頭に存在しない言葉を感じ取る感覚
2007年6月13日(水)書き込み開始
言葉を、経験により心で感じ取る感覚は、絶対に頭には存在しない現実を証明してまいります・・・・・・・・
人間の肉体の頭には、五つの感じ取る力を持つ、感覚器官「@ 外界の刺激が、神経により脳の中粋に伝わっておこる意識の現象。視・聴(以上高等感覚)・臭・味・触(以上下等感覚)」などが存在する。この器官は勉学によって、目や耳から知識をインプットして知識を知り、頭に蓄えて覚える【知覚器官】と、経験により、辛いとか、塩からいとか、甘いとか、味を感じる舌と、臭いや香りを感じる鼻・そして痛いとか、柔肌とか、接触によって感じる皮膚の【感覚器官】の二つに分けられる。通常この五つの器官を、【感覚器官】【五感】と呼んでいる。この器官は、人間が経験によってのみ感じ取る器官と、あるいは勉学によってのみ知識を蓄える器官であるが!・・・通常、言葉を知り、言葉を理解・解釈する器官は「知覚器官】と考えられるわけでございます・・・日本のことわざに「百聞・百見・一験にしかず」と有りますが、百回聞くよりも、百回見るよりも、一回の経験が大切と言っている通り、体験により身体全体で感じ取る事の大切さを、教えることわざと、思うわけでございます。・・・更に、このことわざを、裏返せば、【経験や体験の無い言葉】を、理解・解釈する事の難しさを、言い表しているのです・・・例えば、哲学と言う学問?・・・謎だらけの哲学?・・・ギリシア時代(紀元前約700年・今から2700年前の昔)に、発生したギリシャ哲学?・・・歴代多くの哲学者が、哲学と言う学問を約して来たが?・・・哲学にとって大切な言葉が約されていない現実?・・・哲学の発祥の根源とも成る【魂】について、まったく無知でわからない状態で哲学の学問を約すから、哲学が謎の学問となってしまった?・・・ソクラテスの言葉【魂に思慮する】の言葉も?・・・【魂と遭遇体験】の無い学者は、ソクラテスの「自分の心に気ずかいをした」と、とんでもない訳し方をしてしまう?・・・魂と遭遇体験の無い学者の愚かな訳し方である?・・・このように、未体験の未解釈で、体験の無い言葉を、訳す事は非常に難しい?・・・訳し方によって、まったく逆の意味に成ってしまうのです?・・・そこでソクラテスの哲学は破邪的(はじゃてき)とか産婆的とか?・・・愚か成る学者によってソクラテスの言葉の訳し方でとんでもない真理が歪められている?・・・「不滅なのは、魂であり、大切なのは魂への心配り」のソクラテスの言葉も、魂とはどんなもんか?・・・人間の肉体が消滅したのに、ソクラテスの心に復活して来た【魂】について人類は、まったく無知なのである?・・・自分の愚かで無知の反省も無く、絶対の哲学とか?・・・人間の生命機能の真理「デカルトの心身二元」の真実も否定してしまう?・・・頭が全ての愚かなる学者によって真理が歪められて訳されて2700年も、歴史が経過してしまった?・・・何故?・・・未体験の【言葉の真理の意味】が学者には、訳せないか?・・・解き明かしてまいります・・・・・・・・・1、哲学の語源、「愛する」と「知恵」の奥深い意味を学者には解けない?・・・・・・・・・2、源氏物語が、何故?・・・日本の重要文化か?・・・未体験の学者に訳せない紫 式部 の言葉「好きに成るのと、愛するの言葉は、誠に良くにております?・・・しかし、まったく違った意味を持っているのです?・・・男と女ほど違うのです?・・・体験がありますか」?・・・の言葉を解読してまいります・・・・・・・・・・3、イエスキリストは「愛は神である」と言っております?・・・何故?・・・愛が神なのか?・・・イエスの言う【愛】とはどんな愛なのか?・・・人類はまったくわかっていないのです?・・・【誠の愛】を心で体験して、感じ取れない学者さんには、到底理解・解釈・説明できない言葉なのです?・・・人間の重要文化【誠の愛】とは?・・・どんな愛か解き明かしてまいります!・・・・・・・・・
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