「ここで眠ってるのは、私の婚約者なの。初めて告白された場所で、プロポーズをされて・・・凄く嬉しかったし、幸せだった」 貴女の長い睫に雪が微かに積もる。 まるで貴女の色を、貴女の黒を塗り潰すように。 「でも、婚約してすぐに死んでしまった。轢かれそうになった子供を助けるのに車道に飛び出して・・・結局彼だけ死んでしまった。 正義感の強い、彼らしい最期だとも思った。彼が助けようとした子供が無事だったことも、素直に喜べた。 でも、日が経つにつれ私は彼が死んでしまった事にだけ納得できなくなっていったの」 細い肩に、雪が積もる。 長い髪に、頭に、コートの膝や裾に、雪が積もる。 彼女が、ゆっくりと白く染まっていく。 「だから、今日彼に言いに来たの。私に告白してくれた、プロポーズしてくれたあの場所を・・・あの場所を思い出になんかしないでって」 グラスを持つ両手が、震えている。 貴女は今にも泣きそうで、一度ぐっと唇を噛んだ。 「無理なのはわかってるのよ、仕方のない事だと理解しているのよ。 彼の性格も知っているし、彼が子供を助けて命を落としたのなら・・・彼らしいって思える・・・でも、頭で理解していても感情はついてこないのね。 私はただ、彼が約束してくれた事を果たして欲しいだけ。二人にとって特別な場所を、勝手に思い出にして欲しくないだけ。 我侭なのはわかっているのに・・・自分でも止められないの」 グラスは冷えて少し白く曇り、彼女は雪のせいで随分と白くなってしまった。 「貴女が思い出にしない限り、その場所は思い出になんかなりませんよ」 僕はワインを一気に飲み干してから、言葉を選びつつ口にした。 「きっと貴女の婚約者だって、思い出になんかしていないと思います。 二人が離れ離れでも、自分にとって特別な場所だと思い続ける限り、そこは思い出になんてなりません」 顔を上げた貴女の目には、光る一筋の透明な感情。 貴女の本当の気持ちが、目から零れ落ちているように見えた。 「・・・そうね、ありがとう。いつまでもこんなんじゃいけないって、わかってるのに・・・私自分の事ばっかりで・・・」 涙が溢れて、膝に染みを作る。 「ごめんね、あなただって死にたかった訳じゃないのにね・・・!あなただって、やりたい事いっぱいあったのに・・・!!」 顔を手で覆い泣き崩れた貴女を、僕は抱き締める事が出来た。 目の前には苗字の刻まれた墓石。 ねえ、そうでしょう?こんな綺麗な婚約者を残して、独りで逝ってしまったあなただってきっと辛いでしょう? 勝手にあなたの大切な人に触れてすみません。だけど、これも何かの縁として、今だけ支えさせてください。 モノトーンに包まれた景色の中、顔も知らないはずの婚約者が笑った気がした。 泣き止んだ貴女は、瞳に光を灯していた。 強さが、ほんの少し彼女に戻ってきた証拠。 「それじゃ、私もう行くわ。今日は本当にありがとう、あなたに会えてよかった」 貴女が差し出した手を握り返し、僕は微笑んだ。 「僕も、貴女と会えてよかったです。クリスマスの奇跡でしょうか?」 貴女の微笑みにもう影はなかった。 駅の前まで送り、別れ際に貴女はそっと僕に耳打ちした。 「ねえ、じゃああの場所を思い出にしないように、あなたも覚えていてくれないかな?」 僕は微笑んで、頷いた。 「私とあの人の特別な場所はね・・・」 改札を通り、一度だけ振り返った彼女は笑いながら手を振った。 僕も出来るだけ大きく、手を振った。 あれから一年経つけれど、貴女は元気にしているの? 今僕の隣には大切な人がいます。あの日の貴女と婚約者の気持ちが、前より少しわかるようになったよ。 だから、僕も彼女に告白したこの場所で、いつかプロポーズしようと思う。 この場所を、思い出にしない為に。 END