桃金と紫日向のおはなし
「けほん、けほけほんッ」
桃金が、風邪をひいた。
いつもはうるさいくらいに元気で俺の周りをうろちょろしている桃金が、熱を出しているせいかひどく浅い呼吸を繰り返して。
唇からただ零れるのは一向に治まらない咳ばかり。
「けほッ、けほん」
「…チッ、高いな」
熱を計ってみれば予想以上の高さで、桃金の傍らに腰かけながら俺は内心面喰らった。
だがさすがにこの状態でただ寝かせているだけはまずいだろうと思い、俺は小さな魔女に連絡を取るべく、そして桃金の負担にならないように配慮して部屋を出ようと腰を上げようとして…失敗した。
「こら…」
立ち上がりかけていた俺のスーツの裾を、桃金がいつの間にかしっかりと握り締めて離さなかったからだ。
「けほッけほんっ、げのじょ、いっちゃ、やぁ…けほんッ」
「お前な、病人をほったらかして何処に行くってんだ?」
「やだ、げのじょ、いっちゃ、やだぁ…」
「判った、判ったから…」
高いというよりは熱い体温をして、そのくせ懇親の力を込めて桃金は俺にしがみつく。
「げのじょー…」
「ここにいる」
「げのじょー…」
「…俺はここいる」
「けほっ、けほんっ、…げのじょー…」
「俺はちゃんとここに居るから」
「ん…けほんっ」
朦朧とした意識の中で俺を呼ぶ声は、当然の事乍らとても弱々しいもので。
何処にも行かないと安心させるために顔を近づけて返事をすれば、いつものようにしがみつくこともなく、ただ虚ろな眼差しでこちらを見るだけ。
けれどその視線は、俺がそばを離れることがないようにと、ずっとこちらに向けられている。
何処にも行かないと言ってもそれを理解することが出来ず、心細さに俺の名を呼び続けるこの子供に。
さて、俺はどうしてやれば良い?
「桃金」
「…けほんっ、げのじょ、けほけほっ」
「無理に喋らなくていい。さて…俺は今お前の手を握っている。判るか?」
「…けほっ……」
低い声だがゆっくりと静かに語りかけてやれば、桃金は小さくこくりとうなずいた。
「よし。じゃあ…これは判るか?」
身体同様に熱くなっている小さな手を取り、身体を起こさなくても判るようにそっと掲げて見せれば、ほんの少しだけとはいえ嬉しそうな表情になる。
「ゆび、きり…」
「そうだ。ゆびきりをしてやる。何処にも行かないとこれでちゃんと約束してやるから。
だから小さなオゼットを呼ぶ間だけ、部屋を出ても我慢出来るな?」
「けほんっ、うん…」
「よし」
小指を絡ませて何度か小さく揺すりながらそう言い聞かせれば、漸く安堵したのか桃金は浅い呼吸のまま瞳を閉ざす。
「…小さなオゼットが来ればすぐに良くなるさ」
すぐに寝息を立て始めた桃金が気付かないように、俺は指を絡ませていた手に小さく口付けを落としてから、小さなオゼットを呼び出すべく音を立てずに部屋をでた。
いつもいつもうるさいくらいに賑やかな日常が続けば、痛いくらいの静寂さが恋しくなったりするけれど。
…どうやら俺は、桃金に振り回されてばかりの、今の賑やかな生活がまんざらでもないらしい。
【ゆびきり・完】
これは何も考えずにぽっと頭に浮かんだまま書きました。
しかしこの紫日向はまるで桃金の父親である。
でも父性丸出しの紫日向が好きだったりするのです。