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マースは礼拝堂の扉をそっと押した。鍵はかかっておらず、すべるように滑らかに扉は開いた。
円径十メートル程の狭い室内に人気はなく、神像が静かに佇んでいた。異国ラムールの神々だ。
入ってすぐ、礼拝堂の中央に大きな鉢が置いてあり、その上に男女の神像が背中合わせに立ち手をつないでいる。太陽の神と月の神である。太陽と月の神を囲むようにして、他の神像が円状に並んでいる。マースは、太陽と月の神の横を通り過ぎ、弓矢を持った神像の前に立った。死と破壊を司る神――キッケルト。手にした弓矢で人に死を与え、死界へ導く神である。キッケルトの死の矢からは誰も逃れられないという。弓矢を足下に向かって引き絞るキッケルト像は、おだやかな表情をしていたが、見る者を圧倒する迫力があった。一流の彫り物師が手がけたのだろう。キッケルト像だけではない、他の神々の像も髪の毛か指先に至るまで、細かな所までよくできており、施されている装飾も美しい。
マースは低く笑った。滑稽だった。国内外で、現存するラムール教の礼拝堂はここだけだ。数十年前に滅びた国が信仰していた神々である。そんな滅びたに等しい神々を大帝国の統領が崇め、金をかけて礼拝堂を作り、神殿まで建設しようとしている。ラムールの何が皇帝をそこまで魅了するのか。この礼拝堂に何度も足を運び、神々を眺めてもマースにはわからなかった。
キッケルト像が番えた矢の先に、封蝋をした紙が置いてあった。封を解いて巻紙を開くと、『ギムゾ、工場長ミキーデ』とだけ書いてあった。
マースはマッチで火をおこし、紙に火をつけて鉢の中に投げ入れた。紙が全て燃えたのを確認して、礼拝堂を出て行こうとした時、茶色のマントを着た男が入ってきた。マースが無言で礼拝堂を出て行こうとすると、男は小さな袋をマースの胸元につきつけた。
「そう急がなくてもいいじゃないか」
男は、袋を揺らしてマースの胸に何度かぶつけた。マースの胸にぶつかる度に、金属がこすれる音がした。
「今回の任務に使え。あの方のご慈悲だ」
マースが袋を受けとると、男は低い声で短く笑った。
「こないだのゲオーグ商人、神の祟り≠セと噂になっているそうじゃないか。あの方は事の外お喜びだぞ。今じゃ、お前は暗殺者の中の暗殺者だ。王族、貴族、大商人、悪党全てがお前を恐れ、誰もがお前に仕事を頼みたがっている。全くお前はすごいよ」
マースは無言のまま、袋をきつく握り締めた。中に入っているはずの金貨がぎりりと音を立てる。
「おいおい。そんな今にも噛み付きそうな顔をするなよ。俺はお前を褒めているんだぞ? まあでも、お前も従順になったもんだ。だが、忘れるな。今のお前があるのは全てあの方のお陰なのだ。あの方がいらっしゃるから、お前は死神≠ノなれるのだ。あの方がいなければ、お前は犬も同然の存在なのだ」
誰かこの男から口を塞いでくれ。そうでないと、殺してしまいそうだ。
マースは短剣を抜きそうになる右手を、強く握り締めた。爪を立てて痛みを与え続ける。そうでもしないと、今すぐにでも短剣で男を切りつけてしまいそうだ。
マースは燃え上がる怒りの炎を極力外に出さぬように、押し殺した声で言った。
「今回は、アシストはいないのか」
「……死神≠フお前には、アシストなんていらないだろう」
「だったら、前回何故あいつをアシストに入れた。俺達は所詮お前らの道具にすぎない。だが、俺達には俺達のやり方がある。今後、無意味な指図はやめてくれ」
前回の任務は茶番のようだった。本来なら一人で任務を遂行するマースとゲンシルクをペアにし、マースは殺害を、ゲンシルクはロイドをおびき寄せる役を当てられた。挙げ句、殺害時の武器はアイスピック、帰りは仲良く列車で帰れとまで指示を出されたのだった。今までは、標的と殺害時期の指示があるだけで、その方法については各自に任されていた。
マースは男の答えを待たずに、足早に出口に向かって歩き出した。その時、背後で何がが弾けたような音がした。空気を切り裂くような鋭い音。男が両手に鞭を持って、しならせていた。男は鞭をいじりながら笑みを浮かべた。
「ふふん。珍しく多弁だな」
マースの顔から一気に血の気が失せた。めまいがする。背中がちりちりと火傷したように痛みだす。
マースは渾身の力を込めて扉に向き直ると、足早に礼拝堂を後にした。足は鉛のように重かった。
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