プロフィール
 八幡宿 (市原市八幡) の江戸時代は海と陸の交通要衝として発展した宿場町でした。

市内の内陸部や房総海岸から運ばれてくる年貢米の中継基地で、八幡海岸から「五大力船」と呼ばれた中型帆船が海路9里 (およそ36km) 年貢米を江戸 (東京) へ津出ししました。

かつて浜本 (はもと) 地区は五大力船の船問屋の拠点で年貢米を納める蔵が立ち並びました。

南北に走る旧 「房総往還」 は参勤交代路で、休泊のための本陣や問屋場が置かれ、
久留里黒田藩など7大名が伴揃いを整えて通行しました。

幕府の街道保護政策で
八幡から海路による直接の江戸入りが認められなかった一般の旅人たちも徒歩で江戸をめざしました。

明治維新後は、船持ちや船乗りたちを除く一般の人たちはわずかばかりの田んぼで農業のかたわら、のりや貝を拾って生活のたしにしました。

昭和戦前から戦後30年代にかけての
八幡は観光地で、遠浅の海岸は海水浴場、潮干狩り、すだて客で賑わいました。



 
 そして昭和32年八幡は一大転機を迎えます。千葉県が進める 
「京葉工業地帯造成計画」 に協力、八幡海岸は埋め立てられて進出企業の大型プラントが次々と建設されました。

八幡の町はこうして近代工業都市に生まれ代わったのです。

つい40年前まで東京湾に接した小さな港町に、いまはもう潮の香りすら漂うことは
ありません。
しかし 注意深く 旧 「房総往還」 や廻りの横丁を観察すると昔からの商家造りや蔵、
赤レンガがそのまま残り賑わったかつての港町をほうふつさせます。

 
八幡の語源となった飯香岡八幡宮はいまでも八幡の人たちの心のよりどころです。

うっそうとした樹木に囲まれた境内に一歩足を踏み入れると、室町中期建造、東国武士団や庶民の崇敬を集めた重要文化財の社殿が歴史の重みを感じさせます。

この八幡宮は石造物の宝庫でも。

県天然記念物  「夫婦いちょう」のかたわらに 直木賞作家  「立野信之文学碑」がただずむ。

次の汽車までの2時間を過ごすために海岸べりの神社の境内に出かけた。ほこりっぽい停車場よりも潮の香りのする緑の森の園のほうが快適だったからである

 裏面に 「(先生は) 青春の一時をこの地に学びその間好んで散策の歩を運ばれた。」と 解説文が続き、大正時代からののどかな八幡の海岸風景が添えられています。



 

 八幡宮には千葉県でも最古参に属するという江戸中期、寛文時代の石手水鉢、旅人に方向を知らせた道標や石灯籠、鳥居礎石が、無量寺と御墓堂、称念寺の中世石塔、五所の猿田彦神社、村田川公園の庚申等、ほかにも地蔵尊などの石仏や供養塔、山岳信仰碑、力石、祠、忠魂碑、記念碑などなど、貴重な文化財が、点在しています。

その数はゆうに300基を超しそうです。

一つひとつの石碑はそれぞれが八幡の歴史です。丹念に仕上げられた造形のみごとさもみどころ、まさに石の芸術といっても過言ではありません。




 

 八幡は明治維新のとき飯香岡八幡宮の別当時であった若宮寺を 「廃仏毀釈」の嵐の中に暴力的に失うという悲しい歴史も体験しました。 

 その後も都市化、近代化の波に押されて多くの石造物が破壊され、廃棄、倒壊されてきました。こうした中、いまでも多くの石造物が現存し、寺社や地元の人たちによって手厚く見守られてきました。

私たち 「八幡の石造物研究会」 はこうした
八幡に現存する石造物を調査、研究することを目的としています。

これらのいしぶみが長く貴重な文化財として保存されることを願ってやみません。
またホームページは少しでも多くの方々に私たちの町・
八幡の路傍にひっそりとただずむ石造物を見直していただこうと開設しました。限られたページの中、調査の一部を選んでご紹介します。

調査は平成17年夏にはじまり3年間程度を予定しています。研究進展の結果を順次紙面に反映させて参りたいと思いますので、引続きご覧いただければ幸いです。



          
      
八幡の石造物研究会メンバー

         
代表   山岸 弘明  八幡北町        指導講師  秋葉 平 先生 (解読)
               小出 惣治  五所                   板倉 満 先生 (拓本)
               佐倉 東雄  八幡
               皆川  清   五所
               鷲津 寛子  東五所
               白倉 路代  八幡  (ホームページ担当)


 

  八幡の石造物研究と掲載基準

@ 調査範囲  八幡地区 ( 八幡、五所 )に所在する石造物の内、個人の墓石および稲荷社などを
           覗く全て。ただし、本ページでは大正以前のものを掲載し、昭和以降は特色のあるも
           のだけにとどめました。また、長文の碑文は要旨としました。

A 石造物でない史跡解説や墨書も必要に応じて紹介しました。

B 形状採寸 碑文全文 解説は完了時点で1書にとりまとめ報告いたします。