ダルマ共同作業室
無動寺谷大乗院勤行聖典へ
仏法興隆への願いを寄せて

出席者天台宗大乗院住職 星野圓道
   天台宗南善坊住職 光永覚道
   大谷派専称寺住職 西川義光
   本願寺派西念寺住職 青木寛誠
   本願寺派慶證寺住職 掬月英勝

西川「本日は、お時間をお繰り合せて頂き、ありがとうございます。不慣れですが、進行をさせて頂きます。親鸞聖人御自作の蕎麦食い木像が奉安されている無動寺谷大乗院で,親鸞聖人報恩講が勤修されて既に八十年余になります。今年度は特に星野住職普山記念と致しまして、天台宗の声明に、浄土真宗本願寺派と真宗大谷派の声明が記載された無動寺谷大乗院勤行聖典が刊行されることになりました、宿泊でお参りされる方に進呈されます。」

掬月
「私は、龍谷大学時代にお寄せて頂いてから、二十年間ほどご無沙汰していました。当時はあまり理解できていなかったのですが、再びご縁を頂くようになって、親鸞聖人御修行の地で、大乗院において報恩講を続けられている事に、深い感動を覚えています。」

青木「今回は、今までに無い形の大乗院勤行聖典を作らせて頂く事になりました。東西の合同の聖典だけでなく、天台の聖典も一緒になっています。」

光永「私が小僧の時には、東西両方で使える声明本がありましたが、お参りに来ら方が持って帰られ、今では別々の声明本を使っておます。私も自坊で不動経の経本を作りました。お経を上げる場合は漢文の方が唱えやすいのですが、和訳が入っていますと、信者さんに教え伝わり易く、両方を使えるようにしています。漢文は条件反射的に唱えてしまい、意味を味わえずにいる事があります。」

西川「読みながら、意味が解らないのは、日本仏教の全体に云えることですが、お釈迦様がインドの人に教えを解りやすく説かれた事実を踏まえれば、みんなで熟考しなければいけないと思います。」
光永「天台宗では、受持、読誦、解説、書写と教えています。写経の功徳、持っただけでも功徳と理解しています。読んで頂いて、諳んじて頂いて、はじめて解説がある。故山田座主が経典を粗末にならないように、どんな短い経典あっても読んでいるうちに、自然に仏様が教えて下さるといっておられました。その境地までは至りませんが・・・」


西川「恵心(源信)僧都の書かれた往生要集は、中国の学者が読まれても、とても日本人が書いた書物とは信じ難いと云われています。当時の比叡山の学問水準が、非常に高かった事が分かります。親鸞聖人の書籍を見ましても、漢文が公文書(標準)として使われていた事が理解出来ます」
光永漢文が公用語として使われた時代であり、今の時代では難かしいものとなってしまいました。漢音は唱え易いですが、和文は五人、十人となると、バラバラになってしまうことなってしまいます。この頃は、漢文和訳併記の経典になってきています。」

青木「今の若者は、リズムがよければ、お経であっても入っていけるように思えます。聞いて心地よいリズムの声明を考えてみることもいいですね。」

光永親鸞聖人の時代は、仏教を一般の人々に伝えても人々には教学的な知識は乏しく、聖人が弥陀の本願に中心スポットを当てたので、教義上直接関わらないものについては、削除をされていかれました。それは、自らが体験した行の否定を目的としたもので無い事が伺えます。しかし、後の蓮如上人の頃になると、真宗の教学が整備され、般若心経も問題にしなくなったようにお見受け致します。」

西川「お釈迦さまのお説法から始まって、現在に存在する各宗派教団となったのですから、お互いに共通の源を持つ認識をもてば、和やかな交流ができるものと思います。」

光永「時代の要請があって、法然上人、親鸞聖人の場合でも教えを伝えたい事で活動なさったのであって、後に宗旨が確立していきました。日蓮上人の場合は、ちょっと異なっておられるような感じですが」


青木「東西分派も考えてみれば、流れを見ればもっと東西の相互理解交流があってもいいですね。」

西川「東の場合は、東京、東山と歴史が刻まれてきました。共に親鸞聖人の教えを中心に据えて、同じようにお念仏を説いているのですから、外から見れば不自然に映るでしょう。夫々に存在している事実を直視すれば、問題のあった次の世代に修復という声が出てもいいと思います。」

星野「自分自身の道を求める事が大切だと思います。教えは体験を通して身に付くものであります。私の場合は、若くして住職にさせて頂いた事から、現在の立場を考えると実力不足だと痛感しております。多くの事を学びながら体験を深め、仏道を歩ませて頂きたいと受け止めています。」

掬月私たちは、最初から教えを頂く環境でお育てを頂いていますから、発心(菩提心)について、深く考えていないように思えます。難行・易行、自力・他力を聞かされるものですから、親鸞聖人のご体験を通してのみ教えを、何処まで自分のものに出来ているのか解りにくいように思います。」

光永「私の場合は、発心して回峰行をさせて頂いたのですかあら、苦行はあたりまえと思います。苦行と自分が言えば、自分の努力をしていないのと同じであって、それは受け止め方であって、回峰行を苦行と決めつける事はないと思います。自分がさせて頂いているのですから、自分にとっては、苦行ではありません。自分が喜んでさせていただく仏行は、苦行というよりも幸せな行いと思うのですが・・・」

西川「真宗では、信心正因といって、行より信を重要視します。そう言っても、信には念仏行が具足しているのですから、体験的には一つの事です。教学だけで行を論じたりしていると、人生の最終ステ‐ジが一番大切ということになってしまう。誕生から命尽きるまでが一生なのですから、もっと大らかに仏法を受け止められるようになりたいと思います。」

青木「現在は、宗派に興味をもたず、宗教に対して無感覚な人が増えてきています。時代の流れに応えられない既成仏教の宗派の状態を考えると、日本の仏教という高い視点での共通の理解が大切と思います。」

光永「お釈迦様の教えには、宗旨、宗派は説かれていません。お釈迦様は現在の仏教界をどのように思われるのかなと考えさせられます。」

西川「ニュ‐ヨ‐ク仏教会の関法善師から、宗派をお釈迦様の年代で理解すれば、受け止められるようになりますと教えて頂きました。若き釈尊と晩年の釈尊の説かれたダルマ(真実)は、異質のものとは言えないはずです。」

光永「国民性もあるのかなと思いますが、今までは違いの強調する仏教と云えます。時代は共に仏教に親しむ方向に向かうようになってきているように思います。」

西川平成九年には、四百年前の分派を直視し、東西の垣根を越えた活動をしたのですが、平成十三年は、天台宗大乗院のご縁を頂く事で、仏教の根本にある、仏教で大切にしなければならないものを、共に学ぶ機会にしていきたいと思います。」

星野「比叡山は、開かれた仏縁に触れて頂く山として、存在しているように思いますし、大乗院はそう在りたいと思います。」

掬月「僧侶が自ら、仏法を中心とした生活をし、ご仏縁を大切にした活動をしていかなくては、法衣を着ていることにならないと思います。」

青木「小さな事であっても、努力を形に表し続ける事が大事と思います。その願いの一つが、今回の勤行聖典作りとなってきました。」

掬月真宗にとって無動寺谷大乗院は、親鸞聖人を慕う私たちにとっては、最も大切な聖地です。そこでの聖典作りに、私も参加させて頂だけることに感謝します。」

光永「後世の為に小さな種をまいていくことが大事ですね。大乗院は、東西門徒共々お参りして頂く形がいいように思えます。」

星野「今回の聖典が、ご仏縁の形として頂けることになった事を、素直に喜びとしたいと思います。」

西川「本日は、刊行される大乗院勤行聖典を前にして、大いに仏法興隆への願いを語って頂きまして、誠にありがとうございました。」

平成13年5月23日午後7時〜 (於 坂本専称寺)


                      住 職 の 思 惟

 宗派の解説より、仏法を中心とした生き方が、語り合われ、現実にそれに向けけての取り組みがなされています。あたかも学問しただけで、仏教を知っているように思っていても、修行未体験の者には空論であります。仏法は道を求める人の上に宿るといいます。大乗院に行って思惟っすると、「必ず信には行が伴う」ことを、若き親鸞聖人が言っておられる事が伝わってきます。

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