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女王

 城の中は騒然としていた。
 明日は女王の結婚の儀なのだ。
 城内は誰が女王の心を射止めるのか、その話題で持ちきりだった。
 ざわざわと噂話に華を咲かせる同僚たちを尻目に、小姓は女王の間へと急いだ。
 衛兵に声をかけ、女王の間へ入って行く。
「おはようございます、女王陛下」
 女王は寝椅子にもたれかかって、気だるげに扇子をあおいでいた。扇子をあおぐ手は休めずに、視線だけこちらに向ける。
「おお来たか。はようこちらへ来て、足を洗っておくれ」
「はい」
 小姓はそう短く答えると、侍女たちに指示を出して桶や湯の用意をさせ、自らはチェストに絹を取りにいった。準備が整い、小姓は女王の足元に膝をついた。
「失礼いたします」
 女王の白い滑やかな足から、ルームシューズを脱がせ、ぬるま湯にそっと足を浸らせる。
 絹で女王の足を丹念に、少しの粗相もないように優しく洗い上げて行く。
 小姓の手が踝にさしかかった時、顎の下に硬い感触を感じた。そう思ったのも束の間、いきなり顔をぐいっと上げられた。無理矢理上げられた視線の先に、薄く笑う女王の顔があった。
 美しい女王に見とれる暇もなく、今度は両の頬を柔らかい何かに包まれ、一気に女王のもとへとひきよせられた。思わず閉じた瞳を開くと、肌が触れ合うほど近くに女王の顔があった
 目の前の事態に、小姓はどうすることもできずにただ息をのんだ。小姓の手から絹がするりと抜け落ちて、桶の中でぽちゃんと音を立てる。
 その様子を見てか、女王は満足げに微笑んだ。
「明日の婚儀で私を射止めてみせよ。私の選ぶ相手はお前じゃ。これは命令ぞ」
 小姓は、呆然として女王を見返した。
 女王が何を言わんとしているのか、全くわからなかった。
「なぜ……、私なのです。なぜ、小姓の私が陛下と結婚を……? 他に釣り合う相手はいくらでも……」
 明日の女王の婚儀の相手など、小姓には興味がなかった。いや、持てなかったという方が正しい。確かに、城内に住む、女王の家臣全員に女王と結婚する権利はあった。小姓にも結婚する権利はあった。だが、だからと言って小姓は女王と結婚したいという考えは全くなかった。
 小姓は、女王の世話係だった。女王が幼き頃に見初められてから、小姓はずっと女王の身の回りの世話をしてきた。小姓の人生は、女王の世話をするためにあった。女王の足を洗っているこの光景は日常的なことだったが、女王との結婚を夢見ることは非日常的だった。
「聞きたいか、私がなぜお前を選ぶのかを……?」
 女王が、小姓の耳元で囁いた。
 体の奥底まで染み渡る、美しいソプラノ。
 小姓は、一瞬胸がしびれるのを感じながら、何とか応えを返す。
「……はい」
 目を閉じて、高鳴る鼓動をどうにか抑えようとする。息がかかるほどに女王は近くにあり、胸の内を透かされるのではないかと小姓を不安にさせた。
 女王はくっと小さく笑った。
「それはね、城内の男たちがみな同じに見えるからだよ。同じに見える男たちからどうやって婿を選べというのだ。だが、お前だけは違う。小姓よ、お前だけを見分けられるのだよ、私は。だから、お前を選ぶ。明日、共寝をするのがお前であることを祈っているよ」
 女王は、目を細めて楽しげに笑うと、扇子で小姓の頬を軽く叩いた。
 軽くうたれた頬は少し熱を持った。小姓はその熱以上に熱い何かを胸の中に感じながら、体を震わせた。
 今まで感じたことのない熱い何かを、小姓は持て余した。




 大空に家臣たちは集結した。
 とうとう始まるのだ、女王の結婚の儀が。
 この場に集結したのは、皆、女王の花婿候補だった。もちろん、小姓もその集団の中にいた。
 小姓はまだ迷っていた。
 女王と本気で結婚するかどうかを。
 女王の「結婚の儀」は特異なものだった。
 まず、大空に女王の婿候補が集結し、女王を待つ。そこに女王が現れる。女王は、婿の候補者たちに姿を見せた後、できるだけの速さで逃げ出す。それを候補者たちが全力で追いかけるのだ。逃げる女王に追いついた、たった一人だけが女王と結婚する権利を持つ。
 だから、女王に指名されたからといって、小姓が必ず女王と結婚できるわけではなかった。女王と結婚するためには、ライバルたちを蹴落とし、女王を自分の力で捕まえなければならないのだ。皆が女王と結婚したいとも思っているのだから、それに打ち勝つには死ぬ気でやらねばならない。
 そのようなリスクを冒してまで、女王をこの手に入れたいとは、小姓には思えなかった。女王は従うべき者であって、従えるべき者ではないからだ。
 だが、女王と結婚することは女王の命令である。小姓が女王の命に逆らうことはできなかった。
 ざわついていた候補者の群集が急に静かになった。
 女王が支度を終え、姿を現したのである。居並ぶライバルたちのはるか前方に、女王の姿が見えた。
 ついに始まるのだ、女王をかけた争奪戦が。
 小姓は、心を決めた。
 女王の命令に逆らえるはずがない。女王と何が何でも結婚する覚悟だった。例え、その先に死があろうとも。
 小姓は、候補者の集団の最後尾に位置していた。圧倒的に不利な位置から、女王の後姿を真っ直ぐに見つめる。
 その視線に気がついたか、気がつかないか、にわかに女王がこちらを振り返った。色めきたつ周囲をよそに、女王は、にっと挑発するように微笑んだ。勝ち誇ったかのように顔を上げ、人を見下した視線。

『私を射止めてみせよ』

 あの、胸を痺れさせる女王のソプラノが、小姓の中を響き渡った。リフレインするその言葉に、心臓は今まで鼓動を打つことを忘れていたかのように激しく鳴り出す。
 女王は謎めいた笑みを残し、身を翻すとかなたへ猛然と飛び去った。
 それを見つめる小姓の眼差しは、先程までのそれと異なっていた。
 もう、小姓の中で女王は女王でなくなり、小姓は小姓ではなくなっていた。
 女王は従うべき者ではなく、従えるべき存在となった。
 底のない残虐な気持ちと、これまで感じたことのない激しい欲望につき動かされ、小姓は誰よりも速く女王を追って大空を駆け抜けた。
 目には、はるか遠くを飛ぶ女王しか映らなかった。


 夏の夕暮れ、草むらの中に一匹の、蜜蜂の死骸があった。
 蜜蜂は、大空に向かってその六本の足を広げ、事切れていた。
 女王蜂と交尾をした雄蜂は、その瞬間に体が麻痺し、地面に落ちて死ぬ運命にある。
 女王を射止めたその雄蜂は、一瞬のパラダイスを夢見たまま、永遠の眠りにつく。

終   



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2008.10.03修正
2000.08.06にペーパーとして配ったものに加筆修正。

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Sugar Soul『カリスマ』
『ADIEMUSU-CANTAMA MUNDI』


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