10.あるがままの自分でおれないよぉ
もし、あなたが今現在の、あるがままの自分でおちついておれるならば、
自律神経失調症にはならないんですよね。
つまり、このまんまの自分を受け入れる事ができて、今現在にしっかりと生きられれば
なんの問題も無いわけですよ。
ところが、あるがままの自分で、おちつけないのが人間、と言うわけですね。
この世の中で生きているんだもの、不安はつきず、悩みもつきず、悲しみもつきず、寂しさもつきず、こりゃもうどうにもなりませんよね。
一度でも息苦しい経験をしただけで、また苦しくなったらどうしようぉ、
電車に乗っている時に苦しくなったらどうなっちゃうの、などと、予期不安をつのらせてしまいますよね。
また、いつも頭が重く、おわんでもかぶっているような感じがあるとすれば、
常に、頭の重さが気になって、注意をそこに集中させてしまい、
結局悪循環に陥ってしまいますよ。
そして、もうっちょっと、楽になんないかなぁ、早く治さなくっちゃぁ、などと言って、
今の自分におち付けず、幾つかの病院をかけ巡り、
薬をいただいて飲み続けているけど、いつまでたってもすっきりしない。
結局、早く治りたい、どうにかしたい、と言う欲求ばかり強める事になっちゃうわけですよ。
欲求を強めれば、強めるほど悪循環に陥ってしまうんですよね。
だから、気晴らしに、夢中になれる事を何かやってみたら、といろいろ教えてもらうけど、
何をやってみても症状が気になっちゃうし、不安はつきない。
このような状況におちいっている、と言うのが現実ではなかろうか?
そうなんですよねぇ、その通りって感じだよねぇ。
これが私たち、人間の実装と言うことですよ。誰でもそうなんですよ。
その点、、自然界に生きる動物たちはすばらしいですね。
弱肉強食の世界に生きていて、いつ襲われて、食べられてしまうか判らないのに、
あるがままに、そのままに今をしっかりと生きている姿はとても力強く感じますね。
それに比べて、私達人間はとっても、あのようには生きられませんよね。
だから私と患者さんとのお話しの中で次のような事をよく話しあっているんですよ。
その一つはねぇ、どぉにもならん、と言う自分をしっかりと、自覚しよう、という事なんですよ。
たとえばですね、もうぜったい考えないぞ、もうぜったい言わないぞ、もうぜったいしないぞ、とつよぉく決意したって、
たいした時間がたたないうちに、アラぁ、また考えちゃった、アラぁ、また言ってしまった、アラぁ、またやっちゃったぁ、
と言うぐあいで、どうにもならん自分をしっかりと知ることです。
わかっちゃいるけどやめられない、と言う自分をしっかり見る事のできる人になろう、と言うことですね。
誰でもそうなんだけど、そんな先の事まで心配したって、しょうがないさ、と了解していても、
ついつい、予期不安をつのらせてしまうのとちがいますか?
更に言えば、もう腹は立てないぞぉ、もう言い争うことなどしないぞ、と決意してみたって、
人の出方によってはすぐに腹がたっちゃうでしょう?
それから、もう恨んでみてもしょうがないよ、とじぶんに言い聞かせてみても、
何年何十年たっても思い出すたびに恨み、憎しみは消えないでしょう?
そうですよ、そうなんです。これが人間の実装なんですよ。
このような点を、私は患者さんと指摘しあって、どうにもならん自分を語り会っているんです。
それからもう一つ、お話しの中心になるものがあるんです。
それはね、このどうにもならん自分であることを自覚できたなら、
あとは肩肘の力を抜いて更にこの身を低くして、
頭を下げて、ナームーと手を合わせるお話しなんです。
ナームーと手を合わせて頭を下げると心はなごみ、安心が得られるからです。
不安、心配、悲しみ、迷い、恨み、憎しみ、ぐち、怒りと言ったこれらの感情を、
丸ごと抱えたままの自分が深く頭を下げて手を合わせれば、
この宇宙いっぱいに広がっている不思議な愛に包まれて、必ず心がなごむものなんです。
そしてこの時は小さな不安をいつも抱いているあなたが
広大無辺に広がっている不思議な愛と言う、安心につつまれている時でもあるわけです。
そして、その時は自分自身ではとってもおちついていることができなかった今現在の自分に、
ちゃあんと、おちつけていて、そして受け入れているんですよね。
論より証拠、手を合わせて頭を下げてみればすぐにわかります。
特に精神的につらくて、くるしくて、どうにもなんない時に
手を合わせて頭を下げてみればすぐにわかりますよ。
つらく、苦しい中で、何か暖かい、安心できるものが感じるもんですね。
なぜ暖かい安心感が得られるのかな?
それは、なかなか下がらん頭が下がって、そしてなかなか合わせることができない手が合わさって、
宇宙いっぱいに広がる不思議な愛につつまれたからですよ。
この手を合わせて深く頭を下げている姿は人間にとって、最も尊く、輝く時であり、最も尊い姿であるわけです。
おかげさまで私などは気が小さくて、欲張りで、心配性で、気が短くて、怒り安くて、
毎日が不安だらけの生活を続けている人間なので、
どうしょうもないじぶんをいやっと言うほど、気付かされて、
そして深く頭を下げていつも手を合わせる事になっちゃうわけです。
でもおかげさまで、その分広大無辺に広がる不思議な愛の安心に包まれて、
自分の力だけではとっても受け入れることのできない今現在の自分の境遇を
ちゃぁんと受け入ることができていて、
精神的にはとても楽に生活させていただいているんですよ。
きっとあなたも不安を抱いたまま大きな愛の安心に包まれて、
あるがままのそのままの、自分のままで楽に人生を歩むことができるから、
ぜひいつも、どうしようもない自分に気付かされて頭が下がって手を合わせてください。
片手にごめんなさい、片手にありがとう、この両手を合わせて合唱となります。
手を合わせることができるように、このホームページの心が和むことば集を読んでください。
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