金大正が己の犯した罪を償うべく刑務所に入ってからというもの、日向玄乃丈は色々な意味で忍耐を強いられる日々を送っていた。
一日三回の食事の支度とか。
生活空間および職場を兼ねている事務所の掃除とか。
元々あまり得意ではない書類仕事(弟子のせいで量だけは倍以上に増えた)とか。
これらは金に出会う前から一人でやっていたのだから、今更自分でやらなくてはならないことに、そんなに不満がある訳ではないのだけれど。
でも。
日向の覚悟と苦労も知らず、のこのこ金に面会に行く子供二人から話を聞かさたり。
そこから(見ている方がこそばゆくなるような)痴和喧嘩に発展され、あまつさえそこに妙ち
きりんな忍者に乱入さたり。
そのせいでせっかく終りの見えた書類を駄目にされたり。
自分のために淹れた珈琲を勝手に飲まれたり。
見目だけでもと、綺麗に片付け掃除をしたばかりの事務所を崩壊寸前まで荒らされたり。
その上面倒事に関わるのは嫌っても、迷惑という名の騒動を起こすのは大好きな偉大(と同様に尊大)な魔女から、子供たちに振り回されてばかりいる自分を鼻で笑われたり。
こんな調子で、日向は連日連夜それらに耐え続けていたわけだけれど。
金が刑に服する前は、彼が事あるごとにキレそうになる日向を宥め嗜め持ち上げて、うまい具合に押さえていたから、日向にしてもさほど忍耐を強いられている自覚はなかったのだが。
「こんな長い一人寝だけは耐えられんぞ、金さんや!」
と、毎夜部屋を埋め尽しそうな程に馬鹿デカいベッドの上で、人肌ならぬ金肌恋しさに日々一人耐え続けて居た。
…筈なのだけれど。
「………」
「………」
大久保にひっそりと建っている雑居ビルの、さらにその一角で。
「………」
「………」
外の寒さなど全く気にした様子もなく、環境に優しくない暖房設定の事務所で青年(以上中年未満)が二人、日々の喧騒から解放されてゆったりまったりくつろいでいた。
「ああ、平和だ…」
そこは探偵事務所であり、平和だと呟いたのはここの所長であり経営責任者でもある日向玄乃丈。
正確に言えばくつろいでいるのは彼だけで、もう一人の方は長身であるが故に人並み外れて長い脚をきちんと揃え、しかしその膝枕を日向に奪われ大層困惑していた。
「アノ、ですネ」
「…んー?」
「何故私は日向サンに膝枕する、しているのでショウ…?」
そう。
日向は事務所の応接セットである来客用の長ソファに、強引に一緒に座らせた金の膝を奪って寝そべっていたのである。
「…鈴木サンが緊急で依頼をする言うから、一体何事か私思うしましタ。
大変血相を変える、していましたカラ、勢いに押され二つ返事で引き受けまシタが。
それで急いで刑務所から出てみれば、問答無用で連れて来られたのがここで…今回は一体何がアリマシタか?」
連れて来られると同時に、中から現れた日向にもの凄い力で事務所内に引き込まれ、そうして今に至るのである。
依頼について詳しい話は聞かされていなかったけれど、ここに連れて来られた以上日向と合同で事件を解決しろと言うことかと思うのは当然の話で。
だからこそ金は日向に説明を求めているのに。
「何って…お前さんはもう依頼をこなし始めているだろうが」
「は?」
と言われて、意味が判らない金は、自分の膝に頭を乗せている日向を凝視してしまう。
だが日向にしてみれば全くもって予想内の反応だったようで、困惑げに自分を見下ろしてくる金の頬に手を伸ばし、少し痩せたか…?などとまるで関係のないことを聞いてきた。
「私は真面目に聞く、しています!」
「判ってる判ってる。そうかっかするな」
「なら…」
「実はいつもの連中が、俺の誕生日に何が欲しいと団体で押し寄せて来てだな」
「…は、ぁ…」
「何でもいいと言うから、だったら誕生日くらい俺の気が済むまで金に会わせろ触れさせろと言っただけだ」
「子供デスかアナタ……」
日向が身内に対して、自分達の関係を隠そうともしないのは今に始まった事ではないのだが、それでも金が刑務所に入ってからというもの、それが殊更顕著になってきたように思われるのは気のせいか。
人伝て(主に光太郎)から、自分がいない間の日向のスレっぷりを聞いて居た金だったが、そもそもそれが周りが彼の神経を逆撫でするような事ばかりしているが故の事だと悟った為、下手に刺激しないようにおとなしく膝を奪われたままにしていた。
「思ってくれるのは結構だが。正直俺にはその気持ちだけで十分だ」
「デモ」
「俺が欲しいのはお前さんだけだ。あとは何もいらん」
「……」
ついでに言えば、お前さんとの平穏な日常だ…と疲れを隠そうともしない声音で呟かれ、金は自分がいない間の日向の日常を慮って、彼の愚痴をただ黙って聞いている。
(どうしましょうカ…)
だが金は連れて来られると同時に鈴木から「これを渡して下さい」と紙袋を渡されていて、何となくだが、それが物凄く日向を怒らせるような気がして内心一人落ち着かなかった。
「………俺はもう【モノ】はいらん」
落ち着かない理由は、先ほどから日向がことある毎に呟くこの言葉。
「去年はド派手なネクタイ、一昨年はドギついサングラス、そのまえはラメ入りスーツと同じ生地のソフト帽で…あいつらは一体俺をどうしたいんだ?」
「はははは…」
毎年毎年嫌がらせ以外のなんでもない物を贈り続けてくるため、いよいよもって日向には我慢の限界がきていたらしい。
←しかも素材だけに関して言えば、文句のつけようのない上物であるのがさらに嫌がらせであったりする。
「まあいい。先手を打って、こうしてお前さんに会わせろと言ったらそれが叶ったし、束の間でも本当にこれだけでいい。
お前さんと一緒に過ごせるだけでいい」
「………ハイ」
鈴木の顔面蒼白っぷりと、日向の荒みっぷりと、そして誰もここに寄り付かない現状から、これまた何となくだけれど紙袋の中身を察した金は。
「少しの間だけデスが、またお邪魔シマスね」
もしかしなくとも自分が人身御供に選ばれた事をも悟り、だがしかし結局いつもの事と早々に覚悟を決め、束の間の幸せの為に黙ってそれを受け入れることにした。
「食事を作る、久々ですが。デモ腕によりをかけて、日向サンの好きなモノ、作るします」
「ああ、楽しみにしてるよ」
紙袋の中身が、金の予想通り日向をマジ切れさせるものであることを………この時の二人は、まだ、知らない。
日向が先手を打った願い事を逆手に取って、彼がキレようが怒ろうが絶対に受け取らざるを得ないように、(とある女性から無理やりその任務を仰せつかった)鈴木が金に持たせたものは。
………いつもの日向のいでたちで、まだ贈られていないパーツが、その中身。
日向の怒りによる大神変化まで、あとわずか。
【先手奥の手愛の手を・完】