真っ白な砂浜に、波が打ち寄せる。
それだけの景色が、今はとても信じられない異界的な雰囲気を放っていた。
打ち寄せる波は、赤い。
飛び散る赤い飛沫が佐伯のズボンの裾を濡らした。
それでも、彼は動かなかった。
動けなかった。
目の前に広がる真っ赤な海。
そこから、バラバラになったギャオスの死骸が突出している。
胴体から切り落とされた首が、波に打たれながら腐った視線を寄越していた。
その視線に魅入られたかのように、佐伯は立ち尽くしていた。
手にしたカメラのシャッターを切ることもできなかった。
GAMERA 2010
―1999/8/○ 太平洋
黒々とした波が揺れている。
雲間から覗くはずの月の光は、はるか上空にある異物によって海面には届いていない。
揺れる波の遥か上、空はギャオスの大群に覆われていた。
無数の悪魔―数百ともいわれる数に膨れ上がったギャオスの群の真下を、空母・駆逐艦などがゆっくりと進んでいった。
太平洋上にてギャオスの群れは集結を果たし、今や宿敵のいる日本へとその目を向けつつあった。
ギャオスへの攻撃はまだ許可されていない。
目下のところ各国の軍隊の準備が整っておらず、現状での攻撃はギャオスをいたずらに興奮させ、大きな痛手を被るという判断によるものだった。
しかし、彼らの緊張は上空のギャオスの群れによるものだけではない。
彼らは、「その時」が近づきつつあるのを知っているのだ。
上空。
羽ばたき、耳障りな声を上げるギャオス達はその頭を一方向へと向ける。
大きく口を開き、鳴き声を上げたその時であった。
一瞬の閃光とともに、一方にいたギャオスが数匹爆ぜた。その直後に爆音と、強い風が吹き抜けていく。
白い尾を引きながら、雲間を割ってギャオスの群れに突っ込んでくる影が見えた。
ギャオス達の興奮が最高潮に達する中、再びの閃光と爆発。今度は3度立て続けにである。
焼け焦げた肉片が宙を舞い、その破片を弾き飛ばして、それは進んでくる。
両足からジェットを噴射しながら、残った左手を禍々しく構えたガメラの姿であった。
大きく口を開き轟かせる咆哮は、まるで断末魔のようにも聞こえた。
ギャオスの群れから幾条もの光の筋が伸びてくる。
と、ガメラは頭と手を甲羅の中に納め、回転ジェット噴射で進む。回転する甲羅はギャオスの超音波メスを乱反射し、飛びかかってきていた周囲のギャオスを肉片に変えた。
そのまま回転しつつ、大きな弧を描いて群れへ突っ込んでいく。鋭利に変化した甲羅はギャオスを次々と切り裂いていき、その内蔵を引きずり出して飛んでいく。
群れを突き抜け、肉片と内臓を撒き散らしながらガメラは飛行形態をとる。回転を急停止し、その首を群れに向けるとすかさず火球を吐いた。
反応の遅れたギャオスが炭に変わる中、その死骸を切り裂いて再び超音波メスが襲う。
腕や頭の皮膚を切り裂かれながらも、ガメラは火球を吐き続ける。
仲間の超音波メスに当たることも厭わず、狂ったギャオスがその爪を突きたてようとガメラへと向かってきた。
ジェットを急噴射し、ギャオスへ体当たりを決めながら、再び群れの中へと突っ込んでいく。目の前のギャオスはいわば盾だ。
その盾を爆ぜさせ、群れの内部で次々と爆発を起こす。猛スピードで移動する的に、ギャオス達はなかなか追いつけずにいた。
しかし、再びの超音波メス一斉発射がガメラをとらえる。
甲羅を切り裂かれながら、ガメラは残った腕でギャオスの首を引きちぎる。
あふれ出る自分の血と、降り注ぐ大量のギャオスの血にまみれながら、ガメラは吼えた。
一瞬の隙を突かれ、ギャオスに掴みかかられた。真横から足で掴みかかられ、甲羅に爪を立てられる。
バランスを崩したところに、超音波メスが容赦なく降り注ぐ。掴みかかってきたギャオスは、足だけを残して切り刻まれた肉片を散らした。
甲羅に亀裂が走り、中から血が飛び散る。肉が裂け、その内側を覗かせる。
一回転して体勢を立て直し、ギャオスの群れにその視線を向ける。
ガメラの左目は、縦に走る大きな傷で潰れていた。
ジェットを噴射して、目の前のギャオスの首に食らいつき、そのまま首ごと引きちぎって突き進んでいく。
牙が、爪が、甲羅が、目の前の悪鬼をバラバラに砕いていく。
容赦なく降り注ぐ光の筋が体を切り裂いていく。
だが、それがあとどのくらい続くというのだろう。
今までどのくらいのギャオスを葬ったのだろう。
見渡す限りのギャオスが視界を埋め尽くしている。
ガメラは吼えた。
長い、長い咆哮。
一瞬、ギャオス達がひるんで動きを止めたが、その隙にガメラは群れの中心へと到達していた。
傷ついた目と、残った目は、その時何を見たのだろうか。
炎。
ガメラの口から、傷口から、甲羅の間から、炎が血のように溢れ出していた。
炎は勢いを増し、ガメラの体全体を包んでいく。
いやちがう、ガメラを中心に、炎が爆発的なスピードで溢れていた。
爆発。そう呼んだ方が近いのかもしれない。
目が潰れるような、強い閃光。
全てを白く染める光の中に、ギャオスの群れが飲み込まれていった。
兵士たちは艦の上から、炭化したギャオスの破片が降り注ぐのを見た。
黒い、巨大な破片が降り注ぐ中を、焼け焦げてボロボロになった甲羅が落ちていくのを、何人かが見ていた。
『もう一度再生する』
最後の爆発の様子を写した映像ファイルが終わり、画面にはそういった表示がされていた。
佐伯が掴んだ情報は、こういったものであった。
綾奈は下を向いていた。
「…あの日、結局最後の爆発で殆どのギャオスが灰になりました。生き残ったものも、軍の攻撃で殲滅された」
佐伯もそこで一瞬の間を置かざるを得なかった。
「そして…ガメラは海中に没した」
再び別のファイルを開き、画面にいくつかの写真を掲載した文章ファイルが表示される。
「4年前の、例の太平洋沖の『ガメラの墓場』の再調査結果です」
写真には、多数のガメラの甲羅が写っているが、その全てが白骨化している。
「結果、ニュース等でご存じですか?」
綾奈は小さく首を縦に振った。
「…ま、そういうことです」
写真には、まだ白骨化していない甲羅が写っている。
無数の切り傷や、ぽっかりと空いた大穴。そして何より…
「この個体には右腕が無かった…あの後、ガメラはここに来たんでしょうね」
写し出されているガメラの体には、確かに右腕がなかった。
肉や内臓と思しきものは何もない。ただ、巨大な骨が横たわっているだけだった。
縦に裂けた眼窩は、虚ろな視線を投げかけていた。
「あの…」
帰り際に綾奈が声をかけた。
「ありがとうございます、ガメラの、事」
礼を言われるとは思っていなかった。そもそも、大まかな情報は綾奈も知っていたはずだ。
「ガメラの…あのあとの姿が見れて」
綾奈は知っておきたかったのだろう。あの後のガメラの姿を。
あの後ろ姿を見ていたがために。
ガメラ。
この子の家族を奪った怪獣。
しかし、その怪獣は自分の腕を失いながらもこの子を守った。
そして、自身を敵として見た人類をも守った。
佐伯のガメラへの憎しみは、その基盤を揺るがされつつあった。
この、たった1人の少女と話したことによって。
「今、ガメラに関する本を書いてるんですがね」
佐伯が言った。
「本、出来たら差し上げますよ。協力のお礼に、ってのは少し違うかもしれませんがね」
そういって笑いながら告げると、綾奈も小さく笑った。
「楽しみにしてます」
「どうも、それじゃ」
ガメラへの認識が変化しつつある。
本の書き方を変えるべきだろうか、と佐伯は考えていた。
綾奈との会話を邪魔されたくないので、佐伯は携帯をマナーモードにしていたが、彼の気付かない内に電話が1件かかってきていた。
友人である長野から、かなり焦った口調の留守電が記録されていた。
「もしもし、俺だ。佐伯、大変なことになった」
「中国の山中でギャオスの成体が見つかったらしい。生きている。それも3体だ!」
「ついさっき連絡があって、緊急会議が招集されてるから俺も行かなきゃならなくなった。すまんがちょっと連絡できそうにない」
「佐伯、いいか、ギャオスの成体だ。それも3体…それが日本に向かっているらしい」
続く