沖縄返還35周年に思うこと
年の5月15日をもって、沖縄県がアメリカから返還されてちょうど35年が過ぎました。
1945年6月23日以来、アメリカに軍事占領され、その後琉球政府を経て、
1972年5月15日に施政権が日本に返還されました。
内閣総理大臣佐藤栄作氏は、沖縄を訪問し、「沖縄が祖国復帰しない限り、
日本の戦後は終らない」という声明を発表しました。

その後、沖縄は「1972年(昭和47年)核抜き、本土並みで返還」ということになり、
返還前の沖縄を見てみたいと思い、予防接種を2回受け
「本土と沖縄との間を旅行する日本人であることを証明する。」という身分証明書を持ち、



1971年12月29日東京の晴海埠頭から船で、
沖縄に向かい、31日那覇港から沖縄に入りました。
 沖縄は、アメリカの施政権下であったので通貨はドル、
交通も左右逆でありバス、タクシーに乗ったときは少し変であった。
返還後の通貨はドルから円に、交通は日本と同様につまり、
今までと逆にすることになる。1978年7月29日まで車は右側通行で、
事前に準備を進めて7月29日22時から7月30日6時まで自動車通行禁止とし、
その間に転換作業を完了し、7月30日から一斉に左側通行に変わったとの事ですが、
事故などが多発したそうです、通貨、切手は返還の日から変わっています。
沖縄の人々には、沖縄戦の地上戦、アメリカ軍の統治、
返還に伴う混乱等大変苦労されたと思います、佐藤総理大臣の、
「沖縄が祖国復帰しない限り、日本の戦後は終らない」のでは無く、
5月15日から沖縄の戦後が始まったのだと思う。
 また、八重山諸島の竹富島で目にしたものは、
「金は一代、土地は末代」の立て看板でした、竹富町の人いわく、
返還後も島の土地は、島民以外には売らないで、自然を守るとの事、
その後2回ほど石垣島、西表島、竹富島に行ったが多くの自然が島民の犠牲の上に残っていました、
そんな関係化、
沖縄好きの人が最近多くなってきたなあと思います。
 1972年1月8日、佐藤総理大臣は、アメリカで、ニクソン大統領と会談し、
沖縄返還は5月15日となり、1月9日には、那覇の国際通りには、
祝日本復帰、復帰万才など横断幕などが張れ、大変緊張感があった様な気がしました。



 (昭和47年1月9日国際中央通り、那覇の町は大変緊張していた様な気がしました。)

沖縄の人たちは、私のことを、内地の人、本土の人、日本人と呼んでいまして変な気持ちでした。
今度沖縄に行く機会がありましたら、交通の転換のこと、
ドルから円への切り替えた時の状況などを聞いてきたいと思います。


一言に対する感想等がありましたら、お聞かせください。

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