040503.大島一声先生のご法話から(1) 人間裸になったらそこは無限。

45歳の女性が大手術を受けました。
この人は美容コンサルタントでほうぼうに公演に出かけ、
飛ぶ鳥をも落とす程の勢いで活躍中の、
恵まれたところにいた美容師でした。
ある日、腰が激しく痛むので、病院で診てもらったのです。
結果は、脊髄に悪性の腫瘍があることが判りました。
すでに手遅れの状態でした。
手術はしたものの、余命わずか一ヶ月程とのことでした。
後は死を迎えるだけだけでした。
この絶望のどん底にある時に、
大島先生の著書である、ことばのプレゼントと言う本を手にしたのです。
そのほんを開いた時、一番先に目にしたことばがありました。
そのことばは次のことばでした。


人間裸になったら、そこは無限。



と言うことばでした。
その人はそのことばで、ビックリしたのです。
名誉も、地位も、命も、あと一ヶ月程しかない。
何もかもが全部壊れていく。
まだ45歳、死にきれない。
やさしい夫、かわいい子供、絶好調にある仕事も、
全部おいて、別れて行かねばならぬ。
丸裸になってしまった。
この絶望の時にこのことばに触れたのです。
そしてその時、目の前がぱっと明るくなったのです。


人間裸になったらそこは無限。
いただきなさい。いただききれない恵みがそこにある。



そうなんです、いただくのです。あるがままにいただくのです。
誰も好きで病気になる人はいない。
好きで災難に合う人もいない。
でも、そうなった、そこにはそうなった仕組みが定めとしてあるわけです。
それを手をあわせていただくのです。
手をあわせこのままいただいたら
何か目の前が、ぱっとしたものが、開けたのです。
たった45歳で死んでいく。
まだ私は若いと思っていたが、なんと言う大きな間違いであったか。
生まれてすぐに死んだ人もいる、三つで死んだ人もいる、八つで死んだ人もいるんだ。
私は45年も生かされてきた。
と言うことを、その時、拝み取ったそうです。
そして更に、夫がいる、娘がいる、病院がある、薬がある、看護婦さんがいる、
私の為に世界全部がある。
拝みきれない幸せを受け取る事ができたのです。
私の寿命はもう幾つもないから、
一日一日を一万年に生きます。と言われたのです。
拝み取る以前ならば、逆でわなかったか?
つまり、45年を一日にしてしまうのではなかろうか?
あれもしなければならない、これもしなければならない、
あれもやりたい、これもやりたい、と
心は転動し、さるが木から木へ渡り動き回るように、
私達は毎日の多忙に追われて、自分を見失って、
時間だけがあっとゆまに過ぎて行くものです。
このような時間こそ、時間の無駄使いと言うものではなかろうか?
しかし、この人は、死を目の前にしてから、
一日一日を一万年に生きて行くと言うのです。
こんな幸せをいただいて、うれしさのあまり、
この人は大島先生のお寺を訪ねて来たのです。
そして大島先生のことばを引用して、力強く次のように言うのです。


生きていることはすばらしい。
今日もすばらしい命をありがとう。
天地いっぱいの恵みに乾杯。
見えて、聞こえて、立てて歩けて、
今日も太陽がいっぱい、空気がいっぱい、
ご恩がいっぱい、幸せがいっぱい、安心がいっぱい、
今日の命、ありがとう。



このように言われたのです。
そして、今まで自分は幸せだとは一度も思った事はなかったが、
病気になって、初めて今日の大きなご恩と喜びを
体得できました。と言われたのです。

とっても善いお話しですね。
大きな病気を患って死の目前で、たった一つのことばで
今生きている幸せをいただけたなんて、すごい事ですよね。
また、更にすばらしい事は、
おかげさまの中で45年も生かされて来たというのに
一度も感謝できないできた自分に気付いて、
ごめんなさいと、頭が下がって懺悔していることですね。
ありがとうと、ごめんなさい、と言う心が一つになって
大きな安心に包まれるんですよね。
片手にありがとう、もう片手にごめんなさい、
この両手を合わせて頭を下げれば
大きな安心に包まれるのです。
とってもすてきなお話しでした。ありがとう、ナーム、合唱。

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