4  2004年・春 〜 痛み


     【 新たなカウンセリング 】  

 2004年のA市は雪解けが早く春の訪れも早い予感であった。2月末の大雪以降は雪の降る日が少なくなっていた。
 そんな3月初めのある日、やっと忙しい仕事から解放された休日の朝、私はまた余計なことをしてポッキーに噛まれてしまった。
 何を思ったのか私は、開放感のあまりポッキーの首に手を回してしまったのである。

 今考えても私がバカであった。
 結果は最悪、左手を思い切り噛まれてしまった。噛まれた時に手を動かしてしまったため、皮膚の柔らかい部分をポッキーの歯が切り裂いた。自分でもヌッと引き裂かれる感触がわかったくらいだ。皮膚がパックリと割れた。
 痛みと出血もひどかったがそれよりも「何もそこまで噛まなくてもいーじゃない?!」という怒りと情けなさの気持ちでいっぱいだった。
 手は腫れて仕事に支障はでるし(でも人に理由は言えない)ずっと気持ちがボロボロだったうえに身体(手)も怪我して酷いものである。

 そんな中でポッキーは2歳の誕生日を迎えた。
 こんな誕生日になるなど、去年は想像もできなかった。
 こんな状態なのに、ポッキーはどんどん大人になっていく・・・大人になるとしつけ直しに時間がかかると一般的に言われているだけに、一向に良くならない現実に焦りを感じた。

 メールカウンセリングも始めて2ヶ月、一定のカウンセリング期間が終了する時期、またもや手ひどく噛まれて気持ちも大混乱を起こしていた私たちのことを、先生は実際に会って様子を見ることが出来ないので、いろいろと別の方法を考えてくれたようで、A市内にある同様のカウンセリングを行っている動物病院を探してくれた。
 市内のYクリニックという動物病院で、そこには時々犬の行動カウンセリングで定評がある遠方在住のO先生が来ていて、実際に会って犬を見てもらい直接カウンセリングが受けられるようだから、是非行ってみてはどうかと言われた。
 私も現状に行き詰っており、実際に見てもらえるということが非常に魅力で、さっそくYクリニックに電話をした。
 するとO先生は遠方在住のこともあり現在は定期的にカウンセリングは行っていないので、今カウンセリングを受けるとなると個人で呼ぶことになり費用もかなり掛かってしまうが、それでも良ければ一度いらして下さい、と言われた。一瞬費用を考えたが、私たちの食費を減らしてもポッキーの回復が大事だと思い、早速Yクリニックに足を運んだ。

 そこではクリニックの副院長で、O先生に付いて行動カウンセリングを勉強中だというK先生に会った。
 そしてO先生は日本でもおそらく三本の指に入る素晴らしい行動カウンセリングの先生なので(みんな絶賛していた)、忙しいことからすぐに北海道に来てもらうことが出来ないので、当面はK先生が間に入ってカウンセリングを進め、O先生のカウンセリング実施の調整をしましょう、ということになった。
 メールカウンセリングの先生の方も、すぐに今までのメールカウンセリングでのデータや経過を引き継いでくれた。

 早速ポッキーとともに簡単な問診を受けた。
 その時私はとにかく話まくったが、その中でずっと拭い切れなかった「ポッキーは権勢症候群ではないか」という疑問を尋ねてみた。するとK先生は「O先生のように専門ではないけれど、私もいろいろな犬を見てきていますが、権勢症候群の犬は見ればすぐに判るし、本当に権勢症候群の犬というのは実際にはそんなに多くはないのです」と言われた。
 メールカウンセリングでも言われてはいたけれど、やっぱりそうか・・と、今まで権勢症候群に囚われていた私たちはホッとするようでもあり「う〜ん」という気持ちでもあり、複雑な心境だった。

 そしてひと通り問診が終わった後、K先生が言ってくれた言葉に、私は自分自身がどんなに救われたことだろう。
 『熱心な飼い主さんほど、こういう問題が起こってしまうんですよね〜』
 ポッキーはこうなってしまったけれど、私たちは何も考えずに、何も勉強せずに、何もせずに犬を飼ってきた訳ではない。
  やり方は間違ってしまったけれど、その時は間違いだと知らずに、本当に一生懸命ポッキーをかわいがり、育て、接してきたのだ。
 このことを初めて人に理解してもらえた気がして、涙が出るほど嬉しかった。

 犬のことを何も知らないからこうなったんだ、と他人からは思われがちで、年末に行ったドッグスクールでも真剣な私たちを理解してもらえず、一度電話してみた別のスクールでも何か教えてくれるのかと聞かれるまま答えれば開口一番は自分の所で繁殖したボーダーではないことの確認で、ずいぶん失礼な言い方ばかりされるし、ドッグスポーツしたりして犬との生活をエンジョイしている人達には、内心正直「そんなことは私だって知ってるよ!」というような事をいろいろと言われた(アドバイスされた)こともあった。
 「そんなことはとっくにやっている」「それが出来ないから苦労しているんだよ」・・・・
そんな思いばかりだった。
 だから私は、初めて私の努力を認めてもらえた気がして、本当に嬉しかったのだった。
 私は「この先生なら何だか希望が持てるかもしれない」と思った。


     【 ミッション:インポッシブル 】

 その後はO先生のカウンセリングを受けるまで
 『とにかく噛まれないように』
と指示された。
 噛まれないようにする、噛まれることは一切しない。
足を洗って噛まれるなら足を洗わない、触ろうとして噛まれるなら触ろうとしない・・・とにかく危ないことは一切しない。
 これは一見単純で簡単なようで、私たちにとっては難しいことであった。

 何故ならまず第一に
ポッキーはその時、何かされたら唸る、噛むというのは当たり前で、こちらが何もしているつもりがなくても、機嫌が良くないと勝手にひとりで噛み付きモードになって飛び掛ってきていたからだ。ポッキーの存在をふと忘れて座った床から立ち上がると飛び掛られる。物を取ろうと手を伸ばすと腕を噛まれる。何か大きな物を持って歩いていると腕を狙ってくる・・・。これらは今年になってずっと続いていることで、特にpapaに対して激しかった。
 papaに対してのズボンの裾噛みも急にエスカレートしてきて、唸りながら裾を引っ張りまくり、何本ものズボンの裾に穴が開いた。

 また私たちの会話で「〜に行くね」などと言いながら立ち上ったり歩き出したりすると「行く」という言葉に反応し、何故か唸りながら飛び掛ってくることがある。
 飛び掛らなくても勝手に一緒に行けると思って興奮することがあるので、我が家は本当にポッキーの散歩に行く以外では「行く」「散歩」という言葉は禁句で、「アイ・ケー・ユー(IKU)」「スリー・ウォーク(さん・歩)」などの暗号(?)を使わなければならない。
 「おやつ」「ごはん」はもちろんわかるし、特に感心するのが、ポッキーのことを話題にしているとそれもわかるようで、悪口なんかを言っているとすぐにバレて唸って怒るのだ。
 だから会話の中で「ポッキー」と言うことが出来ず「ポ」「彼」「ブラック&ホワイト」などと言っている。
 
 こんな風にポッキーに対して直接何もしなくても、噛まれる危険がたくさんあるのだ。

 こういう場合、室内でもリードを付けて係留したり、すぐに動きを制限出来るようにリードを付けてたらしたままにしておいて過ごさせたり、ハウスやケージに入れてしまえば良いそうだが、リードをいつもいつも付けているとリード嫌いになりそうでしたくないし、リードをたらしたままだとリードの先を拾おうとするとその時が非常に危険で何故かまず飛び掛られるのだ。それに我が家は狭いうえにポッキーが普段いる部屋はテーブルなどがありどこかに引っかかって動けなくなってしまう可能性があるのだ。またクレート(ハウス)の扉は閉めたことがあまりなく(全く同じ物を車に積んでいて車の中のクレートでは閉めても大人しく入っているが)鍵をかけようとすると、中からその手に噛み付こうとすることがあるのでこれもまた危険なのだ。

 そして第二に
これは私たちの気持ちの問題で
 噛まれないようにする → 何もしない → ポッキーの自由
という気がして、ポッキーをわがままにさせているような気がしてならないのだ。
 「何もしない」と「わがまま」は違う事なのだというのは理屈では解っているのだが、今まで「権勢症候群」を意識して接していただけに、噛まれるからその事をしない、というのにはどうも抵抗があったのだ。
 K先生にそのことを言うと、その気持ちも解るのでその代わりにコマンドを出して従わせることを多くすればいい、と指示された。
 そして今までよりももっと細かい、時間単位くらいの細かい日記をつけながら様子を見ましょう、ということになった。

 それからしばらく少し落ち着いたのではないか、とpapaも私も思っていたが、「ポッキー日記」をつけていたので記録を読んでみるとよくわかるのだが、決して噛んだり唸ったりすることが無くなった訳ではなく、今まで一日に何度もあったことが一日1回になったり、数日間何もない期間があいたり、大出血する噛み(手に対する噛み)や大唸りが無く規模が小さくなっただけであった。決して無くなってはいなかった。

 そして北海道の遅いピンク色の桜が咲き始めたころ、決定的な事件が起きた。
 というか、起こしてしまった。


     【 激痛 】

 ポッキーはしょっちゅう目ヤニが出るし、白の襟巻き(首周りの白い毛)によくゴミやよだれを付けている。
 噛むようになっても目ヤニは取ることが出来ていたのだが、いつ「今までは出来たことが出来なくなる」か判らない、という心配が強くなっていたので、おやつやおもちゃを使って触るよう心がけていた。

 その日の夜はYクリニックで勧められて使用を始めた、おやつが中に入った知的おもちゃでポッキーはひとり遊んでいた(ポッキーはひとり遊びに興味がないようで、おもちゃはすぐに私たちの所に持ってきてしまい、私たちとキャッチ&レトリーブ遊びしかせず、初めて熱心にひとり遊びしたのがこれである)。
 そして新たにおやつの入ったおもちゃを与える際、襟巻きによだれが付いていたので、おもちゃで気を逸らしておいてパッとよだれを取ろうとした。
 しかしこのおもちゃに非常に執着していたポッキーは、よだれを取った手に唸って噛み付こうとしたのだ。
 なので私は「もうおもちゃはやらん!!」と怒っておもちゃを取り上げてしまった。
 しかし事情のわからないポッキーは、また私が新たにおもちゃをくれると思っているらしく、ものすごい勢いで私の後を付いて来た。
 わたしが知らんぷりして別室に入ろうとした時、入り口で私の足と突進してきたポッキーの頭がぶつかった。私はイライラしていたので「部屋に入らせるもんか!」と意地になって足でポッキーが入らないようガードした。
 私の足とポッキーの攻防が始まったが、ポッキーのひと噛みでバトルは終了した。
 前歯で内側のくるぶしの下の皮膚の表面を噛まれたのだ。皮がえぐられたような痛さのあまりに、私は噛まれて初めて悲鳴を上げてしまった。ポッキーは興奮していた。

 そして次の日の朝、今思うと性懲りも無く私は「昨日は噛まれて負けてしまったが、これで止めるわけにはいかない、絶対今度はやってやる、そうしないとまた出来ないこと≠ェ増えてしまう」と焦ってまた、おやつを使ってポッキーの気を逸らしながら目ヤニを取ろうとした。
 しかし私は昨夜の不安を思いっきり引きずっていたようで、後で考えるとあまりにも不自然な体勢で(腰が引けて手だけを伸ばしていた状態)目ヤニを取ろうとしていた。
 「噛まれることはしない」という先生の指示は頭からすっ飛んでいた。

 ポッキーは当然反応した。
 伸ばした左手をガップリと噛み付かれた。噛み付いて離さなかった。

 今までも私は三度手をガップリと噛み付かれたことがあった。そのうち一度は噛まれた手を動かしてしまったので例の大出血を起こしたが、あとの二度は出血はほとんどなく、開いている片方の手でポッキーの口をこじ開ければ簡単に噛み付いた口を手から離すことが出来たのだが(そのかわり手が腫れたが)、今回はなかなかポッキーの口をこじ開けることが出来なかった。こじ開けたその手にもかすり傷ができた。
 やっとこじ開けて私の手から離したとたんに、出血は少ないものの左手の痺れと一瞬の吐き気に襲われて言葉も出なかった。

 その日は手が使い物にならず、ショックも大きく私は仕事を休んだ(でも本当の理由は言えない・・)。
 その日私はポッキーを飼い始めてから初めて、ポッキーに一切何もしなかった。仕事だったpapaは午後と夜のオシッコタイムに家に寄ってくれた。この日から私はずっと、ポッキーが普段いる部屋とはお手製の柵で仕切られた別室で常に過ごすようになった。
 ポッキーはその日一度もウンチをしなかった。こんなことは初めてであった。
 この日から私はポッキーに近づいてする世話が怖くてほとんど出来なくなってしまい、papaが多くの世話をするようになった。

 私は本当にポッキーと一緒にいることが怖くなってしまった。今までも恐怖を抱えてはいたけれど「何かしてあげよう、してあげたい」という気持ちが失せるほど怖くなってしまった。
 『もうポッキーとは一緒に暮らせないかもしれない・・・』
私は本気で考えていた。
 『・・・安楽死・・・?!』
頭から離れなかった。
 papaも、自分はともかくポッキーのために私が怯えて暮らすのは我慢出来ない、仕事をしていても私が噛まれているのではないか、と心配で私とポッキーを二人だけにさせられない(そういうpapaだって噛まれているが)、今度こそ本当に、明日保健所に連れて行く、と言う。
 私は
 『明日は止めて!』
と泣きながら言うのが精一杯だった。
 『安楽死なんて止めて』とは言えない自分が悲しかった。


     【 絶望 】

 私は自分たちの気持ちを整理するためにも、Yクリニックにお願いして数日間ポッキーを預かってもらうことにした。
 実はYクリニックでカウンセリングを始めた当初、私たちとポッキーの関係が良くならないし、私が恐怖心を抱いていることからO先生とY先生の間で、しばらくポッキーを病院で預かって、距離を置いてみても良いのではないかという話が出たのだが、それは嫌だと当時断っていたのだ。
 しかし今回、預けるということに迷いはなかった。
 距離を置いたことで何か良いきっかけが出来れば、と夢を託していたくらいだ。

 クリニックに連れて行くとK先生はさりげなくポッキーを奥の部屋に連れて行った。ポッキーは初め足を踏ん張って行きたがらない様子だったが、その後引っ張られるように渋々中へ入っていった。
 しばらくすると、ケージに入れられたらしいポッキーのキャンキャンという鳴き声が聞こえてきた。

 その日の晩御飯は時間や周りを気にしないでゆっくり食べられるものにしよう、と焼肉になった。普段は夕食後はポッキーお待ちかねの室内おもちゃ遊びがあり、私たちがご飯を食べて全て済ますのを今か今かと待っているので、何となくポッキーを気にして落ち着いて食べられないのだ。
 その日は静かな夜であった。

 ポッキーは結局2泊3日預かってもらった。期間が決まっているためか「今頃ポッキーはどうしているかな?」とは考えるが、正直寂しさはなかった。
 しかし2日目の夜になると「明日いよいよポッキーに会える」と思うと「久しぶりに会う私たちを見てどう喜ぶのかな?」などと考え、再会の時が待ち遠しく思えた。

 しかしそんな想像と現実は、あまりにも違った。

 待合室で待っていた私たちの前に現れたのは、見知らぬ犬であった。
 よく見ると黒と白の顔グロボーダーで、見慣れたカラーとリードを付けたポッキーのようでもあったが、ポッキーのようで、私たちが知っているポッキーではなかった。
 一瞬、これは現実なのかな・・・と思った。まるで夢の中にいる感覚だった。
 ポッキーらしき犬は興奮しながら私たちの方にやってきて周りをウロウロした後、イスに座っていた私の顔を一瞬舐めたような気がしたが、それはほんの一瞬で、ポッキーは私たちの顔を一切見なかった。
 私は自分からお願いして預かってもらったのだが
 『失敗した』
と思った。
 後にpapaも言っていたのだが、明らかにポッキーの目つきが、顔つきが変わっていた。
 オレの回りはみんな敵だ、というような目つきでもあり、感情がないような虚ろな目でもあった。
 後悔した。

 途中papaは仕事に戻ったが、私はこのポッキーを一人で車に乗せて連れて帰るのが恐ろしかった。
 と、その時、床に真っ赤な血が点々と付いた。「これは何だ?!」とビックリしたが、私たちが迎えに到着するほんの少し前、急にケージの中でポッキーが暴れ出してしまい、水入れ(普段使っているものを渡しておいた)を割ってしまい、その破片を踏んでしまったようだ、と先生は言った。
 前足から出血しているようで、先生はポッキーに「お手」をさせて傷口を見ようとした。
 上から、ポッキーが鼻にシワを寄せたのが見えた。
 「先生、気をつけてくださいっ」
私が言ったか言わぬうちに、ポッキーは先生に飛び掛った。
 先生は「おっと」と言いながら後に飛び退ったので噛まれなかったと思ったら、一度お手をさせた手を噛もうとして噛めなく、再度腕に飛びついて噛んだという。一瞬のことであった。
 私は頭の中が一瞬暗くなり、涙が出てきた。頭がぼんやりする中、待合室の隅にいた別の犬の飼い主が、私たちの方を見ているのが視界に入った。

 その後のことはよく覚えていないが、車に乗せて家に帰ってきた。
 家の前の駐車場に着いて車を降りると、この日に限って、夕闇の中に隣の家人が駐車場隅の畑で何かやっていた。
ポッキーは見るやいなやその畑に向かって唸りながら突進しようとした。私はリードで制し「ダメだよ」と不安な声で言った。すると今度は私の方に振り向いて、唸って私に飛び掛ろうとした。ポッキーは気が狂ったとしか思えなかった。
 そのまま走るようにして家に入り、リードも外せず当然足の汚れもそのままで室内に放した。出来るだけ今までどおりの生活をと、とりあえずすぐに晩御飯を食べさせると、しばらくしてハウスに入ってくれた。
 それを見てやっと、私はヘナヘナと床に座り込んだ。

 ポッキーは家に帰ってもしばらく興奮しているようだった。次の日の夕方私はYクリニックのK先生に電話をした。家に帰っても非常に気が立っていて怖くて仕方がないと伝えた。
 私は先生に「正直、ポッキーのことをどう思いますか?」と尋ねた。
 すると、とにかくO先生のカウンセリングを受けるまで待ちましょう、と言われた。今回預ける前に急遽O先生のカウンセリングを行うことが決まっていた。

 私は、安楽死も考えの一つであることを話した。
 その言葉を口に出したとたん、涙がボロボロと出てきてしまった。
 するとK先生は「安楽死については獣医の中でもいろいろな考えがありますが、私の考えは、もちろん最終手段ではあるけれど、治療の一環として行うことは否定していません。ただ保健所は、あれでは犬が可哀相すぎます。A市の保健所なんて、ひどいものですよ。病気はもちろんそうだけれど、ポッキーのような場合でも、カウンセリングという治療をしても駄目で、あらゆる方法を試しても駄目なら、犬自身が精神的に苦痛を受けていることに変わりはないのだから、誰に対しても、もし行うような場合があれば出来る限り苦痛の少ない方法で行います」と具体的な方法も教えてくれた。

 私もこの頃には、病院でも飼い主が希望すれば身体的な病気がなくても安楽死をするらしいということを知っていた。
私もどんな犬であっても、一生の最後が保健所、暗く、汚く、異様な、不安な部屋に入れられて、気が狂うほど吠え続け、そして苦しいガス室が待っている、なんていうのは可哀相すぎるから、保健所には絶対に連れて行かない、とは思っていた。どんなに費用がかかったとしても、もしそれを行うことになったら、絶対に病院でお願いしたいと思っていた。
 そしてもし行うとなったら、自分は何も嫌なこと=E・要は犬の命を奪う作業、をしないで、他人にそれをさせて終わりではなく、それを私の目の前で行ってもらうか、出来るならば私の腕の中で最後の瞬間を迎えさせなければならない、と決めていた。それが私の責任であるから。
  でもそれを行ったら私は、その後普通に生活を、人生を送れるだろうか、と考えると出来ないと思った。当然犬はもちろん、動物を飼うことは出来ないし、何より私自身、ポッキーに死んでもらって自分はのうのうと生きていけるとはとても思えなかった。

 選択肢はみんな先が途絶えている。
 ポッキーは私たちといるよりも新しい飼い主の元で新しい信頼関係を結ぶことの方が容易でその方がポッキーにとっても幸せなのではないか、とも考えていたが、今回でポッキーを里子に出すことも可哀相だし不可能だろう、と思った。
 時々冗談ともなく本気ともなく「三人で心中だね」なんて言っていたが、それしかないのかもしれない。
 絶望感に襲われた。

 次第にポッキーの恐ろしい顔つきはおさまってきたが、非常に神経が過敏になっており(それでなくても神経質なのに)、ちょっとした物音に激しく吠え、シッポは垂れ下がることはなく、私たちに対する唸りも多く激しかった。
 出来るだけ今までどおりの生活を心がけたが、私は常に手製の柵で仕切られたポッキーとは隣の部屋で過ごし、出来るだけ接触をしなかった。
 ただ、夕食後のおもちゃ遊びはポッキーの楽しみなので短時間だけれど続けていたが、ある時遊び終わった後にちょっとしたきっかけで脇腹を噛まれてしまったことから、おもちゃ遊びも怖くて出来なくなり、やらなくなった。
 近くに寄らなければ、余計なことをしなければ噛まれることはないので、この状態のままO先生のカウンセリングの日を待った。
 カウンセリングを受けたからといってその日からポッキーが噛まなくなる訳では全くないけれど「この日まで」という目の前の目標がないと一日一日が過ごせなかった。 



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