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<寄稿集> 山内庸行氏からの寄稿


  目 次
   1>仏教界がいかに強く社会性を果たそうと
       釈尊が説き、達磨・道元の方々が引き継いでこられた“存在の真実“とは無関係?
                                                  (2005.03.20)
   2>耕雲庵・安泰寺の接心 (2005.11.23)
   3>仏教の国家観 (2006.02.05)
   4>「千の風」ならぬ、「公案」になられた稲葉先生
        −− 仏国土の建設(試案) −−
 (2007.07.31)
   5>稲葉先生から頂いた公案「仏国土の建設」 − 回答試案 ー   (82008.07.24)


5>稲葉先生から頂いた公案「仏国土の建設」

回答試案

                       山内庸行

以前に「千の風ならぬ公案となられた稲葉先生―仏国土の建設(試案)―」と題して次のような主旨のことを書かせて頂きました:

@     仏教は いわゆる小乗から大乗へ 自分個人の解脱から他人の救いへ進歩・展開してきたといわれている。しかし 少なくとも日本の仏教(僧や界)は 「仏国土」という言葉を使いながらも、旧い国家観・社会観に留まり、「支配者・被支配者の関係」としてあるいは「国のことは国民は口をさしはさんではいけない」というような感じの国家観・社会観を、持ち続けているようにしか見えない。

A     「仏国土」は まずは自分自身の中に築かねばならないが 同時に 自分の住むまちにも築かねばならない。そのような仏国土では、国(官)が先にあるのではなく、国民や市民が先になければならない。そして そのような「仏国土」では、国(官)だけではなく、国民や市民が、公益(パブリック)を担う社会でなければならない。

B     自分のまちを仏国土とするその一つの試案として「総合計画を軸としたマニフェストサイクルを回す」ことを提案したい。

もし天国の稲葉先生がこの文章を読んでおられたら「あんな雑な青臭い国家論、オレが渡した公案(仏国土の建設)の答えに全然なってない!」と烈火のようなお叱りを受けそうな気がします。51号は 先生から頂いた公案への回答という積もりは全くありませんでしたので この機会に 恥の上塗りを覚悟で、次の4点を中心に 先生から頂いた公案への回答を改めて試みさせて頂きたいと思います。またもや紙面を汚しますことお許し下さい:

1.自分の中に仏国土を築くとは、一体どういうことか?

 2.自分の中に仏国土を築くことから、なぜ自分のまちに仏国土を築くという考えが出てこないといけないのか?

3.自分の住むまちに築くべき仏国土とは一体どのようなものなのか?

 4.自分の住むまちに仏国土を築くために、一体われわれに何ができるのか?

1.自分の中に仏国土を築くということ

 1)自分の中に仏国土を築くとは 一体どういうことか?

「苦集滅道」が四諦と言われ、釈尊が悟られた後に最初に説かれた教えであることはご存知の通りです。
この4文字を見ながら「第三の生き方」という言葉がふと私の脳裏をかすめたことがありました。


「苦集滅道」は 一般的には「人生は苦である(苦)。苦の原因は欲望である(集)。苦の原因である欲望を滅したとき安らいを得ることができる(滅)。この滅への修行が道である(道)。」というふうに説明されることが多いように思います。稲葉先生も例外ではなかったように思います。しかし 私は苦集滅道はそのように平面的なものではないのではないのかと感じています。その中には「3つの生き方」が隠され われわれに生き方の選択を迫る鋭い刃(ヤイバ)のような言葉ではないかと思われてなりません。自分としては面白い着想だなぁと少し感心しました。実は、取り立てて珍しい着想ではないとは思いますが、まずこのことを簡単に説明致します・・・

 @ 一つ目の生き方:

「集」つまり「思い」は むしろ 素晴らしい人間の理性の働きとしてとらえる生き方。「苦」を苦にしない生き方。

頭の働き・思いの働きである科学技術文明あるいは経済の発展を人類や自分の発展・成長と信じて疑わない生き方。個人的には薬とジョギングなどの健康法でとにかく若さを保ち、長生き狙うような人生、その特性は 経済成長・科学技術の進歩や若さを保ち・長生きして、それで一体何を目指したいのかには殆ど関心を払わないこと。この生き方が高じてしまうと、科学技術文明の進歩が自然浄化力を超えたことで起こっている地球環境破壊が、科学技術文明の更なる進歩で解決できると信じるに至る傾向に陥る。


A 二つ目の生き方:

「集」つまり「思い」から生まれる「苦」を苦と感じ、それを忌諱あるいは克服しようとはするが、「思いの働き」を忌諱・克服しきれないで それに焦りあるいは罪悪感を感じている生き方。

一つ目の生き方に近いが、人生が根源的にもっているはかなさを忘れられない生き方。いろいろ自分探しや自己実現に努める生き方あるいは芸術や浄土に夢を託す生き方。その特性は、自己実現といいながら自分の外に目標を置き、芸術や浄土といいながら 今のこの瞬間以外に何かを求め、要は 「今」の「自分」は、常に否定あるいは克服の対象になってしまっていること。そして「今」の「自分」を否定しようとしていることに当の本人が余り気づいていないこと。この生き方が高じてしまうと 限りなく「オタク」的な内向きの頭でっかちの生き方になる傾向がある。

  B 三つ目の生き方

一つ目の生き方のように、「集」つまり「思い」を肯定・賛美する(追い求める)こともなく かと言って二つ目の生き方のように、「集」つまり「思い」を否定・拒否し(追い払う)こともなく ただただ思いを手放すつまり「滅」としての生き方。一つ目の生き方と二つ目の生き方では「集」つまり「思い」の中で人生を生きようとしているのに対して 三つ目の生き方では、「集」つまり「思い」を離れ、「滅」の方向への180度転換を決断した生き方であり、「道」とは「滅」へと方向転換の後 具体的に一歩 踏み出すことである。

「苦集滅道」は、平面的な教えではなく、われわれに 「お前は、お前の“思い”が造りだしているに過ぎない六道輪廻の世界を流転して生きるか? それともその輪廻を断ち切る生き方を目指すのか?」と、この今・ここにおいての人生の選択を刻々迫る刃(ヤイバ)のようなものではないかと私は感じています。そして 自分の中に仏国土を建築するとは この今・ここにおいて“思い”を離れ 六道輪廻世界での流転と決別する滅の方向へと自分を転換させる選択をすることに他ならないと私は思います。

 

2)その仏国土は どうすれば自分の中に築くことができるのか?

 それはやはり坐禅をすることの一語に尽きると私は思います。ならば 坐禅はどのようにしてわれわれの中に
   仏国土を建設してくれると言うのでしょうか・・・?

卑近過ぎて さすがの私でも憚る表現をこれからしますことをまずお許し下さい。
天国の先生に千棒・万棒を受ける覚悟で、自分の今の思いを素直に表現させていただきますと・・・・、
実は「便所で糞をする」「夜 眠りに入る」のと全く同じ働き
で 坐禅は「仏国土を築いてくれる」のではないかと私は感じています。そして こう受け取ることで学生時代からの一つの疑問が解消しました。

たとえば便器に坐った途端 待ってましたとばかりに糞が出てくれて快感を味わうこともママあります、しかし 私の場合 じっとすわっている内に数分して尿意を催して用が足りたという経験も少なくありません。まだ実験はしていませんが普通ならズボンをはいたままならいくら便座に坐っていても尿意は催さないと思われます・・・。考えてみると 尿意を催すという現象は、当たり前にみえて実は本当に不思議な現象だと思われてなりません。

たとえば 夜 寝床につく。バタンキュウ!で眠るときもないではありません。
しかし 私の場合は かなり酒でも飲まない限りそういうことはあまり起こりません。翌日ゴルフでもあれば なかなか眠つけません。しかし どんなときでも 寝床でしばらくウツウツしていると大抵は知らないうちに眠ってしまっています。いつの間にか寝てしまう これも不思議といえばこれほど不思議な現象はありません。

坐禅によって自分の中に仏国土を築くことも、この「糞をする」「眠る」のも命の働きとしては、全く同じ現象だと私は言いたいのです。 つまり 一定の条件の中にしばらく自分の身心を置けば 誰にでも必ずかつ自ずと起こる現象だと私は今強く感じています。つまり 脚を組み・背中を伸ばし坐禅の姿勢を取り、自分の一番無理の無い長さと速さで呼吸をするだけ。あとは 壁あるいは畳など周辺の景色は目に入るまま、鳥の声や車の音などの周辺の音は耳に入るまま、風の流れや空気の寒暖は体が感じるままにまかせておれば、仏国土は知らぬ間に自分の中に築かれて行くのではないかと思っています。より正確には オレがオレがという思いの霧が晴れるにしたがい、実は生まれたときから自分の中に既に築かれていた仏国土がその姿を現すということではないかと思います。

ところで 学生時代に2年ほど臨済宗の寺で生活したことがありますが、寺では 朝晩、みんなで白隠禅師の坐禅和讃を唱えていました。卒業後も 山田無文老師の同名の解説本は、本の背の綴じ目がほどけるほど何回も読みかえしたものでした。その中の一節に「一坐の巧をなす人も積みし無量の罪ほろぶ」とあります。ここにくると いつも「なんて白隠さんもオーバーなんだろう。たった一回坐禅してナンデ無量の罪がほろびるというのか?」と私は感じてしまいます。しかし もし 仏国土の建設が私が感じますように「坐禅の姿勢をとることで自然に生じる全ての人に備わった“生命現象“」であるとするならば、「快便・快眠と同じ命の働き」であるとするならば、なるほど一度坐れば、また それが誰であっても、仏国土は 即 建設できるはずだ!白隠禅師は 決してオーバーな人ではなかった!と合点した次第です。

しかし同時に、坐禅というものは「悟ればあとは何をしても悟りの境涯」という学生時代に憧れていたような話は
これこそが荒唐無稽であり、とにかく坐禅は一生し続けていかねばならないものだということを改めて感じさせられることとなりました。何故ならば 坐禅の姿勢を取ると自ずと仏国土が現れるということは、坐禅の姿勢を止めるとその仏国土も自ずと消えてしまうものなのですから・・・

  

 3)坐禅が実現してくれる仏国土の中身は具体的には一体どんなものなのか?

仏国土とは 三つ目の生き方 つまり ここ・今において 自分の生きる方向を集から滅へと真反対に方向転換させることであり 身心を坐禅という一定の状態に保てば 誰にでも いつでも建設できると申しましたが、それでは、坐禅のときに現れる仏国土ともいえる状態とは一体どんなものなのでしょうか、大変大胆不敵ですが、自分なりに表現を試みたいと思います。

坐禅ちゅうに感じますことは 敢えて表現しますと、それは「オレが、オレがという思いは限りなく静まっているが、しかし自分は間違いなく存在している。自分は間違いなく存在しているが、オレが、オレがという思いは限りなく静まっている」「7間日の接心でも1時間の坐禅でも 始めた坐禅は必ず終わるのだが、ちゃんと坐れていれば 今・今としてしか時間は存在していない。今・今としてしか時間は存在していないが、始めた坐禅はやはり必ず終わる」とでも言えるのでしょうか。

三つ目の生き方とは このような坐禅で日々を生きることだとでもいうことができると思われますが、それは つまり 思いが自・他、過去・現在・未来と分けてしまった世界を 元通りの一体の世界に戻った地盤で生きていくということではないかと想像されます。坐禅を離れても、オレが オレがという思いが静まっているときは、何をしていても、それら全てが 快食・快便と同じ命の働きであり 自分はその命の働きの真っ只中に生かされていることを感じることがあります。そういう時には 白隠禅師が坐禅和讃の中で われわれは皆「長者の子」であるといわれた所以がここにあるのだろうかと思ったりします。これ以上変なことを書くと あの世の先生から呼び出しをくらってもいけませんので、この辺で止めておきたいと思いますが、オレが オレがという思いが静まっているときは、何をしていても、どこにいても 自他不可分の自分だけの世界を生きているのだということをシミジミと感じることもないではありません。白隠禅師が坐禅和讃の中で 「無二無三の道・無相の相」などといわれているのはこのことかなぁと夢想したりしています・・・・?

これらは 身心が感じそれを頭が描いた抽象的世界にではなく 身心が感じた世界に直接わが身心を置いた結果生じる実感なのではないかと私は想像しています。

2.自分の中に仏国土を築くことから、なぜ自分のまちに仏国土を築くという考えが出てこないといけないのか?

  ベトナム出身の仏教者でティク・ナット・ハンという方がおられるそうです。その方は 欧米で大変信望を集めておられるとのことですが 「この一枚の紙の中に、雲が浮かんでいるのを見えますか?」とおっしゃっているそうです。 雲がなければ雨はなく、雨がなければ木は育ちません。そして木がなければ私たちは紙を作ることができません。紙が存在するためには雲はなくてはならないものなのです。思いを静めると全体が見える、その全体を見渡して生きよ・・・ということなのでしょうか?私もなるほどうまい事をおっしゃるものだと感心しました。

ところで 紙を自分に置き換えますと どうなるでしょうか!? @「自分」の中に他人を、社会を、世界を、そして A「今」の中に 今の“因”となった過去と 今の“果”となるであろう未来をも見よということになるのではないでしょうか!?

ならば言いたいのです!

@       兆円単位・何千億円単位の営業利益を出している会社が一方にあり、同時にいくら働いても年収が200万円そこそこの大勢の人が共に存在している今の日本、1998年以来続いている3万人を超える人々が自殺している今の日本・・・目の前のこの社会の現実の中に、何か大きな「何故このようなことが起きているのか?」その原因をわれわれはなぜ探ろうとしないのでしょうか?!最近の大分の教育委員会の事件にその典型例が見られますように現在の社会的不公正のかなりの多くは 実は 社会の制度や仕組みそのものが生み出したものであります。何故問題の背後に社会の制度や仕組みを見ようとしないのでしょうか?!

A       私のサラリーマン時代がその典型でしたが、社会の制度や仕組に対して疑問を呈し、改革していこうとしない態度こそが 今の日本の問題の“因”となってきたことに何故気づかないのでしょうか?! このような態度を取り続ける限り これから生まれてくる子供たちにとってどのような社会が待ち受けているかその将来の“果”を何故想像しようとしないのでしょうか?!

確かに どんな構造も仕組みも それは手段に過ぎません。手段はあくまで使い用です。使う側の人間が自分のエゴを滅しない限り いくら構造や仕組みを変えても問題は残り続けることは間違いのない事実だと思います。また ちょうど達磨さんがそうされたように 自分はただ坐禅をし続けるだけ 世界の全ての人が 滅の生き方を選ぶようになるのを待つというのも一つの方法かも知れません。しかし そのような方法は 百年河清を待つ以上に不可能な目標であるばかりではなく 何よりも その人が 社会の構造や仕組みが生み出す不公正の加担者の道を選択し続けていることになることはこれまた間違いない事実なのではないでしょうか?!

私は 「個人の幸せや生き方」を考えるとき いつも、サラリーマン時代に聞

いたか読んだかした言葉「工場の生産性は 実はその過半が工場のレイアウトを決めた時点で決まってしまってしまう」を思い出してしまいます。社会の構造や仕組みや制度がかなり多くの部分 その時代その社会に生きる人間の幸せや生き方を決めてしまいます。心ある僧侶や教団は、確かに外国の難民救済や世界の平和を求めるなどのいろいろなNPO・NGO活動をされています。それも大いに結構 しかし われわれの周囲のいろいろな社会的不公正の背後にはその原因となる社会の構造や仕組みが存在していることにせめて少しは想像力を発揮すべきはないでしょうか。そして 苦を生み出す国や社会の構造や仕組みを変えていくことに少しは努力をすべきではないのでしょうか。

やはり オレがオレがというオレとその他を分けてしまう思いを静めるだけでは、それは自分個人の救済に留まるのではないでしょうか?!思いを静めて上で つまり自他不可分の地盤で しかも 思い切り思いを働かせて全体を見渡して 社会生活は送らねばならないのではないでしょうか?!つまり 心の中に仏国土を建築するということは 取りも直さず 自分の住むまちをも仏国土にすることでなければならないのではないでしょうか!? これこそが また 自分個人の解脱ではなく 他人を救う菩薩行を目指す大乗仏教(界・徒)の役割なのではないでしょうか?!

  3.自分の住むまちに築くべき仏国土とは一体どのようなものなのか

仏国土とは、約150年ほど前の南北戦争の激戦地ゲティスバーグでのリンカーン米国大統領のあの余りにも有名な演説の一節に尽くされていると私は考えています、つまり「government of the people, by the people, for the people」という言葉に尽きると私は考えています。

この言葉は「市民の市民による市民のための“社会”(社会とはつまりその中身は“市民のための社会の構造と仕組み”とも言えますが)」と読み替えることができると私は思います。この言葉こそが、自分の住むまちに築くべき仏国土の中身であると確信しております。この言葉には 前置詞が3つでてくるわけですが、仏国土建設には その中で 特に byが最も大切なキーワードでなければならないと私は思っています。

つまり まずは 仏国土という限り 全ての社会の構造や仕組みは 一部の企業や官僚や政治家などの支配階級のためではなく 市民のために築かれねばなりません(for people)。しかし 何よりも 仏国土である限り 市民自身が、自己チュウーを脱して そのような社会制度の構築や運用に積極的に関心を持ち自らが参画していかねばならないからです(by people)。

築くべき仏国土とは 私の考えでは 襄山51号に書きましたように「競争だけでなく共生が根本原理となっており、人種・性別・年齢・障害の有無・国籍・貧富・生まれなどの違う人々がそれぞれその人らしく生きる」ことができ、「憲法で書かれている“基本的人権の尊重・主権在民”が 字義通り実現している」社会ではないかと思います。 確かに そんな社会は 個人でいえば“悟り”と同じくらい実現はまことに至難の技と言わざるを得ません。ほぼ現実には不可能かも知れません。しかし 自分や自分の家庭の中に閉じこもりがちな自分の関心を社会へと広げ、お互いが手を携えて、そういう社会を市民自らの手で構築していこうとするとき、丁度 心身を一定の状態に保っておけば心の中に仏国土が自ずと出現してくるように、その地域には 自ずと仏国土が出現しているのではないでしょうか?!


   4.自分の住むまちに仏国土を築くために、一体われわれに何ができるのか?

たいしたことは思いつきませんが、体験してきた範囲でいくつか思いつくもの

を列挙させて頂きます。体験をベースにするという意味で いつも以上に これ見よがしに自分の体験に触れています点 ご容赦下さい:

@       とにかく役所のことや議会のことを積極的に知ろうとする

 ― 4・5年前に「市役所の市民公益活動促進懇談会」に公募市民として参加したことを皮切りに「公募市民20人による富田林市の総合計画の懇談会の会長」や「副市長や議員なども入った総合計画審議会の市民委員」などを務めてきました。そしてそれ以前から可能な限り議会傍聴を続けています。つい最近も傍聴している見知らぬ人に呼びかけて「富田林市民自治研究会」を立ち上げ 市民の目線から行政や議員に提案・質問する活動を始めました。議会には 政務調査費の公開請求 そして市長には行政への議員の口利きの公開条例制定の提案を起こったばかりです。

― 大分の教育委員会の問題は 一言で表現すると公の機関である教育委員会が、組織的かつ伝統的に私腹を肥やし私益を守ることに使われてきたことにあると言えると思います。これは 戦前の反省から生まれた教育委員会の自主性・独立性の乱用以外のなにものでもありません。その乱用を許したのは「密室性」の一語に尽きます。

― 大分事件で一番大切なことは、「これは大分のこと」「これは教育委員会のこと」と思ってはいけないということです。あなたのまちの教育委員会 そして教育委員会だけでなくあなたのまちの行政や議会も ほぼ似たりよったりと考えて大きな間違いはありません。われわれは知らないだけです。また知ろうとしないだけなのです。

 (この大分事件が 制度や仕組みが問題を生み出している不公正の一つの実例であることは申すまでもありません。大分事件に似たことは、介護支援法や後期高齢者保険制度から100年安心には程遠い各種の社会保険制度そして間接民主主義制度の形骸化に至るまで枚挙にいとまはありません。)

― 役所は口を開くと「法律です・予算がありません」と 市民の疑問を法律と予算を根拠に封じてしまうのを自分の天職と考えているように見えます。でもまだあなたのまちの役所が、 霞ヶ関の言う通り、つまり霞ヶ関が作った法律・通達通りに仕事をしてきた時代はまだそれでもあなたの被害は少なかったのです!いまや地方分権の波は押しとどめることはできません。霞が関の権限は次第・次第に地域に移されてくることでしょう。ちょうど戦前は行政が牛耳っていた教育委員会が戦後独立的な運営を任されたように あなたのまちの役所は次第に霞ヶ関のコントロールを離れた状態におかれることになります。役所や議会の今の密閉体質を何とかしておかないと、大分の教育委員会のように「自治の乱用」があなたのまちで起こること そして それはただですら少なくなる税金の無駄使いがますますひどくなることは火を見るよりも明らかではないでしょうか。考えるだけで空恐ろしさを感じませんか。  

― まずは 議会傍聴、そして役所はいろいろな委員会や審議会に公募市民を求めています。それらに参加するなどあらゆる可能な方法で議会や行政を知ろうとすることがまず大切と思います。そして議会傍聴をして、疑問がれば議員の部屋に行って聞いてみる、役所のやり方についても疑問があればなんでも行政に聞いてみることが大切と思います。

― そして 同じ志を持つ市民と手を携えて、行政の予算作成過程 議員の口利き 行政や議会での決定過程の情報公開 特に税金の使われ方についての情報公開と透明化を求めていくことが必要だと思います。

― 情報公開の一番の近道は 実は 市民が行政や議会の意思決定の過程の現場に身をおくこと つまり市民参加です。行政や議会の意思決定、政策決定過程の情報公開と同時に市民参加を求めることも大切と思います。

― 常に留意しておくべきことがあります。その一つは 議員は口がうまいのは昔からですが、最近役所の窓口も大変人当たりが優しくなっています。しかし役所や議員の「自分の都合の良いように仕事をする、寄らしむべし、知らしむべからずという本質」は 何一つ変えようとはしていません。役所や議員のこの表面の笑顔にだまされてはならないという点です。もう一つは ただし 市民の側もモンスターシティズンになってはならないという点です。「市民こそが社会の構造や仕組み創りの担い手である」(by people)との意識を常にもっておくことが極めて大切と思います。そして 行政や議員の姿勢をたださせていくなかで、行政や議員と共に市民も育っていく姿勢が大切ではないかと思います。これがわれわれの住むまちが、そして日本が、財政危機と官僚主権の弊害を克服する唯一の道ではないかと思います。

 

A       官製の市民活動にもドシドシ参加してみてみる

 ― 市民活動には NPOのように市民が自主的に創りだしたいわば「市民発の活動」と自治会長や青少年指導員や民生委員のように役所(政府)が創りだしたいわば「官製の市民活動」の2つタイプがあることはご存知の通りです。私は10指に余る各種のNPO活動に加え、保護司・町会役員・小学生の見守り・中学校区での教育協議会、社協の評議員・地区福祉委員会などなど ダボハゼよろしく 10指に余るいわゆる「官製の市民活動」にも積極的に参加しております。

― 行政は縦割りだとよく言われます。その通りです。確かに組織で仕事をする限り分業は避けえない問題です。しかし今の行政の縦割りは 全く常識を超えて行き過ぎたものともいわざるを得ません。縦割りは 守るべき公益とは何かという理念の欠如した役人に安住の職場を保障しているだけに見えます。官製の市民活動をしていると 自分の住んでいるまちが、いかに見事に行政の縦割りで(つまり行政の都合で)分断されているかに気づくことができます。不思議なことに行政もまた当の住民も役所の中の縦割りには気づいていても 市民が役所によって窓口単位で囲い込まれていることによって、自分の住んでいる地域の市民もまた縦割りに分断されていることに殆ど気づいていません。日本の市民は 役所任せの結果 役所の縦割り行政を 自分の住むまちの住民の立場・目線から 再編成を行うという主体的努力を怠ってきたように思います。このことに行政も市民も気づかない限り、そしてその再編成に汗と知恵を流さない限り 日本の地方そして日本の国としての真の再生は極めて難しいと思います。「市民発の活動」はもちろんですが、「官製の市民活動」にも機会があれば ぜひドシドシご参加下さい。市民発にしても、官製にしても自分のまちにどんな市民活動があるのかは、分かろうとすれば必ず分かるはずです。情報は溢れています。

B       自分の住む町内に人間関係を再生させる!

― 私の属する町会は約80所帯と本当に小さな町会ですが 町会役員は順番で嫌々引き受ける人が殆どで となり近所の付き合いも殆どないというのが現状です。5年ほどまえに(順番で)町会長の役が回ってきたときに、役員会とは別に「グラウンドゴルフなどを通じて世代を超えて隣近所が交流できる会」を発足させ、会長を1年で終わった今も、月に二回ほどグランドゴルフを続けています。今年は その気のある人々(探せば必ず見つかります)を探して「自主防災の会」を発足させました。2年前に富田林全体の町会の連合会の理事となり、役所の“お手伝い”に終始しているだけの町会なり連合会が 少しは市民の声を行政に届けたり、あるいは地域の課題を行政や学識経験者を交えて研究するような市民団体になれるようその革新に微力を尽くしています。

― 行政活動の肥大と共に、日本人が隣近所とのお互いの支えあいを忘れて長い時間が経ちました・・・。地球環境の悪化や財政逼迫や高齢化は何も悪いことばかりではありません。これから日本にもしも人間関係の再生が始まるとすれば 多分その原動力は これらの問題だと思われるからです。「(地震・火事・泥棒などの)地域防災」や「(高齢者や独居老人同士の支えあいなどの)地域福祉」こそが、自分の住むまちに人間関係を再生させる最大の原動力ではないでしょうか。そしてそれこそが 孫子に 100年安心の社会を残していく遠いように見えて一番の近道ではないかでしょうか・・・!?

                                 以上 

 

(補足)

我慢強く最後までお読み頂きありがとうございました!!

いつもながら私の断定的な物言いに対して不愉快にお感じのことも多いかと思います。少し補足させて頂いて 長い長い駄文を終わりたいと思います。今少しご辛抱お願い致します:

@     自分のまちに仏国土を築くことを声高に言っているようですが、もちろん私が十分それを果たしているというわけでは決してもちろんありません。ましてや一番肝心の自分の中の仏国土建設に至っては 全く日暮れて道遠しとの感に尽きます。まるで 私の下手なゴルフソックリです。一応の理屈(仏法)は少しはかじっているつもり。練習(坐禅)もそこそこしているつもり。でも肝心のゴルフ場(日常生活)では 100すら満足に切れず、自分の思いに鼻面を引きずられるだけで、自分のなかに「仏国土建設」なんて文章を良く書いたものだとわれながら呆れるくらいです。そんな自分に嫌悪感すら感じます。

A     しかしながら そう思えば思うほど、この思いの塊のような私が、学生時代に臨済禅に出会い、丁度還暦を迎える頃に 曹洞禅に出会ったことの有難さ・不思議さはいくら強調しても強調し足りるものではないとの思いも深さを増して行くばかりです。

B     それも稲葉先生が創られた般若団への入団とその頃般若団が拠点にしていた祥龍寺住職の宗信和尚との出会いがその出発点でありました。感謝にたえません。これからも 柳に飛びつく蛙よろしく「坐禅による滅の工夫と滅の地盤で日常生活を生きる工夫」を飽くことなく心がけ、「自分の心の中に仏国土を建設するということは 即ち オレがこの今 少しは頭を冷やすこと(正気)」「自分の住む地域で仏国土を建設するとは 即ち せめて自分の町で起こることは全て自己の問題として捉え・引き受けていこうとすること(本気)」の2つの“気”に(元気)を加え、3つの“気“を大切に、「自分を”楽“しませ、相手を”楽“しませ、まだ生まれていない人を”楽“しませる)」という3つの”楽“を狙って、生きていきたいものと念じております。

                       以上(2008.07.24


                                                           目次へ戻る
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4> 「千の風」ならぬ、「公案」になられた稲葉先生

              ― 仏国土の建設(試案)―


先日 稲葉ゼミの同窓会総会に 本当に久しぶりに それこそ何十年振りかで出席しました。 昨年1月稲葉先生がなくなられて初めての総会であった。 会場からは、異口同音に 名簿から総会のありかたにいたるまで、今までの稲葉ゼミのなにもかも全てが 先生の死後 改めてその存在意義・あり方を問う声が充満していました。私は ふとその時 先生がなくなれたことで 実は言動を含め先生が生前に残された全てが、いや稲葉先生の存在自体が、われわれには「公案」になったのだと痛感しました。

 私にも、いくつか先生は公案を残されたように思います。その一つは、「仏国土の建設」であります。

道元禅師は 「仏道とは自己をならふなり」と言っておられます。
  「仏国土」とは 自分の中に築くものだということでしょうか!人類はその発生以来 アタマの働きで他の生物の頂点として君臨してきました。 そのことは また いのちの一部である自分のアタマが、自分のいのちそのものを支配してきたと言うことでもあります。「仏国土の建設」とは まずは 自分自身が、アタマが描く概念を 仏や神として生きることを止め、生(ナマ)のいのちそのものに立ち返って生きることではないしょうか!

人間は、一人でしか生きれない(自立している)が故に、一人では生きれない(共生せざるを得ない)存在であるといわれています。つまり「プライバシー」と「パブリック」とは、丁度 「唯我独尊」であることと「三界は吾が有、衆生は吾が子」がそうであるように、常に表裏一体のもとして存在しなければなりません。

仏教は 社会が複雑化するのに伴い「個人の解脱を目指す小乗仏教」から「他との関係、集団の中でのあり方を重視する大乗仏教」に進化をとげたと言われています。しかし 実は、国家観・社会観において 仏教は 更なる「進化」を 長い間怠ってきたのではないでしょうか。

ところで「仏国土」が描く国・社会とは 一体 どんな国・社会なのでしょうか?

「仏国土」とは 通俗的には 西方極楽浄土を指しているようですが、それは国でいえば たとえば 天皇のような親のように優しく君臨していて、 したがって国民は 全てその中で単に住まわせて頂いていて、国のあり方などに口出しするのは全く不要な国というようなイメージではないでしょうか?(そういう意味では 税金すら源泉徴収して頂けるわが国は 本当に素晴らしい「仏国土」なのかも知れません・・・。) 多分 先生の頭の中では 「仏国土」とは、天皇陛下のもとで平穏に暮らす国民、素晴らしいリーダーに率いられた素直なメンバーで構成されている会社や団体などのような状態として描いておられたのではないでしょうか。

申すまでもありませんが、国は 今や 天皇や王様のものでもなくましてや政治家や行政や企業のものでもありません。国の主権は、「在民」なのです。くどいですが、国民は、決して 国のために存在しているのではあり得ません。国民こそが、当事者こそが、主権者なのです。今までのそして今の仏教は、古いままの国家観をそのまま温存し、放置してきたとはいえないでしょうか? 

それでは 果たして 国民が、国に支配される存在から、国づくりの当事者として転換した国や時代においては どのような「仏国土」が建設されるべきなのでしょか。

私は きわめてアリキタリですが、具体的には「人種・性別・年齢・障害の有無・国籍・貧富・生まれなどの違う人々がそれぞれその人らしく生きることのできる世界、競争だけでなく共生を根本原理とする国や社会」こそが仏国土であり、それは端的には 「基本的人権の尊重」「主権在民」の実現された国や社会であると考えます。

「仏国土」が、まず 自分自身の心の中に建設されなければならないのと同様、「仏国土としての国や社会」の建設は、まず 自分の住むまちを「仏国土」にすることから始まらねばなりません。つまり 自分の住みまちを、当事者の主権が尊重され、互いが互いを支えあうようなまちにしていかねばなりません。

私は、定年前後から、種々のNPOの立ち上げ・運営に携わり 現時点でも「外国人」「障害者」「環境」「非行青少年」などを対象とした6つほどのNPO法人の役員をしたり、縦割りになりがちな市民活動を、横につなぐための「地域通貨の発行」「全戸配付の情報紙の発行」「NPO支援NPO」などの活動を行っております。同時に市議会の傍聴や市全体の町会連合会の理事なども務め、この数年は 市の総合計画(10年計画)の策定に公募市民として携わって参りました。極めて限定された地域での短い期間での経験ではありますが それらを通して、自分のまちに どのようにして「仏国土」を建設していくのか、粗っぽいながら試案を提示させていただきたいと思います。皆様のご批判・ご助言をお願い致します。

1.「総合計画」を軸として「マニフェスト サイクル」を回す。

候補者は、選挙の際などに政策集を作成しますが、各政策の「内容」「財源」「期限」「数値目標」などを明記したものは、従来のあいまいな「公約」と区別するために、一般に「マニフェスト」といわれています。マニフェストは、日本においては 2003年の統一地方選挙から一部導入されましたが、2007年の統一地方選挙から公職選挙法において はじめて 市長などの首長に限り 有権者への配付が認められることになりました。

plandosee“いわゆるマネジメント・サイクルは あらゆる経営の基本の基本と言われていますが、市長などの首長のマニフェストが、マネジメントサイクルと結びつくとき、新たな行政経営のビジネスモデルが生まれる可能性があります。

   つまり

@ Plan:市長が 明確なマニフェストを具体的に作成することで 役所の人全てに明確なしかも具体的な目標を提示できます。

A Do:役所の職員は、マニフエストにもとづく市長の力強いリーダーシップのもとに、強い目的意識をもって日常の仕事にあたることができます。職員の行政評価もより客観的にできます。

B See:市長の任期の後、マニフェストの実現度の評価、そして新たなマニフエストの作成を、公募市民も含めた市民・議会・役所の人々で行うことで 市民参加によるまちづくりの具体的な場を創ることができるとともに、マニフエストの比較で次の市長を選ぶことができます。

もちろん マニフェストは マニフェストにとどまる限り それはいかに素晴らしいものでも 特定の個人の政治信条でしかありえません。しかし マニフェストが 総合計画を軸に作成された時 それは単なる個人的信条をこえた行政経営のマネージメントサイクル つまり新たな行政経営のビジネスモデルとなりえるのではないでしょうか。次のような工夫をこらすとき、可能性は実現へと近づくのではないでしょうか。

    総合計画を4年単位で目標設定することで市長の任期ごとに実施状況の評価なり、
  見直しが出来るようにする

    総合計画のみならず実施計画や予算との関連を分かり易く・議論し易く市民に開示する

    全ての市長候補者に対してマニフェスト作成の公的支援を行う など

2.総合計画を「わがまちの憲法」として位置づける。

新村出編の「言林」によれば 憲法とは「国をどういうふうに治め、国の仕事をどういうふうにやっていくかということ、及び国のもとになる国民の権利(基本的人権)を決めた根本の最高法規で、他の法律・命令では変えることを許さぬ大法」とあります。地方自治法第2条第4項において「市町村は、その事務を処理するにあたっては、議会の議決を経てその地域における総合的かつ計画的な行政の運営を図るための基本構想を定め、これに即して行わなければならない」と定められています。

@ 憲法とは 国家権力に制約を与えるものとしての側面があります。

市町村は、基本構想 一般的には基本計画をも含めた総合計画にもとづいて全ての施策を計画・実施していくことが求められており、その意味において、総合計画は、地方行政において、国の憲法に相当する機能を果たすものであるということができると思われます。

A      憲法とは 基本的人権の尊重など「自分の国はこんな国であって欲しい」という“国民の思い”を描いているという側面があります。

地方自治法こそが 地方行政の憲法であるという声もあります。確かに 地方自治法では、「総合計画」だけでなく、条例や規則に関する規定、間接民主主義の基本である議会に関する規定、さらには 総合住民監査請求や住民訴訟などの直接民主儀的な規定など 地方行政にとって大変重要な規定が数多く含まれています。しかし、それらはあくまでいわば手続き規定的なのものであり、こうあって欲しいというその地域のまちの姿を描いたものではありません。その意味で 地方自治法そのものというよりは その規定にもとづいてまちの姿についての市民の声の集大成として具体的に策定された総合計画こそが、そのまちの地方行政にとってあるべきまちの姿をより具体的に示しているということがいえると思われます。

B 憲法第92条には「地方自治の本旨」ということがうたわれています。

それは一般に「団体自治」と「住民自治」からなるものと解釈されています。「地方自治の本旨」とは つまり 憲法が一番その基礎においている「主権在民」の言い換えにほかならないと考えられます。総合計画が、市民参加で策定され・実施され・評価されていくとき、そして 行政や議会や市民自身が 自分たちの住むまちのまちづくりの最高の計画であると認識したとき、そのとき 憲法でいう「主権在民」が 地域において実現するときでもあると思われます。つまり 「総合計画」とは 地方自治法を通じて 「主権在民」という憲法の基本部分を、地域で具体的に実現していくための手段を 法律的に用意されたものとして理解することができるではないでしょうか。

つまり「地方自治の本旨」が実現されたときこそ、その実現に少しでも智慧を絞り・汗を流すときこそ、わがまちに「仏国土」が建設されるときではないでしょか!わがまちの議会や行政に関心を持ち、自分の意見を発信していくとき、あなたの声は、「仏国土の建設」の槌音として、まちに響きわたり始めるのではないでしょうか!

   山内庸行

                            (2007731

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3>仏教の国家観

梅原猛さんが、昨年の7月何日だかの朝日新聞に、次のような主旨の指摘をされている。

@     前提:「道徳」を失った宗教は滅びざるを得ない。

A     現状:現代の仏教者は、
   「十善戒を守り、六波羅蜜の徳を実践するという仏教の道徳」を、忘れてしまっている。


B     帰結:道徳を忘れた「仏教の復活」はあり得ない。

この3点について、思いつくままに私の感じたことを書いてみたい。

@       “道徳を失った宗教は滅びざるを得ない

   道徳や戎が、宗教の核心を構成しているものであることに異論はない。しかし道徳や戎が、まず最初にあったのではない。最初にあったのは、道徳や戎の体系でもなければ、それを創ろうという意図でもない。最初にあったのは、“存在の真理”や“人生の意味”を問う釈尊やキリストなどの具体的な人間の一人の人間としての切なる探究心であり、そして結果として道徳や戎がうまれ、体系化されたのである。この順序は絶対に見落としてはならない。仏教・キリスト教などの宗教のいかんにかかわらず、その創始者の人生の悩みと葛藤のプロセスを追体験せずに、結果としての信仰の体系(お経や聖書や教典など)を鵜呑みするような信仰は、いかにそれが道徳的に見えても、それは「教条主義」あるいは「形式主義」以外のなにものでもなく、宗教の名に値しないと私は考える。

少し極端な例かもしれないが、進化論を認めないキリスト教原理主義、神がテロを喜ぶとする「イスラム原理主義」が、いかに支持者の数を増やしても、それは宗教の弊害を示しこそすれ、それでもってキリスト教やイスラム教が浸透したとはいえないことを考えてもと明らかである。また 後で少し詳しく述べるように、宗教界が、それが生まれて来たプロセスでなく、結果としての信仰の体系を重視する限り、本来個人の心の問題にかかわる宗教が、国家宗教として、国による国民管理の手段に使われる危険性が常に存在し続けると言っても過言ではない。

梅原さんのこの言葉は、「人生探求の結果として体系化された道徳を後生大事にするだけで、そこへ至る探求のプロセスの追体験をないがしろにした宗教はいかに多くの信者を得ていても滅びた(滅ぶべき)宗教といわざるを得ない」と言い換えるべきであると私は考える。

A “現代の仏教者は、十善戒を守り、六波羅蜜の徳を実践するという仏教の道徳を、忘れてしまっている”

この言葉は、“十善戒、六波羅蜜というお経の文句は、大いに伝わったが、過去日本には、釈尊の悩みのプロセスを追体験するということの大切さを伝えた仏教家は殆どいなかった。釈尊の体験の追体験という意味での仏教は、ついぞ日本には定着しなかった。”と言い換えるべきであると、私は考える。

聖徳太子の日本史における大きな役割と徳の高さには全く異論はない、また現代に限らず殆どの僧侶が、僧侶の道を職業として歩んでおり、道徳の実践という面では俗人と大差のない人が殆どだという梅原さんの指摘にはもろ手をあげて賛同する。しかし 日本への仏教の伝来が、そもそも「諸悪莫作 衆善奉行」の教えを日本へ伝来するために行われたものかどうか、はなはだ疑問である。

「日本書紀」によれば、552年に朝鮮半島の百済の王様が使者を派遣して仏像や経典を朝廷に献じた時が、「仏教公伝」の時とされているが、いつ仏教が日本に伝来したのかは確かではない。しかし 一つだけ確かなのは、仏教が、伝来の当初から物部氏と蘇我氏の権力争いの具となっており、その出発点から朝廷という権力と密接につながっていたという歴史的事実である。その後も江戸時代には「(各本山の統制のもとで各末寺の運営を行う仕組みである)本末制度」や「(その末寺に各家庭を監視させる仕組みである)宗門改制度や檀家制度」など、仏教界がこぞって、日本の身分制社会の固定化や強化の一翼を担ってきたこと、そして、「差別戒」を通じて「戒名による被差別部落問題」に寺がつい最近までかかわっていたことも歴史的事実である。これらの歴史を見るとき、仏教が、あくまで国家統治の手段として導入されたものに過ぎず、釈尊の説いた道徳や戎も、国家統治の手段、国民支配の手段として位置付けられ、寺も僧侶も宗派も、基本的には国家統治の一つの手段としてその生活と存在を保証されてきた面があることは否定すべくもない。

仏教伝来当時もまたそれ以降の時代にも、確かに 何人かの優れた宗教家が生まれたでことは決して否定しない、特に鎌倉時代に輩出した祖師方の力で、仏教伝来時の国家宗教的な色合いが、人々の人生により密接なものへと転換していったことは確かなように思う。しかし祖師方を除く一般僧侶や教団 そして殆どの信者は、現世での安穏な生活あるいは極楽への生まれかわりへの願望が主たる信仰の動機ではなかっただろうか。

「諸悪莫作 衆善奉行」の教えを、外から与えられたものとしてではなく、また現世利益のためでもなく、あくまで釈尊の悩みと修行を追体験することで「人間の本来のありようを自知する」ことが、仏教を信仰することであると考えた人が何人いたであろうか?過去日本では、厳密な意味での仏教は、一度も定着した事はなかったと考えざるを得ない所以である。

B “道徳を忘れた仏教の復活はあり得ない”

以上のことからして、この言葉は、当然“たとえ道徳を大事にしても、釈尊の修行を追体験しない限り、仏教の復活はあり得ない。”と言い換えるべきであると考える。

もちろん釈尊の修行の追体験をしなくても、ほんの一割の日本の僧侶や寺が、本当に本気になって、十善戒を守り、六波羅蜜の徳を実践すれば、それこそ仏教界は勿論日本の社会もそして世界も大きく変わるに違い無い。しかし たとえそれが実現しても、それで仏教が復活したとはいえない。
 なぜならば 白隠禅師の坐禅和讃を借りていえば、仏教の復活とは、「釈尊の修行の追体験 つまり 不断の“一坐の功“」を通して、「十善戒を守り、六波羅蜜の徳を実践するということは、決して外から規範として与えられるものではなく、内なる人間の本性であるである つまり ”衆生は本来仏なり”」と「自知することの復活」以外にはありえない。

 梅原さんは、聖徳太子が大切にされていた言葉として、「諸悪莫作 衆善奉行」をあげておられるが、太子が最も信奉されていたのは「世間虚仮 唯仏是真」という教えだとも聞いている。太子のこれらの言葉をお借りしていえば、仏教の復活の鍵は、「諸悪莫作 衆善奉行」ではなく「世間虚仮 唯仏是真」の教えにあるのではないだろうか。この言葉は「この世はハカナイものだ、あの世こそ本物だ」という意味でもなければ「世間に真実はない、真実はお寺とお経の文句(道徳や戎のことについての教え)の中にある」という意味でも勿論ない。

「自分というものを世間の中の一人として、他人との比較で見ているわれわれの見方は、幻想に過ぎない。本来の自分とは“この三界は、悉く是れ吾が有なり、一切衆生は皆是吾が子”というような存在である つまり 自分は生まれながらの“仏”なのだ、それが人間存在の真実なのだ」という意味であろうと私は考える。白隠禅師の坐禅和讃を借りていえば、「唯仏是真」とは「衆生本来仏なり」であり、「世間虚仮」とは、「六趣輪廻の因縁は、己が愚痴の闇路なり」にあたるのではないだろうか。仏教復活の鍵は、「諸悪莫作 衆善奉行」という修行の集積結果としての「仏教の道徳体系」よりも、「世間虚仮 唯仏是真」という、釈尊が葛藤の結果自知された中身の追体験にある。

 昨日(111日)たまたま、自民党が、最近の凶悪犯罪や専門家の職業倫理の退廃を踏まえ、今年の活動方針の一つとして「道義大国」ということを打ち出したとTVで報じていた。道義が地に落ちた状態にあることは確かにその通りである。これはなんとかしなければならない。しかし 「だから 道徳教育だ!」というのは短絡であり、特に時の政権与党がそのようなことを言うのは危険ですらある。

かつて大和朝廷や江戸幕府そして戦前の政府がしてきたように、またぞろ国が、一人一人の人間としての内なる葛藤体験を抜きにして、外から“国民としてのあるべき姿”を押付けてきた歴史の再来はぜひとも避けねばならない。また仏教界が、国のために便利な役に立つ仏教といういつか来た道へと逆戻りすることだけは止めて頂きたい。学校で国歌斉唱が“強要”され、憲法改正や道徳教育が叫ばれ始めた今こそ、仏教界は、国の管理の道具に堕して来た過去の社会的、歴史的な役割を真剣に振り返って欲しい。

想像してみるに、釈尊の時代は、国は、王様の所有物であり、国民はその中で住まわせてもらっているという関係にあったと思う。「公案」とういう言葉も、「公府」つまり役所の通達や書類という意味だということを読んだことがあるが、この言葉をみても、仏教には、国や役所は、個人にはどうしようもない動かしようの無いオールマイティなところという“思い込み”があるのではないだろうか。つまり仏教には、「国がまずありき」との考えが当たり前の様にその当初からこびり付いているのではないだろうか。

つまり大和朝廷や江戸幕府そして戦前の日本において、仏教が国の支配の道具に使われていたのは、一つには国の意図もさることながら、仏教における、国王や支配者に神や仏を投影してみようとする家父長的支配者像を基礎にした“国がまずありき”という「国家観の存在」、言い換えると “国民がまずありき”、国は国民がつくるもの支配者はその付託を受けたものという「国家観の欠落」が大きな原因ではなかったかと思われる。

仏教界や僧の方々は、「国は一体誰のためにあるのか?!」自らの「国家観」をぜひ今自らに問うて欲しい。憲法や法律や教科書ではなく、「 釈尊の自知の中身からいえば、国とは一体どうあるべきか!?」自らの「国家観」を明確にすることは、仏教が、国の統治の手段となっていたいつか来た道に逆戻りしないためには避けて通れない道であり、仏教は、国のためでないのは勿論、宗派や寺のためでなく、一人一人の修行者のものであるとの釈尊の仏教の原点に戻る道である。

釈尊の修行の結果である道徳や戎の体系でなく、それが出来上がる以前の釈尊の体験の追体験・自知という仏教の原点に立ち戻り、新しい国家観を構築しえたとき、仏教は、はじめて 復活への歩みを始めることが出来るのではないだろうか。

少なくとも 国が道徳教育を叫ぶことが道徳の復活への道であり、国の求める道徳教育のお先棒を担ぐことが仏教の復活であるとだけは、夢にでも思わないで欲しい。

自民党の「道義大国」という報道を聞く数日前の18日に稲葉先生が亡くなられた。恩師の口癖は「仏国土建設」であった。果たして先生が、自民党の道義大国の報道を聞かれていたら どんな感想を持たれたであろうか。先生のご冥福を祈る意味でも、先生の精神を自分なりに消化していくためにも、われわれ般若団に関わるものは、仏国土の意味を そして仏教が持つ国家観を一度再吟味する必要があるのではないだろうか。

                               山内庸行
                                             (20061月)

付記: 昨年保寧寺の小崎和尚から、「梅原猛氏の「反時代的密語」(朝日新聞7月)を読んで感想を書いて欲しい」との依頼を受け、今年1月に投稿した文章(ほんの少し修正しておりますが)を、和尚の了承を得て、般若団のHPに投稿したものです.( 2006.02.05 山内)
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2>耕雲庵・安泰寺の接心

私はここ数年に過ぎませんが、それもキチンと守れているわけではありませんが、毎朝50分の坐禅、月一度は宇治の耕雲庵接心参加そして年2度ほどの浜坂の安泰寺の接心参加を一応自分の課題というかライフワーク的なものとして位置づけようと努めております。今回も10月31日上山、11月6日下山の日程で安泰寺の11月接心に参加して参りました。学生時代や社会人となった後、たまにですが参加した接心を思い出しながら、耕雲庵や安泰寺の接心について思いつくまま書かせて頂きました。

学生時代には般若団としていくつかの僧堂の接心に参加させて頂きました。その中でも 僧堂ではありませんが、京都の高山寺での寒い冬の屋外での徹夜の坐禅は特に忘れることができません(寒さと膝の痛さでですが・・・)。祥福寺の臘八接心に部分的でしたが参加したこともありました。この時の1つの光景が強く脳裏に焼き付いています。それは、“総参“といって全員が老師に”参禅“しないといけない場面で、公案の答えに窮し切ったのでしょうか、逃げ回ったあげくに、ある僧が堂内の柱にしがみついていた光景です。(ちなみに”参禅“という言葉は、曹洞宗では、単に接心に参加するという意味に使われています。)

大学卒業後それほど間が無い頃でしたが、学生時代から自分の坐禅がもう一つ深まらないのを感じていた私は、東京の東照寺の鉄牛老師の接心に何回か参加したことがあります。鉄牛老師は、原田祖岳の系統の曹洞宗の老師です。曹洞宗といえば、公案もなく面壁の坐禅と相場は決まっていますが、鉄牛老師は、臨済宗と同じように対面で坐らせ、公案を活用しておられました。私が東京まで出かけたのは、坐禅中に公案を口に出す事が許されていたからです。ただし一度でも公案を声に出してしまうと、坐禅中は 口を閉ざすわけにはいきません。口に出して公案を夢中で声に出し続けたら、坐禅への打ち込みも少しは深まるだろうと思って連休を活かして大阪から参加しました。もう大分前に代は変わっていますが、今でもHPを見る限り東照寺は健在のようです。

坐禅の真実に少しでも迫ってみたいと、当時テレビでも有名でしたある専門家に催眠術の手ほどきを受けたこともありました。確かに催眠術にはかかるものだと体験しましたが、

覚醒を目指す坐禅と催眠の術とが同じはずはありません。人間の思いが、どれほど他の人によって左右されるものか、つまり自分(の考え)と思っている自分が、実は自分が接した情報の単なる集積に過ぎないことが、少し分かったような気はします。

卒業後 日が経つにつれて坐禅とも無沙汰がちな時間が過ぎていきました。丁度還暦の頃に、全く偶然に澤木興道−内山興正の系統を引く耕雲庵の坐禅に出会いました。その縁で安泰寺の接心にも参加するようになりました。

耕雲庵は、内山興正老師が、安泰寺を退山された後 京阪宇治線木幡駅に近い所に隠居されたのに伴い、老師引退に至るまで10年ほどにわたり安泰寺で老師についておられた櫛谷宗則さんという方が、いつまでもお側で老師にお仕えしたいとの思いから、昭和56年に木幡からそう遠くない宇治田原町の空き農家を、買い取り移り住まわれた時から始まりました。  

耕雲庵の命名も、玄関にかかっている庵の表札も、内山老師の手になるものですが、“雲を耕す”とは、晩年に病気のせいで接心が出来なくなった内山老師は、宇治川沿いを散歩しながら雲を見つめることを坐禅の替わりにしておられたと著書に書いておられますが、多分それに因んでつけられた名前だと思います。また内山老師は、思いを越えた存在の真実を、ギリギリのところまで、日常の自分の言葉で表すことに生涯をかけられた方ですが、NHKの宗教の時間の番組の中で、そのような自分の作業を、“(釈尊や達磨や道元の言葉を)一鍬でも深く耕すため”と表現しておられました。いずれにしても、“耕す”とは、自分の外にアテを置くことなく、生命の実物としての自己を、ただ深めていくことの大切さを表現しようとされた言葉ではないかと思います。

庵は、京阪宇治線終点の宇治駅から京阪バスに約30・40分乗り、後は徒歩15・20分くらい、大阪府富田林市の私の家からは、約3時間くらいの所にあります。茶畑に囲まれ、私などは一度は休憩しないと一気には登りきれないほどの急な坂道の先にあります。人里離れた、この庵の回りは静寂そのもので、車も殆ど入ってきません。たまに猿が屋根の上を騒がせるだけの、小鳥たちのさえずりと雨風の音しか聞こえないのどかな山間部にあります。多分町の中に比べ、温度も数度は低いと思います。広さは、10人も泊まるともうイッパイという程度の築100年くらいの農家です。

接心は、毎月第三土日月の三日間行われます。これは主な参禅者であるサラリーマンが参加し易いことを考慮して決められたとのことです。参加・宿泊は無料です。接心には、10名から15名ほど、大阪・京都は勿論遠くは東京、名古屋などから、男女年齢を問わず集まってきます。ほぼ毎回外国人の参加もあります。接心の最終日には、正法眼蔵の提唱があります。この提唱を楽しみに接心に参加される方もあります。私もテープに録り、家で繰り返し聞くようにしております(聞こうと身構えて聞くよりは、自然に耳に入ってくる状態で聞くと、かえって話し手の真意が伝わってくるような気がするときもあります)。

接心の日程は、澤木興道―内山興正の伝統をそのまま引き継ぎ、朝4時から夜9時まで食事以外は、50分の坐禅と10分の経行のみ、無言で電話も取り次がないというものです。朝4時少し前に宗則さんが、竹に付けられた鈴を鳴らすことで一日が始まります。眠けと季節によっては、身を切る寒さに耐えながら、まず最初の坐禅が始まります(余り寒いと毛布を体に巻いて坐禅します、ストーブも入れます)。曹洞宗の経行は、「一息半歩」というようですが、一呼吸の間に半歩(足の裏の長さの半分)しか進まないという実にゆっくりしたものです。学生時代は、祥龍寺での接心でしたか、経行で走った記憶もあります。また経行の際の両手の組み方も学生時代に覚えたのとは少し違います。同じ禅宗でも、ところどころ違いがあるようです。

安泰寺は、大正10年に京都大宮玄琢に曹洞宗宗学研究の学堂として建立されたものを、戦後澤木・内山両老師が入山され、道元禅師の只管打坐を純粋に行持する道場として再興されたものだそうです。坐禅と托鉢業に徹した簡素な修行道場は、いつしか世に知られ、参禅者は国内外から集うようになりました(しかし曹洞宗という宗教組織の中での安泰寺の異端扱いは、今も昔も変わらないようです)。その後、周囲の宅地化による騒音などの問題を避けるために、安泰寺は、昭和51年に、内山老師の弟子の手で、夢千代日記で有名となりました湯村温泉の近く兵庫県浜坂久斗山に移転されました。山陰線浜坂からバスで約30分、そこから山を登ること約50分のところにあります。バス停の後は、ほんの歩き始めのところには、畑もあるものの、すぐに山道となり、人家も全くありません。出るのは猪やタヌキぐらいとなります。夜は怖くてとても一人では歩けません。(タクシーだと浜坂駅から約30分、6000円ほどで行けます)。富田林の私の家からだと大体5時間弱くらいかかるでしょうか。

安泰寺はどこまでが安泰寺かも分からないほど広大な敷地に建っています。ここでは、水をはじめ殆どの食べ物(米・最・豆腐・油など)は自給自足で賄われています。現金収入は基本的には、托鉢以外にはありません。広大な土地での作務の大変さは想像を絶するものがあります。私などは相当な決意を持って5日間の接心に参加しているのですが、実際に安泰寺で修行する人々にとっては、接心はむしろ休息?に感じるそうです・・・。

ここでの一日もやはり4時から始まりますが、しかしここでは、丁度4時になると鈴を右手に持った人が、ものすごい勢いで皆の部屋の前の廊下を走っていきます。それは安泰寺の一つの風物詩ともいえるほど、一見の価値があるものです。見ていると、おのずと身が引き締まる思いがします。しかしこの鈴で目を覚ましていては朝の坐禅には間に合いません。それぞれ自前の方法で410分から15分くらい前に起き、洗顔などをして4時直前には、禅堂に入っておかねばなりません。耕雲庵と違い、毎朝最初の坐禅は、1時間坐ります。その後は、45分の坐禅・15分の経行の繰り返しです。

耕雲庵では、朝7時・午後12時・午後6時の三回の食事を挟んで、朝食前三回、朝食後四回、昼食後五回そして夕食後二回、それぞれ50分の坐禅を行いますが、安泰寺では、午前9時と午後3時の二回の食事を挟んで、45分の五回の坐禅を、一日に三回繰り返します。しかし 安泰寺の特色は、なんといっても堂頭(“どうちょう”と読み、安泰寺のtopの方の呼称です)さんが、ネルケというドイツ人だということです。ここでは接心の前夜に、約1時間ほど提唱がありますが、ネルケさんは、日本人もなかなか歯の立たない正法眼蔵などを、まず日本語で、次に英語で、最後にドイツ語で提唱されます。宗則さんが、澤木・内山老師純粋派とすれば、ネルケさんは、澤木老師と内山老師の流れにドイツ的な哲学風味を加えたものといえるかもしれません。この微妙な違いがあってそこがまた興味を惹かれるところでもあります。ネルケさんは、多分年齢は40歳前後の大男です。ドイツにHPのサイトを置き、そのHPを7ヶ国語で書かれているせいもあり、参禅者に外人が多いことも安泰寺の特色です。今回も15名の参加者のうち10名が外人でした。一人はオーストラリアから来たご婦人。10月にこられて1年ほど滞在されるそうです。その他はどうも言葉からするとポーランドやチェコやスイスなどのドイツ語圏から来ているようでした。

安泰寺での参禅者のもう一つの特色は、その外人の出入りが激しいということです。私は今年の5月にも接心に参加しましたが、今回の参禅者14名の内11名は、その5月にはいなかった人ばかりでした。接心中でも、卵や野菜などを取りにいかないといけません。寺を維持するばかりか、多くの人々に開かれた接心を続けるための苦労がしのばれます。

安泰寺は広大な自給のための土地を抱えていますので、人手が必要なわけですが、常住者は、堂頭のネルケさんと、京大在学時から坐禅を始められ滋賀大学定年後に奥様の逝去のあと出家された麦倉さんという方、そして昨年6月ころにこられたポーランド人のたった3人です。臨済宗でのしきたりは知りませんが、曹洞宗では、ある弟子が寺を引き継ぐと先代の弟子は全てその寺を去ることになっているようです。安泰寺でも先代の堂頭さんが事故死(ブルで雪かき中転落死)の後、先代の弟子は全て山を去り、ネルケさん自身の弟子が出来るまでは、ごく少ない人数でこの寺を守っていかねばなりません。(安泰寺では、2週間以内の滞在者は、玄米を一日につき3合持ってくるか、1000円程度のお布施を出すようになっております。2週間をこえる滞在者は、一切無料ですが、他の僧と同じ作務を行う必要があります。2週間という滞在期間を境に、坐るだけの“ビジター”と作務もする“メンバー”に分けて、メンバーに“労働力”を期待しておられるように思われます。)

ところで耕雲庵と安泰寺の接心は、共に、無言で、作務も無く、お経もなく、警策も回りませんが、接心の終りには、茶礼は行います。耕雲庵では、接心の後、まず提唱があり、その後に茶礼をいますが、参加者同士あるいは宗則さんとの交流が中心で、ごく普通のお茶のみ会の感じです。安泰寺の茶礼は、もっと正式なもので、全員が集合したところで、ネルケさんが登場します。お茶も一定の作法で出されます。ここでもお互いの紹介などもありますが、堂頭さんが、接心中に気づいたことなどを話されます。ちなみに お酒は、耕雲庵では、話にも出ません。安泰寺では、茶礼も終了したあと、日が暮れたら、有志?が集まり大体酒盛りが始まります。ネルケさんも参加されます。無言の接心のあとですから、お互いの感想など話は、かなり盛り上がります。ところで 耕雲庵と安泰寺に面白い共通点があります。それは 接心最後の食事が、何故かしら、共に、カレーだということです・・・。学生時代は、接心最後のうどんが楽しみでしたが、臨在と曹洞の違い?がここにもあるようです。

農家を借りた耕雲庵は勿論、寺院としての必要条件を全て備えているかに見える安泰寺でもいくら修行しても僧侶になる資格は取得できません。年金のアテも在りません。耕雲庵の宗則さん(50歳ばかりの人ですが、風貌も生活態度もかなり違いますが、実は私は宗信和尚の生まれ変わりではないかと勝手に決めています。)そして安泰寺のネルケさんは、一体どういう思いで修行専一の生活を日々送っておられるのでしょうか?

ネルケさんは高校生の頃にドイツで坐禅に出会い、18歳くらいの頃に日本へ交換学生のような形で来たあと、大学卒業後でしょうかドイツから京大へ留学してその勉学の途中で出家されたと聞いていますが、カソリックのご両親は、どういう思いで、自分の息子を日本に送ったのでしょうか?インドから中国へ渡った達磨さんは法を伝えるため中国へ、ネルケさんは法を求めて日本へこられたのですが、二人には何か共通点があるような気もしないではありません。最近安泰寺のHPは見ておりませんが、そのHPにネルケさんが次のような言葉を書いておられます。この言葉から、ネルケさんの禅への思いが伝わってくるような気がいたします・・・

 ―自分が今生きている瞬間の生命のほかに希望するものがあれば必ず失望する

 ―坐禅は生活の一部でなく、一日24時間の生活が生きた坐禅でなければならない

宗則さんは、医師の家に生まれ、人生問題に悩み、高校卒業後内山老師のもとで出家されました。今は、奥様と猫との生活で、これまた檀家もなく、托鉢と家の前の畑の収穫物そして著作などで生活を支えておられるようです。今の坐禅会も最初は単に自分が坐りたいためにやり始められたようです。日頃は生活のことは全く口にされない方ですが、最近 ある雑誌で、日頃肉声では聞いたこともない生活の実情を語っておられたのを読んだことがあります。

  ―・・・固定収入のない、なかなか危機感のある生活なので、真剣に坐らざるを得ないところがあります・・・

内山老師もその著書で、「・・・托鉢で生活できなくなれば 死ぬだけ・・・」という主旨のことを書かれていました。檀家も持たずに ただただ坐禅専一の、食べるためでは無い、坐禅と仏法のためだけの人生を歩んでこられた内山老師を尊敬してやまない宗則さんは、多分この老師の思いを自分の思いとして日々を過ごしておられるのではないでしょうか・・・

口で言うのはそれほど難しくありません。しかし 本当にその言葉通りの生活を送るとなると話は別です。私のようなどっぷりと年金につかり、たまに接心に参加する程度のものには、想像をはるかに超えた世界といわざるを得ません。

公案も無く・警策も回らず・お経も無く、悟りのためでなく、ましてや僧侶資格を得るためではなく、ただひたすら“自己ぎりの自己“に坐る接心が、そして、その将来への不安を坐禅と生活のエネルギーに転換して、一切の抽象概念の介在を許さない”自己ぎりの自己“を日々生きようとしておられる僧が、まだこの日本には存在していることは、どうも確かなようです!

これこそが本当の日本が誇るそれも生きた世界遺産と言えるのかも知れません!

(“駄”足)
 「それで、この11月の接心は、肝心のオマエには一体何だったのか?!」という声がどこからか聞こえてくるような気もしますので、今回の5日間の安泰寺での接心で感じたままを簡単に書かせていただきます。

先ず足(膝とくるぶし)の痛みですが、2日・3日と経過するにつれて、次第に足の痛みは増していきます。そこで 毎回 このまま右肩上がり?で痛みが進むのかと、恐怖心にかられたりもするのですが、不思議と、痛みは、一定の段階になると、後は一進一退といったところで、単純に増え続けるということはありません。痛みに関しては、一つ救いがあります。安泰寺の接心が、45分と耕雲庵の50分にくらべ、5分短い点です。ご経験の方も多いと思いますが、実はこのたった5分の違いが、天国と地獄の分かれ目になります。痛いときは、足の痛みは、丁度40分過ぎくらいから始まり、45分すぎくらいからピークを迎えます。45分を過ぎてからが、本当に痛いのです。私が安泰寺の5日間の坐禅にかろうじて耐えられるのは、多分45分だからだと思います。

心の状態について言えば、接心が終わると、一気に爽快感が、全身に広がります。これは学生時代の合宿の後と全く同じです。それ以外でいえば、今回接心が終わって、次のような謎解きのような文句が浮かびました。:「倩女離魂」とかけて何と解く、「臭い皮袋」と解く、その心は「お茶の溢れたコップ」の話

「倩女離魂」というのは、学生時代に読んだことのある公案です。山田無文老師の「坐禅和讃」P313にも紹介されています。“駆け落ちした女性”が、実は“実家で寝ていた”というお話ですが、果たして、駆け落ちした女性、実家で寝ていた女性、一体どっちが本物の本人なのか?という問いかけです。当時 この公案を読んで、私は因縁話か怪談のような印象を受けたのを覚えています。

「臭い皮袋」とは、禅宗では、われわれ凡人を指しているようですが、当時 宗則和尚がよく口にしておられたように思います。

「お茶の溢れたコップ」というのは、良く禅宗関係の本では引用される話:「ある人が、僧に教えを乞いに来た。しかし なかなか自分の既成観念から抜け切れない。人の話が耳に入らない。そこで僧が、目の前のお茶碗に、溢れるのもかまわずに、ドンドンお茶を注ぎ、まずは心を空にすることの大切さを暗に示した」という例の話を、私が勝手にこう表現しました。

以前に 「われわれが、日常自分と考えているのは、じつは自分という名の他人である。他人と区別された自分である。・・・無明とは、そんな他人を自分とおもう愚かさのことだ」という文章を読んだことがありますが、この言葉を借りて、この謎解きの説明を試みたいと思います:

「倩女離魂」の中の “駆け落ちした女性”とは、“他人と区別された自分を自分と思っている自分”つまり「概念としての自分」のことであり、寝ている自分とは本来のナマの自分のことだといえると思います。そして その「概念としての自分」が、全身に詰まっている(そしてその事に気付いていない)われわれを、「臭い皮袋」と称したのだと思います。

「倩女離魂」でいえば、坐禅とは、刻々 女性が合体する つまり 刻々 「概念としての自分」が、本来の自分に戻る行為ではないでしょうか、「臭い皮袋」でいえば、坐禅とは、刻々 皮袋の中の「概念としての自分」が、捨てられる行為ではないでしょうか、つまるところ、坐禅とは、“コップ”の中に詰まっているお茶、つまり“頭”の中の「概念としての自分」が、刻々、捨てられる行為ではないでしょうか。(そう言えば、ドイツ語では、頭のことを、スペルは勿論違いますが、コップと言いました!?) 

従来別ものと思っていたこれらの3つの言葉が、今回接心を終えて、全く同じことを言っている、つまり坐禅の体験を表わしている言葉だと私には思えました。 

(参考)

@        耕雲庵 電話 0774−88−4498
    住所 京都府綴喜郡宇治田原町湯屋谷東塩谷
    氏名 櫛谷宗則和尚
    HP  “耕雲庵”で検索して下さい(参禅者が作ったHPがあります)

A        安泰寺 電話 0796−85−0023
    住所 兵庫県美方郡浜坂町久斗山62
    氏名 ネルケ堂頭
    HP “安泰寺で検索して下さい(ネルケさん自身が作られたHPです)

                      以上  山内庸行(2005.11.23                           

岡田付記
  山内氏からの本寄稿文『耕雲寺と安泰寺(接心)』は、山内氏が当月初めの安泰寺接心に参加されると聞いて、安泰寺の接心の様子を、是非、紹介してくださいと、お願いして寄稿いただきました。

 山内氏は、住まいのある富田林市でNPO活動を主導あるいは参加され、また市の公的活動を委嘱されるなど、市民活動を通じて実生活での禅的活動(奉仕行)を実践されております。実践の裏づけある山内氏の坐禅修業レポートは、新鮮な刺激であります。

簡潔であった初稿に対し、『もう少し詳しく・・・』と注文をつけて、接心の時間割、一日2回という安泰寺での食事の時間、参加者との交流、あるいは接心参加後の心境などの詳細を加筆願いました。お陰で澤木興道・内山興正老師のお寺として有名であり、今もその禅風を継承されているという安泰寺および耕雲寺の環境や接心の様子がよくわかりました。しかし、やや冗長となり、山内氏の美意識に反してしまったことと申し訳なく思います。
 なお、安泰寺のHPおよび山内氏のHP(こちらは最近更新されていない)のアドレスが、当HPの「フレンドサイト」のコーナーにあります。

 また「資料のページ」に安泰寺の
HPから、【坐禅の心構え】〜澤木興道老師の言葉より〜 を転載させて頂きました、頭だけの理解で終り「心構え」を実践できないのが常でありますが、興道老師の警策受ける思いで玩味熟読させていただきたいものであります。

                             以上(岡田記)
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1> 仏教界がいかに強く社会性を果たそうと
     釈尊が説き、達磨・道元の方々が引き継いでこられた“存在の真実“とは無関係!?


山内氏からの寄稿についての補足説明>  この補足については岡田が付記しました

文脈理解のため、山内書簡(論文)の“仏教界の社会性云々”の議論が生じた経緯について補足説明致します。
 HPへ寄せられた宮坂宏樹氏の寄稿(2/13、『座っているときは考えない』ことについて)の中で青松寺獅子吼林サンガ主幹・南直哉師と茂木健一郎氏の対談に啓発されたとの内容がありました。これに関連して青松寺についての情報を岡田が山内・宮坂両氏へメールしました。折り返し宮坂氏から情報提供のお礼と青松寺の活動を賞する内容のメールがありましたが、この宮坂メールに対し山内氏から以下のような 少々難解な意見の表明がありました。

『青松寺の活動は 素晴らしい活動だと思います。しかし しかしです、仏教界がいかに強く社会的役割を果たそうとも、釈尊が説き 達磨・道元の方々が引き継いでこられた存在の真実とは(全くといいたいところですが万歩譲って)殆ど無関係なことだと私は思います』

その心や如何という上記に対する問への生真面目なる返事が、この山内論文であります。
 この書簡は決してHPへ寄稿するために書かれたものではありません。 岡田自身が大いに啓発されましたので、山内氏に無理にお願いして当HPへの掲載を許諾頂きました。
 公表しない前提で書かれた書簡であるので、不用意な文言もあるやも知れませんが、敢えて原文のまま掲載させていただきました。

なお、山内氏の個人HP http://www4.kcn.ne.jp/~y-nobu/ も訪問してみてください。氏の実践活動ぶりがよく窺えます。(岡田彬)

                           本文

1>仏教界がいかに強く社会性を果たそうと
     釈尊が説き、達磨・道元の方々が引き継いでこられた“存在の真実“とは無関係!?

以下学問的・教義的には言うまでもなく全く確証も無く、かつ生活上も実践していないことばかり、文字通り妄言・暴言をクドクドと羅列しただけではありますが、題記の私の発言について説明を試みてみました。ご一読頂ければ光栄です。

  下記のような課題に取り組むことを、仏教界の“社会性“と考えます。

@     岡田先輩のメール:最近の倫理荒廃きわまれりという事件や毎年3万人の自殺者が出る世相に宗教界から積極的な発声がないのは虚しい思いがする。

A     青松寺通信番外編:僧侶、寺院が「現代社会に特有の諸問題を直視し実用的に対応をする」「創意工夫を凝らした新しい寺づくりを試みる」「仏教のもつ素晴らしいエッセンスを復興・再生させてゆく」・・・

1.“無関係”発言の骨子 

@ “無関係“という言葉は、「釈尊が体験された”リンゴ(存在の真実)の味“がわかれば、仏教会の”社会性”が実現出来るという関係には無く、同時に仏教界の“社会性”が実現できたら釈尊が説かれ達磨などが守ってこられて来たリンゴ(存在の真実)の味が味わえたり、ましてやその味を他の人に伝えられるわけではない」という意味で申しました。つまり

A 釈尊が得られた“リンゴ(悟り)の味”の核心は、生きとし生けるものは、事実としては、全てお互いに“断絶”しかつ“主客一如”として“存在”している、事実としては、生きとし生けるものは、それぞれが、徹底した“一人称”として存在し、かつ、一つの同じ宇宙からの命を授かって生きている、これが“存在の真実”であったとの気付きであり、社会とか人類とかオレとかオマエとか山とかいった言葉・分別は、いわゆる“抽象概念の実在化”の産物に過ぎないとの気付きである。勿論抽象化・概念化は可能でありまた人々の生活はそれなくしては成立し得いのも確かであるが、概念・抽象は、頭の中だけで存在している世界であり、“存在そのもの”ではないということへの気付きである。

B     釈尊の悟りからいえば、大切なのは、ご飯を食べているか・エッセイを書いているか・困った人を助けているかの違い(上の意味での“社会性”の有無)ではなく、次の違いである。

−場と対象を“徹底した一人称”でとらえ「“存在そのもの”の世界」で生きているのか、
−場と対象を、“ニ人称や三人称として“自分の外に置き「概念の世界」で生きているのか

2.もう少し“無関係”の意味を考えてみました:

@ 社会性の観点からいえば、真に憂慮すべきは、仏教界の社会性の欠如ではない。
一般市民が、自分自身がまさにそうであったように、自分の家庭と職場での自己の安寧以外に関心が無く、議員は、自分の票の行方のみを望み、役人は、時代遅れの内部だけに通じるルールがいつまでも続くと夢想している。・・・われわれを含むこの日本人全体の現状こそが、真の問題である。


A        仏教界の観点から言えば、真の問題は、社会性の欠如ではない。
達磨が白隠・道元が受け継がれた“リンゴの味”の忘却・疎遠、“坐禅”修行の中途半端さこそが、真の問題である。われわれ般若団OBの立場からいえば、真の課題は、業界温存・職場確保のためのお寺の活動に惑わされること無く、“リンゴの味”を味わうことであり、達磨のような誓願を持って、今・ここで“徹底した一人称”を生きることである。

B     仏教教団であれ、お寺であれ僧であれ、市民であれ、先生であれ、役人であれ、社会問題の解決について、自分が出来る範囲で何かをすることは、これは釈尊の“悟り“とは無関係に必要なことであり、また何も釈尊の”悟り”“教え”を借りるまでもなく、“世俗の原理”(後述)でそれはかなり可能である。

3.更に“無関係”の意味を考えてみました:

一般に言われている社会性は、実は単に頭の世界で作り出された社会性であり、事実としての社会性でなかったという気付きがこそが、釈尊・達磨・道元と受け継がれてきたリンゴの味の中身である。

@     釈尊は、悟られた後、説法だけで一生を終わられたが、みかけは人に法を説いていたように見えるが、実は一人称としての自己をただ生きておられたのではないのか。わざわざ中国へ来られた達磨も同じ。9年ただただ坐られただけ。このように、事実としての社会性とは、自分の人生を“徹底した一人称”で生きることの別名であり、徹底した一人称の生きる姿勢抜きに、活動の内容だけで社会性を求めても、事実としての社会性からは遠ざかるだけ。
A     事実としての社会性とは、達磨の例に典型的に見られるように、ただただ坐ることで、それが6代後に華開くような社会性であり、達磨存命の間は、その行為は、単なる世捨て人としてしか人の目には映らなかった、それこそが仏教でいう社会性。

B     @から見ても、Aから見ても、事実としての社会性とは、概念・抽象化つまり頭が、考えている“社会性”とは全く違うものである。

C     敢えて「人類や社会」と「存在の真実」、及び「概念としての社会性」と「事実としての社会性」のそれぞれの関係を例で示すとすれば、それは、丁度「映画」と「フイルムのコマ」の関係に似ている。映画は確かに存在するまた手に汗握り、涙するものである。しかし本当に存在しているのは、一つ一つのコマ以外にはない。 小さい頃何枚もの紙に連続した絵を描いて、パラ・パラ・パラとめくることで、まるで動いているように見える遊びがあったが、「人類や社会」、「概念としての社会性」とはそのように約束事としてのみ存在している社会性であり、「存在の真実」「事実としての社会性」は、一枚一枚の紙そのもの以外には無い!

 「朝露のごとし」と言って秀吉は死んだという。確かに、一生全体が「一こまのフイルム・一枚の紙」といえるかも知れない、しかし事実としては、生きていた瞬間瞬間それぞれが、朝露であった筈である。かつ もしその瞬間瞬間を朝露と見るとすれば、それはやはり第三者的に“露“を見ているつまり概念化に過ぎない。事実としての露は、比較を許さない、時間を超え他の時間とは比較を許さない断絶した宇宙開闢以来の二度と出会うことのできない実在であったはずである。今のこの瞬間以外に事実としての存在はあり得ない?

「存在の真実」と言う言葉を使っていましたが、「事実としての存在」の方が、ピタッとくるように思いますので、今後は、この言葉を使わせて頂きます。

U 説明

1.何故、釈尊は、悟った後、王様に戻り、政治力で人民を救済されなかったのでしょうか?

「吾と有情同時成道」「三界は悉くこれ吾が有なり、その中の衆生は皆これ吾が子なり」と、社会性に欠けるどころか、究極の社会性ともいうべき慈悲心の塊であった方が、何故、悟った後すぐ涅槃を願われたのでしょうか?

何故、王様に戻り政治力で人民の救済にあたられなかったのでしょうか?

何故 自分の国が他国に滅ぼされ、国民が抹殺されるのを“放置“されたのでしょうか?

同じく、達磨は、“悟った“あとに中国へこられた筈なのに、何故、死ぬまで面壁されたのでしょうか? 何故、武帝なりの権力者を諭して大きな力で人民の救済に当たる道ではなく、ただただ坐る道を選ばれたのでしょうか?

お二人とも王家の生まれです。政治的・社会的センスに欠けていたとは思えません。

ここで思い出すのが、祥龍寺のオッさん(菅宗信和尚)が、フッとこう言った言葉です。「世界中を羊の皮で敷けないから、自分の足に履くのや、ヨッソ(祥龍寺での私の呼び名です)」オッさんの口からこんな言葉が出るとは実に意外でした。あのオッさんが、自分の問題さえ解決したらエエねん、モノは思いようやと、利己主義的な意味や精神論的におっしゃったとは到底思えません。「なんとされようと、かんとされようと、なんともない自分をつくれ」としょっちゅうおっしゃっていましたが、決して社会貢献できる人間になれとは一言もおっしゃいませんでした。でもご本人は、肝臓など人一倍健康に問題を抱えながら、困った子がいたら、それこそ吾が子のように面倒を見るという感じの人で、決して自分の問題が解決したらエエねんといった風には見えませんでした。何故、オッさんはこの言葉を言われたのでしょうか・・・・・?

仏教の原点は、全てに恵まれきった王子様が出家された点にあると思います。つまり倫理荒廃や自殺などのその時代時代特有の問題がたとえ全て解決したとしても、権力と富で自分が抱える一切の問題が解決できたとしても、どうしても最後まで残る問題があるゾ!というこの直感が、釈尊の出家の動機であり、かつ悟られた後の仏の教えの全てなのではないでしょうか? 一見極めて“個人的な動機”に見えます。事実王子として悩んでおられた時には、釈尊には個人的な関心しかなかったのかも知れません。しかしその個人的関心が一定以上の深さに達したとき、それは普遍的な関心へと転換していました。その意味でいえば、出家された時に、既に悟りの内容が出来上がっていたといえるように思います。

“悟った”後の釈尊の言葉を聞く限り、また釈尊・達磨の“悟った”後の行動を、見る限り、釈尊が悟られ・そして達磨が受け継がれた教えは、いわゆる社会的・政治的な方法とは無縁のものでありました。まわりから見ていると他の人に教えを説いておられるように見えても、本当は、釈尊はただ説教することで、達磨はただ座ることで、自分の命をただただ輝かせておられただけではないのかと私は思います。

祥龍寺のオッさんが言われたその羊の皮の靴とは、「三界は悉くこれ吾が有なり、その中の衆生は皆これ吾が子なり」という靴ではなかったかと今にして思います。それは実は、「羊の皮を世界に敷くこと(これを“社会性”と名づけることができると思いますが)など元来出来る話ではないのだ、自分が足につける外に道はないのだ!この事実に気付いてくれ!」という、オッさんの切実な叫びだったのではないかと今私は思います。

 2.釈尊が、坐禅で得られた“事実としての存在”という名のリンゴの味とは、般若心経でいえば、「色即是空・空即是色」で表現されている事柄だと考えます。そしてその“事実としての存在“を、頭で理解しただけで満足してしまわないように、道元禅師は、正法眼蔵 摩訶般若波羅蜜を著され、親切にも、「色即是空・空即是色」に続けて「空是空・色是色」と説かれたものと理解しております。

学生時代から愛読していました山田無文老師の「坐禅和讃」の言葉で説明を試みさせて頂きます。

 @ 無文老師は、P250で、盤珪禅師の言葉を引用しておられます。

「おのおの方が、今日集まらしゃったのは、身どもの話を聞くためじゃ。じゃから、身どもの話が耳に入るのはあたりまえじゃ。いま外で犬がワンとないても、今日この寺へ、犬の鳴き声をききにきた人は一人もなかろ。それでもみなワンと聞くじゃろがな。聞こうと思わいでも、聞こうと努力せんでも。犬が鳴けば、じきに間髪いれず、ワンと聞く。それが仏性じゃ」 

その言葉を受けて、無文老師は、「人間の本性は、実は何もないのだとわかることが、“自性すなわち無性にて”と撤することが禅の悟りである」と続けられています。これが 色即是空の中身ではないかと思います。

A そして同じページの冒頭に、「いかなるか是れ仏法的々の大意」とお尋ねになった臨済禅師を、黄檗禅師が20回を都合3回、合計60回棒でなぐられたという故事を引いた後、無文老師は次のように書いておられます。

まことに仏法はたわいもないものであります。暑いと感じ、寒いと感じ、赤いと観、青いと観、ドンと聞き、ゴーンと聞く、われわれの意識そのもののほかに、仏もなければ、真実の自己もないのであります」これが、空即是色であると思います。

B 大切なのは盤珪禅師も無文老師も、決して精神論やものの見方をおっしゃっているのではないということです。坐禅で得たリンゴ(悟り)の味を説明しておられるのだということです。坐禅で気付かれた“事実としての存在”の中身を説明しておられるということです。

その中身とは、「色即是空・空即是色」―頭で考える限りは矛盾する2つのことが、実は一つのことだったのだ、事実としての存在は、頭が分別して区別した姿ではなく、全て、不二・一如として存在していたのだ!ということであると思います。

道元禅師が、”色是色・空是空“とおっしゃっておられたのは、折角坐禅で得たリンゴ(事実としての存在)の味である“色即是空、空即是色”を、またまた概念にしてしまわないようにとの親切心であろうと想像します。

4.理屈はそうとして、それでは、“坐禅”と“事実としての存在という名のリンゴの味”とは、一体どんな関係にあるのでしょうか?祥龍寺のオッさんは、日ごろから「まくらの上でもいい、とにかく5分でもいい10分でもいい毎日坐禅せよ!牛の歩みのよし遅くともと言うではないか!」と口癖のようにおっしゃっていましたが、私の話を聞いたとしたらあの世のオッさんは、どんな顔をするだろうか・・・オッさんの顔をまぶたに思い浮べながら、群盲触象よろしく大胆不敵にも、釈尊が悟られた瞬間の実況中継を試みたいと思います。

@「無心になろうとしても、思いはドンドン勝手に浮んでくる。―しかし放っておくと思いは、勝手に消えていく―でもまた別の思いが、浮んでくる―放っておくと消える・・・」坐禅とはこの繰り返しを体験できる姿勢である

:無文老師 坐禅和讃 P329真っ青な青空それは無数の微塵の重積、自分と思っている中身も、それと同じで、“記憶と経験という塵”のかたまり」という主旨のことを述べられています。オレの中身と思っている思いの中身は その程度のもの、このことがよく分かる姿勢が坐禅の姿勢だと思います。

:無文老師が、盤珪禅師の言葉「聞こうと思わいでも、聞こうと努力せんでも。犬が鳴けば、じきに間髪いれず、ワンと聞く。それが仏性じゃ」を引用して、「人間の本性は、実は何もないのだとわかることが、“自性すなわち無性にて”と撤することが禅の悟りである」と続けられたのは、“記憶と経験という塵”が人間の本体ではない!そんな記憶と経験を超えたというか記憶と経験を産み出している命そのものが、人間の本体なのだ!(頭は確かに大切だが、人間は、頭の一部ではない。頭こそが人間の一部なのだ!)ということを言われているのではないでしょうか。

:つまりは、坐禅は、「思いを思わせている思いを超えた生命」の中にただ ただ身を浸すことであり、釈尊は、坐禅をすることで、“リンゴ”には、色即是空の味わいがあると気付かれたのではないでしょうか。

A 坐禅していて、思いを手放し、思いを超える力に身を浸していてもそれでも、犬の声も聞こえ、車の音が聞こえ、空気の流れを感じ・・あらゆるものとの出合いがある。坐禅をしていればこそ、猫ではなく犬であり、電車ではなく車であり、水でなく風であると分別して名づける前のそのモノそのものを体験することが可能となる。自分が気付いても・気付かなくとも、犬の鳴き声・車の音・風・・坐禅中に出会う全てのものが、黄檗禅師に代わって「これがオマエだ!これがオマエだ!」と60棒どころか、百千万棒教えてくれている。聞こえる犬の鳴き声・車の音、肌に感じる空気の流れ・・・分別で名づける前のそのモノの体験こそが事実としてのオマエの中身であり、それ以外は、オマエでなくオマエの頭が描いた概念のオマエに過ぎないのだと。と体験させてくれる。

:無文老師は、ここのところを、「まことに仏法はたわいもないものであります。暑いと感じ、寒いと感じ、赤いと観、青いと観、ドンと聞き、ゴーンと聞く、われわれの意識そのものほかに、仏もなければ、真実の自己もないのであります」と、“意識そのもの“との言葉を使われたのは、このことではないかと思います。つまり 思い(意識)によって、“良い悪い”“オレ・オマエ”などと分ける前の意識を“意識そのもの”と言われたのだと思います。

:“聞こえる犬の鳴き声・車の音、肌に感じる空気の流れ・・・それを分別でわける前のそれそのものの体験こそが自分(の正体)であり、その体験は、リンゴの味同様、お互いに交換のしようのない自分だけのものです。つまり、坐禅とは、「自分だけの体験の世界」にただただ身を浸すことであり、釈尊は、坐禅を通じて、“リンゴ”には、空即是色という味わいがあると気付かれたのではないでしょうか。

B 釈尊が坐禅で得られた“存在の真実”あるいは“事実としての存在”というリンゴの味は、極めてシンプルなものでありました。

オマエが出会っている人・モノ、それは誰とも共有できないオマエだけの世界なのだ!オマエの出会っている人・モノこそがオマエの命の中身・人生の中身なのだ!オマエの命なのだから、オマエの人生なのだから、出会うモノ・事・人を、全て大切にせよ!貪るな!盗るな!殺すな!騙すな!!・・・・たったこれだけのことだったのです。

たとえ無学文盲の釈尊の時代のインドの人でも、誰でも釈尊の教えが分かった根本的原因は、この単純さにあったと思います。そして同時に今の知性豊かな現代人に釈尊の教えが却って分かり難い原因も、この単純さにあるように思います。

C 全て命あるモノは、自分だけの世界を持ちお互い断絶しているなんてなんと不思議な命でしょうか。しかも全てがそれぞれ自分だけの世界を持っているナガラ、ナノニそれらが全て同じ命を共有して大きな命を生きているとなるともう想像のしようもありません。でも自分に近い人ほどお互いの理解が難しいのは(私だけかも知れませんが)奥様で日常的に経験されているのではないでしょうか!ナノニ DNAレベルでみた場合、リンゴも食べる私も、家内も、全ての命は同じ一つの世界(宇宙・命)を生きており、遡れば全てたった一つのクオークだったことも確かのようです。

D われわれは、日々間違いなく“社会の中”で生きています。

オッさんが、とにかく5分でも10分でも、坐禅を続けよと言われた真意は、社会なんてそんなもん人間が産み出したただの幻想の世界だよ!毎日毎日坐禅して、少しずつでも、自分の本当の姿、存在の事実・事実としての世界に馴染むようにしろ!ということだったんだと今思います。

4.     釈尊の悟られた事実としての存在―「色即是空、空即是色」を概念化してしまわないように、道元禅師がおっしゃった「色是色・空是空」の生き方とはどんな生き方なのでしょうか?「抽象概念の実在化」と「一人称・二人称・三人称」いう2つの視点から、説明を試みます。

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[抽象概念の実在化]

釈尊が説き達磨が引き継いで来たものは、「抽象概念を実在化」(して生きている日常生活・成立している社会)の徹底的否定だと、道元禅師はおっしゃっておられるのだと思います。

 @本当に具体的なものは実は自分だけのものなのだ!それが証拠に、「事実として存在するのは、リンゴ一般ではなく、個別・具体的なリンゴのみ」「味といっても、リンゴ一般の味はどこにも存在しない、事実として存在するのは、この自分が、今味わっているリンゴの味だけ!自分が経験した味を、人と共有することは勿論伝えることは不可能!」・・これだけのことが坐禅の中身であり(リンゴ・リンゴとややこしいですが)、「人間が生きるには抽象概念も必要だし社会なくして生きれない、しかし概念や社会が生命そのものではあり得ない!」という「事実としての存在」の味わいの中身ではないかと私は思っております。

A「抽象概念は、具体的には、どこにも存在していない。頭の世界だけの存在に過ぎない」「地球に60億人いてると言うのも、あれは抽象概念に過ぎず、本当にいてるのは一人だけ。その一人とは自分一人であり、アナタ一人であり、コナタ一人であり、全てが、他とは断絶した自分だけの世界を生きており、足し算ナンゾ土台不可能な世界を生きている!」、ナノニ「自分もアナタもコナタも、あらゆる全ての存在は、一つの大きな力の表われ(稲葉先生の言葉を借りれば、現象形態?)に過ぎないのです!」と気付くことが、万物の“事実としての存在のあり方”であり、それを今・ここで実現し続けていくことが、自分の“事実としての存在のあり方”である。この辺を強調するために道元禅師は、冒頭の言葉を説かれたのだと、私は想像しております。(クドクてスミマセン。まだまだクドクなりますが、しばらくご辛抱下さい)

   [一人称・二人称・三人称]

釈尊が説き達磨が引き継いで来たものは、「一人称に撤して生きよ」ということだと、道元禅師はいおうとしておられるのだと思います!

@「五体不満足」の著者は、なぜあんなに活気に満ちているのでしょうか?

あの人は、何故あんなに、われわれ五体満足な人間よりも、はるかに明るく・元気になのでしょうか?

三人称として受け止めれば、気の毒で目もあてられない状態のはずです。
二人称として受け止めれば(もし自分の子どもであれば)、後悔と悔悟と恨みの地獄を日々さまようことでしょう。

彼は、五体不満足を他と比較せずに、むしろ自分の個性としてとらえているからあんなに元気なのではないでしょうか。そうです、誰でも、一人称に撤して生きれば、日々は好日になるはずです!

A 実は、われわれも、一人称の“極み”を、既に体験済みです。それは「生誕」です。

三人称の生誕:母親の苦しみ、生まれでた赤ん坊の苦悩に満ちた顔その大変さと両親の喜びは心から共感できます
二人称の生誕:それが吾が子となれば、一生の思い出となります

一人称の生誕:母親の体から自分が生まれ出る時に、もっと男前に生まれたいとか、もっと金持ちの家に生まれたいと文句を言った人は勿論いないと思います。全ての人は、ただただ「命の営み」に任せて生まれてきたはずです。これこそが一人称の生き方の極みなのではないでしょうか!達磨がインドから中国へ何ヶ月もの航海を乗り越えてやってきたのは何故?有名な公案「祖師西来意」の答えは、自分の生誕体験の中にあったのではないでしょうか!

B 実は、われわれは、誰でもが一人称の生き方を、毎年体験しています。

正月特に元旦は、昔ほどではありませんが、やはりすがすがしさを感じるものです。それは何故でしょうか?主な理由は次の2つだと思います。

−今日の日を、昨日の続きとしてみない、過去と断絶してみている
−「正月くらいはエエやろ!」と、家内や子どもや他人のこと、全てのことを、大目に見る(自分と他人との垣根が低くなり、良し悪しの眼鏡を通してものを見ていない)

この今を、一切の過去と断絶し、一切の他人との垣根を低くし、評価の色眼鏡を外せば、つまり一人称として撤して生きれば、毎日が正月になるのではないでしょうか!

実は、そのような生き方こそが、本来の自分の姿なのではないのでしょうか!

C いよいよもって、変なことをいうヤツだと思われるかも知れませんが、一人称の私は、絶対に死にません

 三人称の死:たとえば寅さんをしていた俳優が死んだ。これは明確に死を死として受け止めることが出来ます。

二人称の死:たとえば5年前に死んだオフクロ。死に行く姿は今でも目に浮びます。しかし今でも、どこからかフッとまた出てくるような感じがして、オフクロが、死んだとの実感は、今もってあると言い切る自信はありません。

一人称の死:これとなると誰も経験することは出来ません。つまり死んだ時は、本人は、既に死者であり、生きている時は、また死者でないからです。つまり、一人称の死は、頭の中では存在しても、現実には存在し得ないのです。現成公案の「灰と薪」ではありませんが、傍観者としてつまり二人称あるいは三人称で見るから、薪が灰になるように見えるのです!一人称としては、薪は薪、灰は灰なのです。生は生以外にあり得ず、死ぬということはないのです!一人称に撤すれば、自分は死なないのです!

5.道元禅師の「色是色・空是空」というお言葉は、釈尊が生誕の時に語られた言葉「天上天下唯我独尊」、お亡くなりになる直前に語られた「自帰依・法帰依・不他帰依」の言い換えに過ぎないと思います。釈尊も道元禅師も、社会の一員とか、社会性といったことは、「抽象概念の実在化」に過ぎず、実は頭の創りものであり、あくまで、オレは、一人称のオレを生きている!ということこそ“事実としての存在“のあり方なのだと坐禅で得られたリンゴの味を表現されているのではないでしょうか!

@ 釈尊は、亡くなるその直前まで、三人称としてでなく、ニ人称でなく、一人称として生きよと、説き続けられたのではないでしょうか!「天上天下唯我独尊」も「自帰依・法帰依・不他帰依」も、ニ人称や三人称として聞けば本当に訳のわからない言葉となってしまいます。

A 一人称に撤した時、ニ人称の世界も消え、三人称の世界も消え、全てが自己の世界となる。ここのところを、「三界は悉くこれ吾が有なりその中の衆生は皆これ吾が子なり」と表現されたのではないでしょうか!

6.私は、ここ5年ほどオンブズマンに始まり各種のNPO活動(高齢者の社会参加・若者の非行予防・知的障害者の法人後見・外国人の自国文化を学ぶ権利の確保・温暖化防止・地域通貨などなど)そして保護司、自治会長、中学校を単位として子どもの安全を地域で守る活動のコーディネーター、市の依頼で10年計画やNPOの支援に関する市民懇談会の会長や委員などとそれこそ縁に従って家内が呆れるほど、地元の活動に積極果敢に取り組んで参りました。

@ そして最近特に強く思うことことがあります。それは、「救済の論理」と「社会変革の論理」は、全く違うということです。勿論その対象が心であれ身であれ、救済を極めて行き、全員が救済されれば、救済される前と比べ社会も大きく変革されているはずです。社会変革が成功するということは、多くの人が救済されていることでなければなりません。しかし 市民活動に携わる人の思考形態にも、方法論にも、どちらを目指すかで大きな違いを感じます。

A こういうたとえ話があります。
ある大きな河に赤ん坊が一人流されて来た。そこで思わずその赤ん坊を助け上げた。今度は3人流されてきた、そこでその辺の人に呼びかけてまた助け上げた。そして次は10人流されてきた。そして数人の人と助け上げた。・・・・そして50人流されて来た・・・・

目の前で河に流されている赤ん坊を助ける勿論これは何を置いてもすべきことです。しかし同時に何故赤ん坊が流されてくるのか、その原因に思いを致すことも大切です。前者が救済の論理、後者が社会変革の論理ということができると思います。社会変革の論理では目の前の人は救えません、しかし困っている人の救済活動の単なる繰り返しでは、社会変革から言えば百年河清を待つこととなるでしょう。救済の論理に、理屈は勿論不要、場合によっては法律も邪魔なのです、でも社会の変革には、思想とか論理とか法律特に憲法や(地方の憲法ともいえる)条例の活用が、不可欠なのです。

B 釈尊と達磨の路線は、限りなく前者に近いものだと思います。しかもその救済は、目の前の赤ん坊ではなく、100年先の赤ん坊を念頭において行われます(釈尊・達磨には、他人を救済するという気持ちは微塵もなかったと思いますが)。

釈尊の個人的な悩みが、その深さがある一定以上の深さに達したとき(つまり、徹底した一人称にまで深まったとき)、“おのずと“普遍性を得たように、達磨が九年ただただ面壁したことが(つまり、徹底した一人称に深まったとき)、おのずと“六代目で中国全土で事実としての存在の教えが華開いたように、”今・ここ・自分の行い“の中にこそ、釈尊が説き、達磨が引き継いできた“事実としての社会性”があるのではないでしょうか

C 私は家で(HPにも書いていますが)、家内からは「ドーナツ化現象」と言われています。家の外では、充実した生活をしているが、家の中では、実に中身はカラッポ、口は偉いけど何も出来ていないという意味かと思います。

ドーナツと言われるそんな私がいうのもおかしいですが、環境問題にしても障害者の問題にしても、子どもの問題にしても、活動するということは、実はこのオノレ自身が、オノレ自身のドーナツの中心部を問う行為だと思います。日々の生活が問われます。今この瞬時における選択が問われます。それを思うと穴があれば入りたい気持ちにかられますが、社会的活動とは、社会性を持つということは、行き着くところは、他人のではなく自分の意識を問うことなのです。これはどんなに小さな活動をしていてもいつもぶつかる壁です。ナラバ 一見近回りに見える社会性からスタートする問題解決こそが実は遠回りで、一見遠回りに見える「事実としての存在」のあり方から迫る一人称に撤した生きりという問題解決の方が、実は近回りなのかも知れません・・・・

D またドーナツと言われるそんな私だからいえるのですが、世のため人のためと言いますが、本心から人のためでしょうか?自分の人生を単に意味の有るものにしたい・自己満足を得たいだけなのではないでしょうか?社会や困った人を“自分の外“において活動していて、それで釈尊の教えを云々するのでは釈尊も片腹痛いのではないでしょうか?

 あの大震災やイラクなどで実証されているように今やNPO・NGOと言いますか、市民活動抜きには日本と世界の将来はないと確信しています。釈尊の教えを守りつづけるために檀家も持たず葬式仏教にも縁の遠い和尚やお寺があればそれは本当に素晴らしいNPOだと思います。100年先の日本と世界にとって不可欠の存在です。ぜひ市民で支えていくべきものと思います。しかし、果たして、釈尊の遺産を食い潰しているだけの坊主(失礼)や寺が、自分の職場を守るために、釈尊の名を借りて社会的と称してして行っている活動であれば、それに加担する必要はどこにもありません!本当に釈尊の味わったリンゴの味を後世に伝えることを目的としているのか、それとも自分達の“業界“の発展が目的なのかわれわれの見る眼が問われているのではないでしょうか!葬式仏教や職業坊主を見抜く目、その存在を許さない熱い思いこそ、般若団OBの真髄ではないでしょうか!

現代の社会が抱える課題は、いわばわれわれ定年退職世代が、間接・直接にその原因となってきた問題であることは否定のしようがありません。われわれ定年退職者が、自分の住む地域の課題への取組み、憲法や教育基本法の改正の問題を学び・行動し、同時に、これから“初めて社会人となる”団塊の世代の人々の活動の場を創っておくことは、ある意味われわれの当然の責務といえるのではないでしょうか!釈尊が何とおっしゃろうと仏教界が行動しようがしまいがそれとは関係なく自分がすべきことはすべきではないでしょうか!

NPOとしての寺を支えるにしても、自分が社会的課題に取り組むにしても結局は、対象を外に置かないで、“今・ここで、自分”を、ただ生きる以外に道はないのではないでしょうか。「無関係」という言葉で、実はこの辺のことを、言おうとしていたのかも知れません・・・と 調子に乗って書いている内に、あの世のオッさんの顔がだんだんと呆れ顔へと変わってきたように思います。慌てて筆を置くことと致します。

妄言・暴言の数々何卒お詫び申しますとともに、頭の整理をする機会を頂いた先輩とそのきっかけと作ってくれた宮坂さん、有難うございました。 

         山内 庸行拝 ‘05年3月21日

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追記「“存在の真実”とは“無常・無我”を念頭においているのか?」とのご指摘につい

:無文老師は、「坐禅和讃」P330で、盤珪禅師の言葉を引用しておられます。

嫁が憎いの、姑が憎いのと、よくいわっしゃるが、嫁が憎いのではないぞ、姑が憎いのではないぞ、・・・記憶が憎いのじゃ・・・

盤珪禅師が、単にいわゆるの精神論というか、何でもものごとは、心のもち方一つとかいうことをおっしゃっているのではないと思います。思いがあると思っているそのことが、実は幻想なのだ!無常にして無我こそが、事実としての存在のあり方なのだ!とおっしゃってるのだと思います。これこそが、盤珪禅師が得られそして無文老師が、受け継がれた“事実としての存在”というリンゴの味の中身だと思います。

:無常だからこそ、“日々は、本来的に、新たなものであり”、無我だからこそ、全ての人は、本来的に、違いのままに、その人らしく自由自在に生きることが出来る”のだと思います。無常無我だからこそ、天地開闢以来のたった一つの命が輝くのだと思います。

:つまり 無常・無我を意識して“存在の真実”という言葉を使ったわけではありませんが、無常・無我は“色即是空”であり、“諸法実相”が“空即是色”であろうかと考えております。“事実としての存在のありかた”というリンゴの味の表現であることは同じだと思います。

追記 社会問題の解決は・・釈尊の“悟り“”教え“とは無関係に必要なことであり、何も釈尊の”悟り”“教え”を借りるまでもなく、“世俗の原理”で十分可能である。について

:私は、福祉の大原則であり、いまや、まちづくりの原点ともなっています「ノーマライゼーション(違いをそのままに、全ての人がその人らしく生き、自然も含め全ての命が、その営みをまっとうできるという理念)」と「補完の原理(自分のことは自分でする・出来ないことは家族で助け合う・それで出来なければ隣近所で・出来なければ地域で・出来なければ行政で・・・という行動原理)」の2つが、われわれが頼り得る“世俗の原理”であろうとほぼ確信しています。

:「一人称」との関係で言えば

 「補完の原理」とは、一人でできることは一人で、できないことは家庭・地域・・・ということですが、「補完の原理」とは、地域の問題を、一人称としてとらえることだといえると言い換えることができます。たとえば地域で何か問題(例 学校が襲われたなど)が発生した場合。たとえ自分の子どもが通っていなくても、自分の地域で起こった問題を自分の問題としてとらえることができる人を増やしていく、これが社会活動の基本だと思います。私は、そのような地域を「自立した地域」、そのような人を「地域レベルで自立した人」と名づけたいと思います。昨年でしたか、イラクでNGOの人が人質になり、「自己責任問題」が、盛んに語られました(政府は、「お上のいうことを聞かない人は守らないよ!」ということを言いたいが為に、「自己責任」の大義を利用したに過ぎませんが)、あの方々は、それこそ「地球レベルで自立した人」であり、他国の問題を一人称としてとらえ、地球レベルで「補完の原理」を実践された方々ではないかと思っています。

そしてそのような人が増えたとき、始めて、日本は国際社会の一員となり、地球は、「宇宙の中で自立可能な地球」になるのだと思っています。

  「社会活動」が、「いつか・どこかで・誰かが」でなく「今・ここで・自分が」でなければならない。このことが、社会活動の原点であることは、異論を持つ方は少ないと思います。これこそが、「社会活動」は、実は、本質的には、一人称としての活動であることの証左ではないでしょうか!一人称に撤しない限り、感動と共鳴は生まれません!社会活動の広がりと継続は不可能です!

:「ノーマライゼーション」との関係:

「ノーマライゼーション」とは、言い換えると「スミレはスミレ、バラはバラ」ということであります。他人との比較は絶しているということであります。厳密に一人称で言えば、スミレなど一般名称の存在はあり得ません!あるのは一本の、このオレという他との比較・抽象化を許さない、スミレともバラとも抽象化される前の生々しい存在であるということであります。やはりこの点から言っても、一人称に撤することこそが社会活動の原点であり、最終目標であろうかと思います。

:「補完の原理」が「皆これ吾が子」に、「ノ―マライゼーション」が「天上天下唯我独尊」に、一歩でも、半歩でも、少しでも、近づくような活動をしたいものと、念願して止み止みません。

:ところで 今日本の国が、大きな問題を抱えていることは、先輩のご心配の通りです。全くの余談ですが 社会変革の観点での私の考えを簡潔に整理させて頂きます。

まず現代社会の問題を次の4点に整理しております

@       命のレベル

   人の営みが、自然浄化力を超える段階に来ています。われわれが、死ぬまでに多分十分  にその影響を実感できる程度の速度で環境破壊の問題は進行していると感じます

A       国レベル

   憲法改正、教育基本法改正、情報や国防に関する各種法律、国歌・国旗の強制などなど  アレヨアレヨという間に 自民党の意のままに日本は、変えられようとしています

B      
地方レベル

   2000年の地方分権一括法にみられますように、今までの通達方式の地方自治が大きく地  方の裁量が増える方向へと転換しています(国に金がなくなってきただけですが)これ  はある意味歓迎すべき流れですが、今までは通達ですから一応その内容は安心できまし  たが、今後は地方の一部の人の利害で大きく影響を受ける可能性が出てきたことをも意  味しています。

C       地域レベル

   人と人との人間的ふれ合いがなくなりつつあります。向う三軒両隣より広い校区単位く  らいの小さな範囲での人間関係の復活が急務と思います。その復活無しに、@ABの問  題の解決はありえません。

今次のような行動が必要かつ可能かと思います。

@ 命のレベル

    京都議定書の発効を機会に、官民企業あげて環境問題に取り組む

A 国レベルでも地方レベル

  *国民・市民としての発言と行動を積極化していく

   具体的には 投書をする、政権を交代させるために出来る事は全てする(悪いのは自民  党そのものではなく、政権交代がないということだと思います)、自分の住んでいる町  の役所にひんぱんに出かけ・議会も傍聴し、審議会・委員会に積極的に参加し、とにか  く市民の目と声を直接役所や議員に聞かせるそしてその活動の輪を広げていく

  この時活動の根拠は、国でいえば憲法(主権在民)と地方レベルでは住民自治法と地方  の憲法たる条例の制定と活用です。 *でもしぶとい自民党はなかなか変わらないでし  ょう。地方も旧態依然が続く可能性が非常に高いと思います。

 やはり 日本の中で、国や地方政府を飛ばして、各地方の市民同士たネツトワークで手をつ なぎ 同時に その地方と地方が、国際レベルで他の国の地方と直接連携し、国内の草の 根の力と、海外の両方から国と地方政府に圧力を加えていくことが同時に必要です。

 この時活動の根拠・連携のコアーとなるのは、日本が既に批准している国際条約です(法 的位置付けは、憲法の次、法律の上だそうです。日本は条約を批准しながら遵守しないと いう点で極めて先進国の中ではかなりシブトイというか 国民を舐め切った国として有名 だそうです)    

  *とにかく国民あるいは市民としての“当事者意識”つまり“一人称としての意識”が   、今われわれは、求められています。 

B 地域レベル

 たとえば地域通貨の発行などで、お互いの助け合い・支えあいの再生が絶対に必要です。これが全ての基礎です。「地域の問題を自分の問題と思える“徹底した一人称的生き方”」が、ここでも問われています。   そして先輩のように介護の親を抱えておられる方・現役の方で昼の仕事が忙しい方など、昼間の外出などままならない方は、国や住んでいる役所にHPなりで意見をドンドンおっしゃることが大切と思います。また 役所には 懇談会や審議会などを、電子会議でするよう、そこへ公募市民をメール参加させるように働きかけていく必要があると思います。地球レベルでも国政レベルでも地方レベルでも市民参加が、今一番求められているように思います。

私は縁あって、学生時代には、祥龍寺の宗信和尚の人と無文老師の本に出合い、還暦を迎えるころには、耕雲庵の宗則師の人と内山老師の本に出会うことができました。感謝を超え不思議をすら感じております。(ときどき、宗則師は、ひょっとすると宗信和尚の生まれ変りではなかろうかと、思うことがあります・・・・。)

先輩のご下問を考える過程で、お陰様で、今までの道筋が、自分なりに、少し整理できたような感じがします・・・

.「世界中を羊の皮で敷けないから、自分の足に履くのや、ヨッソ」や「なんとされよーと、かんとされよーと、なんともない自分をつくれ」は、決して独り善がりのススメではなく、決していわゆるの坊主の説く精神論でもない。かつ、決して坐禅をして・修行をしてそうなるのでなく、自分が、全ての人が、全ての命が、事実としてそのように生まれ・そのように日々存在している。釈尊の「天上天下唯我独尊」というリンゴの味を、宗信和尚は、こう自分の味わいを表現されたのだ。

2.確かに、坐禅が、自分が・全ての人が・全ての生命が、事実としてはそのように生まれ・生きていることを明確に気付かせてくれる姿勢である。その限りにおいて、“悟り”は有るともいえる。しかし “悟ったら後は悟りの境涯”ということは間違ってもありえない。修証は刻々一如として、行じらればねならないものである。なぜならば

 @      刻々が断絶したものである限り、今以外に実在がない限り今の悟りは、次の今には既   に過去のものとなっており、今の今にはもう既に存在しない。あるとすれば、頭の中だ  け。故に、今・今・・・事実としての“悟り”は刻々新たに生み出されてなければなら  ない。

 A       つまり“悟り”とは、つまり、いわば自分の人生の方向が、“主客分離”から“主客  一如”、“分別”から“不二”へと180度転換しただけに過ぎない。つまり、自分が今  立っている場所は、悟る前と何も変わっていない。ただ体の向きが変わっただけ。従っ  て、”悟“って転換した人生の方向へと向けて、自分が一歩踏み出さない限り、”悟り  “は、頭の中から抜け出ることは出来ない。つまり悟り(証)は、刻々一如として行(  修)じられなければならない。

3.内山老師は、

   1については  「落ちこぼれようも無く、求めようも無い」と

  2については

「見渡す限り自己である自己が、見渡す限り自己である自己に安らぐ、いのち落ち着きの深さ。見渡す限り自己である自己が、見渡す限り自己である自己に進む、いのち生き甲斐の深さ」と、前半部分で、方向転換した時の心の安らぎを、後半部分で、その転換を行動として刻々一歩踏み出すことの喜びを説かれたのだと思います。そして老師は、「出会うところわが命」とその2つを一言で表現されたのだと思います。

社会とか他人とかいうのは実は単なる抽象概念の現実化・約束事に過ぎず、事実としては、自分は、常に一人称で生きているのだと“悟る”つまり、概念・比較の方に向いている自分の人生態度を、事実の世界に転換出来たとき、お会いしたこともない達磨に、そしてあの懐かしい祥龍寺のオッさんの姿が、ボヤッと見えたときであり、そして、その方向に向って一歩半歩自分を深めることが出来たそのとき、達磨に、そして祥龍寺のオッさんに、出会うことが出来るものと確信しておりもうさう。(“温故知新を達磨まで遡る“はHPで書きました私の4つのミッションの一つでもあります)

これでオシマイです。

今思い出しましたが、先輩が“不戯論”のことを書いておられましたね・・・

気付いてみますと私がしてきたことは “戯論(抽象概念の実在化・ものごとを二人称・三人称ではとらえること その典型は自分の外に社会を置いて社会の一員として自分をとらえること)は、いかん・絶対駄目ということが、釈尊の教えであったと、ナガナガと戯論してきた”ことになるのだと思います。

釈尊の最後の説教「八大人覚」のその最後が「不戯論」であったこと、道元禅師の最後の提唱がまた「不戯論」であったことを考えますと何とも示唆的な出来事のように感じざるを得ません。

多分 仏の教えは 釈尊存命時にも 戎の励行などのレベルでは、かなり広く民衆に浸透したものの戎の底にある、釈尊の発見:「“命あるものは生まれた時から、徹底した一人称である“という“事実としての存在のあり方”」は、なかなか理解されなかったのだろうなぁと想像をめぐらしています・・・

そう言えば、道元禅師に限らず、宗信和尚の言葉も 盤珪禅師の言葉も 無文老師の言葉も、内山老師の言葉も、祖師方が発せられた言葉は全て、“不戯論”の言い換えではなかったのではないだろうか・・・

釈尊が、悟られそして説いてこられた中身は、お生まれになった時(天上天下唯我独尊)から死ぬまで(自帰依・法帰依・不他帰依)、実は、不戯論のみではなかったか・・・

それほど、事実としての存在という当たり前の自分のありかたは、いつの時代でもなかなか、理解し難いものなのだのではなかろうか・・・・・

社会的活動であれ、日常の私生活であれ、とにかく、ただただ 達磨の面壁、道元の只管打坐をする以外には、方法は無いのだということなのではないのだろうか・・・

長い長い間 お付き合い頂き本当に有難うございました。
目も当てられないジグザグ運転で大変失礼しました

これで本当の本当のオシマイです                      

                          2005.3.20. 山内庸行

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