第13章 夜のバンコク、一夜の夢

 






















目覚めたのは午後だった。

メコンオオナマズとの格闘で、腕が筋肉痛である。


明日の深夜25時はタイを去らなければならない。


俺は何をするでもなく、カオサンをぶらついた。




午後、とてつもない大雨になり、


カオサン周辺では電線が漏電して火花を散らしたり、

屋台の下に住み着いたゴキブリどもが水でおぼれて大量に出てきたり・・・


路面もくるぶしがつかるぐらいの水浸しになった。


騒ぎもようやく一段楽したころ、おれは屋台で一人飯を食い、ビールを飲んだ。


程よく酔いも回り、もう帰って寝ようとしたころ、

隣に若い日本人のグループが座った。

陽気な関西人のにーちゃんたちの3人組。

一緒に飲み、とりとめもない話をした。






で・・・

「今夜、たっくんはどうしますの?」


「そろそろ、部屋に帰ってねようかと」


と僕。

「うちらはクラブいくんですけど、いっしょにいかへん?」


「でも高っしょ?明日帰るんで、2000バーツ(6000戦円弱)も持ってませんけど・・・」


「かまへんかまへん、それだけありゃ十分や



買いさえしなけりゃな」







・・・・・・・




「はぁ?」とおもったが、

好奇心がむくむく膨れ上がる


ネタが俺を呼んでいる

酔いの勢いも手伝って「ま、社会勉強」とあいなったのである。




さてさて・・・

 












パッポンロードに着き「Go Go Bar」をめざす。

その人たちの話ではタイで女の子がいるバーは、

全部「ゴーゴーバー」というそうである(ホントか?)

店内ではお立ち台の上で女の子たちが踊っていた。

席について、ビールを飲む。

隣に着いた女の子たちがコーラをほしがる。

よくわからん俺は、「いいよ、いいよ」と、

女の子たちが頼むがままにした。

「たっくん、あかんよ、後でそのコーラ代、たっくんに請求くるんやで!」




なにぃ!


なんで俺が飲んでもないのにはらわにゃあかんのだ!!

と思ったが、日本でもキャバクラってのはそういうシステムだそうだ。ひとつ勉強した。




水着のオネーチャン達に囲まれ、すっかりいい気分になっていた。



だが・・・

「どぅ?たっくんもいいコ見つかった?」と関西人。

と、左側にいるマダムが俺の股間に手を伸ばした。

おれは反射的にウェストポーチでさっとガードした。

右側の女の子が耳元でささやく

「あなた、わかい。1500Bでいいです」

一緒に行動していたにぃちゃんが、料金交渉をしている。

「タイに来たら、SEXくらいしとかんとね」




彼は上の階のホテルへ消えていった。


その後姿を見て、おれは我に帰った。


現実、さっきまで普通に接していた人が、


いざ現実的に売春をやるのをみると、一気に萎えた。



酔いが一気に冷めた












「センパイ・・?」












初恋の女の子の上目遣いが脳裏をかすめる。







「俺は飲んでるだけだ。買う気も、金もない」


隣の女にはっきり言った。

するとさっきまで、あれだけすりより、愛嬌を振りまいていた女は、

すっと立ち上がり、さっさと店の奥へ消えていった。


「ま、こんなもんだろ」


俺は残ってるビールを飲み干した。



 









気分が湿気ていた。

俺は河岸を変え、一人静かに飲んでいた。

すると、俺のひざの上にちょこんと一人の女の子が座った。

ビキニの女の子だらけの店内で、このコだけはジーンズにTシャツだった。



とりとめのない話をした。


タイ人とはいえ、日本人相手の商売だから、Barの女の子たちは日本語が話せるのだ。

このコは、押し付けがましいところも、うざったく体を寄せてくることもなく、

俺たちはただただとりとめのない話をし続けた。

「君は水着で踊らないの?」

その奥にある、俺の意をくんだかどうかはわからないが、

「私 この店 働く 少し前 はじめた。だから アルバイト お酒 勧める だけ・・・」

と彼女は答えた




とりとめのない話をした



「どこか いきたい ありますか?」不意に彼女が聞いた。

俺は「どこか行きたいところでも?」と逆に聞いた。


彼女は笑った。俺も笑った。


「なら、飯食いに行こうぜ!!」


閉店後に店の前で待ち合わせる約束をして、俺は一旦店を出た。

連れの関西人のことは忘れてしまった。



 

約束の時間、彼女はちゃんと待っていた。

俺たちは路地裏のレストランに入った。

「レディーファースト」とか何とか、わけわからんことを言いながら、

おれは彼女の分をとりわけた。

「たべすぎ ふとるよ〜」

彼女は苦笑いした。

 


日本語を勉強して8ヶ月だということ、

来年こそは日本に行って、桜を見たいのだということ・・・。

いろんな話をした。

日本の言葉についても教えた。


「ナンパ、なんて いみ ですか?」


「だれかれかまわず女の子をデートに誘うことを“ナンパ”というのさ。」



「では あなた ナンパ ですか?」


俺は苦笑いした。


もしかして、この子、意味わかってたんじゃ・・・?

俺たちは店を出た。お代は割り勘にした。



 















正面にあったドラッグストアに入った。

「ともだち の カレシ ハゲ すすむ こまってる。リアップ 頼まれてる」

すでに時刻は深夜3時になっていた。

「あなた、これから どうする?」

「とりあえずカオサン帰るよ。ゲストハウスしまってるかもしんないけどさ」






「それなら うち 来る どうですか?」

 























30分後、俺は彼女の部屋にいた。
ごめん、小野田

ごくフツーの、きちんと整理された女の子の部屋だった。




俺はパスポートや財布をそのへんにほおりだし、ソファーに座った。










と・・・










「ムシ!!!」














彼女はあわてて殺虫スプレーを持ってきて、俺がゴキブリにかけた。



「かける 多い と 私たち 死ぬ!」


・・・そんな強力なの?



彼女は扇風機のほうへ、風上へと避難した。

俺は死んだゴキブリを、ティッシュでくるみ、ゴミ箱に捨てた。



 


彼女の名前はJeah、年は23だそうだ。

「わたし おばさん ね」彼女は苦笑いした

「いいや、全然若く見えるぜ、年下だと思ってた」俺は心からそういった。

「あなた ことば うまいね」


それから、またいろんな話をした。


「はじめて あなた みた とき いろ くろい から タイじん みえる」

旅の途中、何度もタイ人に間違われたが、俺、そんなにタイ人に見えるだろうか?


だらだらと話をした。

1ヶ月前にカレシと別れたのだということ、

俺と同い年の弟がいて、よく似てるのだということ、


その中で、俺はお店で働いていることについて何も触れなかった。

そんなことはどうでもよかったし、第一聞きたくなかった。


ただ、だらだらと話をしていたかった。














 

「あなた かわってる ふつう にほんじん と ちがうね」

彼女は言った。

「初めて会った女の子の家に上がりこむなんざ、普通じゃないわな」

と苦笑いの俺

「そうね あなた おかしい」

彼女は笑った。俺も笑った。

「家に上げて、あぶないと思わなかったの?」

俺は彼女に聞いてみた。





「あなた ふつう ちがうから」






それがどういう意味なのか、俺は深く考えるのを止めた。

「まえ の しゅう うさぎ と いぬ たたかい うさぎ かった。だから きょう うさぎ うま と たたかう」

テレビはわけの分らない番組をやっている。猛烈な睡魔が襲ってきた。










































 

朝、ソファーの上で目覚めた。TVをみながら、そのまま眠ってしまったらしい。

俺の体には毛布がかけてあった。

もう10時過ぎだった。

俺はもうすこしここにいたいような気がして、もうこれ以上いるのも悪い気がした。

Jeahは奥の部屋のベッドでまだ横になっている。俺には背を向けていた。


「Jeah 起きてる?おれ、そろそろ帰るわ」


彼女は後ろ向きのまま答えた。

「おけしょう してない ふとん でる できない さよなら きをつけて」







「・・・かわいいなぁ」




俺は素直にそう思った。


昨晩からTVの前にほっぽりだしていた(=無造作においておいた)パスポート、財布は、そのままの位置に転がっていた。



「さよなら」


それらをポケットに押し込み、おれは部屋の外に出た。

 



















マンションを出て、バイクタクシーを捕まえた。

「カオサン通りまでよろしく!」

運転手はフルフェイスのヘルメット、俺は工事現場用の安物ヘルメット。

「おいおい、逆だろ〜」












 

バイクは朝の渋滞をものすごいスピードですり抜けていく。


















日本も、タイも女の子は変わらなかった。


ダイエットを気にし、年齢を気にし、・・・普通だった。


カレシと別れて凹み、ムシを怖がり・・・普通だった。


それが当然であるはずだけど、


「普通だった」ことは俺には普通でない感動を残した。






 

 “はじめまして。あしたかえる。きおすけてね!”



きのう、Jeahがたどたどしく手帳に書いてくれた言葉。


連絡先は聞かなかった。もう2度と会うこともないだろう。




でも、それでいい。




あの酒場にいけば会えるかも?

でも、自分勝手は承知でこう思う。


「Jeahはあそこにいてほしくない」

 










今にも泣き出しそうな空。

バイクがまたひとつギヤを上げた。