無我の修行とは!

「無我」@我意(私心)のないこと。「−愛」Aわれを忘れること。「−夢中」と辞書に書いてある。仏教では無我に成る為に毎日、厳しい座禅の修行をして悟りを開くという。
私もいろいろな所で座禅を経験しましたが、頭で何も考えないように成ると言われましたが、何も考えないようにすれば、する程いろいろな事が頭だか心に浮かんできてしまい、どうしても無我には成れない。高僧の方は「無心」に成れ。自分を捨てろという。馬鹿に成れという。しかし人間どんな偉い人でも24時間無我に成って居る事は出来ない。どんな高僧の僧侶でも三大煩悩は我慢できない。人間は恋をすれば性欲は心に自然発生するのです。そこで今回私の「無我」の意味の理解・解釈は次の二つに成ると、決定しました。
1、無我=誠の愛を指す。自分をすてて
(われを忘れて)相手を満足させる。相手を受け入れる。愛とは自分の性欲を満足するのでは無く、相手を常に満足させる事、更に大切な人、大事な人として、思いやりの心を持って長い人生を共に生きていく、そこに素晴らしい「人間愛」が心に生まれて、神と成るのです。誠の愛こそが、一身同体と成り、二つの身体が心一つに成るのです。

2、「無我夢中」という言葉が有ります。私達は普段の生活の中で仕事にしても、勉強にしても、スポーツにしても夢中に成っている事が有ります。自分の目標達成の為に夢中に成っています。其の時は
我を忘れて無我夢中に成っているのです。@、仕事に夢中に成るのも無我です。Aスポーツに夢中に成るのも無我です。B、勉強に夢中に成るのも無我です。4、パソコンに夢中に成るのも無我です。総て興味を持ち、夢中で気持ちを打ち込む、それが無我なのです。其の時こそ、自分、私心を忘れているのです。
今回は更に進めて仕事の中に無我を取り入れていく。
「今現」実践行動!
「たった今現在やっている事を、夢中で一生懸命やりなさい」の言葉を「今現」
と短くして、普段の自分の行動中にたえず自分に言い聞かす。車を運転中ですと、よそみをすれば事故に成る!一時停止を怠れば事故になる。「今現だよ」と絶えず言い聞かす。だんだん安全運転に成って行く。仕事にしても他の事を考えながら仕事をするとミスが多くなる。そんな時「今現だよ」と自分に言い聞かす。仕事に「工夫」、「改善」が出来るように成ってくる。さらに毎日の仕事を工夫し効率良くする為に仕事を「習慣」にしていく、そしていろいろ「反省」して工夫・改善・していくと、「今現」のおかげで仕事がどんどんと効率よくかたずいてしまう。「今現の言葉は」素晴らしい。
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