中央区大戸中通り沿いの不動尊境内の庚申塔である。
下部の3体は、見ざる、聞かざる、言わざるとのこと。他の場所から移された庚申塔もあった。
これは、平成元.12.4に大戸1丁目192(大戸1丁目バス停前)から移された。
これは、平成13.2.3、大戸3丁目318(3-16-10)から移された。
「庚申塔」と文字のみのものもある。
庚申塔がどんなものかわかったら、これもそうだと気付いた。大戸の歩道脇の民家の間で今も大事にされているようだ(5-2-21)。
後日わかったが、宝暦14(1764年)、大戸村老母講助加村中と刻まれている。
北浦和公園の南西角の向かい側にもある。横に五重の塔も(4-14-10)。
いきあたりばったりに見つけることに限界を感じてきたので「与野市史文化財編」に基づいて探す。中央区大戸だけで11基(猿田彦神の文字のみを含めると12基)あることがわかった。既に5基紹介済みだ。
これは、大戸5丁目5-11、大戸中通り沿いにある。車の通行量が多くすぐ体の横を通るので、ほとんど歩いたことのない通りだ。

大戸6丁目1-18、交差点の角にある。すぐ近くを何度か通ったこともあるが気付かなかった。

側面に文化8(1811年)と刻まれている。

これは、不動尊(大戸3-13)の入り口の横にある。

これは、不動尊境内にあった。側面に慶応2(1866年)と刻まれている。

これも今は不動尊境内にあるが、平成4.12.15、大戸5丁目865(5-19-20)から移された。側面に文政5(1822年)と刻まれている。

これも今は不動尊境内にあるが、平成4.12.15、大戸1丁目92から移された。正面に庚申塔の文字が刻まれただけで側面には何も刻まれていない。住居表示で言うと大戸1丁目15-9であり同場所の庚申塔が本に紹介されているが、紹介されているのは寛政7(1795年)建立の青面金剛像を刻んだものである。把握漏れのものがあったのだろうが、現在その場所に庚申塔はなく、本に紹介されていた庚申塔がその後どうなったのかは、わからない。
