琴ヶ浜
砂が泣く浜があります。

 その浜は琴ヶ浜と言います。
  源平の昔、壇ノ浦の合戦の後、

     平家の姫様がこの浜に流れ着きました。

        村人たちは哀れに思い皆で世話をしました。
 姫様はせめてものお礼に村人たちに琴を弾いて聞かせました。
だから今でも琴ヶ浜の砂は

          鳴るのです。
INDEX

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夏の盆踊りの季節、風向きによってはお寺(YH)まで夜通し聞こえてくる太鼓と囃子
    独特のリズムで、砂浜を輪になって夜通し踊り続ける盆踊り
                  平家物語のメロディは幻想的な雰囲気でした。







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琴ヶ浜の琴姫伝説について「粉の世界」の「琴ヶ浜/琴姫伝説」より転記しました。

島根県邇摩郡仁摩町馬路は,鳴り砂の浜としても有名である.
その浜に伝わる伝説はいろいろ語り継がれている(
資料提供/粉の世界by志波さん)

 
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◆ 琴が濱と女神 ◆
 
 邇摩郡馬路村琴が濱は日本海に臨み白砂青松の間数千歩、歩めばキューキューと妙なる琴の音を出すのである。蓋し砂粒悉く珪石で粒細かに大きさ同じきによるであろう。この濱の由來に就いて一つの伝傳がある。昔琴の姫とてうら若き一女藹(あい)があつた。やんことなき身をすて、唯一人の天探女を伴ひ、此磯邊に着した。その後姫は波打つほとりに、板屋を作り、春の朝,秋の夕携へたる愛琴を奏で妙なる調に世のうさをはらして居た。間も無く姫は病氣となりて死んだ。臨終の時「妾(わらわ)が成佛したらば此濱より琴を發するであらう」と遺言した。姫の歿後果たして眞砂鳴りを生ずるやうになつたと傳へられる。姫の住んで居た板屋は今は跡方も無けれども板屋濱の名を殘し、姫が船を始めてつけたと云ふ船津、姫の墓と傳ふる姫塚のゆかりを今に留めている。(同校報)
『復刊の辞』
 本書は、島根県教育委員会が大正七年から十余年の歳月を費やして昭和二年に刊行したものの再刊である。、、、
 昭和五十四年二月』

----と、記されている。したがって、この伝説は、大正時代のころにまとめられたものであることが判る。
ここでは『鳴り』、『琴が濱』と使っている(志波)。
<島根県教育会編『島根県口碑伝説集』歴史図書出版>
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 ◇ 琴姫と鳴り砂 ◇
 新島根風土記
 国道を東進し,4つの隧道を抜けほっと一息ついて,左側に目を向けますと,海辺に赤瓦の屋根が石見の漁村風景を出現します.
 ここが琴姫と鳴り砂で有名な馬路町です.琴ヶ浜の砂はキュツキュツと鳴ります.砂は白くてとても美しいです.
 このすは浜に残る伝説もまた美しいのです.「十八歳の琴姫は,目の見えぬ父と二人で,都で暮らしていました.世にも名高いことの名手であったこの父は,一人娘の琴姫に丹精を込めて秘伝を伝えました.
 突然,都攻めに入った源氏のために父娘は離ればなれになり,琴姫は帝にしたがって壇ノ浦へ.そして戦いに破れて海上をさまよわねばならない運命になりました.海に漂うこと三日目の朝,大きな嵐がおそいかかり船はくだけてしまいました.
 4日目の朝,ことを抱いた琴姫の悲しい亡きがらは石見の海岸に漂い着きました.姫の遺体は村人たちの手によって琴と一緒に春の宵のおぼろに霞む馬路の松の下に埋められました」
 これが琴姫と鳴り砂について,古老から若者へと数百年の長い間にわたり,語り継がれた伝説のさわりの部分です.
 今でも,盆の十四日から三日三晩にわたり,琴ヶ浜海岸では琴姫を偲んで盆踊りが鳴り砂を踏んで盛大に行われています.
温泉津町・仁摩町の巻 <温泉津署> 渡部 治
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◆ 琴姫さん ◆
 
 ずっと,ずっとむかしのことだったんじゃそうな.大風がふいたあくる日,この海岸に一そうの小舟が流れついたんだと.村の人たちがのぞいてみると,船の中にお姫さまが,死んだようになってたおれていたんじゃと.でものう,琴をさいじそうにかかえておったんじゃけん,「こら,どこかの国のお姫さまじゃろう」と,だいじにかいほうしてあげたんじゃと.そしたら,だいぶんしてから気がついて,水やお茶がのめるようになったんじゃげな.少しずつ話しが聞けるようになって,わけを聞いてみると,「みやこで,大きな戦いがあり,負けいくさとなって,命からがら船で逃げる時,あらしにあって流された.殿さまや,家来や,つきそいの者の船は,ほとんど波にのまれてしまったようだ.」
 ということなんじゃげな.

 村人たちは,よけいかわいそうになり,親切にしてやったんじゃげな.

あるばんのことだったげな.今まで聞いたことのない琴の音が聞えたんじゃそうな.村人たちは,知らず知らずのうちに,琴の音の方に集まったんじゃと.

「なんと,ふしぎな音がするもんじゃてのう.」

「そうようのう.今まで聞いたことのある音よりも,いちだんときれいだのう.」

 だれも,だれも,感心して集まっているうちに,海べの小高いおに来たんじゃげな.そこには,あのお姫さまが,いっしょうけんめいで,琴をひいていたんじゃげな.それがのう,そのばんだけでなく,毎ばんのように聞えてくるじゃけん,村の人たちは,喜んで聞いておったじゃけな.

 ところがのう,悪いこともあるもんで,そのお姫さまは,ひょっとしたかぜがもとで,とうとうねこんでしまったんじゃげな.村人たちは心配してのう,かいほうしたり,食べ物を食べさせたりで,いっしょうけんめいやったんじゃが,やっぱりだめじゃったげな.

 死ぬときにのう,「みなさん,ありがとうございました.」
と,ひとこといったんじゃそうだが,みな,もうないてしまってのう.

 まくらもとには,あの琴がおいてあったじゃげなが,お姫さまが死んでしまわれてはのう,さびしそうなものよ.

 何日かして,村の人たちはていねいにほうむってあげたんじゃと.あの,いつものお姫さまが琴をひかれるおかたにのう.お姫さまの名まえはだれも知らんだったが,琴をひかれるお姫さまということで,「琴姫さん」とよんでいたんじゃそうな.

 それで,お姫さまが着かれた浜を「琴が浜」といったので,今でもこのへんの人は,そうよんでいるのじゃと.
話 者:渡辺広幸(邇摩郡仁摩町T8生)採話者:松浦和敏
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◇ 琴姫伝説 ◇
 
壇の浦の戦いで平家が敗れ去った寿永4年春のこと,激浪に洗われて痛々しい姿になった一そうの小舟が馬路の浦へ漂着した.その中には,みめうるわしい姫が倒れていた.やしい腕にしっかりと琴を抱いて気絶していたのである.

 姫は村人たちの手厚い介抱で,ようやく蘇生することができ若き生命は助けられた.

 姫は平家一門であった.あわれな平家の最期に寄る辺なき身を情厚いこの馬路にとどめることにした.

 それから,せめて村人たちへの報恩にと,毎日毎夜,姫が奏でる琴の音は,浜一帯にしょうじょうとして白浜に響き渡った.

 奏でる琴は漁に出かける漁師たちを或いは慰め,或いは励まし村人たちは姫を心から敬うようになった.しかし姫は,おそろしかった戦いを思い,また都の生活をしのび,今の運命のはかなさを歎かずには居られなかった.

 そうして一年,春がめぐってきた.朧にかすむ浜に帰った漁師たちは,いつも響く琴の音が聞えぬのをあやしみ,姫の住家を訪ねてみると,美しい姫は船の中で琴を抱いて倒れていたあの姿で既に息絶えていた.

 村人たちは姿美しく心優しかった姫の死を悼み,ねんごろに弔い,浜一帯が見おろされる丘に琴と一緒に葬った.それは白砂がかすかに光る夕暮れであった.

 翌朝のことである.

浜を歩いた漁師たちは驚いた.浜一帯が琴を奏でるように妙音を発して鳴るからである.

 村人たちは,きっと姫の魂がいつまでもここに残って鳴るのだと言いあい,それから琴姫さんとなつかしむようになった
出所不詳
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◇ 琴姫の碑由来 ◇
琴ヶ浜に向かって浜の中央に建立されている(琴姫の碑の裏に刻まれている)
寿永四年春 壇ノ浦の合戦に敗れ去った平家一門の姫がこの馬路の浜に漂い着いた 情厚い村人に助けられた姫はよる辺なき身をこの地にとどめ 報恩にと日毎夜毎琴を奏でて漁師たちを慰め励ましまた村人たちも姫を深く敬慕した

 没後心美しい姫を浜一帯が見おろされる小高い丘に手厚く弔い葬った そして時代をつらぬき琴姫さん琴姫さんと思慕してきたのである

 大正以来山陰線開通をはじめ時の移り変わりを見たので 町民相はかりこの処をえらび 改めて碑を建立することとなった

 鳴る白砂と囲繞(イジョウ:ぐるりととり巻く=志波注釈)する景勝と共に姫はいつまでも人々の心の中に生きるであろう
昭和四十二年七月   元中学校長 福田吐甫しるす
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◇ 琴姫伝説 ◇
 琴姫の碑の前に刻まれている平成の碑文
上記碑の入り口の右側のブロック壁に埋込まれている.
残念ながら光って読みづらく,写真に撮って帰って見ても読取り難い

 むかし,源平の戦いで平家の壇の浦に敗れた春のこと.ただひとり小舟に身を託して逃げのびた美しい姫が琴を抱いて気を失っていました.やっと石見の海岸に流れついて,村人たちの手厚い介抱に元気を取りもどした姫は,毎日琴を奏でては,村人たちの心を慰めていました.
 ところがある日突然この世を去ってしまいました.

敬愛していた姫の死に村人たちは嘆き悲しみ,浜の見える丘に姫をねんごろに葬りました.

 すると次の日からあたかも琴を奏でているような,美しい音色で浜が鳴り始めました.

 これは,きっと姫の魂がこの浜にとどまって村人たちを励ましてくれているのでは・・・・馬路の人々のやさしさを象徴する言い伝えとなりこの浜を琴ヶ浜と呼ぶようになりました。
平成16年3月20日 琴ヶ浜観光協会
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◇ 古登多加磯 ◇
 迩摩郡神子地ノ浜 一本琴高磯
 名所記方角集共ニ、 伊賀郡唐金ニアリ。俗ニ畳ガ浦トイフ云々。此ハイミジキ非也。畳ガ浦ハ床ノ浦ナル事ノ浦ノ条ニ云ナリ。八重葎ニハ迩摩郡神子地ノ浜ヲイフ、今ノ俗琴ガ浜トイフ云々。

 絵図イト委シク出セリ。聊モ(いささかも)違ワズ。コノ浜ヲアユムニ琴弾如キ足音セリ。沖ニ琴ノ形シタル大磐ノアリシガ、文化元年、大地震、津波サヘヨセ来テ、ツヤツヤ崩シテ、今ハナシ。近キ頃迄モ覚居シ者多カリシトゾ。琴ノ形海上ニ見ユルヨリ号シヤ。マタ彼足音ヨリ云ニヤ。
石見国名所和歌集『石見海底能伊久里』
資料提供/粉の世界by志波さん)