時間厳守

 今の県大会は受付時間に遅れてくる選手は殆どいないが、昔はかなりルーズだったようだ。
昭和38年の埼玉新聞将棋欄に「水戔子」記者(故浅子雄さん)の次のような一文がある。
『いつもは午前十時とうたっても対局は十二時を回るのが当たりまえになっていたが、こんどから
時間厳守となって一時間以上遅刻すると失格のうき目に合う。それがきいて全員定刻には集合。
役員のあいさつ、組み合わせ抽選などで手間どったが、それでも十一時にはいっせいに対局開始
というのはまず異例のことで何よりいいことだと思う』
遅刻する選手も悪いが、そんな大遅刻を許していた運営側にも責任があるんじゃなかろうか。
今回は定刻十時に全員集合しているのに、対局開始が十一時というのも手際が悪い。
まあ、大らかな時代だったんだろう。
 翌39年にはこんな記事もある
『T四段は、一昨年は川口の地区予選で一時間以上遅刻で失格、昨年は仕事のつごうで欠場している
(中略)一昨年は松尾四段に、昨年は高野四段とそれぞれの年の県名人と顔を合わせるや、開口一番、
おれが出なかったので助かったろうと、まるで鬼のいぬ間のせんたくといわぬばかりの口ぶり。こんな
毒舌を吐くくせに少しもにくめぬところは、ひとつにはこの人の人徳というものであろうか』
 これ県名人戦決勝の観戦記なのである。
強豪のTさんはかなりの豪傑でもあったようだ。
 さらに翌40年はこうなる。
『別に将棋界に限ったことではないが、何の催しでも定刻からたっぷり一時間以上は遅れるのが日本人
の悪いくせ。真打ちはあとからなどと、まるで早く姿を見せるのはコケンにかかわるとでもいうような悪習
である。それがだんだんと改められて、ことしは全選手定刻前後にはことごとく参集といういい傾向。
一番乗りは菖蒲の熊井初段―だいたい遠くの者ほど早くやって来る』
 日本人云々のくだりはどうかと思うが、この頃には選手の意識もだいぶ改善されている。
それから16年後の昭和56年の観戦記。
『県下四地区代表四十八人の精鋭一堂に会す。定刻きっちり、しかも一人の欠場者もなくもれなく全員
集合というのは近ごろ異例のことで、たいがいは二人か三人は補欠出場ないしは、そのまま欠場という
ケースが多い。おかげで補欠を何人か用意した地区もあったようだが、残念ながらついにその出番は
こずじまいだった』
 うーん、素晴らしい。