洞察力(どうさつりょく)

洞察と辞書を引いて見た。・・・見抜くこと。見通すこと。「洞見」と出ている。すなわち、洞察力とは「人の心の中を視通す力」とでも言いましょうか!さらに、修行して進んでいけば、「自分の将来、相手の将来が視通せる力」と言う事に成るわけでございます。しかし人間には非常に強い「我」や欲が長い間に、身に付いてしまっている。子供の素直な心から大人に成るにつれて、お金が欲しい、名誉が欲しい、財産が欲しい、出世したい。等欲望が強く、深く育ってしまう。自分中心に物事を判断してしまう。私自身もまったく、そのように育って来てしまった。今回の事が無ければ、そのまま人生を終わっていた事でしょう。そこで、私に洞察力を着けるには、洞察力を高めるには、「我」を捨てる修行が必要に成ってくる。人間は欲が強く有るから、詐欺にひっかかる。人間は不安が有るから、詐欺的な新興宗教にひっかかるのです。
財産が欲しい等と言う我欲を無くして行くことから始めなければ、人の心を見抜く等、出きるはずが無いのです。

「神が心に宿る体験」を致しますと、「感性の高まり」によって、人間の心とは、どうゆうものか!わかってしまう。心と頭(脳)の違いが解かってしまう。人間の行動は心に思ってから、頭に指令を出して行動する。例えば「手を上げる」、これも心で手を上げると、思ってから手を実際に上げる行動をする。「足を前に出す」。これも心で思ってから、足を前に出す行動をする。足を前に出すと思って、後ろに足を出す人は居ません。そんな事当たり前だと、言われるかも知れませんが、今まで気が付かなかったのです。人間は行動を起こす時、必ず心に思ってから行動を起こすのです。また人間の心は、「煩悩と愛が自然に発生する所」なのです。ここまで人間というものが、わかってしまう、人間と言うものを証明出来てしまう。人間とはどうゆう生物なのかが、解けてまいりますと、完全に、「誠の人間の証明」が出来てしまいますと、相手と会っただけで、相手の言葉、行動を視ただけで、相手が心に何を思っているか!相手の考えで、将来の相手の人生がどう成って行くかを洞察する事が出来るように成って来るのです。私の今回の体験が無ければ、凡人で俺が、俺がで自分中心にものごとを考えて自慢話や、自己満でこの世の人生を終わっていたと思う訳でございます。しかし神との遭遇により、私の心は少しずつ慈悲の心、愛の心に変化しております。更に修行し、努力して、煩悩を脱して、神の心、愛の心を磨き、より多くの人の話を親身に成って聴くことで、洞察力は、更に高まっていくものと確信するわけでございます。毎日のいろいろな人と出遭い、「話聴く」を実践行動することで、洞察力を高めます。

養老猛さんの「死の壁」を超えた世界!人間の頭(脳)と心の違いを解き明かします!ソクラテスや弘法大師が体験した「未知の世界」


人間の心の幸せを願う!    袈裟 感洞(大井 今朝雄)


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