『ドン・キホーテ』2013.3.17,4.25〜5

(一)

 子供のころ、ドンキ・ホーテだと思っていた。ドンが称号だとわかったのは結構後のことだ。

 それはともかく、散歩中ぼんやり歩いていたら、突然の犬の吠え声で考え事が吹っ飛んだ。

 見ると小さい犬で怖がることはないと思ったが、脇に寄って道を譲った。買主からは何の挨拶もない。犬は、擦れ違うときにも前方に向かって吠えている。何に吠えているんだろうと思い振り返ったが、何もない。鉄道線路橋の上で他に人通りもない。

 下に降りる階段の途中でもう一度振り返ってみたら、座って静かに線路の向こうを見ている。哲学者が思索にふけっている様だ。買主も立ち止まって付き合っている。もしかして、列車に向かって吠えていたのだろうか。

 それなら、まるで風車にむかっていったドン・キホーテのようだ。

 下に降りて少し歩きだしたら、また犬の吠え声が聞こえて、列車が通り過ぎた。やっぱり列車に向かって吠えていたのだろう。買主もいつまで犬につきあっているのか大変だなと思う。なにしろここの鉄道線路橋は列車が次々と通り、わざわざ写真を取りに来る人もたくさんいるところだから。


(二)

 ドン・キホーテのした冒険について、風車に戦いを挑んだことしか知らないので、他にどんなことをしたのか気になった。

 子供向けではない全訳本を探すといろいろあったが、岩波文庫の牛島信明さんの訳で読んでみることにした。前篇後篇各三冊で全部で六冊になる。

 最初の方は、少し退屈で、流し読みしていたら、二冊目の最初の方の第23章の途中から急に面白くなってきた。一冊目を読んで読むのを止めた人は、気が早すぎたと思う。 

 自分は、図書館からまとめて前篇の三冊を借りてきた。手元の三冊を見ると、一冊目だけ紙が新しい。奥付けをみると、二冊目と三冊目は2001年の第1刷発行の本だが、一冊目は、2001年第1刷の2010年第14刷発行の本だ。2001年に全巻購入して何かの事情で一冊目だけ買い替えたのだろう。どういう事情かはわからないが、「一冊目だけ読む人が多い」という仮説と何か関係がありはしないかと思う。 


(三)

 ドン・キホーテがどこまで正気で、どこから狂気かがよくわからない。

 子供は、ごっこ遊びをよくやるが、自分でまねごとだということは、ちゃんとわかっている。ドン・キホーテも騎士道物語ごっこをしているだけのようにも思える。

 第二十六章の中に以下の記述がある。(二冊目の126頁)

 それまで何度も思いをめぐらせながら、心を決しかねていることをまたしても考えはじめた。すなわち、ロルダンを真似て途方もなく荒っぽい狂乱を演じるのと、アマディスに倣って狂気の悲嘆にくれるのとではどちらがよかろう、どちらが自分の目的によりぴったりと合致するであろうか、ということであった。

 この「自分の目的」は、第二十五章(94頁)の「わしがこのような奥まった山地にやってきたのは、〜世界の津々浦々にまで轟きわたる永遠の名声を得るに値する偉業を実践するためなのじゃ。おそらくこの山地での偉業は、遍歴の騎士に望みうる限り最高の栄誉をもたらす底のものになることであろうぞ。」

 本に書かれたことを模倣しただけで、本に書かれていることの結果が実現されると思っている。もっとも、本に書かれたことが実際にあったことと信じているので、「模倣」でも現実になされたら、その結果も実現されると思うのは、理論的には正しいのかもしれない。

 従士のサンチョ・パンサは、「どこかの島がいとも簡単に手に入るような冒険に出くわすこともあろうから、そうなったらお前をその島の領主にとりたててやろう」というドン・キホーテのいうことを信じている。(一冊目の134頁、第七章)

 サンチョ・パンサが、そのドン・キホーテのいう冒険について、ドン・キホーテの言うことと現実が違っているのに、その冒険の結果である「領主になる」ということについては、些かも疑いをもたないということが不思議だった。

 サンチョ・パンサは、「善良な人間だが、ちょっとばかり脳味噌の足りない男」と紹介されている。善良なので、サンチョ・パンサは、ドン・キホーテが嘘を言っているとは思わないのだろう。(実際、ドン・キホーテも思いこんでいるので嘘を言っている自覚はないようだ) 

 サンチョ・パンサは、実際に目にしたことは、目にしたとおりにしか考えられず、別の空想をすることはできない。抽象的なことが考えられないので、@ドン・キホーテは冒険が成功したら領主にしてあげると言っている、Aドン・キホーテのいう冒険と現実には食い違いがある、B結果の原因である冒険が現実と違っているのだから結果も現実に起きるか疑わしい、ということまでは思いが及ばないのだろう。


(四)

 ドン・キホーテが、本当は現実をよく理解していると思える以下の記述がある。(三冊目の第三十八章)

 それにしても、大砲という悪魔がかった火器の恐るべき狂暴性を知らなかった時代こそ幸いなるかな!(77頁)

 奴の考案品(大砲)ときたら、卑劣な臆病者に勇敢な騎士の命を奪うような機会を与え、意気軒昂たる勇士が胸を燃えあがらせて獅子奮迅の活躍をしておる最中に、どこからともなく流れ弾が飛んできて、まだまだ長生きをしてしかるべき人物の思想と生命を一瞬にして断ち切ってしまうことを可能にしたのですからな。(77頁)

 拙者は今われわれが住んでいるこのような忌まわしい時代に遍歴の騎士という職務についたことを、心の底では悔やんでおると言いたい気持ちになりますのじゃ。と申すのも、拙者はいかなる危険をも恐れはせぬが、それでもなお、この腕の力と剣の切っ先により、この世の津々浦々にまで轟きわたる名声をあげるという機会が、火薬と弾丸のために奪い去られてしまうのではないかと考えると、やはり懸念を覚えるからでござる。(78頁)

 ドン・キホーテの時代は1500年代の終わりで、日本では、1600年に関ヶ原の戦いがあった。確かに鉄砲の出現で戦のやり方がそれまでと変わった。日本の戦記物で一人の武将が進み出て名乗りをあげる描写があるが、名乗りを上げている間に鉄砲で撃たれて死んでしまうことになった。「やあ、やあ、われこそは・・・、」というやつだ。

 そうはいっても、江戸時代で、剣の腕がたち、それで名を上げている人を主人公とする小説はたくさんある。自分は笹沢左保の「木枯らし紋次郎」が好きで、文庫本で全冊持っている。紋次郎もさすらっている。

 武器が変わり戦争の仕方が変わったので、一人の勇者がその腕っ節の力で王や王妃を助けて、褒美に領土をもらうことが廃れたのは確かだろう。それでも、困っている個人を、個人の腕っ節の力で救うのは、ドン・キホーテの時代なら、まだ廃れてはいないだろう。

 だから、ドン・キホーテがただの狂人かどうかは、ドン・キホーテの考えている「遍歴の騎士という職務」がどのようなものかによるだろう。

 とはいっても、サンチョ・パンサの考えている一人の人間の剣の力で「島の領主」になるというのは、完全に時代遅れだろう。


(五)

 ドン・キホーテが考えている「遍歴の騎士という職務」はどんなものか。

 第二章(前篇一冊目55頁)「自分が打ち壊そうと思う暴虐、正すべき不正、改めるべき不合理、排除すべき弊害」

 第四十九章(前篇三冊目305頁)「わしの助けと庇護を緊急に必要としておる、多くの窮乏した者や弱き者たちに援助の手をさしのべること」

 第五十二章(前篇三冊目349頁)「拙者の本来の任務が弱き者、困窮せる者を助けるということ」

 心意気はよいとして、現実に助けることができたかというと、前篇第四章で会った少年に前篇第三十一章で再会し、その少年に以下のように言われている。二冊目282頁以下

 「・・おいらが樫の木に縛り付けられてたのを旦那様(ドン・キホーテ)が解き放ってくれた・・」

 「だけどそのあとがいけねえ、最後にはまったく裏目に出てしまいましたよ。」

 「もしあの時、旦那様がそのまま街道を素通りして、呼ばれもしないところに顔を出したり、他人のことに首をつっこんだりさえしなかったら、おいらの主人だって、十ぺんか二十ぺん鞭打つだけで気がすみ、それから縄をといて、払うものも払ってくれたはずなんです。ところが旦那様が、あんなにきつい言葉を浴びせかけ、必要以上にひどい恥をかかせたものだから、あの人も頭にきたんだろう。だけど旦那様に刃向かうわけにいかねえから、旦那様がいなくなったときに、おいらに怒りをぶちまけたんだよ。」

 どうやったら他人を救えるか、気持と腕っ節だけでは、だめだったようだ。


(六)

 ドン・キホーテは、「漕刑囚、つまり国王陛下の命令で、ガレー船に乗って船を漕ぐ囚人(前篇(二)第二十二章11頁)」を「みずから犯した罪の報いとはいえ、決して好んで苦役に赴くのではなく、いやいやながら、おのれの意に反して引き立てられていく(26頁)」者達だと考えた。

 そこで、「わしは騎士道の実践において、苦境にあって助けを必要としている者、強者にしいたげられている弱者を救うという誓いを立てたがゆえに、今こそ諸君のために力を発揮しなければあいならんのじゃ(26頁)」といって、漕刑囚を解放してしまう。

 『強きをくじいて弱きを助ける』といい、『不正をただす』というが、弱い者が正しい者とは限らないので、助ける方法も問題だが、助けるべきかどうかも問題だ。

 もっとも、ドン・キホーテは「神と自然がもともと自由なものとしてお創りになった人間を奴隷にするというのは、いかにも酷いことにおもわれるからじゃ(26頁)」ともいっており、『ガレー船で船を漕がせる』というのは、日本国憲法18条が禁じている『奴隷的拘束」になり、日本国憲法36条で禁止されている『残虐な刑罰』にあたるだろうから、ドン・キホーテのしたことが、今の日本の善悪の観点から、責められることか必ずしも明らかではないように思われる。

 ただ、死刑は残虐な刑罰には当たらないそうだから、絞首刑にされそうな人を救った場合の方が、より明らかに責められるべきことになるのは、不思議な気がする。


(七)

 ドン・キホーテは、一人で冒険の旅に出たが、「ここはいったん家に引き返して必需品を用意し、あまつさえ従士もひとり雇おうと」して家に戻り、従士としたサンチョ・パンサと第二の冒険に出た。(第四章83頁)

 第二の冒険で怪我をして家に戻り、前篇は終わる。前篇の最後のところで第三の冒険もあったとされているが、まず、第一と第二の冒険を書いた前篇だけで出版された。

 前篇が評判になり、偽物がドン・キホーテのその後の冒険を書き、それが世に出た。その後、セルバンテスがドン・キホーテの第三の冒険を書き、後篇として出版される。

 前篇のはじめの三分の一くらいは、ドン・キホーテの単発の冒険が続いている。その後、旅先で知り合った人たちの物語が続き、司祭と床屋と旅先で知り合った人たちとが芝居を打って、ドン・キホーテを家に連れ戻そうとする。

 ドン・キホーテの妄想に合わせた話が、現実と矛盾しそうになると、機転を利かせてつじつまをあわせる。うまくいきかけたところで、家に戻ったら島の領主にしてもらいそこねると思ったサンチョ・パンサがいらぬ口を出しておじゃんにしそうになる。ここのところがおもしろい。

 おもしろいのだが、最初の方は、悪ふざけがすぎるような気もするし、後半の方のユーモアとしておもしろいところは、子供には難しいような気がする。子供の時、風車のところが出てくる絵本のような本を読んだ気がするだけなので、子供が子供向けの本を読むと、どういうところがいいのか、前篇を読んだだけではよくわからない。


(八)

 後篇の目次を見たら、サンチョ・パンサが島の領主になっているので驚いた。後篇の最初の方は少し退屈したが、サンチョ・パンサがどうやって領主になったのかと思うと途中で読むのをやめるわけにはいかない。

 なにかの冗談かと思ったら、冗談から出た本当だった。ドン・キホーテの本(前篇)を読んだ本物の公爵がサンチョ・パンサを自分の領地内の村の領主にしたのだった。島ではなかったが、領主として本当に「人を裁いたり、意見を述べたり、掟や規則を定めたり」した。(後篇(三)第五十三章67頁)

 裁判のところを読んだら、読んだことはないが、『大岡政談』のようだった。この辺から、またおもしろくなってきた。

 結局、領主の仕事は荷が重すぎるということで、サンチョ・パンサ自らドン・キホーテの従士に戻った。


(九)

 前篇が出版されたのが1605年で、後篇が出版されたのは1615年ということだ。後篇(三)の80頁の注をみるとスペインにいるモーロ人について1609、1610、1613年とくり返し追放令が出たらしい。イスラム教からキリスト教に改宗していても追放されたらしい。

 前篇で、キリスト教に改宗したモーロ人の女性を連れて帰国し、故郷に帰るスペイン人の話が出てくる。後篇では、スペインで暮らしていたが、追放令が出たために、落ち着き先を探すために出国し、スペインに残した財産をとりに戻ったキリスト教信者のモーロ人の男性とその娘が出てくる。

 小説の中では、前篇後篇を通して何年も時間が経っているわけではないので、時代背景が矛盾しているといえば矛盾しているだろう。セルバンテスはこの時間の流れのズレもネタにしていて、ドン・キホーテにこう言わせている。

 「わしらが二度の遍歴であちこち歩き回った日数を全部あわせても、やっと二か月ほどだというのに、サンチョよ、お前は、わしが島の約束をして二十年にもなるというのか?」(後篇(二)第二十八章76頁)


(十)

 「わたくしどもは先を急いでおりますし、目ざす宿もまだ遠いことゆえ、御質問の件をいちいち説明しているような暇などございません。」

 と言う時間があるなら、その間に

 「わたくしどもは聖職者で、熱病で亡くなった方の亡骸をバエサ市から死者の生まれ故郷のセゴビア市の墓所まで運んでいます。」

 と話す時間があるように思う。少なくとも後の方が文字数は少ない。

 ドン・キホーテに「貴公たちの悪事を罰するにしても、貴公たちに加えられた非道の復讐をするにしても、まず事情をうけたまわることが、拙者にはぜひとも必要だからでござる。」という趣旨で質問されたのに対して邪険にした報いが足の骨折だった。(前篇第十九章)

 あまり、同情する気にならない。自分は人になにか聞かれて、断る言葉より短い言葉で質問に答えられる場合は、相手の好奇心を満足させることにしているからだ。もっとも、返事を考える気持ちの余裕と時間がないということかもしれない。時間がないかどうかはその人の頭の回転次第とも言える。極力返事するのは、気持に余裕がなく頭が鈍い人だと思われたくないという見栄のせいかもしれない。


(十一)

 児童図書としての「ドン・キホーテ」を何冊か探してみた。

@ 昭和26年発行 岩波少年文庫18 永田寛定 訳

A 1967年発行 白水社 会田 由 訳

B 1987年発行 岩波少年文庫506 牛島信明 訳

C 1988年発行 講談社 少年少女世界文学館21 安藤美紀夫 訳

@は前篇のみで、ABCは前後篇の内容になっている。Bは囚人を解放した後の前篇の内容には一切触れずに後篇の冒険が続く。

@とAの挿絵はドレだ。いずれも前篇の『愚かな物好きの話』と《捕虜》の話は完全に省略されている。他にもそれがなくても本筋のストーリーに影響ないような挿話が省略されている。

 細かいところの省略の仕方はそれぞれなので、子供の時読んだ「ドン・キホーテの」話をして、話がかみ合わなくても記憶違いのせいばかりでもないだろう。

 漫才の筋だけ聞いても全然笑えないように、Cは全体に省略しすぎて笑えるところまではいかなかった。

 @は、大人向けの訳より読みやすくなっているので、囚人が出てくるところまでちゃんと読んだら、二か所ほど笑いがこみあげてくるところがあった。全訳読み終わった後でドン・キホーテの世界になじんだせいもあるのかもしれない。

 最初は、ドン・キホーテがよいことは全然せずに、はでにやっつけられるところばかりが目についたが、@を読んだら、囚人が出てくるまでにも、そういうドタバタの面白さ以外もあるのに気付いた。


(十二)

 中公新書の『贋作ドン・キホーテ』(岩根圀和)を読むと、贋作の方はあまり愉快な本ではなさそうだ。

 この本の中の風車についての説明を読むと現実に風車が30台も立ち並ぶような景色もなければ、風車の翼が風任せで勝手に回っているということもないようだ。翼が回る力で石臼を回して粉をひくために、翼の回り方を人力で調節しなければならず、そのための労力と技術は結構大変なものなので、一地方に30台も建設して、同時に翼に布を張って回転させるということは、ありえないことらしい。

 「ドン・キホーテ」中で現実とされていることも、空想の産物で現実にはあり得ないことになる。作者が風車のことをよく知らなかったせいか、物語上必要で嘘になるとわかっていて書いたかはよくわからない。

 前篇では現実はサンチョ・パンサの口を通じて語られるが、サンチョ・パンサ自身、作者の物語の必要に応じて賢くなったり愚かになったりするようで、現実の人間として整合性を考えるとわけがわからなくなる。

 前篇の水車の冒険(20章)で、サンチョ・パンサがドン・キホーテの口真似をしてドン・キホーテをからかうところがある。これだけのセリフを暗記できるなら、どうしてその後で、ドン・キホーテからドゥルシネーアあての手紙の文面を暗記できないのか不思議だ。

 水車の冒険は思い出してもじわじわと可笑しくなってきて笑えるのだけれど、自分自身、自分の言ったことを口真似されてからかわれるという苦い思い出があるので、おかしくて笑えるのと同時に少し胸が痛む。


(十三)

 ドン・キホーテの伝記のなかに収められた数々の短い物語や挿話は伝記の本筋に負けず劣らず、いやある面においては、それを凌駕するほど面白く、技巧と真実に富んでもいるのだ。

 と前篇(二)第二十八章181頁で、セルバンテスは自画自賛しているが、前篇(三)第三十五章27頁では、小説『愚かな物好きの話』を読み終わった後で、司祭に「あまり当を得た作り話とは言えませんな」「この一件が未婚の若者とその恋人とのあいだのことであれば、まあなんとか成立するでしょうが、夫婦のあいだでは、ちょっと無理というものですよ。」と言わせている。

 夫婦の間で成立する話か、未婚の恋人どおしの方がよりあり得そうか、考えてみたがわからない。恋する者の気持ちは他人にはわからないということが真実だといいたいのか、司祭には人間心理などわからないと言いたいのか、それとも、それまで真剣に読んでいただろう読者をからかいたかったのかはよくわからない。


(十四)

 前篇第二十章でドン・キホーテは冒険に臨んで「心の底から自分の思い姫を念じて、このような恐ろしい冒険に立ち向かわんとする危機に瀕したこの身を守りたまえと懇願し、ついでに神に対しても、どうか僕たるやつがれを守れたもうと祈念した」。376、377頁

 どうして、「ついでに」神にも念じたとわざわざ言い添えたのか。十三章の219頁から旅人とドン・キホーテの会話がある。

 旅人が「一命を賭して戦いに突入しようというその瞬間に、神におすがりしようとする者が誰ひとりとしていない」「敬虔なキリスト教徒なら、そういう危険に瀕した場合、神にその身をゆだねるのが当然ですが、彼らはそうする代わりに、めいめいの思い姫に対し、まるで彼女が自分の神ででもあるかのように、心をこめて熱烈に加護を求める「「どうにもこれが異端くさくて、いかがわしいものに思われる」と言う。

 ドン・キホーテは「しかし、だからといって、騎士たちが神に加護を求めることを怠っていたとお考えになってはなりませんぞ。戦いの最中にだって、そうする暇や機会はあるのですから」と答える。

 それにたいして旅人は「まず二人の遍歴の騎士が会話を始める。言葉を交わすうちに、次第にお互いの怒りがつのってくる。すると二人はそれぞれ馬を返して離れ、彼我の間に相当の距離をとる。それから、向き直ったかと思うと、いきなり相手をめがけ、馬を全速力に駆けさせて突進するのですが、こうして突き進んでいるあいだに自分の思い姫に身をゆだね、加護を祈るというわけです。そして、そうした一騎打ちがどうなるかといえば、たいていの場合、片方の騎士が相手の槍に串ざしにされて馬の尻からずり落ちるかと思えば、もう一方も、愛馬のたてがみにしがみつくことによって、なんとか落馬をまぬかれるといった調子です。このようにあわただしい戦闘のさなかに、死んだ騎士が神に加護を祈念するような暇をもちえたとはとても思えません。」

 このあとで話題が逸れるので、ドン・キホーテから神に加護を祈念する暇があるかどうかについての返事はない。

 二十章の記載が十三章の会話の結末をつけた趣旨かどうかはわからないが、読者の方で以前の会話を思い出せた人がどれだけいたかは疑問だ。思い出すどころか、十二章から十四章は本筋に関係ない挿話として読み飛ばしている可能性も高い。

 後篇になると本物のライオンに向かって「一歩一歩、荷車の前に進み出たが、同時に、心をこめて神の御加護を願い、さらに思い姫ドゥルシネーアの庇護を念じることも忘れなかった。」(一)十七章278頁

 最後の《銀月の騎士》との戦いでは、「ドン・キホーテは、戦いを始める時にはいつもそうするように、心をこめて神とドゥルシネーアに加護を祈念すると、相手が間隔をとるために遠ざかるのを見て、自分もさらに距離をとった。」(三)六十四章281頁


(十五)

 セルバンテスは敬虔なキリスト教徒だとは思うが、聖職者に対してはあまりよくは思っていないように感じられる。

 死体の冒険で、僧侶たちが持っていた食べ物をドン・キホーテとサンチョ・パンサの二人で食べるところがある。

 二人は青草の上に身を投げ出し、空きっ腹にまずいものなしと、手当たりしだいにほおばって、朝食と昼食とおやつと夕食をいっぺんにすませた。つまり、あの亡骸に付き添っていた僧侶たち(彼らはなかなかまずい物で我慢するような人種ではなかった)が騾馬に背負わせていた冷肉をしこたまたいらげて、胃袋を満足させたのである。前篇(一)十九章352、353頁

 自分の中世の教会についてのおぼろな知識から、彼らがどうやって富を蓄積して、どういう宗教生活をしていたかを考えて、やっぱりこの章の被害者にはあまり同情の念が湧かないと思った。


(十六)

 この草原での饗宴において他を圧し、光り輝いていたのはなんといっても、各自がそれぞれの振り分け袋から取り出した六個のぶどう酒の革袋である。〜略〜

 しばらくすると、みんながいっせいにぶどう酒の革袋を手にし、それを天に向けて高々と掲げ、革袋の口をめいめいの口もとにつけて、両眼を空の一点に釘づけにしたが、その様子はどうみても革袋銃を構えて空に狙いをつけているとしか思えなかった。後篇(三)五十四章85、86頁

 平たい円形で注ぎ口から直接飲むことができ、布のカバーに覆われていて、革袋に似ていなくもない水筒を持っていたので、それにぶどう酒を入れて真似をしてみた。 


(十七)

 サンチョ・パンサの定めた法が《偉大なる領主サンチョ・パンサの憲法》として称えられ、サンチョ・パンサが去った後も遵法されているというのは、セルバンテスの冗談かまじめか。(後篇(三)五十一章49頁)

 ぶどう酒はどこからでも自由に輸入できることを定めた。ぶどう酒の品質、評価、評判にもとづいて価格を決めるために、どこの土地のぶどう酒かその原産地を明記するという条件をつけたうえ、もし、酒に水を混ぜたり、銘柄を変えたりした者は、その罪により死刑に処せられるという、厳しい付則も添えた。

 罰則の厳しさは、冗談にも思えるが、法の内容はよさそうだ。

 乞食係の警吏をおくことにしたが、これは乞食たちを取り締まるためではなく、彼らが本物の乞食であるかどうかを調べるためであった。というのも、偽りの不具や、とってつけた傷といった外見の背後に、泥棒の腕やたくましい酔っぱらいが隠れているのが常だったからである。

 これを現代風にいうと生活保護の不正受給を正すということになるのか。

 囚人を解放するところでは、賄賂次第で罪を免れられるような記載があるし、モーロ人の追放令については、読んだ人間にキリスト教に改宗した人まで追い出すのはやりすぎじゃないかと思わせる。

 当時は、検閲を受けて王の許可がなければ出版できないようだが、割と政治関係については自由に書いているという印象だ。


(十八)

 岩波文庫の「ハムレットとドン キホーテ」を読んでみた。ツルゲーネフが1860年にした講演会での演説が、その内容だ。

 ドン キホーテをすごく褒めている。そういえば『猟人日記』も主人公があちこち旅する話だ。高校生の時に読み、働かずに趣味のことをしながら、旅して歩いていて、うらやましいと思ったが、昔の貴族にならなくても、今でも年をとって年金生活なら遊んで暮らせると、その後思った。

 猟人日記の主人公よりドン・キホーテやサンチョ・パンサの方が今のサラリーマンの共感を呼びそうな気がする。ドン・キホーテは50歳くらいだが、当時の50歳なら晩年だろう。

 今のサラリーマンも60歳になって定年を迎えて、生活のために働かざるを得ないというような切羽詰まった人でなければ、ドン・キホーテのように、分をわきまえた働き方ではなくて、自分がこういう人間でありたかったという夢に従って、世の中のためになることをしたくなるのじゃなかろうか。それで、生計をたてられるような収入を得なければならないという制約がはずれると、夢想的な事もやってみようとするだけなら自由だ。

 サンチョ・パンサのようにやらせてもらえば自分はできると思っていた役職について、実際にやってみたらできることはできるが、重責に耐えかねて役職を降りたくなる人も実際に降りる人もいると思う。

 『猟人日記』の主人公は旅先で農民に会うが、『ドン・キホーテ』は農民のサンチョ・パンサを道連れにしている。『ドン・キホーテ』では、旅先で知り合った人たちの話は、児童向けだと省略されることが多いが、『猟人日記』でそこを省略したら残るところがなくなってしまう。『ドン・キホーテ』も省略された部分の方もおもしろいのに残念だと思う。

 サンチョ・パンサとの掛け合いのおもしろさは、『ドン・キホーテ』ならではで、自分もサンチョ・パンサが欲しいと思う。『猟人日記』の主人公になったつもりなら一人でもできるけれど、『ドン・キホーテ』の主人公になったつもりなら、サンチョ・パンサが必要だ。


(十九)

 セルバンテスの「模範小説集」を読んでみた。12作品あるうちの8作品が図書刊行会から牛島信明さんの訳で1993年に発行されている。

 解説の529、530頁に「従来、セルバンテスはシェイクスピアと同じく、一六一六年四月二十三日に没したとされてきたが、最近の研究で二十二日であることが判明している」とある。

 2001年発行の岩波文庫の前篇(三)の解説には、従来同じ命日とされていたとも、最近の研究で二十二日が正しいことがわかったとも書かれていない。牛島さんにとっては、2001年時点では「わざわざ言うほどの事でもない」という感覚だったのかもしれないが、2013年時点では、いまだに同じ命日の二十三日の方が世間に通用しているように思う。


(二十)

 永田寛定訳の岩波文庫正編(一)に70頁の解説があるのがわかり、借りることにした。通常文末にある解説が頭にある。先に、解説を読んでから読み始めた方がよいということだろう。

 新潮文庫の「カラマーゾフの兄弟」を読んだ時に先に解説を読むべきだったと思ったことがある。ドフトエスキーの前書きを読んで、いつ第二部が始まるのだろうかと思いながら読み、解説で作者が亡くなったせいで第二部が存在しないのがわかった。読む前にわかっていたら、そもそも読み始めたか、最後まで読んだかどうかわからない。

 永田さんの解説には、ドン・キホーテのあらましが載っている。あらすじがわかってから読むのがいいのかどうかは、ちょっと判断付きがたい。ただ、ユーモアの面白さについては、先に解説を読んでもネタばれになるおそれはないだろう。

 図書館に行く前にネットで検索して、続編は(二)までと思っていたら、図書館員の人に(三)も持ってきますかと聞かれた。持ってきて貰ってみたら訳者が別人で、あとがきを読んだら永田さんが訳している途中で亡くなったことがわかった。

 「ドン・キホーテ」を巡る物語もまたあるようだ。


(二十一)

 ドン・キホーテについての話は、アラビアの歴史家のシデ・ハメーテ・ベネンヘーリが書き、それを第二の作者(セルバンテス)がスペイン語ができるモーロ人に訳してもらったという設定になっている。(前篇九章)

 訳注によるとこの架空の作者の設定は騎士道物語において頻繁にもちいられていたらしい。騎士道物語において、どうしてこんなまわりくどいことをしたのだろう。

 「ネッシーを見た」と書くと嘘つけと言われるかもしれないが、「ネッシーを見たという人がいる」と書いたら文句がつけられないだろうというような感覚だろうか。確かにネッシーが実在するかどうかはわからないが、見たという人がいるのは本当だろう。

 騎士道物語を書いた人も巨人や魔法を本当のこととして書くことに抵抗があったのか、歴史の向こう側の事として箔をつけたかったのかよくわからない。

 「講釈師見てきたような嘘をつき」これをネタにした記載が結構ある。そして、この嘘八百を言うのはサンチョ・パンサの方だ。(前篇(一)二十章366頁、(二)二十五章125頁)


(二十二)

 サンチョ・パンサが気晴らしにドン・キホーテにした話。(前編二十章)

サンチョ・パンサ 「・・その名をロペ・ルイスといって、このロペ・ルイスはトラルバという名の羊飼いの娘に首ったけだった。このトラルベと呼ばれた羊飼いの娘は裕福な牧畜業者の娘で、この裕福な牧畜業者は・・・」

ドン・キホーテ「おいおい、サンチョよ。お前がそんなふうに、なんでも二度ずつくり返しながら話した日には、二日かかっても終らんぞ。いま少しすっきりと、分別のある人間らしく話してはどうじゃ。」 

・・・・・

サンチョ・パンサ「・・・羊飼いは、漁師と話をつけて、自分と連れてきた三百頭の山羊を向こう岸に渡してもらうことにしました。そこで漁師は船に乗り、山羊をまず一頭渡しました。それから戻ってくると、次の一頭を渡しました。また、戻ってきて、また一頭渡しました。いいですかい、旦那様、この漁師が渡していく山羊の数をちゃんと数えておいてくださいましよ。たった一頭でも数え間違えると、その場でこの話はおしまいになっちまって、あとを続けることができなくなるからね。・・・山羊をまた一頭運び、それから次の一頭を渡し、戻ってきてまた一頭・・・・」

ドン・キホーテ「もう山羊はみな渡したことにしようぞ。そんなふうに行ったり来たりするのはやめにするのじゃ。さもないと、一年かかっても渡しきれまいぞ。」

サンチョ・パンサ「で、これまでに渡ったのは何頭ですかい?」

ドン・キホーテ「なにをばかな、わしがそんなことを知るものか」

サンチョ・パンサ「ほら、それですよ、おいらがさっき言ったのは。ようく勘定しておくんなさいと頼んだのに。やれやれ、これで一巻の終り、この話の先を続けることはもうできませんよ。」

・・・

 日本の落語の長屋の町人と隠居の話しに、こういう感じのものがありそうだ。それから、日本の民話でドングリが一個木から落ちてコロコロころがって池にドボン。というのが延々と繰り返されるというのを読んだ気がする。この話の前後が思い出せないのが残念だ。

 サンチョ・パンサの頓知がセルバンテスの頓知か、もともとスペインにあったものを活用したのか知りたいものだ。




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