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宗教心について            

   宗像 正幸

 恥ずかしながら、これまでの人生で宗教とあまり深いかかわりを持ったことはないし、宗教や信仰について文章を書いたこともない。だが般若団OB会の岡田先輩の折角のご要望であるので、いささか場違いの感を抱きながら、駄文をしたためる次第である。

私の宗教とのかかわりは、一つには神社と神道に関するものである。家のルーツが九州の宗像神社の宮司職にさかのぼり、親や親戚のものから祖先の事を色々と聞かされていたこともあって、小さいときから神道や神社に親しみを持っていた。大阪の家の隣は南北朝争乱における南朝方の英雄北畠親房を祀る阿部野神社で、祖父はこの争乱の折、戦前の国史では「逆賊」とされていた足利尊氏が九州に敗走するたびに祖先が助け盛り立てたという史実にひどく心を痛め、その「罪滅ぼし」に阿部野神社の支援に随分力を入れていた。それで神主さんも家によくこられた。秋の大祭のお祓いの行事などは記憶に残るものである。今でも正月元旦には家族共々参拝し、お祓いをしてもらっている。

博多近郊の宗像大社にも、学生時代から機会あるたびに訪れ、遠い血縁の方や宮司さんなどとも親しくさせていただき、さまざまな伝承が残るご近所を案内していただいたり、奥の拝殿でお祓いをしていただいたりしている。この地に来て静かで清楚な奥の拝殿にぬかずくと、いつも心が清められ、不思議な気や力がよみがえってくるような感触をもつ。神道は日本古来の自然宗教とつながっているが、そこで感じる、大きな大きな自然の懐のなかにいだかれ、連綿としたご先祖様のつながりの中で生きている小さな小さな自分という感慨には、地球上どこにでも存在した自然宗教に共通した意味あいがあり、単純素朴ではあるが、何のためらいもなく素直に受けいれられる宗教体験ではなかろうかと思っている。

もう一つの宗教とのかかわりは、お寺様とのものである。終戦の年の3月、大阪大空襲で家が全焼し、京都の祖母のところに疎開した。祖母の家は竜安寺と仁和寺の近くにあったが、京都市内も危ないというので、両親と別れ、祖母とすぐ上の姉とともに栂ノ尾の高山寺に疎開した。お寺のお茶室を貸していただき、終戦まで過ごした。食料が乏しく、ほとんどサツマイモとカボチャだけのひもじい生活であったが、環境はすばらしく、姉ともどもお寺様がたに可愛がっていただき、朝早くから夕暮れまで自然の息吹に包まれたお寺の中で遊び過ごした。焼夷弾が雨のように降る中を逃げ回った恐ろしい空襲のショックを癒していただき、戦時下であることを忘れる日々であった。後年大学院生時代に、ゼミの篠崎先輩のお世話で、同門のゼミ生4名高山寺で合宿をさせていただいたとき、同じお茶室に泊めていただいた。当時と変わらぬ平和な雰囲気、心やさしいおもてなしを受け、深い感慨を持った(その後このお茶室は国宝となり、今は立ち入り禁止となっているようで、恐縮至極の感がある)。

戦争が終わってからも、祖母が近くのお寺様と親しかったご縁で、仁和寺やその別院の境内に姉と遊びに行き、お寺の方々によく面倒をみてもらった。小学校に上がってからも、近くの妙心寺、竜安寺や等持院のお庭は、自由に出入りできたので、放課後友達とよく遊びに行った。私にとって幼いころの安心できる遊び場はお寺であった。

日本ではハレ、慶事は神道、葬儀や先祖供養等の儀式は仏事と、大体棲み分けになっているところがあるが、仏教の営みに頻繁に接するようになったのは、小学高学年の頃の祖母の逝去以降である。家の宗派が仏教上は禅宗(曹洞宗)であることから、法事の折は毎回、「日々是好日」、「円相」などの掛け軸のかかった仏間で 般若心経や修証義を読まされ、繰り返しお勤めをするうちに、門前の小僧ではないが、その内容や心も自然に体に入ってきて、身につくようになった。何事にもこだわらない心、人間のみならず生きとし生けるものすべてに愛をという思想も自然なものと感じた。幼いころに親しんだお寺の方々のさりげない親切心や境内の穏やかなたたずまい、自然と一体化したような雰囲気と照応するものであった。ことさらに座禅をするようなことはなかったが、高山寺で過ごしたころから、お寺の縁でぼんやり座りながら、次第に暮れ行く山や森のひんやりした雰囲気を肌で感じ、自然の中に吸い込まれるような感触にひたるのが好きになり、その後もそうした機会を求めるようになった。

大学で稲葉先生の門下生となって以後、ゼミの先輩や友達を訪ねたり、後輩のゼミ生の新入生合宿などに付き合う機会などもあって、当時般若団の本拠となっていた大学近くの祥竜寺さんにもよくお邪魔をした。そうした折も、和尚さんやお寺の若い方々との対話や法話、朝早くの座禅など、今までの自分の体験の延長線上で有難く経験することができた。稲葉先生からは専門の学問のお教えの他、仏教哲学のお話もよくお伺いした。仏教上の「弁証法」の考え方や論理、「縁起」や「相依」、「無常」、「仮有」などとかかわる思考や思想、そこに見られる西欧哲学との相違などは、自分のこれまでの体験に照応し納得できるもので、素直に受容することができ、頭の整理もできた。またそれは私の神道上の宗教観や体験と相容れないものではなく、むしろ共鳴しあい、私の心の中で、平和共存するものであった。

 このように私の宗教心は、それほど信心深かったとはいえないが、リベラルで神道、仏教とも自然に付き合い、何事にもあまりこだわらず淡々と心の平安を保ちながら一生を終えた親の影響もあって、意識的というより日常体験の積み重ねのなかで自然と身についたもので、この世で生きていく上で大切な、世界観、人間観、倫理観、価値観、社会観とかかわっている。それは平凡な日本人の平均的な心情、社会常識に他ならず、それ以上でも、それ以下でもないと思っている。

 宗教というものについてもう少し真剣に考えるようになったのは、初めて渡欧してからである。住民登録のためまず出頭する警察の申請書式に信仰する宗教の欄があり、また直接問いただされるので、どう答えるか意思決定を迫られ、宗教のことを意識せざるを得なくなる。ヨーロッパ社会では、宗教が日本よりよほど意識的、政治的、さらには経済的な存在として社会を覆っており、社会秩序の根幹と関係していることを、いやでも思い知らされる。近隣のカソリック、プロテスタントなどキリスト教やイスラム教、ユダヤ教を信じる人たち、教員や学生たちと宗教や哲学、芸術などについて随分議論をしたが、彼らには私の「宗教」観は、あまりに素朴、ないし曖昧、無節操で理解の範疇を超えるところがあり、私には彼らの信念が、あまりに意識的、人為的、排他的、政治的に映った。このような形で「宗教」の存在を常に意識させられる社会に生まれなくてよかったと思うとともに、古来もっと自然な宗教が存在したはずの彼の地で、なぜこのような形と次元の「宗教」が社会を覆い、そのある部面だけが社会にがっちり組み込まれる必要があるのかもっと知りたくなった。特に「西欧近代(western modernity)」というものの本性とかかわらしめて、この点を真剣に勉強しようと思った。それがわれらの「日本」というものの持つ意味やアイデンティティをよりよく理解できる鍵になるように思えた。

 前世紀末に東西対立の世界体制が終焉を迎え、恐ろしい全面戦争の恐怖が遠のいたと思ったら、今度は今まで蓋をされていた地獄の釜がはじけたかのように、世界各地で民族と宗教対立とかかわる悲惨な闘争、悲劇、人間性を冒涜する出来事が続発するようになった。か弱い人間にとって「心の支え」、「救い」となるはずで、教義それ自体のもつ倫理的道徳的な含意にそれほど相違があるとも思えない「宗教」を、人間同士の対立の契機としてしまうような固定観念や、それを支える仕組みを明確にし、誰の目にも明らかなように解きほぐすこと、宗教心を、人間間の対立や憎しみの契機としてではなく、人間の多様な価値観や考え方、生き方を相互に認め、敬意を払い、もっと大らかな気持ちで仲良く暮らすための契機として理解し、活用することが、今ほど求められていることは無いように思う。それは普通の日本人なら誰でも抱く想いではなかろうか。

このような想いを、とくに若い人たちにさまざまな形で伝え、また日常の行動で示し、平和な世界の実現に向け、少しでも貢献できればと思う。それがこれまでに多くの方々からいただいたご慈愛への報恩の道と信じている。

                                 以上 (2006年7月22日)


 <宗像正幸教授> 
   宗像教授は経営学部11回生・1968年大学院卒業、稲葉先生の後を継がれた。
   神戸大学名誉教授、神戸大学を2003年3月退官され、同年4月より
   大阪成蹊大学現代経営情報学部教授・学部長 に就任されています。(岡田記)
                                   

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