<寄稿集> 高重啓一氏の寄稿ページ

                                                  ホームページTOPページへ戻る
                                                  寄稿者一覧のページへ

 <目次>
   
   1)津軽33観音巡礼 (その1: 平成18年春)
   2)津軽33観音巡礼 (続 き: 平成18年秋)
   3)最上33観音巡礼   (平成19年春)
   

3)最上33観音巡礼(平成19年5月24日〜31日)    H.19.7.22記        

1日目 1番 若松観音―2番 山寺・千手堂―3番 千手堂―4番 大慈山円応寺

                           宿泊 東横イン山形駅

2日目 5番 唐松観音―6番 平清水観音―7番 岩波観音―8番 六椹(むつくぬぎ)観音

    9番 松尾山観音―10番 上ノ山観音―11番 高松観音

                           宿泊 同上

3日目 12番 長谷堂観音―13番 三河観音―14番 岡観音―15番 落裳(おとも)観音

    16番 長岡観音

                           宿泊 同上

4日目 29番 大石田観音―28番 塩ノ沢観音―27番 深堀観音―26番 川前観音

    24番 上ノ畑観音―23番 六沢観音―22番 延沢観音―25番 尾花沢観音

    30番 丹生観音

                           宿泊 同上

5日目 (午前中半日)

    18番 岩木観音―17番 長登観音

                      宿泊 白布温泉 中屋別館 不動閣


    <5月28日午後〜29日は 大学時代の寮同窓会(白三会)へ合流、30日より巡礼再開>

6日目 19番 黒鳥観音―20番 小松沢観音―21番 五十沢観音

                      宿泊 新庄 ポストホテル

7日目 31番 富沢観音―番外 向町観音―32番 太郎田観音―33番 庭月観音


     新庄発18時03分 「つばさ190号」にて 帰途へつく

 

(感想)

昨年に引き続き今年も春に観音巡礼をすることにした。たまたま白三会(大学時代の白鷺寮の三寮下の同期生の会)の旅行が山形方面となったのに併せて最上を打つこととした。時期は昨年より約一ヶ月遅れで524日にスタートした。

大宮発702分のつばさ173号に乗り、天童に959分着。天童は将棋の駒で有名、駅前に将棋会館がある。1番の若松観音を目指してスタートを切った。「めでためでたの若松さん」と花笠音頭に歌われた寺で山麓にはかっての十二坊の寺が並んでいる。鈴立山を見ながら8キロ、ほぼ2時間の山道であった。境内は山中にあり物音一つしない静けさで裏山から見下ろす展望もすばらしかった。


    
       最上札所 第一番 若松観音                境内裏山からの眺望も素晴らしい


若松さんより2番の山寺まで約14キロ。歩くかどうか迷ったが初日でもあり天童駅に引き返しJRを利用して2番に向かう。しかし連絡便が悪く歩いても時間は変わらなかったようだ。2番の山寺は松尾芭蕉の俳句「静かさや岩にしみ入る蝉の声」でも有名な最上随一の素晴らしい寺である。清和天皇の勅により比叡山の別院として慈覚大師により開かれた。寺の規模は全て比叡山をうつしたもので一時は僧房300あまり、1400石の朱印を持った天台宗東北の名刹として栄えていた。山寺から600メーターほど歩いたところに千手堂がひっそりとたたずんでいる。千手堂を打った後で山寺を見る。根本中堂、山門、芭蕉像など見所が多く時間が足りない。奥の院は途中までで折り返した。残念。
  
              2番 山寺 立石寺本堂                麓の門前町から 岩山上の山寺を望む

山寺駅からJRに乗り羽前千歳駅で降り3番千手堂に向かう。広々とした平地にある小さなお寺だが設立当初より病気平癒祈願などに観音力を発揮したとの事。文化財も多々ある。最寄のバス停より山形交通バスで山形駅方面に向かう。4番円応寺は山形市内の馬見ケ崎川の近くにある小さな寺。堂内には大きな聖観音がある。山形はJRとバス停の場所が別々の事も多く初めての人には分かりにくく、不便である。今回は交通が山形駅中心なのと温泉宿は一人旅が歓迎されないため大学同期の渡辺さん推奨の山形駅前の東横イン山形駅を拠点に往復する事にした。本日の歩行数約35000歩。

525日二日目は山形市の周辺である。5番の唐松観音までは山形駅よりバス便を利用する。バス停より少し歩き、川を渡り森を登ったところに小さな観音堂がある。入り口に花笠音頭の由来を書いた碑がある。ここから方向感覚が狂い、釈迦堂部落を抜け笹谷峠まで歩く、近くの散歩する人に聞くとこの道は仙台へ行く道と言われ、初めて道を反対側に歩いた事に気がつく。再び同じ道を一時間ほど引き返し、3時間かけてやっと6番平清水観音にたどり着く。7番の岩波観音は戸神山を左に見ながら山道を約3キロ登る。奇麗な川が近くを流れていて静かなところ。無論人影も無くバス停で昼食。雨がしょうしょうと降り出した。岩波観音より先ほど来た道を通り越し市内鉄砲町の六くぬぎ観音に向かう。小さなお寺のためか数回聞いて2時間ほどでやっとたどり着く。納札のいっぱい貼られた観音堂である。近所の人らしいおばさんが何事か一心不乱に祈っていた。

再び山形駅に引き返しバスにて
9番に向かう。松尾寺は山形から蔵王に向かう途中にあり、自動車はいずれも観音堂入り口の前を通る。室町時代の建立と思われる古びた建物はひなびた環境とマッチして良い感じ。ここからバス便で上山に向かう。上ノ山観音は上山城の近くにあり、小さいが情緒ある寺である。すぐ近くに温泉もある。ここから徒歩にて高松観音に向かう。ほぼ40分で着く。この寺の開祖は行基菩薩、ご本尊は聖観音である。大きなわらじのある仁王門を入ると観音堂がある。バス停で親切な運転手さんが居ていろいろ話を聞く。この人も全国の観音さんを随分廻ったとの事。秩父は本当に良いとこですねといっていた。バスとJRでホテルに帰る。疲れたため夕食は駅前の「山形田」にて済ます。山形の郷土料理の店だが結構いけた。驚いた事にはこの店の命名は東京のそばや「山形田」より貰ったとの事(そのそばやは同期の森本英紀さんの推奨で板そばを食べた事がある)今日の歩行数48000歩である。

5月26日 三日目 山形駅よりバスに乗り12番長谷堂に向かう。昔は長谷城がありにぎわった部落を通り抜け、急な坂を暫く上ると観音堂に着く。結構厳しい。この長谷城は戦略的な要所にあり、関が原の合戦時に西軍側の上杉軍と東軍側の最上軍が激しく戦った場所で、今は城跡のみであるが道の途中に両軍の顕彰碑が建てられている。13番の三河観音へはここから11キロ、田圃の中に舗装された道が何処までも続いている。青森もそうだったがここ山形も道は殆ど舗装されて奇麗だ。須川の川沿いにある観音にやっとたどり着き、一休みして間食を取る。足まめが痛み出した。

13番から14番岡観音までは9キロ、のどかな道をひたすら歩く。道路わきにはさくらんぼの木が沢山ある。収穫にはまだ早いようだ。今日は天気が良く少し暑い。途中豪農の立派な屋敷があった。14番から15番落とも観音へは約1時間の道のり。最上川平塩橋の手前で道を聞き、おば様からお茶の接待を受ける。この人達も観音様につきかなり詳しい。寒河江駅を過ぎ1キロほど行くと長岡観音がある。中々見つからず何度も人に聞きやっとたどり着く。今持っている地図も10年前の発行で、道路、駅名など変更が多く、苦労する。ここ寒河江は山形県の中心部で昔は幕府の直轄領として代官所が置かれていたとの事。今は城跡のみ残されている小さな町である。寒河江よりJRで山形に帰る。今日は4万9千歩であった。


527日 四日目の今日は順番を代えて、大石田周辺を打つこととした。JR大石田で降りスタートする。今日は朝から小雨が降っている。29番 大石田観音は最上川のほとりに在る。駅からも1キロ程度で近い。大きな仁王門がある。この辺りも松尾芭蕉、歌人の斉藤茂吉ゆかりの土地との事。最上川を初めて渡り、塩ノ沢観音に向かう。田圃の中をどんどん歩いたがそれらしい物が一向にない。雨の中で作業をしている人に聞いたが判らない。やむなく納経所の曹源院にお参りする。最上川に沿って1時間ほど歩いたところに27番深堀観音がある。道路から少し入った杉林の中の小さな観音堂である。静かな環境の中で般若心経を唱える。ここから3キロほど歩くと26番の川前観音に着く。正に最上川のすぐ前にあり小高い境内から眺める最上川の眺めは素晴らしい。日本三大急流の一つに数えられるだけに川幅も広く、流れも速い。暫く川に見とれていた。再び大石田駅に引き返し、駅の近くのそばやで昼食を取る。予想よりはるかに美味いそばであった。銀山温泉行きのバスに乗り、24番上ノ畑観音を打つ。中々風情のある場所にある。丁度法事でにぎわっていた。住職と少し話す。ここから銀山温泉はすぐ近くだが時間の関係で行けない、真に残念。行きたい所、見たいところはあっても回り道は出来ない、それが順礼の旅である。    

23番六沢観音まで下り3キロの道を歩く。田圃の中の石畳の引かれたのどかな巡礼道である。珍しくバス巡礼のグループと出会う。県内のおば様グループである。22番延沢観音は古い仁王門が印象的なお寺。ここから運良く少しの待ち時間で

尾花沢行きのバスがあり25番の尾花沢観音を打つ。奥の細道を旅した松尾芭蕉はこの地で紅花などを扱った豪商の鈴木清風を尋ねた。芭蕉は清風の自宅に三泊しその後この閑静な場所にある養泉院に七泊した。その折「涼しさを我宿にしてねまる也」の句を残している。尾花沢は芭蕉とスイカで有名な町である。芭蕉・清風歴史資料館など見るべきものもある。尾花沢から30番丹生観音までは時間との兼ね合いもありタクシーを使う。

田圃の中の小高い丘にある観音様。この辺りは豪雪地帯で吹雪になると1メーター先が見えなくなるとの事。道路わきにシャッターがあり、雪の時はシャッターを閉じるとの事。初めて見る景色である。スイカは未だシーズンが早いようだ。大石田より山形駅にJRで引き返す。

5月28日(白三会)の旅行に参加するため今日は午前中のみとなり極めて変則的な廻り方となった。JRで寒河江駅に出てバス便で18番岩木観音に向かう。岩木の部落を通り過ぎゆるい坂道の参道を暫く行くと観音堂が木々の中に囲まれてある。観音堂は静かで幽玄な一種独特な雰囲気の中にある。合掌して般若心経を唱える。次の17番までは時間の関係でタクシーを利用する。途中有名な慈恩寺、寒河江川に架かった臥竜橋を通る。17番長登観音は小高い山の中腹に有る本当に小さな観音堂である。今日は時間を考えてこれまでとして、10キロの道をひたすら寒河江まで歩く。寒河江からJRで山形駅に出て山形で乗り換え米沢へ、更に友人と合流して白布温泉に向かう。今日の歩行数約1万9千歩。


5月29日 白三会に参加のため、この日は巡礼を中断。


5月30日 昨日皆と泊まった蔵王温泉の蔵王四季のホテルから山形駅に出てここから一人で巡礼に向かう。運良く山形駅9時発のバス便があり東根方面に向かう。少し歩いて19番黒鳥観音に着く。この観音堂にはムサカリの絵が無数に納められている。幼少に無くなったわが子が死後の世界で成人して晴れの結婚(ムサカリ)出来るよう祈願して収めたものという。山上境内は公園になっていて、眼下の景色が美しい。東根駅まで歩きJRで村上駅まで行く。この駅は案内書では「たておか」となっている。町村合併で名称変更をしたようだ。近くに東根温泉がある。村上駅より1時間あまりの山道を歩く。大きな仁王門に長さ4.4メートルの大わらじが奉納されている。眼下には村上の市街や山形盆地が開けていて景色が美しい。徒歩で村上駅に引き返しバスで21番五十沢観音に向かう。この辺りはバス路線も変更になっていて、人に聞きながら歩く。歩く事約1時間でやっとたどり着く。21番から徒歩で尾花沢に出てタクシーで大石田に行きJRで新庄に向かう。今日は新庄泊まりとする。本日の歩行約4万4千歩。

                                     宿泊 新庄 ポストホテル

5月31日 七日目 朝から雨が降っているが今日で最終日にしたい。足まめがあちこちに広がり痛むが頑張ろう。JR陸羽東線を利用して、最上で下車、この駅は案内書では「うぜんあかくら」となっている。31番富沢観音に向かう。約1キロほどで国道より少し入り組んだ所にある。ご本尊は馬頭観音。そのため絵馬を初め馬に関する多くの奉納品がある。富沢観音より4キロほど国道を歩いたところに番外 向町観音がある。西国にも番外札所はあるがここ番外世照は観世音のご請願を表した札所といわれているが何故ここに有るのか良く分からない。32番の太郎田観音は国道47号線をさらに3キロほど行ったところ。田圃のなかの小さい観音堂。JR「大堀駅」まで歩き「新庄駅」で乗り換え「羽前豊里」で降り、最後の33番 庭月観音に向かう。足まめは大きく広がり足を引きずりながらひたすら歩く。約1時間で鮭川の近くの観音にたどり着く。庭月は小高い丘を背にした寺で一面の川と田圃が広がるだけの静かな寺である。これが最後と思うと、苦労して何とかたどり着けた喜びで心から合掌して般若心経を唱え、女房の健康、子供達の家庭の平和、孫達の健康な成長を心から祈念した。

            
                  33番 庭月観音堂


今日の歩行数は3万2千歩、今回の歩行総数は26万歩を越えた。年の精かはたまた足まめの精か、昨年の津軽より厳しい旅となった。

新庄発16時03分の「つばさ190号」で大宮―秋津経由で無事帰宅した。                                                                                                                   

(追記)

今回は5月28日―30日の白三会山形旅行に併せて行ったため、日程及びコースが一部変則となった。又前半は山形市内のビジネスホテルを拠点として往復した。宿泊地はなるべくコース沿いのほうが望ましいが最上の場合、電車もバスも山形市が拠点となっているため、こんなやり方もあるかと思った。結果として一長一短だった。時期は昨年より一ヶ月遅れだったが、もう少し暑い感じだった。天気には恵まれ、雨は1日半だった。

さくらんぼがたわわに実っているのを想定していたが予想は裏切られた。スイカも紅花も見られなかった。ただ青々とした田舎道を一人で風に吹かれて歩くのは快適だった。

今回は足まめがひどかった、特に左足は豆が足裏中央にまで広がり歩きづらかった。バンドエイトを張るのでは間に合わなくなった。何時もの靴だが少し小さいのかも知れない。

山形県は県内で最上を含めて100観音があるとの事を初めて知った。ただ残念ながら市販された案内書がない。出羽三山は一度歩いて見たいみたいが。

西国、坂東を打った後は津軽でも最上でも寺としては感動するようなものは少ない。周囲の景色も含めて味わうしかない。今後は観音巡礼に拘らず見たいところ、見たいものに焦点を当てて歩いてみたい。

 

何故観音巡礼をするのかと良く聞かれる。座禅に対して歩行禅という言葉がある。座禅は座ってやる瞑想、歩行禅は歩いてやる瞑想である。ただ歩きながらやる腹式呼吸が中々難しい。坂になると息がきつくなり思うようにいかない。瞑想といっても疲れてくるともう一歩もう一歩と足を前に進めるだけである。 まあ無の境地ともいえる。

観音様に祈願するのは究極「家内安全・無病息災」である。
女房の健康、子供たちの家庭の幸せ、孫達の健全な成長に尽きる。

70台になって強く思うのは夢・希望とそれを具体化した目標の重要さである。勿論年とともにやれる事は少なくなるが目標を持ち少しでもそれに近づく事が生きがいにつながる。

若いうちは大きな夢を持ち目標に具体化して継続的な努力をする事が成長と幸せにつながる。70代高齢者でも夢と目標を失うと人生は停滞又は後退する。林住期に入った小生もささやかながら目標を持ちそれなりの努力を続けていきたい。

人の幸せは、その人の「努力の質と量」に比例するものと思う。                                                     

                                                       ホームページTOPページへ戻る
                                                       寄稿者一覧のページへ


1)津軽33観音巡礼 その1 (平成18年4月22日―29日)

  422日 上野発22時 「弘南バス」 弘前237時着

    1日目 2番 清水観音〔多賀神社〕―3番 求聞寺―1番 久渡寺―4番 南貞院    

                      宿泊 鯵ヶ沢 尾野旅館

    2日目 9番 見入山観音―10番 円覚寺〔春光山〕―8番 日照田観音〔高倉神社〕

                      宿泊  同上

     

  3日目 11番 下相野観音堂〔高城八幡宮〕―12番 蓮川観音堂〔月夜見神社〕―13番 川倉芦野堂

         〔三柱神社〕―14番 弘誓寺観音堂―15番 薄市観音堂―16番 今泉観音堂

                      宿泊 中泊町 坂田旅館

    4日目 17番 春日内観音堂〔相内飛竜宮〕―18番 小泊・海万寺―23番 夢宅寺

                      宿泊 青森グランドホテル

    5日目 19番 義経寺―20番 高野山観音堂―21番 ほろ月海雲洞釈迦堂―24番 入内観音堂

        〔小金山神社〕
―22番 正覚寺

                      宿泊 同上

    6日目 32番 苦木観音長谷堂〔熊野神社〕−31番 居土普門堂〔熊野神社〕−30番 大光寺慈照閣

        (保食神社)−29番 沖館観音堂(神明寺)−28番 広船観音堂(広船神社)-33番 普門院

        (山観)

     帰り 弘前発2821時―上野着296時―自宅7時帰着       

感想  いよいよ200観音の最後、津軽を打つこととなった。春まだ早いかとも思ったが連休の前に打つことにした。

422日「弘南バス」パンダ号で「上野」を22時に出発。バスストップも看板のみでやや心配だったが人が沢山並んでいたのでその後に並んだ。早めに申し込んだので座席は前の5番、一番いい席だった。ただし横に座った兄さんがゴホンゴホンとやるのには辟易した。この場合はマスクが必需品だと悟った。「弘前」に定刻7時少し前に到着、長い距離を考えるとご立派。腰が痛く、足がだるいが耐えられないほどではない。

営業所まえの案内所でバス便を調べたが、今日は日曜日で生憎一番に行くバスが
10時台までなく、やむなく2番からスタートした。2番の清水観音は一度訪れた、懐かしい西目屋村の方向だった。小高い山の上にある朱塗りの舞台造りの観音堂、京都清水寺をまねたごく小さな建物。ご本尊は千手観音との事。そこから快晴の中、りんご畑のなかを6キロほど歩き岩木山神社に到着。その隣の杉の老木に覆われた段を上り詰めると3番求聞寺だった。ここは岩木山神社の直近でもあり百沢温泉も近いせいか参拝客が多かった。今年は雪が多くりんごの花が咲くにはまだ早いようで雪かきをしていた。それでも雪を被った岩木山の雄姿を目の前にいろんな角度から眺めながら、りんご林の中を歩くのは快適だった。

    
      2番 清水観音         りんご畑ごしに聳える雪を被った岩木山の雄姿


「弘前」に帰り1番に向かう。1番の久渡寺は弘前駅よりバスで40分、久渡寺山のふもとにある。坂上田村麻呂ゆかりの霊山で杉林に囲まれた参道はうっそうとしている。建物も小規模ながらどっしりした雰囲気。バス便が悪く向こうで
2時間近いロスタイムが出た。雪の残る裏山に登り、展望の良い場所でゆっくりする。再び「弘前」に引き返し、4番に向かう。バス停「高杉」の近くの小さな観音堂である。ここから5番に向かうバス便がなく、5番に向かいりんご林の中をひたすら歩く、約13キロの道のりだがこれが思ったより時間をとり、「観音林駅」に着いた時は、足まめが出来るやら、最終バスの時間が迫るやらで、とうとう駅前でリタイヤする事になった。真に残念無念。初日からこれでは大変だ。津軽では何とかなるだろうは通用しない。タクシーもなく自分の足に頼るしかない。

「鯵ヶ沢」の「尾野旅館」は駅前で便利な場所ではあったが、何しろ古くて汚い、この町も昔栄えた町との事でまあ仕方がないか。次の日のスケジュールを詳細に検討したがどうしてもスケジュールがこなせない。やむなく5,6.7番を次回廻しにすることにして当初の予定はなるべく変えない事とした。

2日目 今日は朝7時台の一番バスで深浦の方に向かう。帰りを考え、「おいらせ」で降り9番を最初に打ち、再び「おいらせ駅」より深浦に行き10番を打つ。今日は雨風がきつく、歩きづらかった。9番は追良瀬川に沿って5キロほど林道を歩いたところにある。人家もなくもの寂しいところ。小高い山の上にあり観音堂は洞窟にはめ込むように建てられている。観音堂から眼下に望む追良瀬の風景は美しい。雨風のため電車が30分以上遅れる。駅員がいず、人が一人もいない中で電車が遅れると本当に来るのかと心配になる。今回の行程の一番秋田県寄りの「深浦」で電車を降りる。徒歩30分足らずで10番円覚寺に着く。「深浦の観音様」はさすがに立派で津軽観音霊場で最も整った伽藍といわれている。宝物も沢山ある。若い住職に案内をしてもらったが津軽家の祈願寺でもあり北前船の高田家との関係も深かったとのこと。境内に「竜灯の杉」がある。

バスに乗り「むつあかいし」で降り3キロほど歩き8番に着く。イチョウの巨木を仰ぎ樹木に覆われた階段を登りきると御堂がある。今日は風雨がきつく、帰りの汽車は止まり代行のバスに乗り「尾野旅館」に帰る。この辺りでは時々あるとの事だが驚いた。

3日目 朝1番のバスで中泊方向に向かう。今日も雨模様。1112番と打ち「五所川原」まで歩きそこからバスで13番に向かう。11番は八幡様で水田地帯にあり、12番もポプラ並木をとおり、田んぼの中にある。13番は太宰治の出身地として有名な金木を通り越し桜で有名な芦野公園の近くにある。途中で急に雹が降ってきたのには驚いた。有名な「斜陽館」をはじめいろいろ見たいとこはあるが全て省略。「斜陽館」がバスの中から見えた。バス停「尾別」で降り、14番を打ち15番まで歩く。14番は町中より2キロほどはいった小高い山の上にあり、十三湖、日本海が遠望できるとの事だが今日は生憎の雨風で何も見えない。1時間近く歩き15番に着く。この寺も小さい山の頂上にある。今日も昼飯を食べる場所がなく15番のお堂の前で鳩サブレをかじる。16番まで40分ほど歩き本当に小さな観音堂につく。16番よりバスで中泊町まで引き返し「坂田旅館」にはいる。 旅館とは名ばかりの部屋数10室の民宿なみの旅館。

4日目 バス停「相内」で降り 17番を打ち18番に向かう。バスは海岸線をくねくねと進み小泊に着く。「小泊」ここは本州最北端であり漁業の町である。海満寺はバス停の終点のすぐ近くに在った。18キロ先は北海道だがあいにく霞んで見えない。漁船、海鳥、人の様子など港町独特の雰囲気がある。18番を打ったあと地元の人に案内されて太宰治の記念館を見る。ここより観光タクシーで「竜泊ライン」を通り19番に向かう予定が、車はあるが運転手がいなく行けないとの事。やむなく予定を変更してバスを乗り継ぎ4時間かけて「青森」に行く。「青森」着430分頃。 

日程が大きく狂ったため作戦変更。案内所で今日・明日のスケジュールを作成。今日のうちに「浅虫温泉」の22番を打ち「青森グランドホテル」に入る。「青森グランドホテル」は駅より近く良いホテル。疲れたため夕食もホテル内で簡単に済ます。

5日目 朝6時発の津軽線で「みんまや」に向かう、ここで線路はなくなる。ここも本州の果てである。今日も雨風が厳しい。19番を打つ。19番義経寺は源義経の念持仏を観音像の胎内に納めたのがこの寺の始まりとのこと。津軽には各地で義経生存説が語り継がれている。

        
   19番 龍馬山義経寺 この土地から義経が龍馬(戦船)に乗って蝦夷に渡ったとの伝説がある。
   本州の果て竜飛岬はすぐ近くにある。

20番、21番と風雨の中を海沿いにひたすら歩く。人を殆ど見かけず、道を聞くに聞けない。たまに聞けても言葉が良く解らない。津軽弁は難しいと聞いていたが聞きしに勝る。やっとたどり着いた21番から帰りのバス便はなくひたすら歩き「今別」に引き返す。また足がおかしくなった。青森に引き返し、バスで「入内」の24番を打ち更に市内の22番を打つ。24番は青森よりバスで約40分、小金山神社前で降りる。山林地帯で雪が沢山残っていた。周囲に人家も無く静寂そのもの。22番は青森市寺町にある大寺である。ここより徒歩にてホテルに帰り今日の予定を終わる。雨風の中の大変な一日であった。
夕食はホテル内の12階にあるレストランで済ませる。

6日目 今回の最終日である。今日は32番から逆に廻ることにした。6時の汽車で「弘前」経由「ながみね」で下車、32番を打つ。付近一帯はりんご畑ののどかな風景。津軽出身の石坂洋次郎は「物は乏しいが、空は青く、雪は白く、りんごは赤く、女達は美しい国、それが津軽だ」と書いている。天気のよい日は本当に快適である。31番に向かう。運良くバスがあったので「大鰐温泉」まで乗り、1時間ほど歩き31番に着く。急な参道を登ると畑になりになり、その奥に熊野神社がある。本当に自然に恵まれた静かな境内である。再び徒歩で引き返し、「おおわにおんせん駅」よりJRで「弘前」に行き、弘南鉄道で「ひらが」にむかう。この近くに観音様が3箇所あり今日中にこれを打つつもり。まず駅近くの30番を打ち、駅に帰り29番、28番と打つ。このあたりもりんご畑が多くその真ん中をひたすら歩く。今日は幸いにも快晴で歩くと汗ばむほどである。28番の「広船」を打ち終わったのが2時過ぎ、4時過ぎまでバスがなく再び駅まで歩く。「弘前」に出て33番の「山観」を打つ。境内を覆う老樹の中、参道を通り正面の本堂(観音堂)に向かう。ご本尊の前で感謝の読経。疲れてはいたが気持ちは清々しい。ホッとした思いもある。

              
           33番普門院(山観)弘前城近くの結願寺

近くの弘前城で桜祭りもやっていたがまだつぼみで、何より疲れて、足も痛むため駅まで引き返し21時発のバスの時間まで休憩とする。夕食は駅前のホテルで青森名物の「じょっぱり御膳」を食べたが、期待したほどではなかった。夜行バスは腰が痛く疲れるが安い上、時間は本当に正確で、予定通り6時前に上野に着いた。

今回はいろいろスケジュール上の不都合があり5,6,7番と25,2627番と「恐山」が残ったが、次回、秋にでも挑戦したい。

気候の良い時を選んだつもりだったが、今年の春は少し遅く、有名な弘前城の桜にもまだ早かった。ましてりんごはつぼみがまだ固かった。天候も晴れ3日、雨3日で雨の日は風がきつかった。服装は冬物で統一したが丁度良かった。雨対策は考えたつもりだが傘が折りたたみでは不十分であった。靴は最も気に入ったメフイストを履いたが、それでも豆で悩まされ、靴下が2足破れた。もう少し工夫がいる。

田舎を歩く時は間食が必需品。商店どころかベンダーも無い所が多い。バウムクーヘン、鳩サブレ、チョコレート、ミルクキャラメル等はふさわしいものである。昼食を取る場所もなく歩きながら間食を取ることが多かった。

時刻表の調査はもう少し緻密にやる事がいる、休日ダイアで便が異なる事がある。

今回は6日間で歩行数は約205000歩を数えた。青森県は広い割に電車便は少なく、もっぱらバス便に頼っている。そのバス便も田舎への回数は少なく、タクシーも少なく、どうしても歩く歩数が増える。

 

観音巡礼は一人旅がふさわしい、ひとりで来し方、行く末を考えながらひたすら歩く、その内疲れてくるともう一歩、もう一歩と何も考えず足を前に出す事のみに集中する。正に無の境地になる。どんなに辛くて、長い道でも一歩一歩、歩けば必ず目的地に到達する。つらいのでこれで終わりにしようと思っても、達成する充実感がまた次の目標に向かわす。

巡礼は同行二人、死と再生の旅といわれるが、人生そのものでもある。

「恐山」を含み3日のコースが残ったが改めてもう一度挑戦したい。今回は観音巡礼の中でも記念すべき旅となった。

                       (2008.07 寄稿)

                                                   TOPページへ戻る
                                                   寄稿者一覧のページへ



2)津軽観音巡礼 続き(平成18年10月2日〜8日)

今回の津軽への旅の目的は春に残った6観音と恐山を打つこと、併せて前から歩きたかった奥入瀬を歩く事である。
前回と同様「弘南バス」の夜行便を利用し弘前からスタートする。日程は下記の通り

1日目 10月2日 上野発22時、弘前着1037

2日目 弘前バスターミナル―観音林−5番十腰内巌鬼山観音堂―6番湯舟観音堂(高倉神社)―7番北浮田弘誓閣(高倉神社)
    −
25番元光寺(納経所)―26番法眼寺

             宿泊 ちとせや  黒石市落合

3日目 27番袋観音堂―黒石駅―青森―奥入瀬

             宿泊 奥入瀬渓流温泉ホテル

4日目 奥入瀬散策―十和田湖―青森

             宿泊 きままホテルニュー青森館  青森駅前

5日目 青森―野辺地−大湊―下北観光

             宿泊 むつグランドホテル     むつ市内

6日目 恐山―青森 青森観光

     20時青森発の夜行バスー上野着108日(日曜日)6

感想 今回も春と同様「弘南バス」の夜行便を利用し定刻より少し早めに弘前に着く。

720分のバスに乗るためにあわただしく大いに助かる。
今日のコースはバス便が少なくこの便に乗れないとスケジュールをこなせない。
8時過ぎに前回涙を呑んでリタイアした「観音林」に着く。バス停より5番までは上り坂を約20分歩く少し奥まったところにある立派な寺である。明治の神仏分離まで「巌鬼山神社」は「十腰内観音堂」と称していたとのこと。津軽氏が南部氏から独立を神社に祈願してから津軽氏との関係が深まった。境内も広く天然記念物に指定された二本の老杉が立派。物音ひとつしない厳粛な聖域。

           
         津軽の名刹 5番十腰観音(巌鬼山神社)の厳粛な境内
    

6番へはバス便が少なく約12キロの道を歩く。周囲はりんご畑が多い。なるほど津軽はりんごの国である。
      
         歩いても歩いても周囲はりんご畑です

「湯舟観音堂」は県道から田舎道を歩き少し入り込んだ山麓を登りつめたところにある小さい観音堂である。この
6番、7番、8番が共に「高倉神社」となっているのはやはり明治の神仏分離の影響で神道のみを認容し神社でなければ廃堂であった為か。 津軽33観音のうち25箇所がその影響を受けているとのこと。

7番は「湯船観音堂」から4キロほど歩いたとことにある。ここも鳥居と神殿がありその奥に小さい観音堂がある、静かな場所でしばし足を休める。

JR「なるさわ駅」(無人駅)から予定を変更して終点「弘前」に引き返し、弘南電鉄で黒石に向かう。「黒石駅」より26番「法眼寺」へ歩く、約40分。黒石市は津軽黒石藩一万石の城下町として栄えたところで落ち着いた町並みである。昔のままの丁字路や「コミセ」が残っている、津軽伝統工芸館、津軽こけし館、高橋家など時間が有ればゆっくり見物したいところも多いが全て時間の関係で省略する。「法眼寺」は山門も、鐘楼も立派で境内も広い。ご本尊は十一面観音とのことだが目下修理中で本堂に入れない。芭蕉などの句碑もある。近くに有名な地蔵院があり「黒石よされ」のいわれなどが書かれている。黒石よされは日本三大流しおどりのひとつとかでこの地蔵院が発祥の地とのこと。「黒石ねぷた」も有名だそう。再び駅に引き返し、バスで温湯温泉に向かう。27番「袋観音堂」はそこから山道を30分ぐらい登った山中にある。坂上田村麻呂が創建し南部光政により再建されたと言われている由緒ある観音様である。

参道が長く33観音石仏が安置されている。境内は樹木に覆われ物音ひとつしない静寂さ。周囲は夕暮れが迫り薄暗く人の気配の全くない静けさの中でしばしたたずむ。

今日の宿泊の落合温泉、「ちとせやは」すぐ近く、6時ごろ到着。このあたりは黒石温泉郷と呼ばれ温泉が多い。今日宿泊の落合温泉のほか温湯温泉、板留温泉それから最近ランプの宿で人気の青荷温泉などがある。ちとせやの温泉も湯が柔らかで肌に優しい。

ここから十和田湖までは50キロ程度だがバス便なく青森経由となる。25番のみが残ったが明日はバス便などを考慮して青森経由、十和田湖行きのバスで奥入瀬に向かうことにする。

10月4日、737分発のバスで黒石駅経由し青森に向かう。青森駅発1015分のバスで奥入瀬に行く。途中バスは酸ケ湯、谷地、蔦温泉等を通り約2時間で「石ケ戸」に着く。

これより十和田湖畔の「子ノ口」までの約9キロ2時間30分の奥入瀬散策をする。渓流に沿って遊歩道が整備されていて川の流れも緩やかに或いは急流になり10数個の滝もあり見事な景観である。樹木や岩も素晴らしく時間を忘れるくらいである。

「子ノ口」に着いたのが3時過ぎで乗船時間に間に合ったため十和田湖上遊覧船に乗る。十和田湖は二重式カルデラ湖で海抜400メートル、周囲は46キロ、最も深いところで約327メートルと日本第三位の湖との説明あり。湖の蒼さ、絶壁の素晴らしさ、色づく紅葉などを堪能した。

「焼山」までバスで引き返し「奥入瀬渓流温泉ホテル」で宿泊。今回の残念な事のひとつは「奥入瀬渓流グランドホテル」を取れなかったことだが幸い夕食は姉妹ホテルのグランドホテルでバイキングを味わえた。どの料理もネタが新選で美味かった。刺身、ステーキ、すしなどなど。ついでに「グランドホテル」と「第二グランドホテル」の温泉にもはいる。運良く津軽三味線の演奏も聴けて満足。津軽三味線は今や全国規模で普及しているとの事。

10月5日 バスで再度十和田湖の「休屋」に行き十和田湖のシンボルの乙女の像などを見て次の便で八甲田に向かう。途中の紅葉が赤あり黄色ありの真っ盛りで美しい。この辺りの冬は積雪6−7メートルとのこと、スキー客で賑わうところ。バス便は11月でストップ。途中の酸ケ湯までになるとの事。ロープウエイを利用して山頂まで登る。101人乗りの大きいゴンドラ、山頂は池や沼が多く、高山植物の宝庫。道路も歩きやすく一時間ほど散策。夕刻青森に着き明日からのスケジュールを確定した後、25番「元光寺」を打つ。津軽33観音もこれが最後の寺と思うと感慨深い。夕闇の中しばらく茫然としていた。

今日は巡礼中断っていたアルコールを久しぶりに飲む、すぐビールに酔った。


10月6日 朝9時台の「大湊」行きのJR直行便で今回の最後コース恐山に向かう。

「大湊駅」で90分ほど時間をつぶし、昨日の観光案内所で予約した仏ケ浦・大間崎コースの観光バスに乗る。45人乗りの立派なバスで運転手にガイドまで付いているが驚いた事に乗客は小生一人である。5800円は少し高めと思っていたが借りきりとは、こんなに安いものは無い。「佐井村」で降り、遊覧船に乗る。「仏ケ浦」は正に大自然が作り出した奇跡の景観である。奇岩の姿が仏に見えるためこの名前がついたとの事。恐山の奥の院とも言われている。大正11年、この地を旅した大町桂月は「神のわざ鬼の手づくり仏ケ浦、人の世ならぬ処なりけり」と歌っている。

      
         仏ケ浦 奇岩が多くその姿が仏に似ているのでその名がついた


雨風がひどくなり遊覧船もかなり揺れた。マグロで有名な大間崎につくころには小型台風並みになり傘もさせない状況となる。ここには岬に「ここ本州最北端の地」の碑があり、200キロ級の本マグロの碑もあるが夕闇と雨風のため早々にホテルに向かう。予定より早く6時過ぎにホテルに着く。今日は150キロを越す借りきりのドライブとなった。                   

今夜の宿 「むつグランドホテル」はこの辺りでは最も大きなホテルで食事も中々のもの。ただ温泉は昔の「斗南温泉」をそのまま利用しているのでアンバランスな感がある。泉質は美人の湯の名の通りツルツルするが色も匂いもあり癖がある。

10月7日 朝より雨風がきつい。一瞬迷ったが今日が最後のため、雨具を着こなしホテルをスタート、「むつバスターミナル」より恐山行きのバスに乗り込む。今日より三日間、秋の大祭であるがこの天候のためかバスの客は3名のみ。

「恐山」は1200年前に慈覚大師によって開かれた霊場で比叡山、高野山と並び日本の三大霊場に数えられている。本尊は地蔵菩薩。「うそり湖」を中心に周囲を八峰が取り巻き、火山ガスの噴出する岩肌の一帯は荒涼として地獄に、そして湖を取り巻く白砂の浜は極楽になぞらえられ、他の場所では見られない一種異様な雰囲気がある。

この地の人々は「人が死ねばお山に行く」という素朴な信仰と祈りを伝えてきたとの事。また「いたこ」の口寄せも有名。正に「この世」にいながら「あの世」に近づける場所である。風雨にも拘らず、「いたこ」の口寄せに人が並んでいた。

   
        恐山菩提寺 昔から人は死んだら恐山へ行く、恐山は死者の集まる霊山とされている。
        イタコを通じて死者と話が出来る、この日も嵐のような日だったがイタコの前は人が集まっていた。

雨風は益々ひどく傘もさせない情況。やむなく早い便で青森に引き返す。青森では時間は十分あったが雨風で身動きできず時間を持て余す。青森観光物産館(アスパム)で時間を潰し、20時発の上野行き「パンダ号」に乗り予定通り8日の6時に上野に着く。 

いささかの疲れと、安堵感、腰の痛さを感じながら懐かしの我が家に帰宅。

今回の旅で200観音を無事打ち終わった。3年間で約50日、歩行キロ数約700キロの旅であったが、無事打ち終えてホットすると共にそれなりの充実感を覚えている。   今後どうするか、また新しい目標を決めて挑戦したいが何をどうするか今は白紙である。

最後に心配しながらも一人旅を許してくれた「女房殿」に心から感謝している、有難う。

                     (2008.07 寄稿)

                                                         ホームページTOPページへ戻る
                                                         寄稿者一覧のページへ