正月早々ある旅行会社のミステリーツアーに参加して沖縄に行ってきた。
はじめから「ミステリーツアー南海の楽園 3日間」と商品名が明記されていたのだが、以前に同じ会社のミステリーツアーに参加した時、行き先を九州鹿児島と決めてこんで集合場所である仙台空港に行ったら、そこで渡された航空券がなんと名古屋だったことがあった。今度も「南海の楽園」など行っているが九州あたりかもしれないなんて疑って冬支度そのままで防寒着とかセーターとかを大きなバックに詰め込んで出かけた。
ところが空港で渡された日程表には、大阪経由沖縄と書かれていた。
うっひゃーどうしようこんな格好でと、沖縄に行ける嬉しさより自分の服装がすごく場違いに見えてきた。良いじゃないか暑けりゃ脱げば良いじゃんと自分に言い聞かせ機上の人となった。
大阪からは290人乗りのボーイング767で那覇空港に向かう。仙台から伊丹まではボーイング737だったから飛行機の大きさにびっくりした。
まるで学校の体育館が空を飛ぶような感じである。何でこんな大きな物体が何百人もの人を乗せて空を飛べるのだろうか。理屈を説明されても実感として理解が今も出来ないでいる。
飛行機は定刻に那覇空港に到着した。今日は雨が降ったり止んだりだったとか空港にはところどころに水溜りができていた。
ついに沖縄に来てしまった。やはり暖かい。ビルに設置されていたディジタルの温度計は19度を表していた。バスでホテルに直行。今夜は恩納村のホテルムーンビーチに泊まる。
2日目、2泊3日の日程なので旅行会社もかなり強行軍なスケジュールをくんでいる。8時にはホテル出発というので朝7時に朝食を採ったが外はまだ薄暗く窓からみえる東シナ海も夜の波を返している。
8時、バスは予定どおりパイナップルパークと言うお土産やさんに直行する。広い畑の中のパイナップルを想像していたが今は冬。剥かれてサイコロのように小さく刻まれたパイナップルが皿に盛られていた。
今日は、その他に数箇所を観光と称して巡ったが美ら海水族館を除いてはいずれ土産やさんを回ったようなもの。
これが沖縄の産業だとバスガイドはいう。バスが嘉手納基地の近くを通過したとき、バスガイドは「沖縄の中の基地なのか、基地の中の沖縄なのかといわれるほど基地は沖縄にとって大きな存在なのです。」と何の産業もなく観光と基地に頼って成り立っている沖縄の経済について重い口調で語っていた。
私も35年前の70年安保闘争の時、「沖縄を返せ」とデモに参加した。しかし、そのときの私の沖縄はやはり遠く南の島の沖縄でしかなかった。35年もたって沖縄で聞く沖縄の人の生の語りはわたしの心臓をぐりぐりとえぐり採られるうな迫力を持って迫ってきた。
3日目は、最終日である。午後1時15分発の全日空NH-464便ボーイング733で仙台直行で帰る予定である。やはり8時にバスはホテルを出発した。ひめゆりの塔と首里城公園が今日のコースになっている。
朝早いひめゆりの塔はまだ観光客もまばらで木立の中の自然に作られた洞穴(壕)の上にひめゆりの塔はひっそり立っていた。この壕の中で45名中40名の先生と女学生が命を落とした。また解散命令後百数十名が犠牲になっていると言う。ひめゆりの塔には先生、学生210名の名前が刻まれているとのことである。戦争に正義はないと強く思った。
ひめゆりの塔を後にしてサトウキビ畑を通過するときバスガイドは「サトウキビ畑の歌」を11番まであると言って歌った。ざわわ、ざわわ、ざわわと繰り返されるガイドの歌に戦争の犠牲になった沖縄の人たちの嘆きといまだ発掘されないでこの地の下に眠る何万の戦死者のうめきが聞こえる思がした。
首里城は琉球王国の首都である。日本とは違う文化の国であったことがよくわかる。沖縄の歴史は遠い昔から戦争の歴史であり、今も戦争の真っ只中にあると言うことが今回のツアーに参加して色濃く残った。
ミステリーツアーに参加したのですから何か楽しいひとりごとにしたかったのですがどうしても自分の思いを書きたくなってしまいました。ごめんなさい