第一章 オーパーツ序章

 オーパーツと言う物を聞いた事があるだろうか、Out Of Place ARtifacTS(場違いな遺物)と言う言葉から大文字の部分を取って作られた造語である。これは、オーパーツの一つである「黄金ジェット」の名づけ親であるアメリカの動物学者アイヴァン・サンダーソンによって作られた造語である。つまりその時代に見合わない高度な技術によって作られた物のことである。
 テレビなどで最近取り上げられたオーパーツでは、コスタリカ真球がある


このコスタリカで見つかった石は、30トン以上の大きな物から手のひらに乗るような小さな物まであり、それぞれが星や幾何学模様などに配置された形で見つかったと言われている。
この石球の奇妙なところは、その大きさはともかく、形状が幾何学的にほぼ真球に作られていることである。
 と言うのは、例えばこの石球の円周を5つ別の角度から計ったとき、3通りがぴったり6メートル14センチ6,8ミリで2通りが6メートル15センチ95ミリとミリ単位の誤差でそれら2通りも1,2センチの差しかなかった。
別の球を計って見ても、ほとんどすべて同程度の加工がなされている。この石は硬い花崗岩で作られており、重量は1キロ台から25トンのものまである。直径や角度をどこから測っても誤差が0,2パーセント以下の物もある。さらに直径が2つとも2メートル00センチ66ミリと、ミリ単位の誤差の石が2つ同じ場所から発掘される例もあった。いったいこの石球は、誰にどのような手法でここまでの加工を成されたのであろうか。
 このような石を作るには石球製作者があらかじめ完成品の大きさを予測、計測できるだけの高度な幾何学的知識と、それを実現できるだけの同じく高度な成形技術を併せ持っていたことを意味する。25トンならその倍の50トンくらいの石を、回転させて削るような技術が必要になってくるわけだ。
 それにこの石はこの付近では算出されない。10数キロはなれた場所で花崗岩が算出される場所はあるが、石を切った形跡はいまだに発見されていない。(これは南米のほとんどの巨石遺跡に共通する事である、どこから運ばれたかまったくわからないのだ)最大50トンもの石をどこから持ってきたのであろうか、
 考古学者は、多数の人が長い年月をかけて製作したと言ってお茶を濁しているのであるが、一つだけならまだしも本格的に調査が始まりだした1993年までで、300の真球がみつかり、まだ杖を地面に突き刺したら硬い石に突き当たるほど、地中にも残っているという状況である。現在では相当な数が発掘されているであろう。それだけの石をどれだけ多くの人がどれだけかけてこれを製作したのであろうか。記録も一つも残っていないのも腑に落ちない。スペイン侵略で南米や中米にあった記録のほとんどが焼き払われたといわれているが、それにしても伝承の一つも残っていないのはおかしな話である。つまり人々の記憶にも残らないほど昔に作られていたということである。

 オーパーツの代表として有名なものにはエジプトのピラミッドである。ピラミッドは解明されているようで、いまだに不明な点が多い。特にもっとも巨大と言われているクフ王ピラミッド、これが一筋縄では行かないのである。
「230メートル」これは、クフ王ピラミッドの底辺の長さだ、これは世界史の教科書でも良く出ている事だ。
 しかし、ピラミッドの底辺の長さは、4辺それぞれ21センチ以下しか誤差が無いというのは、あまりしられていない。

西面の長さ230メートル36センチ
北面の長さ230メートル25センチ
東面の長さ230メートル39センチ
南面の長さ230メートル46センチ

これは驚異的な精度である。ピラミッドに使われた石の重量は合計650万トン320万個の石が使われていた。底辺だけでも数千個の石灰岩が使われている。その数千個の石を使って、この精度を出したと言うことだ、まず正確な実地検査が必要となり、石の長さも一つ一つ考えないといけない。           
 驚くのはこれだけではない、東西南北それぞれの角はほぼ完璧にそれぞれの方向を向いており、その精度は誤差が最大の東側の北側に対する西へのズレで5分30秒(1分は1度の60分1である)であり、最小の南面の西側に対する南へのズレが1分57秒(0,03パーセントの誤差!)と言う驚異的な精度なのである。そして、4隅の直角度のずれも、最大の南東角で3分33度、最小の北西角でわずか2秒である。
 この時代には簡単な分度器と太陽を基準に水辺を図る器具くらいしかなかった。それでどうやってここまでの精密さが出せたのであろうか。ピラミッドの位置に関する制度は次のようになっている、ピラミッドは大気の屈折を考慮に入れた実際の経度、30度とほぼ同緯度に立てられている。大気圧を考慮した経度30度は「29度58分22秒」であり、ピラミッドは29度58分51秒に立てられていると言う感じである。この他にもピラミッドは、地球の長さや円周の、43200分の1の長さが反映されていると言われている。ピラミッドはまさに数学の宝庫である。

 次は本当にピラミッドがファラヲに作られたか問う問題であるが、ピラミッドには王の間といわれる部屋の上に、重量を分散するために作られた重力軽減の間と呼ばれる所がある。
 この場所の周囲に使われたのは硬く、重量がかさむ花崗岩であった。ピラミッドの平均した石の重さは、2トン程度であるが、ここには特別に60トンから80トンの重量の花崗岩が十数個使われている。これをその重量軽減の間の高さ50メートル(下から80段目)まで上げるには、従来考えられてきた砂の斜路(スロープ)を使った運搬では砂が持たない。斜路を石等で補強し、さらに従来考えられていた倍の長さの斜路が必要になる。これまでの考えでは、スロープはピラミッドの3倍の長さ700メートル前後でいいといわれていた。しかしこの60トン前後の花崗岩を引き上げるには倍近い1500メートルのスロープが必要になってくる。これでは、ピラミッドの体積とほぼ同じになってしまう。これほどのスロープとなると、建造に加えて撤去作業が非常に困難となって来てしまうこれだけでピラミッドと同じだけの建造年代が掛かってしまうと言われている。
 こうなってくると、ピラミッドの建造期間は考えられてきた物よりだいぶ長くなるのだ。
 最近の発掘でピラミッドを作ったのは奴隷ではなく民衆であることが言われているが、そうなってくると建造時期が限られてくるため、さらに建造期間が長くなる。
 となると、ひとつのピラミッドを建設するのに1万人の労働力を使っても、建造に120年は掛かるため一人のファラオがピラミッド作ったとは考えにくいのである。
 ましては、最近では実はピラミッドは奴隷の手で作られたのではなく、民衆の手で作られたことが発掘で明らかとなった。民衆が労働に費やせた時間は、洪水の時期だけであったと記述で述べられていたため、ますます、一人のファラヲが作ったということは考えにくいのである。実は、元々クフ王のピラミッドは、クフ王が作ったという証拠は無いに等しいのである。
 クフ王のピラミッドに残されているのは、建造技師が刻んだと思われるカルトゥーシュ(丸枠○の中に王の名前が書かれる)だけなのであるが、これも書かれた文字の中には誤った文字が書かれていた。クフと書くつもりが、ラーフと書いてしまっている。これは、その部屋を発見した発掘家の時代に間違われて解釈されていた文字なのであった。つまりこれは捏造である可能性が高いのだ。
 あと、いままでピラミッドの中から王の遺骨(ミイラ)が発見された例はほとんど残っていない、これはちょっと突っ込んだピラミッドに関する本を読みあさればすぐわかることである。ピラミッドがナイル川の北、ギザ周辺に点在し、王の墓の多くは南の方に作られていた。ピラミッドは、教科書でいわれているように「王の墓」であった確定的な証拠は実は一つもないのである。
 ピラミッドは、明らかに歴史的に間違った見解がされている遺物なのである。
 このようなオーパーツは、いったい誰がどのような技術で作った物なのであろうか、その事を考えるにはまず世界史に見られる不可解な点を考察して行きたいと思う。