『毛糸に恋した』2013.11

(1)

 群ようこさんの『毛糸に恋した』を読んでみる。

 これは、自分でも相当編んでいる人が読む本だと思う。まず、少しは知識がないと意味がわからない。

 極太、中細、極細、この糸の太さの関係は、日本語がわかれば、わかる。それでは、並太、合太、合細はどこにはいるか。大吉、中吉、小吉と吉、末吉の関係が日本語の意味だけではわからないようなものかもしれない。それぞれの編み針の号数がどのくらいの太さで、糸の太さとの関係はどうなるかなども知ってて読む方が、いいと思う。

 作者が身頃を編んでから、袖を編むのに糸が足りないのがわかって苦労するところがある。自分も身頃を先に編んでから、袖を編む。「やっぱり、その方が・・・・・・だよね。」と思う。自分の経験がいろいろあって、読みながら作者と会話できないと読んでもつまらないだろうと思う。全然知識と経験がない人が読むと、どんな感じなのだろうか、想像がつかない。

 自分の父親はサラリーマンではなかったので、部長、課長、係長の偉い順がわからなかった。主幹、主査、主任、主事の順番がわからない人もいると思う。

 中学校の時、軍隊が出てくる小説を読んだので、元帥、大将、大佐、大尉、軍曹、伍長などの順位の方が先にわかった。


(2)

 一玉五十gと書いてあるのを見て、かなり前の話だなと思う。

 今は、一玉四十gが普通だ。この変化に気付いたのは、五本指の手袋を棒針で編んだときだ。もう少しで編み上がるというときに、糸が少し足りないことに気付いた。それまでは、中細一玉で少し余るという感じだった。それで、指が擦り切れたら、余った糸でその指だけ編み直していたので、最初から編んだのは久しぶりだった。最初から、そうとわかっていたら、手首のゴム編みの段数を減らして一玉で間に合わせることができた。(それまで手袋は、ダイヤモンド毛糸中細にしていたのを他のに変えたせいもあるのかもしれない)

 自分は昭和六十年から買った糸のラベルと糸の切れ端と編んだものの寸法や目数を書いた紙をセットにして透明ポケットホルダーに入れて保管している。模様は三ミリ方眼紙のノートに書いている。

 外国の糸に毛百%のものがなくて、必ず化繊が混じっているというのを読んで、自分の買った糸を調べてみた。確かにその通りだ。どうしてその糸を選んだかと言えば、色が気にいったからだ。

 以前は、編んでいて糸が足りなくなったときに、同じ糸が手に入らない危険を考えて大目に買っていた。ただ、最近は一玉編んで目数を出し、総目数を計算して玉数を決めたり、五玉一袋で売っている安い糸を買ったりしている。

 かなり前に、セーターを編むので大目に十玉買ったら七玉でできてしまい、大幅に勘が狂って、変だなと思ったことがあった。今改めて、ラベルを見ると、その糸はイタリア製で一玉五十gで、それより前に買った日本製の糸は、しばらく前から四十gだった。一玉四十gで大目に買って十玉ならちょうどよかったことになる。丈が短めで袖も細めのセーターだったから。自分も糸を買ってからデザインを決めている。もっとも、肘と肩甲骨のあたりが擦り切れて編み直し、余った糸が残っていたので、編み直してもまた長袖セーターにできたから怪我の功名のようなものだった。

 同じ糸でも新品と使い古しだと一緒には編めないこともあるが、余った毛糸を使ってセーターを編んでいたのをほどいて使ったので、ちょうど同じくらいの使用済み毛糸になったようだ。

 余った毛糸を他の人はどうしているのかと思っていたら、それもちゃんと書いてあった。


(3)

 自分のファイルを見ると平成七年の初めから春にかけて、余った糸だけを使って二枚の冬物長袖セーターを編んでいる。約十五年間でこれだけの量の糸が溜まったことになる。

 最近では、そもそも余らないように使い切るようにしている。方法としては、袖か身頃の長さを決め打ちにしないで、糸を使いきるまで編んでいくというものだ。

 本の中には、糸が足りなくなったので、長袖にするのを諦めて袖を編めるところまで編むことにするエピソードがある。この方法だと袖を途中から逆方法に編むことになって、縄編みがうまく続かないという問題が起きている。

 自分は今のところ、メリヤス編みでやっているので問題ないが、模様編みの場合は、この方法だと難しいと思っている。半玉くらいの余りなら、最後にまとめて袖口、裾、襟のゴム編みをすることにして、その長さで調節する方法もある。

 実際にやってみて、袖のゴム編みが長くなりすぎたけれど、折り返して着ればいいと思ったら、やっぱり着づらいので翌年短くなおした。

 それから、袖山の形がうまくいかず翌年直したら、糸の余りが出た。

 そんなこんなで、気が付いたら、また結構な量が溜まっている。


(4)

 本の中に、切りぬきを見ていると、その頃の事を思い出すとあった。

 自分は、テレビを見ながら編み物をしていたので、セーターとそれを編んでいた時に見ていたテレビ番組の記憶とがセットになっているものがある。

 ミス・マープルの外国のドラマの記憶に結びついているセーターがある。そのセーターは糸が複数の色に染められていて、ただメリヤス編みしただけで縞模様になる。単色だとつまらないが、編み込みだと大変なので、複数の色に染められた糸をよく使う。

 実際に編んでみて気付いたが、編み幅が違うと縞模様の縞の間隔が違ってしまう。長いと色が込み合い短いと間延びする。いろいろ試してみて、最終的に気にいった縞模様になる幅を決めて、その幅で編んだのをはぎ合わせることにした。

 最近は、テレビを見ながら編み物ができなくなった。老眼になったせいで、テレビを見るときは近眼の眼鏡をかけ、手元を見る時には眼鏡をはずさなければ、ならなくなったせいだ。

 編み物だけでなく、テレビを見ながら食事ができなくなったのは、実に残念だ。


(5)

 裁縫の場合は、裁断に失敗したらやり直しがきかない。編み物の場合は、いくらでも編みなおしがきくところがいい。人生はやり直しがきかないが、新しく始めることはいくらでもできると思う。

 本のなかで、かなり編んだ後でも、思い切りよくほどいでやりなおせるかどうか、編み物仲間と話すところがある。

 自分は、今までに長袖セーターを編みあげて試着した後すぐさまほどいて編み直したことが一度ある。

 重すぎたのだ。十五号で編むのが丁度よい糸を十二号で編み、丈も長めだった。太い糸で編むのでそれほど時間がかからなかったから決断も早かったのかもしれない。

 もともと上下セットの服を編もうとして十玉入りの袋を二袋買った。先に上のカーディガンを編み終わったところで、重くて上下の服は無理だとあきらめた。残りの糸でセーターを編むことにした。全部使い切ろうとして細い棒でぎっちり編んだのが失敗だった。

 太い糸は、比較的編み始めの頃に買っている。太い糸で早く完成させたいと思ってのことだ。最近は冬物は、四号から八号くらいが丁度良いんじゃないかと思う。

 長編小説に取りかかって途中で挫折する人は結構いると思う。プルーストの『失われた時を求めて』は、途中で挫折する本として有名なように思う。この本を最後まで「おもしろく」読めたという人は、さぞ自慢だろうと思う。自分も試してみたことがある。おもしろいところもある。ただ、この本を最後まで読む前にもっと読みたい本があると思ってしまい、途中で止めた。

 『失われた時を求めて』を読むつもりで、間違って『失われた地平線』を読んだ。非常に面白かった。ヒルトンの書いたものでは、『学校の殺人』と『鎧なき騎士』も面白かった。『心の旅路』は映画とドラマは見たことがあるが、小説はまだ読んだことがない。ヒルトンは面白いと思うし、映画もヒットしているけれど、今では、忘れられた作家になりつつあるように思う。

 長編で、途中で挫折したものに、トルストイの『戦争と平和』がある。『ピーナッツ』のなかで、『戦争と平和』を読むところがあるが、あれは、結構途中で挫折する人が多いということなんじゃないかと思った。

 単に長いというだけでは、読み切れない理由にはならない。ほぼ絶えることなく本は読んでいるので、途中で止めなければ、最後まで読めていたはずだ。やっぱり、最後まで読まない理由は、長いからではなくておもしろくないからだと思う。

 編み物も、ある程度必要な服を持っていると、急いで完成させる必要もないので、編み上がるまでに時間がかかるということは、それほど問題ではなくなった。


(6)

 本のなかに、足りない糸を買いたそうとしたら、「廃色になりました」というのがあった。

 自分の経験で、お店で色が気に入ってセーター一着分を買おうとしたら足りなくて、注文しようとしたら、その色は去年の色で今年はもう作っておらず、今年の色で一番近い色はこれですと見せられたことがあった。

 去年の色の方がずっといい色のように思う。結局、身頃と袖を別々の色で編むことにした。ところが、洗ったら色の違いがはっきりしてしまったので、ほどいて縞のセーターに編み直した。

 壊れたので今までのものと同じものを買おうとしたり、足りなくなったので、買いたそうとしても同じものが売られていないという経験は結構ある。前よりも良くなっている場合の方が多いが、余計な御世話と思うこともあれば、むしろ悪くなったように思うものもある。

 高校生くらいの頃だと思うが、目覚まし時計が壊れたので同じものを買いに行った。同じデザインのものはあったが、手巻き式のものがなく電池式しか売っていない。夜中に電池が切れてベルがならなかったらどうするのかと思う。もちろん、ねじを巻き忘れてもならないが、どうしても寝坊できない大事な日の前の晩なら、巻き忘れることはないと思う。電池も買わなくてよいし、この変化は余計なお世話だと思った。毎晩携帯に充電することができるなら、毎晩ねじを巻くことくらいはできると思う。

 衣装ケースを買いたそうとしたら同じものが売られていなかった。同じものなら上に積み重ねられたのに、幅が違うので重ねられない。それから新しいものは引き出しの前面が透明になっている。押入れに入れて使うから中のものが見えてもかまわないし、中の物が見えた方が中に何をいれたか引き出しを開けて見なくてもわかるから便利なのだそうだ。

 でも、空き巣に入ったのならともかく、自分の家でどの引き出しに何が入っているか開けてみないとわからないということが、どれだけあるのかと思う。それに押入れに入れて使う人ばかりでもなかろうにと思う。というか、自分で見る場合でも引き出しの色が一色でそろっている方がすっきりとする。押入れを開けて雑多な色が目に入ると整理されている気がしない。 

 カラーボックスと組み立て式の棚は、新しい方から壊れた。どうも新しい方は、合板ではなく固くした紙でできているようだ。もともと本棚ではないものに本を入れていたこちらの方が悪いのかもしれない。

 携帯電話が壊れたので新しくした。保険に入っていたので、今までと同じものか、在庫がなければ一番近い機種から選択するようになっている。製造年が少し新しくなったので、写真の画像がよくなったかと思ったら、新しくした方は画像が悪すぎて使えない。画素数は多くなっているが、ネットで見たら、携帯のカメラは画素数が多い方が画質が悪くなるのだそうだ。カメラの機能以外で画素数が多いと機能がアップするものがあるのかどうかはわからない。画素数を多くする方が、技術的に難しそうだが、わざわざ以前よりも悪くするのがわからない。違う製造会社だったのがよくなかったのだろうか。

 いよいよデジタルカメラを買おうかと思ったが、写真を整理したら、フィルムで撮った写真の方がずっと綺麗だ。ただ、現像代とプリント代がかなりかかる。で、まだ迷っている。ほかにもっと大事な事で、迷ったまま決められず死ぬまでそれをできずに終わるかもしれないと思うものもある。 家を持つとか・・・・


(7)

 自分の編み物歴は、小学校低学年にかぎ針を始め、高学年に棒針を始めてからはもっぱら棒針編みをするというもので、かぎ針から入るのは本の作者と同じだ。普通はそうなるのではないかと思う。

 中学校の時に五本指の手袋を編み、高校でマフラーを編み、大学でベストを編み、務めてからセーターを編むという感じだ。

 高校の時に、西城秀樹が長いマフラーをしているのを見て、それくらい長くする予定で、極細一本取りで幅四十cm4目の裏編みと表編みの組み合わせの市松模様で編み始めた。高校在学中に編み上がらずに、大学に入ってから、編んだ分だけで完成させることにした。

 後で母親に聞いたら、父が○○を受験するのに、編み物などして自信過剰だと言ったそうだ。直接本人に言ってほしいものだ。そのせいかどうかわからないが、○○には落ちて別の大学に行った。

 大学の冬休みに、自分で編んだベストを着て家に帰ったら、次姉がそのベストが気にいったらしく色違いで同じものを編みだした。自分用かと思ったら彼氏にプレゼントするという。自分の妹とペアルックにしてどうするのかと思った。自分のベストを狙っているのかと心配した。本にあるように他人の彼氏のものを手編みするよりはましだとは思う。

 手袋は既製品を買う方が安いかもしれない。けれども自分の手に合う既成品がないので、ずっと自分で編んでいる。小指が普通よりも下がっているので、既製品だと小指の先が1cmくらい余り、薬指と小指の間の又が同じくらい余る。これが気になっていやなのだ。最初は指に合わせ過ぎてかなり不細工になり、改良に改良を重ね今では満足のいくものが編めている。


(8)

 以前はゲージをとってから編んでいたが、ゲージの取り方に失敗して、予定通りの大きさに編めなかった。

 今ではメリヤス編みの場合は、毛糸の巻紙に印刷されている標準ゲージの大きい方の数値で計算した目数でいきなり編み始めている。一玉編んだところで、そのまま編み進めるか、編みなおすか決めている。

 模様編みの場合は、試し編みでゲージを取っている。

 毛糸の場合は、かなり緩めに編んだりしなければ、横に寝かせた場合と持ちあげた場合で問題になるほど幅に違いが出てくることはないけれど、糸の種類と編み方によっては、持ちあげるとかなり伸びてしまう場合がある。

 思った通り編めなかったり、自分で編み方を決めているので、そもそも最初の計画が失敗していたり、着る季節が短くてほとんで着ていなかったりで、さほど着ていないのにほどいて編み直すことが多い。

 編み直すときは、糸の癖を直してから編むことにしている。まず、ほどいてから巻いて玉にする。玉のまま水につける。絞ってから椅子の足とかベットの背板に巻きつける。糸が乾いたら巻いて玉にする。

 新品の時の糸の切れはしを残してあるので、それと比べるとふっくら加減が減って細くなっている。着ているうちに毛が細くなったと思っていたが、もしかしたら濡れた状態で巻きつける時に引っ張っているからだろうか。

 自分はどちらかというときつめに編んでいるように思う。糸を引っ張りながら編む方が目が揃うように思うからだろう。糸の癖をとってから編むのも癖のついたまま編むと目が不揃いになり、編んでから濡らすと直るけれど、編んでいる途中に不揃いの編み目を見るのがいやなせいもある。

 自分でもズボラなのか几帳面なのかよくわからない。


(9)

「うまいか、おいしいか」どっちでもいい、同じ意味だし。

 コマーシャルを見て、「沈んだり、潜ったり」を思いだした。多分『頭の体操』だと思う。

 「暑いか、寒いか」これは重要だ。一日に何度もカーディガンを着たり脱いだりする。

 編みながら、カーディガンにするかセーターにするか迷う。両袖を編み後ろ身頃を編みながら何度も迷う。脱ぎ着のしやすいカーディガンの方がよさそうに思うし、それでは糸が足りなくなりそうにも思う。重さを量り目数を計算する。

 編みながら、どう編むのか決めるので即興編み物だ。即興ダンスは中学と高校の時に学校の体育でやった。創作ダンスもした。即興でピアノを弾くのにあこがれるが、ピアノ自体弾けない。同時に右手と左手に違う動きをさせられることが信じられない。編み物をするときにも両手を使うが交互に動かす。メリヤス編みの時は、編むのが早くなるのでほとんど同時に動かしているようにも感じる。一定のリズムに乗ってくると無我の境地になってくる。この感じが好きだ。自分は右利きで棒を右手に、糸を左手に持つので左手も結構使う(糸も右手に持つ人の方が多いかもしれない)。左手が特に不器用というわけではない。パソコンは右手だけで打つ。片手で打つにしては結構早いと感心される。器用なのか不器用なのか、自分でもよくわからない。




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