213.東日本大震災
(東北地方太平洋沖地震)
4月18日 月
福島第一原発事故 収束に向けた工程表発表
復旧工程表ステップ1 三ヶ月程度
圧力容器に窒素封入
燃料上部まで水で満たす
汚染水の保管、処理施設の設置
原子炉の熱交換機能検討
ステップ2 三〜六ヶ月程度
使用済み核燃料プールへの注水遠隔操作
汚染水の処理、再利用
原子炉全体覆う、カバーの設置
避難指示、計画的避難、緊急時避難地区などで除染
4月12日
復興構想会議始動メンバーには玄侑宗久さんも
原発事故「レベル7」へ
計画的避難地域発表、浪江町、葛尾村、館村全域。南相馬市、川俣町一部
20K〜30K圏は緊急時避難準備区域へ
11日5時16分震度6弱、1次注水停止。
1号機格納容器窒素漏れ?
4月4日 月
汚染水直接海へ
玉突き作戦開始
建て屋地下→復水器→サージタンク
更に集中環境施設検討
その他にメガフロート、タンカー等検討
4月1日 金
東京電力政府管理
汚染水処理進まず
各国支援本格化、アメリカ海兵隊140人、フランス関連企業
中国生コン放水器、ドイツ遠隔ロボット
韓国ホウ素53トン,IAEA放射線専門家
経団連自主節電、ニコン全工場再開
福島県内原発不安で入学辞退
3月27日 日
海水から1250倍ヨウ素
2号機制御室点灯
食品の暫定規制値(1Kグラムのベクトル値)
放射性ヨウ素 飲料数 300 放射性セシウム 飲料水 200
牛乳、乳製品 100 牛乳、乳製品 200
野菜類 2000 野菜類 500
穀類 500
肉、卵、魚、その他 500
身体に影響する被爆線量の目安(単位ミリシーベルト)
6000〜20000 東海村の事故で死んだ人
250 白血球の一時的減少
173〜180 3号機の作業員の被曝線量
6.9 CTスキャン検診1回
1.4 一般人の年間被曝線量
0.6 胃のエックス線検診
3月26日 土
原発北西30K 1.4ミリシーベルト
屋内避難地域、自主避難促す
海水から真水の注入へ
タービン屋内水溜まり確認作業中断
水道水茨城以外解除
3月25日 金
三号機タービン屋内で作業員被爆
一号機制御室点灯、都心水道制限解除
日立、北茨城、千葉も基準越える
瓦礫撤去アルバムは保存
死者9816、行方不明16497,避難者20万1521人
3月24日 木
福島第一原発の現状
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一号機 |
二号機 |
三号機 |
四号機 |
5.6号機 |
地震発生時の状況 |
運転中 |
運転中 |
運転中 |
定期検査で停止 |
定期検査で停止 |
建屋 |
破損 |
破損の疑い |
破損 |
破損 |
破損なし |
格納容器 |
破損なし |
破損の疑い |
破損の疑い |
破損なし |
破損なし |
放射性物質の漏洩箇所? |
ベント(排気)
核燃料プール
水素爆発 |
ベント(排気)
核燃料プール |
ベント(排気)
核燃料プール
水素爆発 |
核燃料プール
水素爆発 |
なし |
23日の動き |
圧力容器の温度上昇
海水増量 |
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建屋から黒煙
使用済み燃料に
注水 |
生コン圧送機で放水 |
6号機に外部電源切り替え |
都心の水道に被害拡大、野菜出荷停止拡大
東北高速道開通
新聞、ラジオ通常番組に戻る
3月23日 水
病院、避難所死者増える
四号機通電確認
東北新幹線青森盛岡再開
那須塩原ー盛岡間見通し来月中
汚染野菜摂取停止、茨城福島県指示
被害総額25兆円、原発は含まず
都心の水道水に放射性要素1kg210ベクトル幼児は控える
3月22日 火 晴れ
飯館村水道水から放射能、飲み水配布
牛乳、出荷停止
福島、茨城、群馬、栃木ほうれん草など出荷停止
行方不明者など被害全体像未だに確定せず
ガソリンスタンド今日からの販売は4000円に
二号機白煙制御室復旧急ぐ
三号機白煙、今までの放水量合計3742トン
四号機の放水90トン
3月21日 (月) 小雨
9日ぶりに少年と祖母救出
四号機に放水
平成23年3月20日 日 晴れ
原発の動きは一覧表参照
陸前高田市で仮設住宅着工 岩手、宮城、福島で県外避難三万人
ほうれん草基準値越え出荷停止、牛乳も同じく
福島県内8市町村が全体避難
第一原発一連の動き3月12日から〜20日
毎日新聞より3月18日より
日付 |
一号機 |
二号機 |
三号機 |
四号機 |
五号機、六号機 |
12日 |
炉心溶融、 水素爆発海水注入 |
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定期点検、停止中 |
13日 |
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炉心溶融 |
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14日 |
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空だき、海水注入 |
水素爆発、海水注入 |
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15日 |
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圧力抑制プールで爆発音 |
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使用済み燃料プールで火災 |
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16日 |
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白煙噴出、使用済み燃料プールが沸騰 |
建物4階火災、使用済み燃料プールが沸騰 |
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17日 |
海水注入継続 |
海水注入継続 |
海水注入継続、ヘリと放水車で注水 |
注水停止中 |
温度上昇中 |
18日 |
圧力容器に海水注入継続 |
圧力容器に海水注入継続 |
圧力容器に海水注入継続、ヘリと放水車で |
核燃料プールへ放水検討 |
核燃料プール水温監視中 |
19日 |
レベル5へ |
圧力容器に放水継続 |
圧力容器、燃料プールに放水継続 |
核燃料プールへ放水
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20日 |
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外部電源復旧 |
無人放水 |
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冷却開始 |
3月18日 他の動き
円高一時76円 大規模停電の恐れから計画停電
プロ野球セリーグ予定通り3月25日開幕 物流ストップ 新幹線高速道通行停止
平成23年3月16日 水曜日 曇り 朝8 気温0度 予想5度
朝8時現在の県内の
福島県内の放射能モニタリング地震以来測定不能
借りた機器で福島市内 測定 通常の40倍のレベル観測
ちなみにマイクロシートベルトとは?
東京ーニューヨーク間飛行した場合 190マイクロシートベルト
エックス線の胃レントゲン写真 600マイクロシートベルト
一般人の年間被曝量 2400マイクロシートベルト
県内の停電 4万7000戸
電話 固定電話 故障5万件 携帯はつながりづらい
午前8時現在 環境放射能レベル 単位 マイクロシーベルト
福島市 20.0 郡山市 2.88 白河市 4.10 会津若松市 0.59 南会津 0.11
相馬市 3.95 平 1.50
平成23年3月15日 火曜日 曇り 気温6度
情報が二転三転厳しい状況が
繰り返されてます。
東京電力福島第1原子力発電所4号機で午前6時ごろ、
使用済み核燃料プールで水素爆発が 起きたようです
隣接する3号機付近で午前10時22分、
一般人の年間被ばく限度の400倍に匹敵する
400ミリシーベルトの放射線量を記録した。
菅直人首 相は同日、第1原発から半径20〜30キロの
範囲内の住民に屋内退避するよう求めた。
佐藤福島県知事も声明発表して
落ち着いた行動を求めた
二本松市の幼稚園、学校も休業が18日まで伸びた。
Googleで安否情報および登録できます。画面の右下です。
東北放送は壊滅状態です。微弱な電波しか出てないようです。
宮城県内その周辺では他の方法で情報求めて下さい。
平成23年3月14日 月曜日 晴れ 気温18度
今朝はマイナス一度、良く晴れている
余震はかなり収まった
明け方と共にヘリコプターが飛び始めた
赤いサイレンつけた車が北進している
7.03Mhz でJA3RLが地震情報求めている
9時33分家内の友人から電子メール
原発で働いている人で
明日の雨は被爆に注意、傘では防げない
カッパを着て頭、顔に雨が直接触れないよう
完全装備が必要
そんなこと伝えていたら三号機が11時01分水素爆発
周辺5k屋内避難。
途絶えていた津波警報発令。
乏しくなったお米調達、精米してきた
現金おろしに郵便局回ったら北側の窓全開
入り口付近も陥没見られる。
大きなジュース自販機傾いている
向かいの大きな忠魂比も倒れている
平成23年3月13日 日曜日 気温16度
午前はニュース確認。それからアッコさん宅へ三人で貰い風呂
風呂入ってやっと落ち着いた、夕べのアルコールも飛んだ。
へリコプターが頻繁に飛んでるのは原発からの避難。
第一原発一号機が爆発した。
更に三号機も危険な状態。避難は当初の3kから20kまで範囲広がる。
避難先も田村市からどんどん広がり会津方面までのびた。
双葉町は川俣町に臨時に役場設けた
交流センターへ入ったそうだ。被爆の検査していたようだ。
スーパー鎌倉屋で昼食など買いにまわったら大混雑。
一部商品は棚になかった。
会津建設、大槻さん回ってくれた。
トイレ訪ねたらバケツ一杯の水なら流れること確認。
完全にはきれいに流れきれないが助かる。
それから茂庭ダムの給水が出来なくなるとの読みから
再度水運んだ。もうちょろちょろ、明日は出ないと思う。
スーパーのスタンドも長い列残して閉店。
福島市内は断水と中心部いまだに停電。
光電話の故障もそれでだろうと思う
インターネットはOK。
震度訂正になって8,8から9になった。
世界歴代4位。日本では勿論初めて。
死者行方不明未だはっきり確認できず夕方現在福島県内死者280人
行方不明380人。
平成23年3月12日 土曜日 気温17度
午前中に食料買い出し。近くのスーパー併設のガソリンスタンド
ガソリン求めて開店前より長い列。夕方早々に売り切れたも模様。
店舗は閉鎖。娘の職場より飲み水確保30リットル
その後昼には給水車もきたので漬け物桶にトイレ用の水確保。
水道の復旧はいつになるかわからない。
お隣より井戸水貰うも石ころなどが多い。
実家の姉が下りてきて屋敷の手伝いいただいていると言う。
朝はそんな話はなかった。息子と二人で片付けているのを
みて相談したようだ。休んでいる会社からのお手伝いかと思った。
屋敷に残っているいる人、善さん、カズ夫、ヨシノブ、ヒサオと剛。
実家は午前に終わり握り飯で昼。小休憩でヒサオ宅。
自宅と小屋2時頃には終わりそれからはカズシ宅
一人である程度まとめていたが全員屋根に登り片付けと
われた瓦、善さん宅から運び補修。
これで雨漏りの心配は無くなった。
4時頃には終わり それから集会所で休憩。
ひかり電話お昼頃から故障、福島市内のたぶん停電のためだろう。
平成23年(2011年)3月11日
発生日時:3月11日14時46分マグニチュード:9.0(暫定値)
場所及び深さ:三陸沖(牡鹿半島の東南東、約130km付近)、深さ約24km(暫定値)
三陸から茨城沖にかけ従来の常識越えて
幅200K長さ500Kに集中して
連続的にプレート状の震源で起きた
震度は歴史的に歴代4位。当初の震度は8.8だった。
津波の高さは最高16M超えた宮城、岩手など
県内も10Mは越えたようだ。
3日たった現在も
再度の津波警報発令で原町で3M以上確認
11時01分三号機は水素爆発。
以下日付を追って
記録しておきたい。
平成23年3月11日(金) 14時46分発生
この町内は瓦屋根の破損、人的被害なし
直後は電話OK
墓地は全壊が7割以上
電気はOK、水道は断水。
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