
使い終わった後もとっておいた便箋の表紙の詩を何気なく読んだら、立原道造の詩だと気付いた。もう30年以上も前に絵が気に入って買ったものだ。別所沼公園のヒアシンスハウスで巡り合ったのも何かの縁だろう。
詩の題は「さびしき野辺」という。だれかが私のそばにいたらさびしくないだろうと思ったら、続きがあった。
ああ しかし と
なぜ私は いふのだろう
そのひとは だれでもいい と
いま だれかが とほく
私の名を 呼んでゐる……ああ しかし
私は答へない おまへ だれでもないひとに
これは、著作権のことを考えなくても全文は載せられなかったろうと思う。誰でもよくはない相手に送り、その相手には答えてほしいのだから。著作権の方は現時点では作者没後50年以上経つので検索すると全文読むことができる。
どこの会社で作った便箋か検索したら「たれぱんだ」や「リラックマ」を作った会社だった。こちらも自分の趣味にあう。ただ、もう同じ便箋は作っていないようだ。
立原道造の「さびしき野辺」を読んでいたら、大宮第三公園が思い浮かんだ。

詩をつくづく読むと、自分のそばにいる人はだれでもいいが、遠くから自分を呼ぶ人は、そのだれでもいい人の中には入らないので答えないということになるのだろうかと思った。
(2013.2記)