのまま動かない。
『ねぇ、玄乃丈』
「………ん………?」
『難しいことかも知れないけど、お願いがあるの』
しばらくそのままでいたが、その沈黙を破ったのは彼女だった。
『忘れて、なんて言えないし、言いたくもないけど、でも』
「…………」
『無理に私を思い出さないで』
決意の篭った声音の願いに弾かれたかのように日向が面を上げると、彼女は少しだけ勘違いをしている彼を宥めるように、腕に抱きこんだままの日向の髪を撫で梳いてからゆっくりと頭を振る。
『思い出さないで欲しいんじゃないわ。ただ、無理に思い出さないで欲しいだけ。
無理やり私を思い出そうとする度に、あなたは私から遠ざかる。
こうして私が傍にいても、全然気付けなくらい、あなたは私が死んだときのように心を閉ざすから……』
守れなかったことに負い目を感じて思い出して欲しいわけじゃない。
何気ない日常の中で、ふとしたことで懐かしむように、穏やかに思い出して欲しい。
少しだけ哀しそうにそう呟く彼女に、日向は何度か何かを言いかけては言葉を飲み込んで、結局口から出たのはたった一言。
「………難しい、な」
日向はその言葉通り困ったような、それでいて見透かされていたことに対する照れのような曖昧な表情で頭を掻いた。
『出来るわよ。……今の私のオオカミさんなら』
「そういうモンかねぇ…」
『そういうモノよ』
ざわ、ざわ、ざわ、と強くなる風に辺りの蓮華が舞い上がり、二人に振り落ちてはまた舞い上がる。
「…………次は、いつ、逢える?」
次第に大きくなる風の音にかき消されまいと心持ち大きな声で尋ねれば、彼女は日向を抱きこんでいた腕を外し、そっと彼から離れながら何も言わずに微笑んだ。
『私は、あなたの、そばに、いるわ』
すぐに彼女に近づこうと踏み出しかけた日向をその微笑みで制して。
「……………」
『そんな顔しないで、玄乃丈。たとえ逢えなくても、私はいつでもあなたの傍にいる。
大切なあなたと、あなたが大切なものの傍に、私はいるから……』
「待ってくれ、俺はまだ……!!」
彼女の言葉とその存在を隠すように蓮華を舞い上がらせる風に、日向は顔を顰めながら彼女に向かって手を伸ばす。
「待って……!!」
『またね、私のオオカミさん。
……………………よ………』
「!!」
蓮華の花吹雪に襲われ一瞬固く目を閉じた日向は、すぐ傍で彼女の声を耳にしたと思ったと同時に眉間に柔らかな温もりを感じた。
その酷く懐かしい温もりに、日向は不覚にも胸にこみ上げるものを堪え切れず。
彼女の名を、ありったけの声で。
『 』
叫んだ自分の声で、日向は目覚めた。
「………っ………!!」
「日向サン…?」
「……………金…………?」
そんな日向に驚いたのは、たまたま様子を伺いに寝室へと入ってきた金だった。
「どうしましたか。何処か、痛む……」
突如ベッドの上へと身を起こし、荒い呼吸のまま自分を見据えている日向に近づき、肩に手を伸ばしかけたところで逆にその手を取られた。
「?!」
「………を…………」
驚き身を引きかけた金だったが、日向の様子がおかしいことは判るので手を取られたままでいると、その日向がぽつりと何かを呟いた。
「日向サン?」
「夢を、見た」
「………悲しい、夢だったですカ?」
「違う…」
それだけを答えて俯いてしまった日向の頭を、金はそっと自分の方へと引き寄せた。
その仕草が、日向には彼女の仕草と重なって。
「……悲しくはないが、懐かしかった」
「………………」
「懐かしかったんだ…」
「そうですカ…」
金の胸に抱かれて、夢のままにこみ上げてくるものを隠すように日向は告げる。
「……………」
そんな日向を、金はただ黙って抱き締めた。
『大好きよ』
彼女は最後にそう囁いて、口付けと共におまけとばかりに日向を苦しめていた鈍痛を癒していった。
目覚めた日向がそれに気付き、柄にもなく泣きそうになった自分に困惑している彼を、金は何も言わずにただずっと抱き締めている。
護りきれなかったものに護られて、護ろうとしているものにも護られて。
日向はただ、声を押し殺して泣いていた。
それは彼の誕生日を祝うために、金の他に日向が知らず大切だと思い、その幸せを願っている者達が事務所を訪れるまでの、僅かな時間。
日向はただただ、声を押し殺して泣いていた。
江神さんの所で開催されていた日向BD企画へ参加作品。
えーと、一応生誕記念企画なので、なるべくヘタレにならないように
頑張ったんですが…やっぱりいつもの空回り?(滝汗)
ひわこ×日向ですが、お約束で日向×金入りです。判りにくいけど。
(管理人書かないだけでひわこ×日向大好きですから!!)