詰み逃し

 何が悔しいって、即詰みを逃しての逆転負けほど悔しいものはない。
今回はそんな詰み逃し特集。
昭和30〜40年代の県名人戦からいくつか拾ってみた。
 まずは昭和37年の準決勝から。
▲秦正彦三段(草加) △松尾康之四段(白岡)  対局場:浦和市岸町「今井博氏」宅
第1図は▲4四桂の王手に△4一玉と引いたところ。
先手はもうひと押しだったが・・・
               
【第1図以下の指し手】 ▲5二桂成△同玉▲5三歩成△同金(第2図)まで松尾四段の勝ち
               
手数は既に210手を超え、1分将棋が100手近く続いていた。
秦さんも疲れていたのだろう。
▲5三桂打以下の簡単な詰みを逃したのはそうとしか思えない。
これで命拾いした松尾さんは、続く決勝でも矢部匡三段(大宮)に逆転勝ちし、初の県名人
に就いている。
 次は昭和42年の準決勝。
▲中村保彦三段(川口) △高野三郎四段(浦和)  対局場:浦和倶楽部
第2図は▲3二飛に△4四玉と逃げた局面。
先手はもう詰ますしかないが、そんなに難しくはない。
              
【第3図以下の指し手】 ▲4六香△5三玉▲4二飛成△6四玉▲8四竜△6五玉(第4図)
               以下高野さんの勝ち
              
 何がいけなかったのか、当時の観戦記を見てみよう。
『先手ここでとんでもない逸機をやらかしてしまった。△4四玉に▲4六香と打った手がそれ。
この手では当然▲3四飛成と馬を取るところ。△同玉には▲4六桂△2四玉▲2五金△1三
玉▲2二角打ちまで。先手がこの簡単な詰み手順を逃したばかりに、高野四段あぶなく命拾
い。中村三段にとってはあたら呑舟の大魚を逸して天を仰いで嘆息という場面となった。つい
にどたん場の逆転劇成らず、高野四段あやうく勝って決勝進出が決まった。』
 翌43年の決勝はもっとドラマチックだった。
▲先山一雄五段(与野) △海老原辰夫四段(熊谷)  対局場:与野将棋道場
先山さんは明治大学OBで第1回(昭和32年秋)の学生名人。
この年は都名人にもなっている。
海老原さんは前年の県名人で、浅子さん以来の連覇が懸かっていた。
第5図は▲4二歩成と歩を取って成ったところ。
入玉に手間取った先手玉に即詰みが生じている。
              
【第5図以下の指し手】 △7七角▲4三玉△4五飛▲3二玉△4七飛成▲6一銀(第6図)
              
 詰め将棋作家の海老原さんが△4五飛以下の簡単な5手詰めを逃すとは信じ難いが、ここ
まで先手の入玉阻止にかなり神経を磨り減らしていたようだ。再び当時の観戦記から。
『時間があれば先手楽々と入玉達成は目に見えているが、ノータイムの連続だけにどんな
どんでん返しの場面が突発するかもわからない。(中略)ここでやはりその場面が到来した。
ところがさすが寄せには定評のある海老原四段も、じょうずの手からついに水がもれた。
南無三!△7七角−この手で△4五飛と打てば簡単な即詰みがあった。▲5四玉には△8七
角打ちまで。まことに海老原四段にとっては惜しみてもあまりある逸機だった。(中略)
後手が手拍子に△7七角と打ったばかりに▲4三玉とはいられてここに先手の入玉は達成
された。このあと△4五飛打ちとなったがどうせ打つならなぜ先にこの飛車を打たなかったか
―まことに泣いても泣き切れない後手の大きな逸機だった。海老原四段にとっては魔のさし
た一瞬というよりほかにない。』
まるでわが事のように悔しがる観戦子の心情が伝わってくる。
 第6図から後手は仕方なく入玉を目指す。
現状は駒数でリードしているので、持将棋判定のわずかな可能性に懸けた。
しかし叶わず。
第7図が投了の場面。
              
 総手数223手は決勝戦の最長手数かもしれない。観戦記はこう締めくくっている。
『さしもの大熱戦も先手のとどめ▲9三歩打ちで終止符が打たれた。まことに決勝戦にふさ
わしい近来まれに見る激闘であった。敗れて悔いなしといいたいが、やはり海老原四段に
惜しまれるのは△4五飛打ちの一発で決まった即詰みの順であろう。これで先山五段首尾
よく初優勝の栄冠に輝き、第二十二代県名人位の座にすわる。どちらが出ても東地区大会
ではその活躍を期待するにじゅうぶんの実力だが、海老原四段の分までがんばってもらう
ことを先山五段に願ってやまない。』
その期待通り、先山さんは東地区大会で成木清麿さん(栃木)や土岐田勝弘さん(山形)
らの強豪を下し、ベスト8まで進出している。
 最後は昭和47年の準決勝。
▲佐藤茂和三段(熊谷) △岩沢健作四段(狭山)  対局場:与野将棋道場
第8図は後手の岩沢さんが△5五歩と馬取りに打ったところ。
ここでは観念していたかもしれない。
              
【第8図以下の指し手】 ▲5九飛△5六歩▲同玉△5五金(第9図)まで岩沢四段の勝ち
              
 第8図で▲2三銀と打てば△1三玉には▲2五桂、△3一玉には▲3二歩で比較的簡単な
詰みだったが、佐藤さんに錯覚があったようで、当時の観戦記に『▲2三銀−△1三玉−▲
2五桂−△2四玉のとき、いとも簡単な▲3四馬を見落としていた』とある。
 以上4例はいずれも詰め将棋として出題されれば簡単なものばかり。
この頃は持ち時間を使い切ると1分将棋だったが、それでもミスしてしまうのが秒読みの怖さ
そして対局心理の微妙なところだ。


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