清和源氏満政流(山田流)
岡田家の駆ける日本史

構築中

一.日誌 「岡田英之の駆ける日本史」
清和天皇から続く、清和源氏満政流(山田流)岡田家についての調査をまとめて行きたいと考えております。
承久の乱で奮戦した山田重忠、その子孫で小幡城を築城した岡田重篤、重頼、その子孫の織田家老臣で織田信長の馬廻、「小豆坂七本鑓」の一人にして星崎城主の岡田重善、その子で織田信雄家老を勤めるも、豊臣秀吉との抗争の中、国宝「岡田切」吉房の刀にて謀殺されたとされる岡田重孝、その弟で佐々成政、前田利家、加藤清正、豊臣秀吉、徳川家康と仕え、朝鮮出兵で朝鮮半島に使者として渡ること七度、戦にて繋ぎ五つ星の家紋を賜り、美濃等の天領の郡代から奉行を勤め治水や建築等に注力した岡田善同、その子で善同の跡を継ぎ、勘定奉行も勤めた岡田善政、その子孫で久世道空の実子、松平不昧の養子から岡田家に養子に来て、茶道などで名を馳せた、美濃国揖斐の松林寺住職、岡田善功(雪台)、善政の六男で分地を受け、下田奉行等を勤めた岡田善紀、その子で禅英山了心院寶泉寺の鐘楼などを奉納した岡田善房(善之)、その子孫で陸軍歩兵少佐、明治天皇侍従を勤めた岡田善長・・・。
私、岡田善紀より十代、岡田八九郎の孫、岡田英之が、様々な人物を輩出した一族について、調べ続けておる記録を少しづつ紹介して参りたく考えております。