中央区鈴谷5丁目、今まで、見過ごしていたが、里見通りを東から西に向かい、埼京線の手前向かって左手にも庚申塔があった。
中央区上峰1丁目、新大宮バイパスの上峰交差点の南西角に建っている。右は像の部分を写したもの。像の下の角柱の正面に宝永8(1711年)と刻まれている。
向かって左側面の「江戸みち」は東京へ行く道だとすぐにわかったが、右側面の方がどこ行きかすぐにはわからなかった。「加う志うみち」と刻まれており「こうしゅうみち」と読み、甲州へ行く道という意味だろうか。
そうすると国道463号線に出て羽根倉橋で荒川を超えるのだろうが、どのような人がどういった用向きで終点の甲州まで行ったのか気になるところだ。もっとも江戸と釣り合いがとれる書き方をしたらこうなっただけかもしれない。
中央区八王子3丁目、八王子3丁目と桜丘1丁目の境の道路と八王子3丁目と桜丘2丁目の境の道路が交差する北東の角に建っていた。
正面上部に青面金剛と刻まれ、側面に享保13(1728年)と刻まれていた。
中央区八王子4丁目、バス停「八王子庚申塔」の横にあった。
中央区円阿弥5丁目、日枝神社にあった。
上峰の庚申塚に二基あったことがわかり、少し場所を移動させたようなので、一緒に移転させているのではと思い、改めて見に行った。かなり損傷しているが、庚申塔の特徴を持っているので、これだろう。

北浦和図書館で、浦和市内の庚申塔の所在地がすべて出ている資料を探していたら「郷土の石佛」という本を見つけた。
中里村にあった庚申塔はどうも移転されていたようだ。2012年7月現在、新中里5丁目6の北側道路の途中にある。塔の正面からでないと見えない上に、頻繁に通り抜けるような場所ではないので、偶然見つけるのは無理だったかもしれない。

中央区鈴谷8丁目、鈴谷大堂の外側南東角に庚申塚が築かれその上に建っていた。入り口が鈴谷大堂の横の通りにあったため、鈴谷大堂の前を気付かずに通り過ぎていた。与野市史では別の場所になっていたので移転されたのだろう。側面に明治44年(1911)と刻まれていた。約100年ほども前なのに、最近だなとつい思ってしまう。
