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ミントンハウス内の話題を紹介してきます。  (時系列にはなっていません)
記事 2003年9月12日 北鹿新聞 「フライディー ふぇいす
2003年9月20日 北鹿新聞 「一筆啓上
2014年10月11日 北鹿新聞 「ファンの支えで40周年
  2016年12月9日 北鹿新聞 「音楽と絵は両輪
  2019年1月1日 北鹿新聞 「新雪のような画紙を前に
ハウでの
【注:事実に基づいていますが、大部分は相当に脚色してあります。】
その1 ミッシェル・ペトルチアーニは演奏が終了した後「えびすこ」でちゃんこ鍋を食べた。しかし、来るときはバスで来たので、疲れて打ち上げに参加できなかった。
その2 マイルス・デイビスの大ファンのミントンマスターは以前マイルスの誕生日には1日中マイルスのレコードをかけていた。
その3 マイルスの命日とマスターの誕生日が同じ。2000年10月号のスイングジャーナルにウォレス・ルーニーがマイルスとの数奇な一致について語っているが、マスターも密かにこの一致を喜んでいるらしい。
その4 トコチャン、益田幹夫さん、岡田勉さん、綾戸智絵さまを車で盛岡へ迎えに行ったとき、盛岡駅で30分も探せず、とても寒い思いをさせてしまった。オマケに高速道路が猛吹雪のため閉鎖され、2時間以上掛けて一般道を来た。が、運転手であったホームページ「管理人」は智絵さまの「お話」に聞き入ったり、笑ったりして相当いい思いをしたらしい。
管理人の書き込みhttp://www.ayadochie.com/file/msg300.htmlの252参照、他に211、157、2927あり。(そこにあるメルアドは現在使われておりません。)(2013.5Mで終了となりました。お疲れ様!)
その5 日野 皓正さんと日野元彦さんがステージで一緒にタップダンスを踊ったときの映像が有るらしい。
その6 トコチャン(日野元彦)、ミッキー(益田幹夫)さん、 ベン(岡田勉)さんの事をどうして「社長トリオ」と呼ぶのか綾戸さんに聞いたら、「みんな社長みたいな雰囲気でっしゃろ、ワハハッ!」と答えていたが、本当はそれぞれが超一流のミュージシャンで社長のような方達ということらしい。
その7 レッド・ミッチェル(b)の使用していたベースマイクは潜水艦のソナーと同じらしい。
その8 ジョニー・グリフィンカルテットの時、ロニー・マシューズ(p)がコンサート開始直前になってピアノのある1音がと言いだし、すぐ調律師を呼んで調整したため開始が遅れた。しかし演奏は神がかっているかのようにものすごく、音の洪水のようであった。
その9 ミントンハウスコンサート最多来演 トコチャン(日野 元彦) 8回   オマサン(鈴木 勲) 回   カラヤン(辛島文雄) 5回 (管理人が知っている限り)   2008年現在
その10 コチャンに「大館にはトコチャンの演奏が楽しみな人が大勢いる」と話したら、すごく嬉しそうにしていた。それ以来コンサート後は「今日どうだった?」って。いつだって最高!! でした。
その11 1985/10/25 日野皓正&ジャパンオールスターズ(日野元彦 辛島文雄 桜井郁夫 伊藤君子)は日野皓正さんの誕生日でした。コンサート中にトランペットをあしらったバースディケーキが登場! 驚いたり照れくさそうだったり・・。
その12
ミントンハウスの名前の由来 : ニューヨークのジャズクラブの名前という事は知ってたが、どこにあるかは知らなかった。「's in NY」 コーナーで知ることができる。
その13 2005年8月の「鈴木 勲&OMA SOUNDS」真夏のお寺の本堂でした。あまりの暑さに前半が終わって休憩中にオマさんが一言、「佐藤さん(マスター)、もう終わっちゃだめ?」。マスター冗談はよしてくださいよ(笑)」。何事もなかったかのように、後半も相変わらずパワフルなすばらしい演奏でした。