第2章  歴史の中のオーパーツ

 「モヘンジョダロ」この名前を一度は聞いたことがあると思う、紀元前2000年頃インドからパキスタンにまたがって栄えていていた、インダス文明の一都市である。
 この都市は、世界史の教科書等では簡単な説明しかされてないのであるが、実は大きな謎を秘めた遺跡であることは一般的にはあまり知られていない。
 まずこの遺跡の大きな謎は、作られた当初から完璧に町全体が設計され、その設計された町の構図に沿って、都市が発展して行っているのである。モヘンジョダロの遺跡は、古い時代から新しい時代へ次々と積み重なった7層の都市からなっているが、上の層は下の層とまったく同様に作られている。
 この事実は、モヘンジョダロは、インダス文明に元々完成しきった姿で"突然"出現したと言うことを表している。
 発掘者のジョン・マーシャルはこれを見て、「まるで、さらに数千年前のだれも知らない社会から伝えられた物であるようだ。」と述べたと言う。
 モヘンジョダロには高度な下水道技術がある。

二階の水洗便所から壁のなかの土管を通じて下水道へと排水がひかれ、簡単な浄化槽を通り、ある程度こされてから川に排水される仕組みになっている。街中に引かれた下水道には定期清掃用のマンホールまで設置されており、各家庭にはゴミを回収するためのダストシュートまで備えていた。

 建築素材も、そのころの建築には、日干しレンガが主流だったにもかかわらず、手間がかかり、高温の熱成が要求される窯焼きレンガが使われていた。このレンガは大量の燃料を必要とするため、王宮などの建設に少量使われているだけだったにもかかわらず、モヘンジョダロの建物は、これをふんだんに使って作られているのである。
 これらの施設は、どうやらこの都市が作られた当初から設置され使われていたようである。紀元前3000年ごろに作られた都市にどうしてこのような近代的な技術が使われているのであろうか。
 ちなみに日本で下水道が配備されたのは20世紀の第二次世界大戦後のことである。
 インダス文明以前に発生していた文明と言えば、メソポタミア文明であるが、インダス文明はメソポタミアと交流はあったものの、直接の関係はないといわれていた。最近ではイランの中部あたりから来たのではないかと言う説が言われているが、はっきりとしない。
さらにモヘンジョダロやインダス文明の民族は、突然原因不明の高熱破壊を受けて滅びてしまっている。モヘンジョダロから発見された人骨からいまだに通常の10倍の放射能が検出されるのは何故であろうか。これについてはまた後で話をもうける。
 次は、僕がとても引かれている文明についてであるが、ヒッタイトと言う民族を聞いたとこがあるだろうか、そうあの「鉄」を始めに作ったとされる民族である。
 彼らはトルコのボアズキョイを中心として栄えていたのであるが、どこからともなく表れ、鉄を使った戦車や武器を使用し、周りの国々を制圧して行った。
 エジプトに、カデシュの戦いをふっかけた時は、エジプトの圧倒的な軍備にも屈せず、引き分けまで持ちこみ両者命からがら逃げ出したようである。(記録では、両者とも勝利したと書かれている)
 旧約聖書では、ヘテ人として紹介されていたこのヒッタイトであるが、ボアズキョイから発掘されたボアズキョイ文書やヒッタイト文書によれば、彼らは第一世代と第二世代の民族がいたらしい。第一世代の民族が鉄の技術を民衆に伝え、彼ら第一世代は神族として崇められていたそうだ。(「鉄を作った文明」と言う本を参考)
 つまり鉄の技術は、さらに謎の人々から伝えられたということである。第一世代と言われた彼らはどこかの都市で、待遇を受けまとまって生活していたようであるが、いったい彼らは何物であったのだろうか。
 ヒッタイト人は、紀元前1800年ごろ、アナトリア平原に突如として現れた。そして紀元前1680年ごろには帝国を築き、そして500年続いた後、地中海からきた謎の民族「海の民」によって、「何日も何日も燃え盛る火災」で滅ぼされている。

 上図の中段辺りに色の変わった土が見えるが、これがその火災の跡である。このような跡が広い範囲で残されている。
この火災は、1週間の間この辺り一帯が燃えつづけ、それによる焦土層は70センチから1メートルを超えている。このような火災は、大規模な山火事などでしか本来起こりえない、たとえそこが木で生い茂っていたとしても、一週間も燃え続けるということはありえないのだ。

 ここでまた、謎の高熱を出す技術を持った謎の民族、「海の民」が浮上する。海の民は、まったく謎の民族でオリエント全域を(エジプトをも一時征服した)征服し、徹底的に滅ぼしていった民族である。クレタ文明やミケーネ文明辺りの民族が合併して起こった民族ではないかといわれているが、エジプトの記録ではこの民族は、サルディニア島のサルド人、シシリー島のシクル人、アカイ了人、リュキア人、エトルリア人さらには、ペレセト人、ティエケル人、シュケレン人、デニエン人、ウェシェシ人などと認識されている。
 つまりこれらの民族の同盟軍であったのであろうか、中にはトロヤ人も含まれていることから、それらの民族はけっして少なくなかったであろう、しかし、もしそれらの民族が合同で他のところに攻め入ったとしたなら、記録がのこるはずである。
 しかし、海の民のした侵略戦争はギリシアを始めオリエントなどのどこにも記録が残っていない、エジプトを後退させ、そのエジプトと同程度に戦ったヒッタイトを完全に滅ぼすような、大規模な戦争ならどこかの記録に残っているはずである。
 このことはつまり海の民は、ほんとに急造のいくつかの民族の集まりが、大きな力を得た集団だったのではないであろうか。
 土着民が急に大きな力をもち、国を制圧していく、これは第一世代の鉄の知識に助けられ周りの国を制圧していったヒッタイトと同じである。
 海の民のオリエントへの侵入の発端には、ヒッタイトから独立したアッヒヤワ国という国が原因となっているのであるが、と言うことは海の民は、ヒッタイトの第一世代の者達に何か関係があったのではないだろうか。(つまり内乱?)
 彼らは、一体何者であったのか。 次はすこし世界史の教科書にも紹介されている古代の高度な技術を少し紹介する。
 古代に電池があったという話を聞いたことがあるだろうか。パルティアという場所(アケメネス朝ペルシア)、現在イラン北東部には、古代からメッキの技術が伝えられて来た。
メッキとは、電気を使い、金を薄く物に吸着させる事で極薄の金箔を施す技術である。
 そんな太古に電気があるわけが・・と思われようが、2000年前に使われていたと思われる電池がここから発見されているのだ。
る。

 20世紀の科学者は、この復元した電池を使って実際に金メッキを成功させた。

パルティアには古代より伝わる電解層があり、それを使って今でもメッキを扱う仕事が盛んにおこなわれていると言う、何故18世紀にベンジャミンフランクリンが始めて発見したと考えられていた電気が、2000年も前から伝わっていたのであろうか。
 次はインカの脳外科手術の跡であ
る。

上図を見てもらいたい、これは古代人に見られる脳外科手術の跡と考えられているが、この手術跡は、一度頭蓋骨に穴があけられて何か手術をした後に、縫って穴を閉じ、骨が再生をはじめている跡がある。
 つまり、傷が治ってからある程度生きながらえていると言うことだ、これはつまり高度な医療技術があったという事である。
 左の図のアルメニアという場所は、イランの北部にある国だ。この辺は先ほどのメッキ技術のあったパルティアに近く、またメソポタミアに近いので医学に関しても高度な技術が残っていてもおかしくない。
 これにも再生の跡が見られる。
 何故古代にこのような高度な医療技術があったのであろうか