留学生信箱 留学生から(1)
平成15年11月14日掲載
<<日本での語学勉強と生活>>
えびの高原国際専門学校
中国西安 けい秀芹
すがすがしい風が私の頬に触れている。私の太陽は明るくてやさしい。暖かい太陽の光を浴びて、中国人学生、日本人学生、アメリカからきた先生、皆で輪になって、日本の伝統的な踊りを練習している。心もなんとなく温かく、穏やかである。年に一度の学園祭がまたやってきた。ああ、いつの間にか、えびの高原国際専門学校に来て、もう一年になるんだなあ、と感じる。
去年のこの時期、私は他の留学生と一緒に来た。きれいで、広い教室、すべて準備がされた寮と食堂、それに先生達の優しい「いらっしゃい」と心からの笑顔、私が抱いていた不安と緊張感を消えさせた。「よかった、ここに来て」、私は心の中で囁いた。
一年間の勉強を通じて、五十音図さえ流暢に読めないレベルから、皆はもうすらすらと日本人と話せるようになった。これは先生達の熱心さと親切さ以外にはないであろう。日本語の勉強だけでなく、進学の迷いやら色々な悩みを聞いて、助けてくれたのはやはり先生達である。私たちの日常生活も専門の寮監先生たちが色々面倒を見てくれている。親から離れているのに、親のそばにいるような感じで、安心で快適な生活をしている。
先生たちだけでなく、市民も優しくしてくれる。奨学金、日常用電気製品を貰った上に、さまざまな交流活動を行ってくれる。えびのロータリー主催の毎月豚汁交流会はその中の一つである。日本人と留学生の間に話すチャンスを作るために、毎月の第二週の木曜日の夜、国際交流センターで続いている。「どうも、ありがとうございます。」私はずっと頑張って下さっている津曲さんに感謝の気持ちを表したいと思う。
この静かな町に、日本伝統的なものがたくさん保存してある。春の二日市、夏の花火祭りと温泉祭り、秋の稲刈り、冬の厄払い、日本の歴史に遡ることが出来る。また、日本人の心が分かったのは、バイトを通してあった。そこで、異文化にぶつかって、最初理解出来なかった。それについて、説明してくれたのは一緒にバイトをしている日本人とやさしい店長さんだった。「なるほど」と思って、学校で勉強できないことを身に着けた。
最後に、言わなければいけないのはここの風景である。眩しい朝日、素晴らしい夕暮れ、雨の後周りの山を巡って漂っている霧が、私の毎日を多彩にさせている。春の桜、夏の蛍、秋の収穫と冬の雪が、私の一年間に美しい思い出を残してくれた。名の知らない花、静かに泳いでいる魚はいつも私が落ち込んでいる時に、楽しませてくれた。
静かな町、美しい景色、綺麗な校舎、親切な先生と精一杯頑張っている私たち、ここは日章学園えびの高原国際専門学校である。
平成14年7月掲載
<<花の心>> 宮崎公立大学 王 暁英
『光陰矢の如し」とはよく言ったものである。宮崎に来てからというもの、あたかも弓を離れた矢の如く、あっという間に半年が過ぎ去ってしまった。振り返ってみると、この半年間、もっとも印象的に私の心に残ったものはいくつかある。限りなく広がっていく日南海岸、すがすがしいえびの高原の空気・・・
ここは冬らしい冬はないと言ってよいだろう。持ってきたダウンを押し入れにしまったまま冬が済んだのは、寒がりの私にとってありがたいことだった。庭の雑草に誰もが目もくれないにもかかわらず、我先に、にょきにょきと背を伸ばしていた。もうじき春の足取りが近付いてくると信じて疑わなかった。朝起きて、ベランダに出てみたら、道端のさくらがちらほら咲き始めていた。宮崎は春が早い。晴れ渡った空は雲一つなかった。こんなすばらしい晴天なのに部屋に閉じこもるのはもったいないなぁ、と自分の中にささやいた。部屋に戻って、視線が机の上の案内状に止まった。「みやざきフラワーフェスタ2002」の案内状だった。そう、花見に行こう。思い立ったが吉日。すぐ携帯に友達の番号を入れた。テレパシーが通じたかのように、友達もちょうど誘いの電話をかけようとするところだった。子どもの国に着いたのは午前11時だった。中に入ってみたら、わたしは目の前の花の海に呆気にとられた。なんてすてきなことだろう。太平洋と青い空に抱かれた花が幾何図形に整えられていた。100万本もあるだろう。わたしが生まれてから今まで見た花の総数もそれには及ばないぐらいだろう。
色とりどりの名前の知らない花々が、燦々と降りそそぐ陽光の中で笑いながら踊っていた。これが単なる自然の恩恵なのだろうか。言うまでもなく、こんなにきれいな風景を作り上げた人々の努力が実った傑作でもある。わたしの胸が感謝の気持ちでいっぱいになった。でも、もっともっと、わたしをこんなに感動させたのはそれだけではなかった。ほら、みてごらん、そこを。親子3人が優しく鳩に餌をやっているところ。自然な微笑みが3人の顔に浮かんでいる。そのすぐそばの道を通りかかった何人かの係員らしき人々の車椅子を押し歩きながら、親切に何かを喋っている姿が、この花の世界の最も美しい風景ではないだろうか。道の向こうに若者にも負けずに、はしゃいでいる年配の方々のしわだらけの顔にも花が咲いているんではないだろうか。わたしがやっと、自分の中に湧いてきた暖かい何かが、わかるようになったのは、その時だった。花にも心があるものだと。