八幡石塚
由来記 昭和57年(1982)
往古この付近に村落が形成され石塚村と称したという。後に飯香岡八幡宮が勧進され八幡宮の氏子区域として八幡郷が形成された為石塚村は合併されて小字名を残すのみになった。此の地に古くから創立年代不詳の庚申神社が鎮座し猿田彦命を祭神として悪疫除災、旅中守護の神として俗信仰を伝承して来たが、過去土地区画整理組合が境内地の整備と社殿の改築・鳥居の建立を行ったが、近来鳥居の腐朽が甚だしいので再建の工を起こし、今回完成し御遷宮を齋行するに至ったので、后日の記念として茲に誌す。

         昭和57年1月26日  庚申神社奉賛会
稲荷大明神
庚申塔
御水神碑
庚申神社
稲荷大明神  寛政5年 (1793)
  寄棟屋根 稲荷大明神石祠
  正面碑文 稲荷大明神
  左面碑文 松田氏
  右面碑文 寛政五癸丑歳九月吉日


庚申塔  年代不詳 (江戸時代か)
  船型
  正面碑文 青面金剛像 = 1面6ぴ
   右手@裸婦、A不明、B矢 
   左手 @ひも、A輪宝 B弓
   邪鬼、3猿、2童子、A鶏
        碑文なし

御神水碑  明治27年 (1894)
   自然石平石文字塔 (高さ47、幅46、厚さ3cm)
   台石 (高さ13、幅50、奥行き15cm)
  正面碑文 御神水
  裏面碑文 明治二十七年九月吉日  以下省略

庚申神社  年号不明  (昭和50年ころか)
  自然石平石文字塔

    正面碑文  庚申神社
            市原市八幡東部土地区画整理組合

八幡宮石祠 享和2年 (1802)

角型石祠  高 51、幅 23、
  
  正面碑文  八幡宮
  高良大明神、武内大明神
  享和二年戌年九月吉日
    若宮、今井祐右エ門

     八幡高校裏

庚申塔  元禄2年 (1689)

山舟型 高さ58、幅24 奥行17p

  正面碑文 1猿、日、月、飛雲
  奉造立庚申□、元禄二年己巳、
   十一月吉日大願成就、八幡

       八幡高校裏
八幡地先
村田川の渡し史跡看板  平成10年  (1998)

 村田川渡船場跡  この地域は南房総への交通の要所でした。明治20年ころまで船による渡しがあり、古来探房の文人、墨客、兵馬など身分の上下を問わず渡し賃を払い船で川を越しました。甲寅紀行には水戸黄門が川越えした記載がありますし、彼の俳人一茶も相当の渡し賃を払って往復したでしょう。康正2年(1456) 10月馬加城主康胤は一族の急襲を受け、上総に落ちのびる際首をはねられ村田川の川岸にさらされたといわれます。また明治維新の争乱で幕府軍は川に阻まれ、この地で官軍と大激戦を演じました。いまでは川も埋め立てられ公園となり、当時の姿は何も残っておりません。
   平成10年3月  千葉市教育委員会
         英文解説省略、生実藩領地廻り絵図省略

左側面
正面
右側面
村田川周辺 八幡地先

庚申塔  享保13年 (1738)  駒型庚申塔  高さ94、幅44、奥行き20cm
 
 正面 青面金剛像=1面6ぴ
     右手 @宝剣、A三又鉾、B矢、左手 @裸婦、A輪宝、B弓 
     日輪飛雲、月輪飛雲、3猿、邪鬼、2童子、鶏
     奉納青面金剛童子、講中二世安楽処
     享保十三天戌甲十一月十四日

 右側面  中町
      惣左衛門、□左衛門、藤右衛門、七兵衛、金衛門、兵衛、権八、平兵衛、七兵衛、
      新右衛門、兵衛、三左衛門、彦三門、清兵衛、太良兵衛、善兵衛、藤八

 左側面  浜本
      喜右衛門、平兵衛、七良左衛門、与右衛門、市兵衛、孫左衛門、万右衛門

                               字は修正
千葉市村田町 泉福寺 (市原関係分のみ)

天羽南翁先生碑  自然石 高さ およそ 200cm

正面碑文  天羽南翁先生碑

裏面     先生 南総市原郡国吉村人 文政巳卯十二月生
        明治三十二年十一月二十六日没 大正四年十二月六日
        門人胥謀 建碑干終焉之地
        男 天羽 □
        門人いろは順 川上規矩書 安藤硯年刀
        飯豊利一 初芝 (以下省略)