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 まぼろしのラーメン
 私は、麺類が好きで中でもラーメンとそばが大の好物です。
特にラーメンは醤油で出汁は魚のさっぱり系がいい。昔はみそラーメンが好きで「どさん子」ラーメンにこった時代もありました。「どさんこ」には「どさん子」と「どさん娘」があって私は「どさん子」の太麺に絡んだこってりとした味噌味が大好きで福島から仙台までの4号線沿いの全ての「どさん子」のみそラーメンを食べた記憶があります。
 年とともにラーメンの好みも変わって今ではみそよりも醤油がいいというわけで、このことは先祖がえりというのでしょうか。私の子供頃、私の田舎では、ラーメンはハイカラな食べ物でした。母親に連れられて町に出かけると帰りにはいつも決まった食堂でうどんを食べて帰ってくるのが常でした。高校生になった時、学校の前に食堂があり学校帰りに「学中」といってなるとときざみねぎをあげただけの肉なしのラーメンをおいしく食べたのが私がラーメンに出合った最初だと思います。
 私は高校を卒業すると就職で米沢に行きました。会社には社員食堂があり昼食はいつもそこで取るわけですが、外に仕事にでた時とか日曜日とかは外の食堂で食べることになるわけで、そのときはご飯ものよりラーメンがおもでした。そこで記憶に残るのが赤湯(今は山形県南陽市赤湯)の「政美そば」のラーメンです。月に1、2回仕事で赤湯、長井方面に出かけましたが、そのときの昼飯は決まって「政美そば」のラーメンだったのです。今から35年も前のことになります。その店は113号線から烏帽子山に向かって入ったところにあり、昼時になると行列こそはありませんでしたが、4人掛けのテーブルが2つと居間の一つのテーブルはいつも満席であくのを待って昼飯にありついたような気がします。昼飯といってもそこはラーメンで私はいつも大盛りを注文していました。そこの醤油ラーメンが私の一押しのラーメンなのです。
当時はラーメンと言えば醤油味でみそ味はあったかどうかわかりません。
 一寸太めのラーメンは熱いしょうゆのつゆに入れられ、鰹節のにおい豊かに運ばれてくると食欲は一層貪欲になるのです。今は、いろんなラーメン評論家と言われるような人がいていろいろにそのラーメンを批評するようですが当時はそんなこともなく、また食べたくなるその事が何よりの評価だったような気がします。若さも有りましたが大盛り食べてももう一杯食べられるような気分でした。
 米沢に在職していた4年数ヶ月はラーメンは赤湯の「政美そば」に決まっていたようなものでその味は今でも忘れることができず時折恋しくなるのです。
 あれからもう30年過ぎましたが、今でも年に1、2回妻の実家が米沢ですので実家に行くと言う理由付けもありますが赤湯のラーメンを食べに「政美そば」を訪れています。ところが最近はなかなかそのラーメンに会えなくなっています。先日も米沢を午後5時前に出発し赤湯に回ったのですが、暖簾はしまわれて電気も消えていました。30年以上もこよなく赤湯のラーメンを愛して来ているのですが今まで1回も営業時間を聞いたことがありません。昔はいつ行っても食べることが出来たのにどうしたのでしょうか。ちなみに先日は日曜日でしたが・・・・・。このままでは、私の一押しの赤湯のラーメンは幻のラーメンになってしまいそうです。