『カッコーの巣の上で』2013.7

 図書館のDVDで映画『カッコーの巣の上で』を見た。こういう内容だったのかと思う。

 映画の主人公のような人間が、「体の中に水銀を持っている人間」だと思う。 主人公には、精神病院の入院患者が、「病院の外に出て人生を楽しもうとしない」ことが不思議だ。

 一時的に世間での生活に疲れて、無気力になっていたり、怠惰なだけなら、刺激を与えるのもよかったのだろうけれど、本当に精神を病んでいる相手に対しては、世間での楽しみの刺激は強すぎたようだ。

 病院の中で、いつもの日課をし退屈しながら静かに暮らすことにしか耐えられない精神の人間がいることが、主人公のようなタイプの人間にはわからなかったのだろう。

 主人公に加えられた精神病患者に対する「治療」(拷問にしか見えない電気ショック療法や廃人にするだけのロボトミー手術)については、衝撃を受けたが、これはなかった方がいいんじゃないかと思った。主人公の殺人未遂事件について、別の病院で精神鑑定を受けさせる方がいいんじゃないか。素人が見ても明らかに変な治療方法のせいで、この映画が、単に精神病患者に対する扱いや治療がダメだというのを訴えるだけの映画みたいになって、もっと普遍的で解決方法のない人生の問題が薄れてしまうように思った。この点は、原作を読むとまた違うのかもしれない。

 そもそも、精神病院に入院しなくても、たいていの地道に生きている人間の毎日の生活は、退屈でつまらない時間が多いと思う。それに、なんでも自由に自分の好きなようにできるかと言えば、結構他人や規則に合わせたり、合わせられたりして窮屈だ。

 おもしろおかしく暮らしていながら、放蕩生活で財産を使い果たして破たんしたりもせず、ハメをはずしすぎて警察の厄介にもならず、上司や同僚と衝突して定職を失ったりもせずにいるのは、難しく、主人公が精神病患者ではなかったとしても、世間での生活適応能力があったのかは疑問だ。精神病院の外にでさえすればハッピーで、病院の対応が良くなりさえすれば解決というのは、違うだろうと思う。

 自由にテレビで野球を見られる人がうらやましいというよりも、自由にテレビで野球を見られれば幸せと思える人間がうらやましい。




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