2004年・夏 〜 意識改革


     【 油断 】

 この年の北海道の夏は暑かった。
 と言っても私たち(人間2名)にとっては北海道の夏はまだ3度目だが、ここ数年の北海道の夏は雨が多く冷夏傾向だったのだ。この年の夏は6月中頃より暑い日が続き、7月になると盆地のA市は日中30℃を超える日が続いたのだった。だからポッキーの午後の散歩は夕方に行かなければならなかった。夜になっても暑い日もあった。
 数年ぶりの夏の暑さだそうだ。

 ポッキーに噛まれない生活は1ヶ月目で一度途切れ、新たに日を数え始めてからまだ2週間目のある夜だった。
 私は床に座椅子を完全に倒し、その上に腹ばいになって雑誌を読んでいた。私の左隣にはいつものようにポッキーが私にピッタリ寄り添うようにして伏せ、リラックスしていた。
 私たちの前方1メートルの所に壁に向かって小さな机と椅子があり、机の上にはパソコンが置いてある。私たちに背を向ける形でpapaが椅子に座り、まさにこのホームページの開設に向けて、内容を作っているところだった。

 一息ついたpapaは上半身だけ振り向いて、床に伏せているポッキーに声をかけた。
 「今ポッキーのホームページを作っているからね、待っててね・・・」
などと優しい口調でポッキーに話しかけた。
 私はふと不安になった。何故ならポッキーは今まで、papaに面と向かって話かけられると唸ったり、飛び掛ったことが何度かあったからだ。叱ったりコマンドを出したりした訳でもないのに、ただ目を見て話しかけただけで唸られたり噛まれたりしていたのだ。
 papaが話かけ終わった時、私は雑誌から頭を上げてpapaにそのことを注意しようとした。
「今までむやみに話しかけたりすると飛び掛られるんだから、気をつけてよ」
と言おうとしたのだが、「今・・」と私が言ったか言わないうちに、私の隣にいたポッキーは突然papaに向かって突進した。
 papaが話しかけ終わって、振り向いた状態だった上半身を元に戻してパソコンに向かった時、つまりポッキーに背を向けた状態に戻った瞬間、突進したポッキーは今までどおりの唸り声をあげながらpapaの右腕に飛び掛って噛みついたのだった。
 2週間前の私の時と同じような光景だった。
 そしてpapaの腕から離れたとたん、ポッキーはまたオロオロした様子になり、私の足の間にもぐりこんできてしまった。
 
 papaは「何もしていないのに」と不機嫌になるし、私は「またやってしまった」とガッカリした。
 以前何度か飛び掛ったことのある、ポッキーが何度も噛んだ上着を着ていたから何か思い出したのだろうか?
 今見つめられたことがそんなに嫌だったのだろうか?
 何を言われているのか解らなくて、混乱して噛んだのだろうか?
 何かいつもと違うことと言えば、今日の午後のウンチタイムの時下痢便だったとpapaが言っていたことくらいだ。
 でも具合が悪い様子は全くなく、元気だった。

 このことはすぐにO先生にメールで報告した。
 その結果、今回の場合は原因の判断が難しいが、あえて考えるとポッキーが伏せて姿勢が低い状態だったのに、正面からpapaが見下ろしたことでプレッシャーを感じていたかもしれない、ということだった。
 また、背を向けたとたんに攻撃してくる、というパターンは相手に対する恐怖心の典型だという。
 私も知ってはいたが、一般的に知らない犬に近づく時はその犬にこちらが敵意がないことを示すため横から近づくのが基本で、知らない犬に正面に立って見下ろすのはたいていの犬は脅威を感じるらしい。
 また「背を向けたとたんに怖くて攻撃」というのもよくわかる気がした。
 北海道と言えばヒグマだが(他にもたくさんあるが)熊に出会ってしまったら、死んだフリは全く効果はないし、絶対にしてはいけないのは、熊に背を向けて悲鳴をあげながら走って逃げることだそうだ。
 何故なら熊は本来人間が怖い、臆病な性格だからだそうだ。人間に出会ってしまうと怖くなって自分が攻撃される前に、と攻撃してくるらしい。
 だから熊に突然出会ってしまったら、目を逸らさないで(目を逸らしただけで襲ってくることもあるらしい)、背を向けないで、ゆっくりと熊から離れなければいけないらしい。
 それを考えると、熊もポッキーも似ているように思う。

 そして1番の理由とすれば、下痢をしたことで体調が悪かったのではないか、という。
 病気や怪我など体調不良というのは、攻撃的になりやすい大きな原因になるそうだ。犬が人間を噛んだ時、専門家が初めに考えるのはこのことだという。

 でもその時は、確かに下痢をしたがいつもと変わった具合の悪そうな様子もないし、ご飯は普通にがっついて食べるし、それが大きな原因だとは思えないなぁ、と思った。

 そして今回、前回私の腕を噛んでからまだ2週間しか経っておらず、このままでは1週間後には確実にまた私かpapaが噛まれ、カウンセリング前の状態にあっという間に戻ってしまうので、何が何でも今の状態から後退させてはいけないこと、噛んでから数日間は犬はまだ情緒不安定になっていることが多いので特に気をつけなければいけないこと、またポッキーに噛まれる危険がある時間帯、シチュエーションなどではポッキーと室内での住み分けを徹底するよう強く指示された。

 この「住み分け」というのは私がポッキーに近寄れなくなったカウンセリング前に自然に行っていたもので、家の中では手製のゲートで仕切った別室でポッキーとは別々に過ごすことである。
 これは単に私がポッキーに近寄れないし近寄ってほしくないから柵で仕切った別室にいただけのことなのだが、実は噛みつきモードのスイッチがすぐにONになってしまう情緒不安定なポッキーには非常に有効な手段で、別室にいれば私たちも噛まれないし、ポッキーも噛まないし、簡単に「噛まれない生活」が出来る訳なのだ。
 ポッキーが噛まない状態を続けることは非常に重要であり、また近くに私たちがいないことで噛みつきモードはOFFになり結局はポッキーはひとりで静かにリラックスして過ごせることになる訳で、ポッキーも精神的に楽になり良い事であるから当分は続けるように指示されていたのだ。
 ただしこれは一日中しなければいけない訳ではなく「この時は絶対に噛まれないから大丈夫」と自信のある時間帯やシチュエーションでは住み分けをしなくて良い、と言われていた。
 なのでポッキーがしばらく大人しく、平穏だったことから住み分けがルーズになっており、これを徹底するように強く指示されたのだった。
 つらいけれど私自身に対して心を鬼にせねば、と思った。


     【 体調不良 】

 次の日の朝起きて一階に下りて行くと、ポッキーのいる部屋が大変なことになっていた。
 ハウスの前とトイレトレーのところ2か所に、完全に水状の下痢便が広がっていた。
 昨日の昼に続き夜も下痢便だったとpapaが言っていたが、今までにもポッキーは2度ほど突然下痢をしたことがあったが自然と次の日には治っており、ここまで水状の下痢便で、二日続けて下痢をするのは初めてであった。
 今まで健康だけがとりえのようなポッキーだったので、びっくりしてしまった。
 今のところ食欲はある。しかしこれは異常事態であるので、事前に電話を入れてからその日の午前に私だけが病院へ行って、強めの抗生物質と下痢時用のフードをもらってきた。

 家に帰るとまた、ポッキーは下痢便をしていた。朝のいつものトイレタイムに下痢便をしてから3時間も経っていなかった。
 通常の便意とは別に突然便意が起こってしまうほど調子が悪いのか、とさらに心配になった。
 しかし夜中もそうだったのだが、この時もポッキーははみ出てはいるものの、トイレトレーで下痢便をしていた。
 ポッキーは子犬の時から、周りに私たちがいないとトイレシーツをぐちゃぐちゃにしたり、シーツを食べてしまったり、食糞をしてしまうことから排泄は外でするようになっており、トイレトレーはそのまま置いてあるがトイレトレーを使うことは1年ちかくなかったのだ。
 しかしトイレの場所をちゃんと覚えており、下痢だというのにちゃんとトイレトレーで排泄をしたことに感心し、いとおしく思えた。もう時間が経ってしまったので言ってもわからないだろうけれど、褒めながらトイレシーツを片付けた。

 どうやらポッキーは、昨日O先生がメールで言っていたとおり
「体調が悪くて辛いのにpapaはボクを脅した」
とでも思ってしまったようだ。
 誰も脅しても、苛めてもいないけれど、ポッキーは犬の思考回路でこう思ってしまったのだろう。

 午後私は仕事に出てしまったのでpapaに仕事途中家に立ち寄ってもらったが、その時も外に出したとたんに下痢便をして、結局この日は夜の9時まで3時間おきに下痢便を出し続けた。

 次の日の朝は夜中に下痢便をしていることはなく、1日3回の通常の排泄回数に戻ったが、水状の下痢便そのものは一向に治らず、さらに強い抗生剤を飲ませた。しかし数日たっても全く治らず、薬を変えて便を硬くする強力な薬を飲ませた。
 この間ポッキーには出来るだけ構わず、静かに過ごさせた。
 ポッキーも下痢が始まって2日目からは、ご飯は全部食べるもののいつものがっつきがなかった。大好きな散歩にも何となく消極的であり、室内でも大人しいと言うよりは、いつもバッタリと横になって寝てばかりいた。
 下痢の原因が判らないだけに、とても心配だった。

 その後強力な薬を飲み始めて2日ほどして、さらさらの水状からほんの少し硬さのある便になってきた。そしてだんだんと薬を飲まなくても少しずつ形が出来るようになってきた。
 治るのに2週間ほどかかった。
 下痢の原因として考えられるのは、今年のこの暑さ、猛暑による夏バテでしょう、ということであった。犬にもよくあることだそうだ。
 治って本当に良かった。


     【 犬と人間の共存の仕方 】

 8月が終わろうとするある日、また私はO先生に次のようなメールを送ることになってしまった。

 『ご無沙汰しております。

 実害はなかったのですが、攻撃行動と思われる行動がありました。
 昨夜、ポッキーお楽しみの穴のあいたボールにおやつが入って転がるとおやつが出てくるおもちゃで遊んでいた時です。
 そのおもちゃに対して、ポッキーは非常に執着を持っています。
 転がったそのおもちゃが水飲みが置いてあるトレイの所にはまってしまったので、水もこぼれるからおもちゃを移動させようとした時です。
 私も、噛まれない記録約2ヶ月に近づき、最近の平穏な雰囲気に油断したこともあります。
 ポッキーを別室に行かせておもちゃを動かせば問題はなかったのでしょうが、スリッパを履いた足でおもちゃを蹴って動かそうとしてしまいました。
 するとポッキーは唸ってスリッパに噛みつきました。
 スリッパは私の足から離れました。
 すると今度は私のズボンの裾に、唸りながら噛みつきグイグイ引っ張りました。
 この時の唸り声は以前の頃の唸り声と同じで、また飛び掛って噛みつかれるかもしれない、と思いどうしてよいか分からず私は微動だにしませんでした。
 数秒たつとやっとポッキーはズボンから離れましたが、その後オロオロしたような様子になり(私は目を合わせることが出来ず視界の端で見ていました)私の前で「お座り」をしました。
 その後は何事もありませんでしたが、ポッキーは少しいつもと様子が違い、私の様子を伺うようなところがありました。

 そして今日、夕方夫が散歩中、リードがポッキーの前足に絡まってしまったそうです。
 前足を持ち上げることなど出来る訳がなく(確実に噛まれる)、リードを地面に垂らすだけでは直らないような複雑な絡み方だったので、どうしたらよいかと迷っていると、ポッキーが唸りながら手(手の甲)に飛び掛ってきたそうです。
 瞬時に手を避けたので噛まれませんでした。
 今まではこのような場合、いつも腕やわき腹に飛びかかっていたので、腕やわき腹を狙ってきたらまず噛まれていたと思います。
 何故か幸い狙いは手だったので害はありませんでした。
その後は「まずいな〜」というような卑屈な態度だったそうです。

 どちらの場合もポッキーは恐怖を感じて(スリッパの動きや、夫の微妙な雰囲気)いたのだと思いますが、先生はどう思われますか?
 噛みついた最中は完全にポッキーは自分を失っているようですが、その後の態度は、「なんだかいけないことをしたらしい」ぐらいは、犬は思うものですか?

 昨日、今日のことで、カウンセリングを始めて初めて自信をなくした感じです、ポッキーは本質は変わっていないんだな、と。

 今後、特に数日間は油断せず気をつけるのはもちろんですが、アドバイスがあればいただきたいです。
 よろしくお願い致します。』

 いつものように早急に返信があったが、その内容は、上手く表現出来ないけれど「目からウロコが落ちる」というか、「晴天の霹靂」というか(これは本来は間違った言い方)、「悟りの境地」というか、「目の前の霧が晴れた」というか、私の場合はもっと以前の頃だったならこのような内容を聞いてもよく意味が分からなかったが、だいぶ噛まれなくもなり、今ここまで積み重ねてきた現在だからこそ、初めて深く理解出来る事実だった。
 ポッキーの本質を改めて知るとともに、犬と人間のつき合い方について本当に考えさせられた。
 そしてそれはまた、自信を失いかけた私にかえって気力を与えられるものだった。

 まず今回の噛み(未遂も含む)の原因は「恐怖」ではなく完全に反射的に噛んだと考えられるという。
 私のスリッパ事件に関しては、夢中になっているあまりおもちゃを私に盗られると思ったポッキーは、思わずそれを阻止しようととっさにスリッパを噛んだと考えられる。だから噛んでいる時はものすごい勢いだったのに、噛むのをやめると急に我に返ったように態度が変わったと思われる。

 ポッキーはどんな場合でもすぐに興奮しやすく、興奮すると完全に我を忘れるタイプだが、ボーダー・コリーは特に「我を忘れる」傾向が強いそうだ。
 他のボーダー・コリーを見ていると、ボーダー・コリーという犬は動作や仕事の正確さなどを考えると、何となく冷静沈着というイメージがあったのだが、それは訓練のたまものであって、動くものを見ると追いかけずにはいられない悲しい(?)性や何かをしている時のあの並外れた集中力も、見方を変えればそれしか見ていない訳で、そういったことを考えてみると確かにボーダー・コリーは我を忘れやすいのかもしれない。

 そしてpapaのリード絡まり事件についても、ポッキーにとっては敏感な前足にリードが複雑に絡まっていたことでポッキーにも焦りや気の動転やストレスがあったことが予想され、papaの手が動くと思って、良い印象を持っていないpapaの手に噛みつこうとしたのではないかと考えられるという。

 これは犬が交通事故などに遭った時や手術後の時などに、人間がむやみに手を出すと噛まれることと理由は同じだそうだ。
 私もなんとなく知ってはいたが、最近その状況を実際に見たことがあった。

 私が住宅街を車で走行中、犬の悲痛な鳴き声が聞こえた。何が起こったのかと思った時、前方対向のRV車がこっちに走って来ておらず路上に停車していることに気が付いた。交通量の少ない住宅街ではあるけれど道路のど真ん中で何故停車しているのかと不思議に思った時、RV車の目の前にゴールデンレトリバー風の大きな犬が道路に横たわっているのが目に入った。交通事故だと判った。
 その犬はRV車と路面の間に身体がはさまれる形でひかれてしまったようで、キャンキャンと悲鳴を上げていた。するとその場の目の前の家から飼い主一家のお父さんらしき人が飛び出してきて、その犬に駆け寄り介抱しようとした時、その犬はお父さんの手を噛んだ。するとお父さんは明らかに「助けようとしてるのに何で噛むんだ」というような怒ったようなけげんそうな顔をしてその場に立ち尽くしてしまった。犬は前足の皮膚が酷く引き裂かれており、突然の恐怖のあまり便を失禁していた。
 
 その後その犬はタオルに包まれて家の中に入っていったが、偶然車にひかれる1時間ほど前にこの犬の家庭での様子を見ていたのだが、お父さんや小学生くらいの息子さんにシッポを振って甘えているごく普通の楽しそうな家庭の犬で「ああ、噛まれるウチとはえらい違いなんだろうな」と羨ましく思ったくらいだったのだ。しかしそんな普通の犬でも、気が動転すると、人間側としては犬を助けようとよかれと思って手を出しているのに、反射的に人間を噛んでしまうのだ。
 交通事故ほどの動転ではないのだが、リード絡まり事件もこういうことなのだ。

 そしてこのような反射的に噛む行動は、犬としては自然な行動であるので「直る、直らない」という次元のものではなく、人間側が「避ける」ことしか対処法はないそうなのだ。
 犬としては当然の反応であるが、人間側としては噛まれれば痛いし怪我をするし、こんなことばかり起きていては危険で一緒に暮らせなくなるから、だからそれを避けなければいけないのである。

 しかしここで疑問がでてくる。
 犬が人間を噛むことは「当然の行動」とはいえ、交通事故ほどのショックならまだしも、些細なことならば飼い主を噛まない犬は世の中にたくさんいるのに、何故ポッキーはすぐに噛むのか、ということだ。これは噛まれるようになってからずっと思い続けていたことでもあった。
 その私の最大の疑問の理由は、
 『ポッキーの動転が噛まない犬より大きい(ストレスに弱い)ということと、飼い主である私たちへの信頼が噛まない犬よりも低い』
ということだそうだ。

 そしてこのような噛む行動は私たちが信頼を取り戻せば徐々に改善されるが、ストレスに弱いのは遺伝的、環境的な原因によるポッキーの性格、いや性格というよりも『個性』であるから、軽減はしても全く変わる、完治するということはないそうだ。
 人間の場合でも、神経質な人やおおざっぱな人がいるし、度胸のある人や怖がりな人がいる。ジェットコースターが大好きな人がいれば苦手な人や失神してしまう人もいる。それはどれが良い、悪いということはなく、どれもが認められるべき個性なのであるのと一緒なのだ。
 だからポッキーとのつき合い方は、ポッキーの個性をよく理解したうえで
 『悪い一面を引き出してしまうようなことは避け、良い面を伸ばし一緒に暮らせるようにルールを教える』
ということだそうだ。

 しかしここで言う「悪い」という意味は、ポッキーがいけないことをしている、という意味ではなく、「人間が一緒に生活するにあたり都合が∴ォい」という意味なのである。ポッキーが、犬が「悪」なのではない。
 そしてこれは、我が家の場合は「ポッキーが警戒し恐怖心を増すようなことは避け(都合が悪い面)、コマンドの確実性や信頼関係は強める(良い面)」ということである。だから私たちは今ポッキーに警戒心や恐怖心を与えないために、「ポッキーの嫌がることは一切しない、私たちを噛ませない生活」をしている訳だ。

 そしてこの『悪い一面を引き出してしまうようなことは避け、良い面を伸ばし一緒に暮らせるようにルールを教える』ことは、ポッキーに限らず全ての犬との暮らし方のコツだそうだ。こうやって異種の生き物である犬と人間はつきあっていかなければならないようだ。

 今回のO先生の返信によって、私は改めて「犬との暮らし方」を理解した。
 実は今まで、以前のメールカウンセリングの先生にもO先生にも「犬が噛むことは犬にとっては当たり前の行動」と言われ続けていた。私も、確かに犬の本能ではある、と理屈では解っていても「だからと言って人間を噛んでもらっては困る」と思っていたし、今年初め頃のようにポッキーに噛まれ続け悩んで涙していた時は「それはわかるけど、そんな悠長なこと言っていないでポッキーが噛まなくなる方法を教えて!」と思っていた。
 でもやっと今
 『犬が噛むことはある意味仕方のないこと』
と思える。
 もちろん噛まない方がずっとずっとお互いにいいに決まっているが、初めて「犬が噛む」という事実を受け入れられた気がした。
 今まで私は「犬に噛む事そのものを人間の手段(しつけなど)でさせない」ものだと思っていたが、人間側が「犬が噛むようなことをしないように」し向けてあげればいいのだ。こうした方が人間も犬もお互いストレスを感じないし、犬に「噛むこと禁止」をさせるよりも人間側も気楽で簡単なのだ。

 犬に「直ってくれ」とこちらの希望ばかり押し付けず、まず変わらなければいけないのは人間側で、人間が変われば犬は変わる。そして犬は初めから「悪い」訳では全く無いのだから(悪い、とは次元が違う)、「直る」ということも、その言葉自体もありえないし、ポッキーが私たちを噛まなくなったとしても、それは「直った」のではなくある意味「噛む必要がなくなった」ことになる。
 「犬が噛むのは当たり前な行動」「噛むのを止めさせるのではなくそうならないよう避ける」の意味を心から理解した時、私は気持ちが楽になったし、希望が強くなったし、犬にもっと近づけたように思った。

 噛み癖が激しい今年の初め頃も、何でもない時は私の口元や手を舐めたり、身体を密着させてきたりくっついて歩いて来たりして甘えるような仕草は普通にしていたが、「噛まれない生活」を始めてからはその頻度が多くなったように思う。私が外から帰ってくるとそれはもう、ものすごい喜びようで、このまま顔や身体を撫でることが出来るのではないかと思うくらいだ。
 papaはもっと感じているようで、ポッキーに褒め言葉をかけると以前より格段に嬉しそうにシッポを振るようだ。また、手も舐められるようになって、偶然手がポッキーの顔の近くに触れても大丈夫だった、と喜んでいることもある。

 ポッキー、今まで本当にごめんね。
 ポッキーだって好きで噛んでいた訳ではないんだよね。
 時間をかけても、これからお互い誤解を少しずつ解いていって、もっと仲良くしようね。

 犬と暮らす(飼う)、ということは本当に大変なことだ。簡単な気持ちでは絶対に暮らせ(飼え)ない。
 気性の激しい私だから、解ってはいても時には感情はどうしようもなく、また落ち込んだりガッカリしたり悲しいこともあると思うが、決してあきらめないでポッキーと向き合っていく。



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