昭和35年に始まった関東アマ名人戦は今年で49回目を迎える。 |
昭和59年の25回大会は、開催予定だった東京都下の都合で中止になったが、カウントはされている。 |
図書館で新聞のバックナンバーを調べているとき、この年の棋譜がどうしても見つからず不思議に思っ |
たが、翌年の観戦記に『2年ぶりの開催』とあって納得した。 |
本大会では県勢の成績もよく、これまで個人戦で13回、団体戦で14回の優勝を誇る。 |
いずれも最多記録だ。 |
今回は埼玉が個人、団体を制した昭和49年の第15回大会を振り返ってみたい。 |
この年は5月11、12の両日、千葉市高根町の高根山荘で開催され、本県からは鈴木正男四段(吉川) |
乳井柾雄三段(川口)の2人が出場した。 |
乳井さんは2回戦でアマ名人戦2連覇の南川義一さん(東京)と当たる。 |
強豪相手に大善戦したが、△5八金と詰めろを掛けられた第1図では残念ながら少し足りない。 |
しかし、このあと先手に一瞬のチャンスが訪れる。 |
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【第1図以下の指し手】 ▲3二と△1三玉▲2二銀△1四玉▲2六桂△同金▲4七角△3六桂▲同角 |
△同金(第2図)まで南川さんの勝ち |
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▲3二とに△同飛と取れば問題なかったが、△1三玉と逃げたからさあ大変。 |
この瞬間後手玉に即詰みが生じている。乳井さんに大きなチャンスが訪れた。 |
しかし生かせない。 |
▲2二銀では▲2二角△1四玉▲2四金以下どう変化しても詰みだった。 |
これを逃した後も▲4七角の王手金取りで一瞬はっとさせたが、△3六桂がまさにぴったりの返し技。 |
当時の観戦記にはこうある。 |
『▲2二銀と打ったものだから、乳井三段あたら呑舟の大魚を逸した。あわや大豪にひと泡吹かせる |
場面到来をまことに惜しい逸機。このあと必死のがんばりも後手に△3六桂打ちがあっては、それまで。 |
乳井三段も敗れて悔いのない善戦だった。』 |
うーん、本当に惜しかった。 |
県勢もう1人の鈴木さんは、石川正明さん(千葉)、広瀬梅治(東京)、滝源太さん(神奈川)を下し白組 |
でただ1人3連勝。 |
同じく紅組3連勝の南川さんとの一戦は、個人優勝と団体優勝が懸かる大一番になった。 |
第3図は先手が角取りに▲4五歩と打ったところ。 |
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あらら、角の行き場がない。これは後手困ったか。 |
NO。鈴木さんはかなり前からこの局面を想定し、ちゃんと△1四歩を突いている。 |
といえば次の手はおわかりだろう。 |
【第3図以下の指し手】 △1三桂▲2四飛△3五角▲2二飛成△5九歩成(第4図) |
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△1三桂がぴったりで角は助かっている。 |
玉の近くにと金を作った第4図は後手がかなり良さそうだ。 |
当時の観戦記には『南川五段局後の感想でも、このあたりではどう指しても手負けは免れず、半ば敗戦 |
のほぞを固めたとのことだったが・・・』とある。 |
第5図はいよいよ最後の場面。 |
震えて△8三銀と打ったりすると▲7五金で「ギャッ」となる。 |
鈴木さんはすっきり決めた。
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【第5図以下の指し手】 △6八角成▲同玉△5八金(第6図)まで鈴木さんの勝ち |
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ばっさり角を切って詰み。 |
▲6八同玉で▲同歩なら、△8七銀でも△8九銀でもいい。 |
『南川五段軽く一礼して投了となる。”うまく指されました”とこの後輩の健闘をたたえるあたり、少しも悪 |
びれず、敗れたりとはいえさすがに大豪の風格十分。かくして鈴木四段見事決勝戦に勝って、本県勢 |
個人、団体戦ともに優勝という、まさに両手に花。関東五県から八都県に発展してからは初の偉業達成 |
である。鈴木、乳井両氏に心からご苦労さまといいたい。』 観戦記はそう結んでいる。 |
観戦記では南川さんの段位が五段になっていたが、アマ名人に六段位が贈呈されるようになったのは |
昭和36年の若松政和さん(兵庫)から。 |
南川さんの連覇は昭和34−35年なので、六段の免状はお持ちでなかったのかもしれない。 |