その女性は、携帯電話など【仕事】以外で使うことは滅多になかった。
『それをお前が望むのなら、美姫。私は』
その私用では滅多に使わない最新式の携帯に耳をあて、久しく耳にしなかった最愛の従兄の声に、ぞくりとした興奮と共に背中に戦慄が走る。
『それが私に対してどのような事を意味しても…私は全てのお前を許すよ、美姫』
女性は携帯に耳を当てたまま、一言も口にしていないのに。
電話の向こう側の従兄はその無言の意味を悟り、慌てる事もましてや女性を罵るような事もなく、ただ静かに事も無げにそう告げる。
『ただ一つ、これだけは守りなさい。【絶対にきちんと私だけを狙う】こと。
…この意味は判るだろう、美姫?』
誰よりもその女性に優しい従兄。
誰よりもその女性に厳しい従兄。
誰よりもその女性を慈しみ、実の親からすら道具として扱われる哀しい性を案じ、己の身を削ってでも一時の安らぎを与える事を厭わない従兄を。
一族の中で唯一畏怖も軽蔑もない優しい瞳で愛してくれるこの従兄を。
…今まで消し去ってきた幾数多の取るに足りないゴミのような輩と同じように、最愛の従兄を殺さなければならない運命に絶望していると言うのに。
「……か……」
『美姫?』
「馬鹿だ!相変わらずお前は大馬鹿だ大正っ!!
自分を殺す相手に向かって許すも何もあるかッ!!」
女性は掟に従い、従兄を裏切り者として葬る為の兇手として、近々一族から遣わされることになると、その旨を伝えようとしていただけなのに、この従兄ときたら。
「私を許すなど戯言をッ!お前がすべきはそんな事ではないだろう?!」
何処までも優しいままに、逃げろと叫ぶ代わりに知らせる事で伝えようとしていた女性の苦悩すら読み取って、電話の向こうの従兄は静かに微笑んだ気配を伝わせた。
「掟なんぞ、クソ食らえッ!!」
そのまま切れてしまった電話を握り締めて、女性は毅然とした面持ちで前を見据え歩き始める。
「私は諦めないからな大正…」
従兄が何と言おうが、女性は彼を救う道を模索しているのだから。
だから彼女は前を見据えて振り返らずに、従兄のいる日本へと旅立ってゆく。
兇手として従兄を屠るためではなく、従妹として助けに行く為に。
【その、向こう側・完】