『波崎事件』2013.3

(1)反骨のコツ

「反骨のコツ」の88pに以下の記述がある。

書類を読む限り、犯人はひどいことをやっている。やっていることはまず間違いなさそうに思うんですけれどもね、でも書類を読み直すうちに、どこかに「一抹の不安」が残った。というのも、毒物を使用した事件、毒殺事件なのですが、そこで容疑者が捕まえられて、すぐに起訴されちゃったわけです。でも、他にも、もしそのつもりで警察で調べていたらね、同じ条件の被疑者があり得なかったわけじゃない。いやあり得たろう。そういう状況だった。立証も反証もできないのだけれど、ほかの可能性があることは書類だけからもわかる。ただ、私自身が起案した刑事訴訟法によって、上告審では事実認定に関して、判決に影響を及ぼす重大な事実誤認がなければ原判決を破棄できないと定められています。「一抹の不安」だけでは足りないのです。実際そこに出ていた被告人はかなり疑わしい。これは間違いないんです。

この文章の中の「私」は高名な学者の団藤重光だ。彼は司法修習はしていないようだ。

この文章を読むと下級審の裁判官なら「一抹の不安」を解決できたように感じられる。でもそれは無理だったと思う。裁判官が「このまま判決を出すのは不安なので、もっとこのような捜査を追加でやってください。」などと言うことはできない。警察に追加の捜査を指示できるのは検察官だ。下級審で無罪判決を出せたかどうかは下級審で合理的な疑いをこえる証明がなされたかどうかによって決まる。「やっていることはまず間違いなさそう」というところを見ると「一抹の不安」は不合理な疑いのようにも思える。しかし、「他にも、もしそのつもりで警察で調べていたらね、同じ条件の被疑者があり得なかったわけじゃない。いやあり得たろう。そういう状況だった。」という状況なら合理的な疑いが残るように思われる。結局、この文章からは、下級審において合理的な疑いをこえる証明がなされたのかどうかがよくわからない。

それに、「重大な事実誤認」でなければ原判決を破棄できず「一抹の不安」だけでは足りないという意味もよくわからない。もっとよく調べれば無罪だとわかるかもしれないというときに本当に最高裁ではなすすべがないのだろうか。

団藤さんは、この経験から死刑制度に問題があるという結論になったようだが、自分は、法廷に出てきた証拠だけで判断するなら有罪の結論になるが、更にもっとこういう捜査をしたら、より真実が明らかになるのにと思っても現在の制度ではなすすべがないということが問題なのだと思う。その追加捜査によって無罪とならなくても、何らの迷いなく有罪とできるという場合でも、追加の捜査の意義はある。迷いのある判決を出して一生苦しむ可能性は、今や裁判官だけではなく普通の国民にもあるのだから。この心の負担は死刑にしなくてもよいということだけで解決できるとは思われない。

(2)合理的な疑いをこえる証明

田宮裕の「刑事訴訟法」(新版)303Pに犯罪事実の証明の程度は「百パーセントの真実までは要求されないが、通常人ならだれでも疑問を抱かない程度の確実さ」と記述されている。

裁判でのテーマは、検察官が被告人が犯人だということを証明できたかどうかなので(刑事事訴訟法336条)、検察官が疑問を生じさせない程度に証明に成功したら有罪になる。

普通の会話では誰かについての疑いが解消されたというと「やってない」ということになるので、「合理的な疑いをこえる立証」はわかりにくい。「疑わしきは被告人の利益に」というほうがわかりやすい。ただ、これだけでは、疑いについての誤解は生じないだろうが、どの程度の証明が必要かについての説明が足りないと思われ「合理的な疑いをこえる証明」という説明がされてきたのだろう。

同じく田宮さんの本によると「合理的な疑いをこえる」は英米法で伝統的に使われてきた(beyond a reasonable doubt)の直訳らしい。だれがこの英語直訳の悪文をはやらせたのか気になった。

司法試験受験生の刑事訴訟法のバイブルともいえる本は、自分の知る限りでは、平野龍一、渥美東洋、田宮裕という流れで現在の一押しは知らないが白取祐司さんが有力候補の一人には入ると思う。

そこで、手持ちの本を色々眺めて、いわゆるA級戦犯は渥美さんではないかという結論に達した。もちろん冤罪の可能性も否定できない。

(3)常識

常識は、当然社会が変化するに従って変化する。情報通信技術の発達によって、三十年前の常識が今では非常識になっている例はいくらでもある。

だれでも知っているだろうということだって五十代の人間と二十代の人間の知識はかなり違うと思う。

一審の裁判は、五十代の裁判長に三十代の右陪席と二十代の左陪席で行われることが多い。評議といい多数決と言っても実際は裁判長の考える常識に従って決まっていると思う。

常識に従って判断するという。自然法則なら時代によって変化しないが常識は知らず知らずに社会の変化に伴い変わっていく。長年の経験が逆に常識に従った判断を妨げることもあると思う。

(4)波崎事件

団藤さんを死刑制度廃止論者にしたきっかけとなった事件の内容が気になったので、足立東さんが書いた「状況証拠」を読んだ。

被告人が青酸化合物入りのカプセルを被害者に飲ませて殺害したと事実認定されている。

@被害者は夜中に被告人の家から自宅に戻る際にカプセルを受け取りその場で飲んだ。

A被害者は被告人の自動車を借り自分で運転して自宅に戻る。その間5分ほど

B被害者は自宅に戻り妻と会話してから就寝

C寝て少ししてから苦しみだして病院に運ばれ死亡

青酸化合物中毒は即効性があるので、被害者が被告人の家を出た時間、カプセルが解ける時間が争点になっている。

警察は、この被害者が被告人の家を出た時間を早い段階で決め打ちして、その時間を証明できる証人探しに相当の時間と労力をさいたらしい。しかし、最後までその時間経過にはしっくりこないところが残る。

被告人の青酸化合物入手経路は不明で、被告人宅から青酸化合物は発見されていない。被告人が被害者に薬を渡すのも被害者が薬を飲むところも目撃した者はいない。被告人の妻が水を汲むモーター音を隣室で聞いているので、被害者が被告人宅を出る際に水を飲んだことは、まず間違いがないので、その時に薬を飲んだとされている。

本は、裁判において検討された証拠から有罪の立証がされたといえるかどうかについてしか検討されていない。

ただ、警察が考えた犯行事実以外の可能性を考えると、はたして被害者は薬をもらってすぐその場でその薬を飲んだのだろうか、という疑問が生じる。

仮に、被害者が被告人の家を出るときに薬をもらったとしても、薬を飲んだ時間がそれよりも後だとという可能性を否定できないと思う。水なしで飲めるなら被告人宅以外で飲んだ可能性が出てくる。その場合は、帰宅時間やカプセルが解ける時間は争点にならなくなる。しかし、薬を貰ってすぐに飲んだのではないということになると薬を貰った時間が特定できず、薬を貰った時間が特定できないと犯行を行えた人間は被告人以外にも存在した可能性が出てくる。この事件では、被告人以外に薬を渡した人間がいたかもしれないとなると他の証拠で被告人の犯行を立証できたかは非常にあやしくなる。

そして、警察が他の可能性まで捜査範囲を広げていたらどうなったかは、わからないとしかいいようがない。 

ちなみに、第一審の検察官の冒頭陳述書では、水なしでカプセルを「飲み下すことは極めて困難」なことを被告人宅で水道の水を飲む際にカプセルを飲んだことの根拠の一つにしているが、被告人は反対陳述書で湯水なしで容易にカプセルを服用できると反論している。この点は争点になっておらず判決でも触れられていない。水なしで飲めることが明らかだからだろうが、もう少し、どこで薬を飲んだかについて問題にしてもよかったのではないかとも思う。

裁判は、誰が犯人かを探す場ではなく、被告人が犯行を行ったことを検察官が証明できたかどうかだけが問題になる。そして、犯行の態様の重要なところは検察官が提示し、裁判官も勝手に検察官の主張と違う態様の犯行を認定して有罪にすることはできない。専門用語でいうと訴因は検察官が特定するという。もっとも訴因変更は可能だ。

被告人は、積極的に無実を証明する必要がない。検察官の立証を妨げるだけでよい。しかし、検察官のいうとおりではないとすると、それならどういうことが起こったのだろうと思うのは当然だ。

しかし、この疑問に検察官が答えることはない。裁判の場で自分の主張を自分で否定して他の可能性を検討するはずがない。裁判官も当事者が問題にしていないことを問題にはできない。

疑わしきは被告人の利益にという。そうはいっても、結局真実はどうだったのかということを気にせずに検察官が証明できたかどうかだけで判断できる人間がどれだけいるのだろうか。真実追及は人間の本能ではないだろうか。

(5)波崎事件続き

「状況証拠」の47pに以下の記述がある。

被害者の妻は子供たちとテレビの『君の名は』を見終わると、午後九時ころ一緒に、畳を横に四枚並べた細長い四畳間に蚊帳を吊って寝た。

東隣の八畳間の豆電球はつけたままで、仕切りの唐紙は開けておいた。

早朝からの仕事ですっかり疲れていたので、すぐに眠りに落ちた。夜中に突然、表の戸がガラガラと開く音で目が覚めた。時計がないので、はっきりした時刻は分からないが、感じとしては十二時ころに思えた。夜八時半に出た被害者が、今戻ってきたのだ。

土間に入るなり、シャツを脱ぎながら、サンダルも脱ぎ捨てて八畳間に上がってきた。腹が出ているので、ズボンにバンドはしていない。ボタンを外すだけで足を動かすと、ズボンはずり下がって脱げた。パンツと胴巻き姿になって、四畳間の被告人の妻の南側寝床にもぐり込んだ。

以上から家に戻ってからカプセルを飲んだ可能性はないとされたようだ。しかし、水無しで飲めるなら話は別だ。

被害者を病院に運ぶために、被害者の妻は隣家の主人に被害者が被告人から借りてきた自動車で運んでもらうように頼む。そして、55pには以下の記述がある。

 

「キーもすぐにはみつからないようだし」

被害者は家に帰ってから寝るまでの間に、どこに車のキーを置いたのだろうか。被害者の妻は被害者がキーを置いたところは見ていないのだろうか。同様に被害者が家の中にあったカプセルを取りだすところも見逃した可能性があるのではないだろうか。結局、キーがどこに置いてあったのかの記載はない。

23pには、以下の記述がある。

「被害者は八畳間に一人寝そべってテレビを見ていた。」

そして、24pには、以下の記述がある。

(被害者は)再び子供たちと笑いながらテレビを楽しんでいた。その時、

「頭痛え。薬とってくれ」

と長女に頼み、粉薬を一服飲んでいる。これは、少し前の22、23の両日、野菜組合の総会で上京した折、知り合いからもらってきたという頭痛薬三服のうちの一服である。

この頭痛薬はどこに保管されていたのだろうか。その場所の記載がない。キーと薬の置き場所の位置関係が気になるところだ。

77pに以下の記載がある。

薬局の聞き込みを波崎町内から茨城、千葉県全域と範囲を広げても、証拠になる購入の記録はついに浮かばなかった。

せめて、被害者が22、23日に上京した際に入手した可能性がなかったかも調べてほしかった。

被告人は被害者が死亡した場合に保険金の受取人を被告人と被害者の妻にする保険契約の締結に重要な役割をはたしていた。そして、被告人は被害者は自殺だと保険金がおりないので、他殺に見せかけて自殺したと思うと弁解している(135p、21p)。警察が被告人を疑ったのは、被告人の妻が被害者が死ぬ間際に「被告人にだまされて薬を飲まされた」と言ったと証言したからだ。他殺を装った自殺の可能性が出てくると、被告人を有罪にすることは無理だったと考えられる。

誰かに殺されたというときに、刑法上の殺人ではなく死の原因をつくったという意味で言われることがある。保険金欲しさの自殺だとそういう意味で、被告人は被害者を殺したことになるかもしれない。

それにしても、勝手に保険契約をしただけの報いとしてはあまりにも高くついたものである。

(6)刑事弁護活動

第二次再審請求書には、被告人の妻の証言の信用性について、「捜査の常道としては、当然被告人の妻について厳重な取り調べが行われ、また被告人宅に青酸化合物があったかどうかを中心に綿密な家宅捜索が行われるべきであった。一審、二審における裁判所の審理においても、被告人の妻に対する嫌疑は全く無視されている。」とある。

捜査が杜撰であり、裁判の審理も手抜かりがあったということで、証拠とすることができない証拠によって有罪としたという趣旨だが、普通の会話で上記のようなことを言えば被害者の妻がやったという意味にとられるだろう。

証拠不十分で無罪ということを言いたいだけでも、被告人がしていなければ誰がしたのかという疑問を生じさせる。団藤さんの「反骨のコツ」でも本の中で事件名を伏せ、別の可能性の内容を具体的に記述しないのも、証拠も無しに誰かを犯人扱いしたことになるのは避けようという配慮かと思われる。

弁護人の弁護活動が積極的にされればされるほど、被害者や被害者家族を傷つけるものになる場合がある。

例えば、強制わいせつ罪で起訴され、被害者の同意があったから犯罪不成立と主張する場合だ。

夫が介護疲れで妻を絞殺した場合に、妻が抗わなかったので同意があったから殺人罪ではなく同意殺人罪だと主張する場合もある。

これらの場合は被害者側を傷つけるだけでなく、被告人にも不利益が生じることもある。争っているので審理を長引かせ、弁護に成功しなければ、情状を悪くし刑を重くする。

殺人罪の裁判を傍聴したら、検察官は被害者は睡眠薬の効果で夫に首を絞められていることを認識していなかったから同意する余地がないと主張するのに対し、弁護人は妻は夫に首を絞められているのに気づいていながら抵抗していないので同意があったという主張をしていた。

自分は睡眠薬で眠らせて苦痛を感じさせずに死なせるよりも、自分の唯一頼りにしている夫が自分を見捨てて殺そうとしているとはっきりと認識しながら殺される方がずっと残酷なことだと思った。 弁護人の主張を聞きながら、その時の被害者の妻になったような気がしたら、深い絶望感にとらわれて、それこそ身動きする元気をなくした。この裁判での弁護方針には今でも疑問を感じる。

同意殺人罪が成立すると考えた法的判断について疑問を感じている。




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