見沼区上山口新田、山口橋を渡り北に向かい中川に入る交差点の南東角にある。文化7(1810年)と刻まれていた。

見沼区中川、円蔵院の不動堂の横にある。安永7(1778年)と刻まれていた。

見沼区御蔵、県道65号線沿い西側にある。バス停御蔵騎西屋前がある交差点より南に下がり道路がカーブする手前にある。後ろは墓地になっている。天保9(1838年)と刻まれていた。

見沼区東新井、県道214号線と県道65号線が交差する交差点東新井より西の信号のある最初の交差点の角にある。片柳郵便局の南側になる。元禄2(1689年)と刻まれていた。堂の中にあったが扉の掛け金が開けるようになっていた。鬼の下に三猿が刻まれている。
合掌し、かつ他の手で人身をつかんでいる。珍しいと思ったが、その後見沼区で他にいくつか見かけた。

見沼区御蔵、御蔵自治会館の横にある。御蔵自治会館は、県道214号線から片柳郵便局前の道路を入った突き当たりにある。宝永4(1707年)と刻まれていた。

見沼区南中野、猿花ふるさとの森の猿花キャンプ場の入り口、猿花稲荷神社の参道入り口の道路の角にある。

見沼区南中丸、第二産業道路沿いの西側、バス停高井北の横にある。享保9(1724年)と刻まれていた。

見沼区南中丸、南中丸集会所がある墓地の入り口にある。南中丸集会所は第二産業道路沿いのバス停中丸の南側交差点を東に入り、こまどり幼稚園の東角を南東に行き北東に曲がった先にある。右横の石塔が倒れている奥に同様に倒れていた。

見沼区中川、第二産業道路沿いの西側、バス停高井の南側にある。明治13(1880年)と刻まれていた。

見沼区新右エ門新田、中川分水通りの西側道路沿い、宗像神社に入るところの南西角にある。寛政8(1796年)と刻まれていた。

北区土呂町、盆栽陸橋の北側降り口で産業道路から東側の道路に入り北進して最初の交差点の南西角にある。

北区土呂町2丁目83、神明社の鳥居横に3基ある。すぐ東側に見沼代用水西縁が流れている。

これには、元文5(1740年)と刻まれていた。ちょうど横に蝉の抜け殻が付いていた。

これには、文政5(1822年)と刻まれていた。

これには、宝永2(1705年)と刻まれていた。

見沼区大和田2丁目、鷲神社境内にある。鷲神社は、芝川に架かる鷲山橋から第二産業道路に行く途中の北側道路沿いにある。水鉢のようだが、現在は使われていない。
庚申待の文字が刻まれている。

見沼区大和田1丁目、大和田会館の東側に道路から2基あるのが見える。
左の塔には、享保12(1727年)と、右の塔には正徳3(1713年)と刻まれていた。

見沼区大和田1丁目、同じく大和田会館の東側で北側奥の真福寺跡の墓地の入り口に1基、奥の方に2基ある。入口にある塔には、天保14(1843年)と刻まれていた。

三猿の表現が珍しく凝っている。

墓地の北隣りは大宮商業高校になっている。左の塔には天保3(1832年)と、右には明治5(1872年)と刻まれていた。

西区島根634大泉寺墓地内に2基ある。右側の塔には宝暦3(1753年)と刻まれていた。

西区植田谷本、大宮南高校の北側道路沿いの墓地にある。墓地の前から大宮南高校を見たところ。

木の額には庚申雨家と記載されていたが、墓地の案内図には馬頭観音とあった。逆に馬頭観音を青面金剛と間違えることがある。この塔には、日月雲鬼三猿が刻まれており、人身も持っているので青面金剛像に間違いないだろう。塔には元禄16(1703年)と刻まれていた。

西区三条町、三条町自治会館前の道路沿いにある。

西区二ツ宮445、県道56号線沿いの阿弥陀堂の墓地の北西の入口向い側の道路沿いに2基ある。

西区飯田356、県道56号線沿いの光善寺境内にある。

西区中野林488、大宮光陵高校の西側の飯田との境に近い道路沿いにある。

西区中野林512、墓地の中にある。

西区飯田、飯田自治会館があるところの県道56号線飯田交差点北東角にある。

西区佐知川1302金山堂の前、県道57号線歩道脇に2基ある。案内板によるとプラザから移転されたものらしい。金山堂の西隣りには金山神社と佐知川上自治会館がある。


見沼区片柳1047、県道214号線沿いの三国コカコーラの東側から北に入り、常泉寺に行く途中の道路沿いにある。文化7(1810年)と刻まれていた。

鬼二匹の姿態が珍しい。

見沼区染谷1丁目、八雲神社境内の祠の中に3基ある。扉の格子の間から見ると中央手前に1基その左右の奥に1基づつある。いずれも下部に三猿が見える。手前中央の塔に庚申の文字が刻まれているのが読み取れた。

左奥の塔の方は上部が欠けているようだ。右奥の方は、うっすら庚申の文字が読み取れる。

見沼区染谷1390、薬師堂がある交差点の北西角にある。交差点と言っても自動車一台がかろうじて通れるくらいの幅で、山道の中に入って行くようだ。実際は山の奥ではなく交通量の多い道路に向かっている。薬師堂は八雲神社の前の道路を西に行きすぐに北に曲がった先にある。

扉が開けられるようになっていたので、扉を開けて写した。

見沼区片柳1丁目、万年寺境内に2基ある。こちらには、天保12(1841年)と刻まれていた。

腰に虎の頭、頭に髑髏、ここまで細かく刻まれているのは珍しい。

こちらには、天明7(1787年)と刻まれていた。

緑区道祖土4丁目33の南側道路沿いに2基ある。3基並んでいるが左端は馬頭観音で、顔が3面あることからそれとはっきりわかる。写真奥の建物の前の道路を右(北)に曲がり釣り堀の東側を北に行くと第二産業道路に出る。

左の塔には宝永6(1709年)と右の塔には安永9(1780年)と刻まれていた。

緑区中尾234、大聖不動尊に2基ある。大聖不動尊は国道463号線と第二産業道路が交差する区役所北交差点から国道463号線を西に行き川口信金の西側を南に入ったところにある。国道463号線に不動坂の表示が出ている。


こちらの塔には元文5(1740年)と刻まれている。

こちらの塔には元禄9(1696年)と刻まれている。

緑区中尾、中丸自治会館横の墓地の角にある。崖の擁壁に道路拡幅のために庚申塔を移転したという説明板が取り付けられていた。南側の一本下の道路はバス通りで中丸北バス停にバスが停車しているところが見降ろせる。中丸北バス停から北西にまっすぐ行くと東浦和図書館に突き当たる。

塔には享保5(1720年)と刻まれていた。

緑区中尾935、駒前自治会公会堂前にある。国道463号線と第二産業道路が交差する中尾陸橋下交差点から国道463号線を東に行き、最初の横道を北に入ったすぐの場所で、後ろの赤い建物は国道463号線沿いにある飲食店だ。塔には享保2(1717年)と刻まれていた。

緑区三室2711の南西角の桜の樹の下にある。飛び地になっている三室地区なので南側は松木3丁目7と西側は馬場2丁目17と接している。西側の道を北に行くと三室堂がある一角の南西に出る。塔には安永5(1776年)と刻まれていた。

三猿の真ん中の猿が左向きというのは珍しい。

緑区馬場2丁目17の北東角に2基ある。


緑区芝原2丁目14地福院墓地にある。塔には正徳2(1712年)と刻まれていた。

緑区芝原2丁目18の北西角の神明神社内に5基ある。見沼代用水西縁の神明橋を通る道の一つ南の道を入る。

左の塔には明和4(1767年)と右の塔には寛政11(1799年)と刻まれていた。

右の塔には元文5(1740年)と刻まれていた。

塔には天明元(1781年)と刻まれていた。

緑区中尾、国道463号線沿いのバス停駒形の西側の交差点のところで北方の道路に入ってすぐの東側道路沿いにある。ここを過ぎて更に北に行くと駒形公会堂の前を通りバイパスの国道463号線沿いのバス停中尾陸橋の東側に出る。塔には延享元(1744年)と刻まれていた。

緑区東浦和8丁目、内谷墓地の外側南東角に2基あり。左の塔には宝永5(1708年)と右の塔には延享4(1747年)と刻まれていた。

緑区東浦和3丁目25、富士見坂通り沿い北側にある。寛延4(1751年)と刻まれていた。

緑区東浦和5丁目、西谷霊園横の西谷自治会館にある。塔には安永5(1776年)と刻まれていた。

緑区芝原3丁目35の南西角、東浦和駅前通り沿いにある。塔には寛政11(1799年)と刻まれていた。

緑区南部領辻、総寺院に2基ある。

左の塔には天保7(1836年)と右の塔には安永6(1777年)と刻まれていた。

緑区南部領辻、日光御成道沿いのバス停南部領辻がある交差点角に「さいたま市消防団美園第2分団」があり、その横の道路を入ると反対側の道路沿いにある。塔には安永6(1777年)と刻まれていた。

緑区南部領辻3696、日光御成道沿いに2基ある。塔の反対側に美園中学の校舎が見える。

緑区大崎、太子堂があるところの鳥居の奥にある。太子堂は新見沼大橋の南側、見沼代用水東縁のすぐ脇にある。

緑区間宮、間宮自治会館の建物の横に2基ある。間宮自治会館は、国道463号線の間宮と大門の境の交差点の一つ手前で南に入ってすぐのところにあり横に墓地がある。


こちらの三猿が片手で目耳口を塞いでいるのが珍しい。

緑区間宮、氷川神社境内に2基ある。氷川神社は国道463号線から大門との境の道路を国立武蔵野学院の方に向かって南に行き、高速東北自動車道の下を通る道路が交差するところで西に入ったところにある。

緑区間宮、氷川神社の東隣の建物入口にある。入り口に縄が張ってあり、これ以上近づけなかった。

緑区大門、緑ヶ丘墓苑がある一角の南西角に2基ある。緑ヶ丘墓苑はJR武蔵野線の上の歩道橋を南に越してから西に曲がり、この庚申塔があるところで線路の方に曲がった先にある。左の塔の方には天保11(1840年)と刻まれていた。

緑区大門、大門神社の参道の途中の道路沿い西側にある。参道の入口は国道463号線沿いにある。

緑区大門、大興寺境内に4基ある。大興寺は、国道463号線の大門(上)交差点から県道105号線に入り、高速東北自動車道を越す手前の東側道路沿いにある。

左の塔には宝永7(1710年)と刻まれていた。

左の塔には享保14(1729年)と刻まれていた。

緑区北原、国道463号線沿い北側にある。

堂の扉が開けられるようになっていたので、開けて写した。下に三猿が刻まれており、頭の部分が写っている。

緑区松木2丁目18の北の角にある。松木区画整理記念会館の前の道路を南に下がったところの道の分かれ目にできた三角形の空地の角にある。

緑区南部領辻、総持院の前の道路を日光御成道の方に行くと、途中の交差点の北西角にある。ここで南に曲がりまっすぐ行くとバイパスの方の国道463号線に出る。
ここの交差点からはどの方向にも目印になるような建物や標識がないので、覚えておくと現在でもよい目印になりそうだ。

緑区玄蕃新田の木傘神社の鳥居の横にある。木傘神社は埼玉高速鉄道の浦和美園駅の北の端の東側にある。神社の横に玄蕃自治会館がある。

緑区下野田、浦和美園駅の西口に行く道路沿いにある。塔の前を通り南に行くとバイパスの国道463号線に出る。天保5(1834年)と刻まれていた。

緑区下野田、園徳寺の入り口にある。園徳寺の横には下野田自治会館がある。

園徳寺の墓地には2基ある。こちらの塔には文化元(1804年)と刻まれていた。
こちらの塔には享保5(1720年)と刻まれていた。人身が腰より上に刻まれているのは珍しい。最初に見たときには、ペットが上腕につかまっているように見えた。

緑区中野田、重殿社の鳥居の横に5基ある。重殿社は中野田の南端で明照寺の南隣り、後ろを国道122号線が通っている。

右の塔には、弘化3(1846年)と刻まれていた。

左の塔には宝永3(1706年)と右の塔には弘化3(1846年)と刻まれていた。


弘化3(1846年)の塔が2基あるが、側面には違う言葉が刻まれている。

緑区玄蕃新田、大門と接する方の玄蕃新田で、美園支所・美園公民館の西側の道路と日光御成道が交差する角にある。公民館の西側の道はバイパスの国道463号線に出る。

緑区高畑、日光御成道から浦和東高校の前を通る県道214号線に入り、高畑陸橋に上がらずに直進した先の交差点角にある。塔には寛政元(1789年)と刻まれていた。

緑区上野田、日光御成道から浦和競馬トレーニングセンターの西側の道路に少し入った先の分かれ道の角にある。分かれ道を上がった先には天神宮がある。塔には明和5((1768年)と刻まれていた。
緑区大崎、日光御成道から美園中学へ降りていく入り口から少し南に行ったところの西側道路沿いにある。歩道から少し奥まった場所で背後が木立になっている。道路を挟んだ斜め向かい側にも庚申塔がある。塔には享保4(1719年)と刻まれていた。
緑区南部領辻、墓地内に2基ある。この墓地は、日光御成道沿いのバス停南部領辻近くの交差点から北に入ったところにある。写真奥の木々の向こう側に日光御成道が通っている。
どちらも地蔵菩薩像だが、庚申の文字が刻まれている。庚申塔として建てられたものだろう。左の塔には元禄14(1701年)と刻まれている。
緑区代山、日光御成道と五斗蒔橋を通る道路が交差する交差点で北に入ったところの切通しに2基ある。この場所を通って西に行くとさいたま聖地霊園の南側を通る。
緑区寺山、日光御成道から県道214号線に入り、少し行ったところで北界寺の方に行く道に曲がる。県道214号線から入ってすぐの北側道路沿いにある。ここを過ぎると寺山自治会館の前を通る。塔には元禄16(1703年)と刻まれていた。
緑区玄蕃新田、浦和美園駅の北の端の木傘神社の横の道路を南に行くと西側道路沿いにある。塔には文政11(1828年)と刻まれていた。
緑区大門、国道463号線沿いの大門宿本陣表門の東側で、さいたま市消防団美園第3分団の西側の道を北に少し入ると道路東側の駐車場の中にある。道路から見ると自動車の影に隠れて見えにくい。塔には天明元(1781年)と刻まれていた。
緑区北原、国道463号線沿い南側にある。斜め向かい側にも庚申塔がある。塔には宝永7(1710年)と刻まれていた。
緑区大間木、バイパスの国道463号線から大間木と中尾の境の道路の一本東側の道路を南に少し入ったところの東側道路沿いにある。塔の背面に文化10(1813年)と刻まれていた。
緑区大間木、水深自治会館の隣の堂の中にある。
緑区下山口新田、県道103号線沿いで川口市に入る手前にある稲荷神社の脇、下山口自治会館の前にある。塔には文化2(1805年)と刻まれていた。
緑区南部領辻、日光御成道と大崎が接する北の端のところで脇道に入り、少し行った先の道路の分岐点の角にある。日光御成道沿いの入口のところの電柱に南部領辻3177と表示があった。
庚申塔の横を通り、日光御成道の東側を並行して進むと日光御成道に出る。ちょうど南部領辻の南端で大門と玄蕃新田とに接する地点だ。庚申塔の向きは、こちらの方から入ってきた人の方を向いている。
南部領辻の三差路にあるとだけで場所がわからずにいたら、南部領辻の獅子舞がこの場所でも舞うと知り、ユーチューブで平成23年5月15日(日)での様子を見たら場所の見当がついた。
塔には万延元(1860年)と刻まれていた。
緑区大門、椚谷墓苑がある一角の南側の道路沿いにある。椚谷墓苑は春日神社の東側の道路の更に東側の道路を少し北に入ったところにある。塔には寛政7(1795年)と刻まれている。
西区植田谷本村新田、バス停治水橋堤防のところから、荒川の堤防を北側に降りたところの道路沿いの鳥居の奥にある。鳥居の額には正一位八幡大明神とあった。
西区湯木町1丁目、湯木自治会館の横にある。
西区飯田新田、薬師堂にある。薬師堂はびん沼川に架かる船戸橋の手前から川に沿って北の方に行く道路沿いにある。薬師堂を過ぎてまっすぐ行くと「昼間の渡」跡地がある。この地図はそこの案内板にあった。
横に馬頭観音の塔があり、こちらの側面に道標が刻まれていた。
西区塚本町2丁目、神明神社に2基ある。神明神社の前の道を西に行くと瓶沼橋がある。
よく似ているが、見比べると少し違う。2基同じような塔を建てた意味はわからない。
正面から見ると猿が一匹しかいないが、両側面にも猿が刻まれており、やはり三猿だった。
西区西遊馬、県立大宮武蔵野高校の前の道路を南に行き、本村自治会館の前を通り過ぎ、次の横道を東に入って行った先にある。塔の前の道を東に行き、突き当たったところに西‐853の表示があった。塔には享保10(1725年)と刻まれていた。
西区西遊馬、西遊馬上サ自治会館横の防災倉庫の奥にある。塔には宝暦7(1757年)と刻まれていた。
西区西遊馬、西遊馬仲野自治会前にある。
西区西遊馬、荒川堤防上の踏切を北に越し、西に降りて行った先にある。東側に降りると県道2号線沿いのバス停高木がある。横にある鳥居には八坂神社と書かれた額があった。塔には宝暦13(1763年)と刻まれていた。
猿が服をきて一匹だけというのは珍しい。
西区指扇、薬師堂入り口左にある。薬師堂は西大宮駅北口から西に行ったところにある。駅西側の最初の踏切がすぐ前にある。塔には正徳2(1712年)と刻まれている。
西区指扇、華厳寺墓地の入り口を入ったところにある。この墓地は、薬師寺前の踏切を渡り南に行き、分かれ道の角に石碑があるところを西に行った先にある。
華厳寺北側の道を西に行き、突き当たりの分かれ道を北に行くと、西大宮駅西側二つ目の踏切にでる。塔には享保15(1730年)と刻まれていた。
西区指扇、庚申塔のあるの華厳寺北側の道を西に行くと、道の分かれ目にある。
塔には、文化12(1815年)と刻まれていた。

真ん中の猿がお尻を上に向け、両脇の猿が背中を向け合う姿勢になっている。
西区指扇、稲荷神社の入り口にある。県道2号線沿いのバス停赤羽の東側の信号がある交差点を南に入り、最初の角を東に行くと稲荷神社の横を通る。
神社の横を通り過ぎてまっすぐ行くとアカシヤ通りにぶつかる。塔には、享保11(1726年)と刻まれていた。
西区水判土、県道57号線沿いの北側バス停慈眼寺の横にある。塔には延享3(1746年)と刻まれていた。
車道から少し離れて、今は使われていない電柱の横にある。ここだけ家が後ろに下がっている事情はわからないが、おそらく湾曲していた道路を直線にしたせいではないかと思う。人工的に直線にするのは川だけではないようだ。

西区指扇領辻、県道57号線沿い東側にある。塔には寛保2(1742年)と刻まれている。


西区峰岸、県道57号線沿いのバス停峰岸団地の北側、西側道路沿いに3基並んでいる。



西区中釘、秋葉神社の社の向かって右側の奥に入ったところにある。塔には貞享3(1686年)と刻まれていた。

後日気付いたが、そのすぐ後ろにも庚申塔があった。塔には天保12(1841年)と刻まれていた

西区中釘、秋葉神社の後ろの弁天社への入り口脇にある。塔には元禄元(1688年)と刻まれていた。

西区中釘、秋葉神社の前の通りを西に行くと道路南側に小高くなった林があり、階段を上がると中が墓地になっている。その林の裏側に回ったところにある。後ろ側に入る入り口には馬頭観音塔が2基並んでいる。

西区高木、氷川神社の社の入り口脇にある。氷川神社は指扇北小学校の東側にある。塔には元禄6(1693年)と刻まれている。

西区高木、阿弥陀堂の入り口脇にある。阿弥陀堂は、県道216号線の交差点高木から南に下がり、氷川神社前に入るところで反対側の東側に入った先にある。塔には宝暦12(1762年)と刻まれている。

西区高木、県道216号線の交差点高木から高木木ノ下自治会館の前を通って北東に伸びる道路の突き当たり、清河寺に入る手前の道路沿いにある。ここで観音寺前を通り東に延びる道路と合流する。

西区中釘、県道216号線沿いのバス停秋葉入口のところから西に入り、永昌寺の後ろを通り過ぎたところで、北に入ったところにある。日産自動車の裏側南西角の向かい側にあたる。
扉の格子の隙間から写したが、昭和17年再建とある。最初の庚申塔が建てられた年はわからない。

西区清河寺、県道165号線沿いのバス停清河寺の北側、県道西側にある。
小さい方の祠の中にあり、格子の間から鬼と三猿が見え、庚申信仰に由来すると思われる。像は猿田彦大神らしい。木彫りは珍しい。

大宮区大成町2丁目、普門院を入り左手の方にある。以前に来た時に見落としていた。お地蔵さんのようだが、下に「供養庚申」と彫られているので庚申塔といってよいだろう。

北区日進町1丁目、自治会館・氷川神社の南側道路脇にある。

北区日進町2丁目、日進駅の北口で駅舎のほぼ真向かいにある。塔には元禄16(1703年)と刻まれていた。

その裏側にあった。三猿も刻まれ、庚申塔として建てられたのだろう。塔には明治26(1893年)と刻まれていた。

西区宮前町、興徳寺の入り口横にある。塔には天明3(1783年)と刻まれている。

西区内野本郷、内野本郷自治会館横の八雲神社の脇にある。

西区内野本郷、清河寺交差点から宮原駅に向かい、新大宮バイパスを越したところで、大宮花の丘農林公苑に向かう道に入ると、途中の西側道路沿いに2基ある。


西区西新井、西新井自治会館前の西新井稲荷社横に2基ある。自治会館は花の丘通りが上尾道路と交差するところの少し南に下がったところにある。


こちらの塔には享保19(1734年)と刻まれている

北区大成町4丁目、自治会館・稲荷第二公園の南側入り口を入ってすぐのところに3基ある。向かって左端の塔には元禄14(1701年)と刻まれていた。



北区日進町2丁目、日進駅南口から南に延びる通りの東側道路沿い、櫛引町2丁目との境の角にある。日進小学校の南西角の交差点から少し南に下がったところになる。塔には元禄4(1691年)と刻まれていた。

西区宮前町、県道216号線沿いバス停宮の前がある交差点を南に少し入ったところの西側道路沿いにある。後ろに新大宮バイパスに上がる階段がある。台石の前面に三猿が刻まれており、塔には元禄3(1690年)と刻まれている。

北区日進町2丁目、日進駅の東側の踏切を通る通りの西側道路沿いにある。線路と北側の最初の信号がある交差点との中間あたりになる。塔には宝暦4(1754年)と刻まれている。

北区日進町3丁目、宮原駅西口前の通りから自治会館の西側の角で南に少し入った道路沿いに2基ある。庚申塔の前を過ぎて南に行くと日進駅の西側二つ目の踏切を通る。向かって左の塔には元禄14(1701年)と刻まれていた。


北区宮原町4丁目2、宮原駅東口の北側の道路の直ぐ脇が線路との境界の柵になる始まりのところにある。塔には元禄6(1693年)と刻まれていた。

北区奈良町115の南西角に2基ある。奈良別所通りの一本西側通り沿いになる。

左の塔には文化10(1813年)、右の塔には元禄13(1700年)と刻まれている。

北区別所町50の南東角、奈良別所通りの西側の通りで、しらかば通りに出る手前の道路沿いにある。塔には明治25(1892年)と刻まれていた。

北区別所町、庚申公園の外側北西角にある。庚申公園は、しらかば通りの一本北側の通り沿いにある。
堂の中には、向かって左側に青面金剛像、右側に猿一体がある。

北区吉野町2丁目197北東角にある。県道164号線から上尾市との境のところで東に入った先にある。塔には文政7(1824年)と刻まれていた。

北区吉野町2丁目249の南西角、県道35号線(産業道路)沿いにある。塔には宝暦13(1763年)と刻まれていた。

北区吉野町1丁目21の南側、吉野神社の手前にある。吉野神社は県道35号線(産業道路)から加茂神社通りに入ってすぐのところにある。塔には元禄13(1700年)と刻まれていた

北区宮原町4丁目、県道164号線沿いの西側の方のバス停天満神のすぐ横にある。塔には元禄3(1690年)と刻まれている。

北区宮原町2丁目、宮原南公園の北東角にある。東側横に水路が南北に通っており、塔の北側通りを西に行くと国道17号線の宮原町二の交差点に出る。宮原南公園の上には鉄道が通っている。

北区本郷町、県道35号線(産業道路)の宮原駅(東)の交差点のところで原市道が合流するが、原市道の北側道路沿いにある。土呂町の原市道の南側の合流点近くにも庚申塔がある。

北区今羽町、県道35号線(産業道路)の宮原駅(東)交差点のところから北に行き、真福寺に入るところの交差点南西角にある。北側の道の反対側の番地は113と表示されている。塔には宝永6(1709年)と刻まれている。

北区今羽町、真福寺の西側通り沿いにある。後ろに鉄道の高架が通っている。塔には寛政8(1796年)と刻まれている。

北区本郷、高林寺境内にある。高林寺は県道35号線(産業道路)沿いにあるが、入口はその東側を通っている原市道側にある。塔には寛延3(1750年)と刻まれている。

北区本郷、九平橋を通る手前の南側道路沿いにある。塔は道路の方ではなく、見沼代用水西縁の方を向いている。塔には宝暦12(1762年)と刻まれていた。

見沼区東大宮2丁目37の南西角、県道1号線(第二産業道路)の交差点東大宮駅入り口の西側に道路一本入ったところにある。塔には文化4(1807年)と刻まれている。

見沼区東大宮30、砂の大ケヤキの根元にある。県道1号線(第二産業道路)の交差点東八幡神社入り口から西側に道路一本入ったところにある。

見沼区堀崎町、稲荷神社の角にある。稲荷神社は堀崎団地の東端にある。塔には文政8(1825年)と刻まれていた。

見沼区島町、薬王寺入口にある。東武野田線七里駅北側にある春里中学校南側の道路から入り、薬王寺まで行く途中に彼岸花の花が一面に咲いている庭を見かけた。塔には天明3(1783年)と刻まれていた。

見沼区風渡野、風渡野郵便局の少し北側、県道322号線の東側道路沿いにある。塔には万延元(1860年)と刻まれていた。

見沼区風渡野、大円寺参道入り口にある。大円寺へ正面から入る入口は、県道2号線沿いのバス停東門前がある交差点になる。塔には寛保2(1742年)と刻まれていた。

見沼区膝子、西に行くと加田屋橋を通るところで、日光御成道から東に入り、突き当たり角の擁壁の壁の中にある。右の写真は、庚申塔の前から綾瀬川の方向を見たところ。


見沼区膝子、膝子八幡神社の鳥居の手前にある。神社は樋口橋の横の交差点を東に入った先の南側にある。神社の案内板によると神木は樹齢300年ほどらしい。塔には弘化4(1847年)と刻まれている。

見沼区膝子、バス停膝子と膝子公園の間の日光御成道沿い西側にある。膝子公園の北側を西に入ると七里総合公園の中央あたりになる。

見沼区東宮下1丁目、宮下八幡宮の境内にある。宮下八幡宮は県道65号線から東宮下1丁目と2丁目の境の道に入った先の南側にある。塔には安永6(1777年)と刻まれている。

見沼区東宮下2丁目、氷川神社の参道脇にある。氷川神社は県道65号線沿いのバス停東宮下から東に入ったところにあり、塔があるところは東宮下3丁目との境の角になる。
塔の左横の道は氷川神社の鳥居と社の間を通っているが、神社の参道を横切って車道が通っていることはさほど珍しいことではないと最近知った。

見沼区深作5丁目、深作川の反田橋を通る道を東に行き、突き当たったところにある。途中南側にある田を写した。塔の前を南北に通る道路は、地図で見た印象に反して自動車の交通量が多い。通り抜けるのに便利な道のようだ。


見沼区宮ヶ谷塔1丁目、県道2号線沿いのバス停大橋のところで東武野田線の踏切を通る道路に入り、踏切に行く途中の道路沿い東側にある。塔には享保3(1718年)と刻まれている。

見沼区深作2丁目24北側、氷川神社の道路を挟んで向かい側にある。塔には享保10(1725年)と刻まれている。

見沼区深作1丁目24の東角にある。

見沼区深作1丁目、西郭公園内にある。塔には文化12(1815年)と刻まれている。

見沼区深作5丁目、関前橋を通る道路を北東に行き、綾瀬川にぶつかる手前の交差点角にある。塔には文化13(1816年)と刻まれている。

見沼区丸ヶ崎、薬師堂前にある。薬師堂は県道322号線から綾瀬川の手前で東に入った先の道路沿いにあり、隣に「なます神社」がある。春野3丁目の北方になる。塔には元禄2(1689年)と刻まれている。

見沼区丸ヶ崎、見沼代用水東縁の新出戸橋の一つ上流の橋の東側、橋に向かって右側にある。

見沼区丸ヶ崎町、旧出戸橋の西側にある。塔には寛延元(1748年)と刻まれている。

見沼区深作、覚蔵院の前にある。塔には明治3(1870年)と刻まれている。

見沼区深作3丁目15の南側にある。

見沼区深作1丁目2、入山橋を通る道路沿い、信号のある交差点近くにある。塔には元禄9(1696年)と刻まれている。

見沼区蓮沼、大和田公園通りと県道2号線が交差する蓮沼交差点のところを北に行き、東武野田線を越えてすぐのところの西側道路沿いにある。

見沼区蓮沼、蓮沼交差点のところで県道2号線から大谷中通りに入り少し行ったところの北側道路沿いに2基ある。隣に蓮沼会館・八雲神社がある。こちらの塔には建立をした正徳6(1716年)の他に彩色供養をした明和4(1767年)が刻まれている。

こちらの塔には文政10(1827年)と刻まれている。

見沼区大谷、大谷中通り沿い大谷中学の東方角にある。塔には享保15(1730年)と刻まれている。

見沼区大谷、大谷中学の東方角から南に伸びる道路沿い、氷川神社の参道入り口手前に2基ある。左の塔には天保2(1831年)と刻まれている。

右の塔には文化3(1806年)と刻まれている。

見沼区大谷、県道65号線沿いのバス停向大谷の少し北のところで東に入り、思い出の里市営霊園にぶつかる手前の北側道路沿いにある。途中キコスモスがたくさん咲いていた。塔には修復の跡がたくさんある。

見沼区東門前、東門前第一自治会館前にある。自治会館は県道2号線の交差点七里駅入口の西側にある歩道橋のところを南に入ったところにある。塔には天明2(1782年)と刻まれている。

西区佐知川、覚音院跡地に3基ある。覚音院跡地は、市営植水住宅の3号館の裏にある。途中、「この先行き止まり」の案内板が2か所出ており、一番奥の突き当たりにある。向かって左端の塔には延宝4(1676年)と刻まれている。

真ん中の塔には元禄8(1695年)と刻まれている。

右端の塔には元文5(1740年)と刻まれている。

西区指扇、妙光寺の東側にある神社の鳥居の横にある。妙光寺前の道路沿いに参道入り口があり、隣が空き地になっていたので、道路から小さく塔が見えた。塔には宝永2(1705年)と刻まれていた。

西区指扇、華蔵寺墓地の北側の道路を西に行き突き当たりの分かれ道を更に西に行った先の家の角を回ったところにある。角を回って北に行くと踏切に出る。踏切を渡って更に北に行くと指扇小学校の西側を通る。

西区宝来、県道57号線の交差点宝来から少し北に行ったところで、歩道から西に降りたところにある。福寿庵の裏手にあたり、塔の向こう側に八雲神社がある。

緑区三室、県道1号線(第二産業道路ではない方)の西側道路沿い、不動谷交差点の少し南にある。道路を挟んだ反対側が中尾になる。塔には寛保元(1741年)と刻まれている。

緑区芝原1丁目26南側道路沿い、報徳院の前にある。割れて倒れたままなのが残念だ。この前を通り西に行くと、三室のさるまん塚の庚申塔がある。

緑区東浦和9丁目19の西側道路沿いに2基並んである。右の塔には宝永6(1709年)と刻まれている。

緑区大間木附島、吉場橋を渡り南に行き、東浦和駅前通りに出る手前の北側道路沿いにある。塔の前の通りを西に行くと赤堀排水路に架かる丸山上橋の前を通る。塔には寛延2(1749年)と刻まれている。

緑区馬場1丁目37の南側道路沿い、三室中学校の北側道路沿いにある。塔には文化9(1812年)と刻まれている。

見沼区南中丸、大宮八幡中学校の南で東の通りに入り、突き当たりを北に曲がったところにある。塔の前の道路を東に少し行くと排水路を渡る橋を通る。塔には安永7(1778年)と刻まれている。

見沼区小深作、墓地の中にある。墓地は、県道322号線から春里中学校の横のところで東に入っていったところにある。塔には延宝7(1679年)と刻まれている。

墓地があるところは高台になっていて、崖下に小深作前公園がある。

見沼区片柳、大宮聖苑の南西角から少し東に入り南に5メートルほど林の中に入ったところにある。塔には文化7(1810年)と刻まれている。

二鬼と三猿の姿態がおもしろい。石工の腕がよいのだろう。


見沼区大和田1丁目、県道5号線(第二産業道路)沿い金沢整形外科の南側から東側に入り、突き当たり角にある。突き当たり南北に道路が通っており、右の写真は南に向かう道路。
