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結婚 |
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難病と解ったときから あきらめてました
この病気を 理解してくれる人なんか 居るとは思えなかった
自分でさえいやになり 思うようにならずに イライラし悩み涙しているのに 病気も一緒に結婚してくれる人なんか いるはず無いと・・・・
でも いるんですね 世の中には そういう人
11月27日 おばの家へ尋ねてきた木工作家を夢見る自由人が その人でした 夢を語るその人の目と歯は キラキラ 輝いてました 話し方も穏やかで なーんか一緒に居て安心できるここちよさを感じてた この人なら 田舎に帰って困ったときには なにか教えてくれそう思い 叔母のもらった 電話番号をメモしてました 男性がそばにいるだけで 緊張感を持ち プレッシャーに思ったりする私でした その人は 一緒に居ても 体かこわばるような緊張感は無く 自分のままでいられる ソンナ安心感のような物を感じていた 親元で暮らしてたら きっと この出会いも無かったと思います その人は 次の週 自分の工房に招待すると言って帰っていきました 「工房」 ?芸術家の工房 ・・・・どんなとこ その時は 私より むしろ 叔母の方がはしゃいで見えました 東京都 桧原村 そこは 高い山に囲まれた東京とは思えないところでした 空が 見えなくなりそうなとき 「数馬の里」の看板があました そこは 12月のはじめにしては あまりにも寒いところでした 彼は この間と同じように 工房の説明を嬉しそうに話してくれた 私はただただ 寒さに耐えていました ふっと 周りの高い山々に目をやると 自然なんて 当たり前の中で育った私が 心の奥の方で 「 この場所に また 来たいなー」 と やはり 穏やかな気持でした 今思えば そうおもったことも不思議です その後は 知り合いのクリスマスイベントが始まり お互い同じイベントに参加してました もちろん 私は叔母の助手として参加 こだわりの自由人たちとの会話の中 もうすぐ 田舎へ帰る話になり 一人の既婚者が言った「さつきちゃん 結婚しないの」 これをきっかけに 私の病気の話になった 田舎に帰り 結婚をあきらめステンドグラスをする話をした 「間違ってるよ」「病気た゛からこそ 結婚して幸せになるんだよ」 と彼女は言った やっぱりこの人たちは 何かが違う 私からは宇宙人のような存在だった そばに何気なくいた 彼が一言 「へー かわいそうな人なんだ」といって立ち去った エッ 私ってかわいそうな人?ちがうよ・・・心の中で思っていた 「藤木さんいいよ」「あの人いい人だよ」 回りの大人たちだけが 捕まえたねずみをもてあそぶ猫のように 私たちを突っつき はやしたて 盛り上がっていった その後 おばの家で 何人か集まって食事会を開いた
ステンドグラスの勉強の期間も もうすぐ終わる 12月25日 おばの家では いつものように友人たちが集まり クリスマスと私の送別会の準備をしていた 今思えば いつどこで ソンナ話になっていたのか おばの家の玄関先で 私たちは 結婚への一歩を踏み出していました 不思議でした 二人で結婚の話などしたことなどないのに いつも 心配ばかりして後ろばかり見てきた私が この時ばかりは 悩まず 自分の気持と正直に向かい合っていました 次の日 二人だけであったのは この日が初めて そのまた次の日 いっしょに夕食を食べた 二人であったのは この二回だけ 29日私は 岩手に帰った 不思議なくらい 話は進んでいった 何一つの不安をも感じず 何かに導かれるように 元旦 午後 彼は着なれないスーツ姿で父の前に緊張しながら正座していた 気が付いたときは 家中 おじ叔母 いとこであふれ返っていた 「さっちゃんが結婚する 」「さつきの相手ってどんな人?」 ってな感じに その年の 平成6年 1月15日 結婚生活を始めるため 再び埼玉へ行くことに決まった その前日父が 駅まで送ってくれることになってた 半月が過ぎただけで また一人留守番をし 父の帰りを待つ母 定年後 新しい仕事も見つかり 第2の人生に向かっていた父 母は出勤前の着替えをしている父のそばで いつものように 右手でほとんど動かなくなった左手を いとおしむ様に何度も何度もなでていた 出発前 嫁ぐ日の花嫁がするように 私は父母の前に座った テレビで何度か見た ワンシーン 緊張が走る すぐ 涙が出てしまう私は 明るい気持で出発したかった 私らしい言葉を捜していた そして 口から出た言葉は 「返品にならないように がんばります」 だった 親子3人で泣きながら笑った
父と私は 駅へと家を出た 振り向かなかった 振り向いたら きっと 母がどうしようもないくらい くしゃくしゃの顔で 丸くなった肩を震わせ 涙と 左からどうしても出てしまうよだれを 何度も何度も拭いているのが解っていた あなたの娘だから 駅で見送ってくれた父は 「おかあさんは さみしくて よく電話かけるだろうけど話し相手になってやれ」・・ 「暮らしてて藤木さんに 嫌われていると思った我慢しないで すぐ帰って来い」 と言ってくれた 心配ばかりかけてきた娘に最後の最後まで 親として守ろうと言う気持が痛いほど伝わってきた 今頃になって 父の思いの深さにきずいた 花輪線 盛岡行き 通院には必ず乗っていたローカル線 窓際に座り 父の姿を探した 小さな駅の片隅に父の姿が見えていた しだいに 涙でかすんで見えなくなっていった 父の姿が 小さくなっていった
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穏やかな居場所 その日は 東京のおばのところへ泊まり 次の日から 二人とパーキンソン病との結婚生活が始まった 結婚式は挙げずに 写真だけ撮った どうしても 白無垢姿になりたくて 病気のことを話し 柱にしがみついて花嫁衣裳を着せてもらった 欲が出て 飾ってあった色打掛まで着てしまった 思えば ウェーディングドレスにすればよかった 柱と戦った花嫁は 一番美しいはずが 薬がきれかかり 疲れきった 写真が残ってしまった おばの家で 手作りの披露宴を してもらいました 彼の作った 結婚指輪 コックをしている弟が作ったウェーデングケーキ 手作りのあたたかさに どんなに自分が大切に思われているかを知りました だれにも負けない幸せを感じました 結婚して こんなに穏やかな居心地のいい場所があるとは思いませんでした 動けないときはじっとしてても 何も言いません 転んだときは「何してるのよー」 と一言 「見れば解るでしょ」 と思う間もなく 「どうすればいいのよー」と のーんきな声で聞き返します どうしようもない間に ついつい笑ってしまうのです 聞いてから 何とかしてくれます 薬が効いてから 洗濯 苦手な掃除 帰ってくるまでに夕食の仕度 後は 結婚前と同じ 叔母の所へ行ってステンドグラスをしたり 買い物 お出かけはしょっちゅうでした フリーマーケットにも民芸品購入して 参加 それでも 家に閉じこもっているよりはいいといって 夕食の時間に帰っていれば 何も言いません いろんな初めても 経験しました ちょっと 風変わりなイベント 網戸作り(隙間が多く 却下) 「なんで私が」と思うことも・・・ このときも 考え作ることの楽しさをしったのかもしれません 今までは いや 今もですが 初めてのことに出会うと気があせり 考える前に 頭の中真っ白に近くなり パニックになるのです そうなると 考えと体がばらばらになり 固まったり 小刻みに歩いたり 動作が変になり 転んだりします それが 嬉しいときも 同じです 嬉しくて動きが取れなくなるときほど 悲しいときはない 困って 動けなくなっているようで 自分で気をつけようと思うと かえってそれが 強く出ます 人によって違いますが 自分で自分の体をコントロールできないのです 動きが鈍くなり 固まるだけでなく 転ぶこともよくあります 前 後ろに人によってさまざまです これが 私の パーキンソン病です 18歳のころから 悩み 苦しみ 涙した 長い年月 難病 死ぬ病気ではなく寝たきりになると 解ったときから 結婚は夢で あきらめていた 結婚してから 病気になった人はいいとさえ思っていた でも違っていた 難病でもパーキンソン病でも 結婚できたのです
★「 今日一日 たのしければ 365日 楽しい日になる」 ★「他人同士が結婚するのだから あわないところがあって当たり前」 ★「守るものが出来ると 自分自身強くなれる」 結婚当初 主人が言ってくれた この言葉も 病気で落ち込む私の支えになった
結婚て お互いが信じあえるか 何処まで認め許して上げられるか そして 価値観が同じこと 病気 健康関係なく そんないろんな歯車がかみ合って成り立っている物 長く暮らしているうちに 速さがあわせにくくなったり ギシギシ音が出たりするけど 守ってもらうだけでなく なにかあったら 私だって守って支えたい この気持を大切にした これからも 大きな歯車に支えられ 時を刻んで生きたい
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