第3章 超のつくマイナーシティに漂着し、奇跡の出会いに安堵する事 

 

 

 

 

翌朝5時、俺は超マイナーなタイ東北部の町、コーンケンに立った。

当然のように日本人はおろか、外国人旅行者も誰もいなかった。

この町に来た理由はただひとつ、ウボンラットリザーバーで釣りをすること。

自分が日本から持っていった「地球の歩き方」のタイ全土の地図には

東北部に湖が集中しているエリア

(といっても、
日本で言う中部地方レベルのスケールで)、がある。

少数ながら、タイにつりに来ている日本人はほぼタイ西部へ行っていた。

だから情報が何一つないそれが最高に楽しみだった。

結果はどうでもいい、誰もやってないというのは丸坊主をくらう恐怖を大幅に上回り、

体内のアドレナリンを沸騰させた。

とりあえず、駅から歩ける距離にあるブンケンナコーン湖に行ってみた。

数人のタイの釣り人が吸い込み仕掛け等を投げていた。

スカリの中には駅前の屋台で食った「バドゥ」というナマズをオヨがせ釣りでつったという、

60センチくらいのシャドーが入っていた。

はじめてみる大人のシャドー。

やばすぎる存在感、でっかい頭・・・、オーパ!!

さらにプラーチョンを目視したおれは、体内アドレナリンが沸騰した!

即ミノーのトゥイッチを開始・・・・釣れない。



と、さっき少し話して仲良くなったタイ人が大声で俺を呼んでいる。

急いでそちらへ向かう。

今まさに釣れたカラァーイをバイクに乗せて市場にうりに行くところであった。

80センチはあろうかという、やばすぎるでかさだった。

当然狙いをカラァーイにきりかえ、ジグスピナーを投げる。

一心不乱に投げる。


太陽が高く上る頃、脳みそがとけかけてきた。

釣りのできるエリアを吸い込み釣り師に占領されてしまった。

しかたない、とりあえず宿を探すことにして、釣具をしまった。

とぼとぼと湖岸を歩いていると、「ADDY」の文字と、ルアーの描かれたポスターを発見。

どうやら釣具屋らしい。

日本で情報収集している際に聞いたことのある名前だった。

ADDYについて知っていたのは

「タイのメガバスのような存在。入手困難、高級品。

メーカー名と同じADDYって人が作っているらしい」

ということぐらいである。

何度かタイに釣りに来ている知人から、

タイへ行く際の餞別にADDYルアーを1個貰い受けていた。

とりあえず情報収集に釣具店に入る。

「シャドーを釣りたいんだ。いい場所しらない?ウボンラットつれる?」

めちゃくちゃに喋り捲る日本人に、釣具店の親父は言った。

「そんなに釣りたいんなら、近くにADDYが住んでるから紹介してあげるよ。

彼に聞くのが手っ取り早い!車で5分だ。連れて行ってやるよ!」

なんてことだ、たまたまやってきたコーンケン、

なんとこの町にタイナンバー1ルアービルダーのADDYが住んでいるのか!

できすぎの展開に喜ぶ俺。

5分後、俺はADDYの工房にいた。




ここがADDYの工場。ここでADDYが作られている!
一つ一つ手塗り、膨大な数の試作品、そして壁にはヌード写真カレンダー(笑。
後述する「ADDY TO TAKUYA」が作られる工程を特別にみせてもらった。
ルアービルダーが技術を盗みに来るとかで、製作現場はほんとは非公開!!
旧ADDYは木製だけど、現行ADDYは樹脂製。
「歯形が残ったほうが思い出にに残るだろ?」と、
丁度よい固さの樹脂探しに苦労したとか。
「ART FOR FISHING from hearts ADDY]
だとか。

 






「ハロー!」

ADDYはこの町で最初に出会った、何とか英語を話せる人物だった。

初対面にもかかわらず、気さくなADDY(62歳の初老の爺さん)と

2時間ほど絵や写真やジェスチャーを通して釣りの話で盛り上がった。

日本から持ってきたADDYをみせると驚いていた。

日本でも売られているということをはじめて知ったらしかった。

自分の作ったルアーが国境を越え使われていることに、大いに気をよくしたみたいだ。

そして彼はこう言った。

「オーケー、オーケー、タク。シャドーが釣りたいんだな?

今週末に自分達は1週間カオレムに行くんだが、一緒に来るか?」

そして一枚のスキンヘッドの白人の写真を指しながら続けてこういった。

「このフランス人のハゲのところではタクはCUSTOMERだ。

奴はぼったくりだが自分はFRIENDだ。

1週間の移動や、メシや、宿代や、もって行くボートのガソリン代は割り勘で出してくれないか?」

ADDYの書いた

NO CUSTOMER BUT FREIRNDS

の文字がうれしかった。

即、週末のカオレム出撃が決定!!

ラオス、カンボジアを回る計画は一瞬で消えた。

 





夕まずめ、ADDYはルアーの出荷に間に合わない!ということで工房に残り、

彼の友人のNONUDYと3人でプラーチョンをつりに向かった。

(というか、転がり込んできた俺のために時間を割いて釣り談義をしてたからなのだが・・・)

釣り場には遠く極東亜細亜からきた釣りキチのために、

ADDYの友人がたくさん集まってくれた。

(この人たち、ADDYチームに所属している人たちで、

タイの釣り雑誌にも乗りまくってるマジでこの国の釣りの第一人者たちだった)



チリンチリン、首から鈴をつけた牛が歩いている。

足元には近くの民家から飛び出してきた子犬がじゃれ付いてくる。

NONがプレゼントしてくれた自作ルアーを投げる。

きれいな放物線を描き着水、夕日にそまった水面がゆれた。


コーンケンに日が沈む。

魚はやっぱりつれなかった。

 




その晩、NONの家に泊めてもらった俺は、

翌日の午後からNONFISHING PARKへ行くことになった。

まったくもって男前が廃る釣りではあるが、まぁいいや。

せっかく誘ってくれたのだし、何より友人経営ってことでタダだったしね(笑

さて、このNON(43歳、独身)という人物、

英語はMake Loveしかしゃべれないアホなのだが、不思議と自分と気があった。

喋り捲るタイ人の中で、寡黙なこの男

(というか、ジェスチャー以外でほとんどコミュニケーケーション取れません!)

と行動するのは精神的に楽だったし、たのしかった。


ついた釣堀で、エサをこねる。

コーンケンの賞味期限切れの菓子パンは全部ここに集められるんじゃないか?

とおもうほど、かびた菓子パンの山があった。

初の海外旅行、普通の人はリッチなバカンスを想像するとおもう。

そんな中で、衛生状態がよくないとされるここ、東南アジアにおいて、

俺は更に衛生状態の悪いゴミ捨て場をあさっている若造が一人・・・・アホやな。

ゴミ山のなかからNONはチョコレート味のもののみをチョイスした。

この釣堀での狙いはプラー・サワイというなまず。

数は少ないが、メコンオオナマズもいるらしい。

世界最大の淡水魚は甘党であるらしかった。

俺はアンパンを見つけ、エサに入れようとした。

NONは「NO」といった。

どうやらメコンオオナマズは日本の甘味は嫌いらしい。

だが、大和魂を持つ俺はNONの目を盗んでこっそりあんこをいれた

釣れなかったらあんこのせいだ・・・

 

結果はすぐに出た!PM4時ごろ。

タイランド初の魚は60センチくらいのサワイだった。

「みたか、NON、メイドインジャパンのあんこをなめるんじゃねぇ!」

・・が、あとが続かなかった(笑

結局夜の9時まで粘って80センチくらいのサワイを1匹追加しただけだった。

あんこのせいかどうかは定かではない。

だが、ここでの釣りは本当に楽しかった。

釣堀を経営している家の3兄弟(トン、ダッ、リッ。順に12歳、7歳、3歳くらい)がなついてきて、

サッカーしたり、側転したりしてあそんだ。

次男のダッは側転も前転もうまいのに、後転をしらなかったらしい。へんな奴である。

俺は指遊びで作るかえるやコブラの作り方を教えた。

トンや、ダッはすぐ覚えたのに対し、

末っ子のリッは指がこんがらがってうまくできなかった。

その姿が、なんとも言えずかわいかった。

 

帰り際、俺はNONの車に乗った。

見送りにきたダッが手で俺が教えたコブラを作ってこう行った。

GOOD BYE タク」

俺もコブラを作った。

「コップンカップ ダッ」

ワイをする代わりに、2匹のコブラは車の窓ごしにじゃれあった

お前らの成長をたのしみに、また来るよ!




写真左
プラーサワイというナマズ。もちろんあんこ入り餌でGET!!
回遊魚のような尻尾、ものすごく引くよ!!
右からオーナーのオヤジさん、俺、トン、ダッ、リッ

写真右
自分のタックル(キャスプロ&アクシス)を持つダッとリッ。
こいつら、可愛すぎる!!
途中から釣りなんてどうでもよくなって、こいつらとじゃれあってました。