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2004年3月初め、夕飯の仕度でもと思っていたころ、電話が鳴った。
「おめでとうございます。今回グランプリではありませんが、ゲスト審査委員賞を受賞しました。4月9日御家族の方と授賞式に出て頂きたいのですが。」
イーライリリーの話は福井の病気仲間に進められ、協力アドバイスをしてもらいながら、応募したものだった。「エッ、グランプリだけだッたけど」頭の中で思った。
イーライリリー社がパーキンソン病の患者のために企画。
今回が第2回。患者でありながら前向きに取り組んでる趣味・作品・活動内容・作品を送ったものでの評価、グランプリは患者部門・支援部門、各一つずつとしか応募内容に書いてない。
3月に前回グランプリの大倉さんの奥さんにもお会いして、授賞式のお話をお聞きする機会もあった。気さくで明るく、かわいい奥様で私の心配事をなくした。確かに最初、原稿を作ったり、作品を手直ししているときは「グランプリを・・・・」なんて舞い上がっていたが、時間がたつにつれ、そんな夢みたいな話と思いも薄れてきていた。
作品も送ったほうがいいということで手元にあるステンドグラスの中から、これをと思っていた作品を送ろうと思っていた3日前に、いつも掛けて置く所にこの日に限って主人が背伸びして手を当ててしまい、落ちてひびが入ってしまったのだ。
それがこの作品。色と複雑さが見栄えがした。
わざとした訳でもないし、今回送ることも話していなかったのでなくなく、鏡にバラとチューリップの花を組み合わせた。鏡なのであまり周りの色を派手にしたくなかったので地味な作品になってしまった。そんなこともあり、とても賞などもらえるとは思ってもいなく、この電話には驚いた。
うっかり送った作品の 写真を撮ることも忘れていた。
ホームページが出来て父に見せ、父が泣いて読んでくれたときも嬉しかったが、自分の体に振り回され 何も出来なかった年月が病気になってから、ズーッと「生まれてきた意味」を心のどこかにひっかかっていたけど無駄に生きていなかった。今回のことでそう思えることが嬉しかった。
和磨も進級したばかりの学校を休ませて家族3人で東京で行なわれる。授賞式に出かけることにした。授賞式を前に北海道新聞に大きく載った。見出しの大きさに驚いた。うそは書いていないが、自分が経験したことと楽しんでいるだけなのに・・・。

授賞式の前に北海道新聞に載る見出しの内容と大きさに驚いてしまった。 うそはないがそんなにすごいことはしていない。
9日当日、時間の都合で紋別空港からではなく、旭川空港まで車を走らせた。いつ以来だろう、家族3人で飛行機に乗るのは。主人と子供の休みが合わず、ドライブに行けなくなってから車酔いをしやすくなった和磨に酔い止めを飲ませ、朝6時半に家を出た。
かすかに吹雪いていた。飛行機で1時間半、東京に着いた。
ヤッパリ暑い。桜も散り始めていたが、村で満開の桜を見る機会が少なくなった私たちには懐かしいとも言える春爛漫の桜に見えました。
予定では早く会場に着くと思っていたが、東京の駅の乗り場のわかりにくいのに手間取り、予定時間の2時半ギリギリに会場入りした。控え室に通されて皆さんおそろいかと思ったが、佐賀からいらしたという 西村さんご夫婦が一番乗りでお部屋にいらした。
3時から授賞式は始まり、前の壇上に審査委員の4人の方々が座られ、向かい合うように並べられたイスの前列に私たち受賞者が座り、その後ろに一緒にいらしたご家族が座られ、その後は関係者だと思われるが何人かさだかでない。時よりカメラのシャッターの切る音がした。
思ったより緊張はしなかった。
壇上に座られた4人の審査委員の方々が一人一人の批評、感想を述べられました。私の場合、18歳発病にもかかわらず薬を飲み続けての出産が評価されたらしく、「藤木さんが子供さんを出産をされたことは、もう一つ賞を上げたいくらいです」とおしゃって下さり、そのご本人である。和磨がその事が一番残っていたらしく、叔母や叔父に「和磨を生んだことでもうひとつ賞を・・・・・」って言ってたよ、と自慢げに話していた。授賞式で頂いた盾はシルバーの輝きと鏡に刻まれた自分の名前がまぶしく輝いていた。

文字の部分が鏡になったおしゃれな楯。
いよいよ、その時は来た。
「あいさつ3分ぐらいで」と言われていた。苦手だ。
普段はなんでもないことをベラベラおしゃべり大好きなのに、人前でお話を・・となるとなぜか自己紹介で名前を言っただけで涙が溢れ出すのである。家でも練習をしてみたが泣いた。泣いても何とか読めばと思いメモも作ってみた。辞めた。その場の気持を伝えたかった。
主人にしがみついてマイクのそばへ行き、「北海道から来ました藤木です」。鼻の辺りがツー−ンとして涙で言葉が続かない。しばらく無言のまま立ち尽くす。「何かはなさなきゃ」「お礼は言ったほうがいいよ」家で和磨が言っていたことを思い出し「今日は本当にありがとうございます」声を振り絞るように言った。後は心に秘めていた言葉を探す、ズーーッと思っていた言葉を並べた。文章は覚えていない。
ステンドグラスから今の幸せがあることとパソコンでたくさんの若年性の患者の多いことを知り、今が幸せだから出来たホームページで、これからも病気でも幸せになれると伝えたいと言ったつもりだが、なんせ泣きながら言い訳する子供のような状態、わかっただろうか。
挨拶は終った。時間が解決してくれた。
後で主人が話していたが私が無言になってしまったとき、このまま話せなかったらオレが何か挨拶しなきゃいけないのかと心配していたらしい。

叶 和貴子さん、さすが女優、美しくチャーミングでした。
審査委員の御一人でいらしていた。女優、叶 和貴子さん。ご自分も病気でいらしたこともあり、優しい笑顔とお言葉を掛けてくださいました。

本人も回りもきずかないまま一通り写真を撮ってもらい、 どなたかの一言で私だけが楯をもっていないことに気づき、また取り直し「ごめんなさい」。
うっかり頂いた楯を忘れてしまい、もう一度取り直しをしました。皆さんは写真とり直してくれたようでしたが、主人はとり直してくれなかったようなのでドジ丸出しです。
真ん中にいらっしゃる。凛とした方が患者部門グランプリの小森さん(札幌)88歳というお年を感じさせない品のよさにキリッとした強さを感じさせ、見てもパーキンソン病とは思えない。素敵なおばあちゃまでした。
小森さんの向かって左側にいらっしゃる方が支援部門でグランプリを頂いた。コザクリニックの佐久川さん(沖縄)、岩手出身で北海道のオホーツクまで来たからには南の沖縄も行って見たいと思っていたので、この機会に沖縄の方とお友だちになれたらいいなーなんて勝手に思っていたが、佐久川さんとお会いして話して見たら「本当に遊びにいらっしゃい」とこころよく言ってくれた。「本気に行っちゃいますよ」と笑うと「ホンとホンと」と名刺をくださいました。
いつか、きっと沖縄行くぞー。
そして、グランプリのお2人の両脇に座っている四人が、ゲスト審査委員賞。手前女性2人私の隣が佐賀県からいらした西村さん、朗読をしていらっしゃると聞いていました。控え室でもいろいろお話していましたが、挨拶の第一声で驚きました。マイクの前に立った西村さん。さっきまで控え室で話していた話し方と違い、きれいなとうる声、一瞬私の頭の中にバスガイドの姿が思い浮かびました。挨拶を書いてきたと言う西村さん、手に持っている紙は波を打つように震えているのに西村さんのお声はパーキンソン病から離れているような別の存在にすら聞こえてきました。

このポーズ卒業式以来の緊張感、必死でたってました。
ゲスト審査委員賞の男性お二人、私の手前にいらっしゃる車椅子の方が比嘉さん(沖縄)。奥様が変わりにご挨拶されましたが、感極まり私の横で涙していましたが、叶さんがお話しているときは嬉しそうなお顔で、お話を聞いていたのがかわいい顔でした。
そして、私の後ろに立っていらっしゃる方がパーキンソン病に戦いを挑んで、山小屋作りに挑戦した清水さん(和歌山)、一つのことに向かって病気にもめげず、目標見つけ今は病気感じさせない仲間も出来て、山小屋作りを楽しんでいるようすを熱く語っていました。懇親会では、ほら貝も吹いて見せてくれました。
懇親会では立食パーティー、正直言って不思議でした。周りにイスが置いてありましたがバイキングスタイルなので、お皿にお料理を持ってきてもらっても飲み物を手にし皿を手にすると食べられないのです。
そこでズーズーしい43歳のおばさんになり、イスをズリズリーッと引きずり丸テーブルにちかづきました。一人じゃ心細いのでそばにいらした西村ご夫妻も道連れに・・・・・と、気がつくといつの間にか皆さんテーブルのそば食べて話して飲んで楽しい時間はあっという間でした。たった一人、暇をもてあましていたのが和磨でした。

主人に頼んで叶さんと一緒に写真を・・と言っていたら、そばに居た方がせっかくだから ご主人もと言ってくれ三人で。和磨もと思ったが見当たらず。
普段はお化粧もしないで居る私が久しぶりのおしゃれに力を入れ、女優さんと並んで写真を撮ってもらいました。叶さんのお顔の小さいのにビックリー写真よりズーッと綺麗な人です。
今回、スーツに合わせてコサージュ・イヤリング自分で作って参加しました。
★今回の授賞式は私の人生に欠かすことの出来ない。パーキンソン病との長い共同生活の中で、今こうして自分自身が幸せと感じられることが決して一人で生きてきたのではなく、周りの人・環境・性格・・・・いろんなことが組み合わさって出来てきた幸せだと思っています。幸せだと思えるから辛い過去を振り返り文章ホームページに出来たと思います。私は口にして文章にしたから大変だったかのように見えます。私にとっては確かにパーキンソン病で辛い時期もありました。神様も恨みました。
でも、こうしてパーキンソン病の人たちと出会い・話しを聞くと、私だけでなく一人一人、その人その人にドラマがある。口に出さない人のほうが歯を食いしばり、今日一日を生きているのかもしれないと思ったこともあります。「頑張ってるね」「藤木さんは 病気を受け入れて・・・」と私に声を掛けてくれる人が居ます。私は頑張っているつもりもまして病気を受け入れたつもりもありません。
運命と言えば、それまでだが人との出会いが自分の人生を大きく変えることは確かで、出会った人たちがパーキンソン病の私を理解して受け入れてくれて今の生活がある。出会った人たちに感謝でいっぱいです。出会いは私の宝です。
今回受賞はホームページの題名なっている
本当の意味での「パーキンソン病からの贈り物」を頂いたとおもっています。
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