『骨董屋』2013.7

 ディケンズ作、子供向けの本の題名と違い、原題は『骨董屋』と知り、大人向けの全訳の『骨董屋』を読もうと思っていながら、手軽に手に入らず、ようやく最近読んだ。

 『骨董屋』がディケンズの他の作品ほど読まれていないのは、少女ネルの描き方のせいだと考えられているようだ。実際に読んでみると、ネルが祖父と放浪するところは、おもしろい。全篇中一番強い衝撃を受けたところは夜中にネルのお金を盗んだのが祖父だとわかったところだ。祖父が賭博のためのお金を雇い主から盗もうとしているのに気付き、やっと落ち着いた先を出て、また放浪の旅に祖父を連れ出すところには、ネルの人間としての強さを感じた。かなりつらい旅をして、良い人に出会ってまた落ち着いた暮らしに入ることができたが、祖父がまた賭博に手を出さないか心配なところで、場面が変わる。

 この後、ネルのところにいた昔の使用人の正直者キットが、祖父の債権者クウィルプの法律顧問の弁護士ブラースに窃盗犯に仕立てられるところが、あまりにも悪意に満ちた行為で気持ちが悪くなった。

 登場人物が苦境に陥って苦しむのを読むのは、こちらも苦しくなるので、あまり読みたくはないが、何の波乱もない小説を期待するのは無理なので、登場人物を酷い目にあわせること自体は仕方がないだろう。それにしても、運命のいたずらとか、災難をもたらした者の方にも止むにやまれぬ事情があったとか、人間の弱さからくる愚かしい行為によって苦境に陥るようにしたほうがよいのではないだろうか、これだけ無意味で悪意に満ち、よい行いをしていても逃れられないような計画的策略にかけるのは・・・、あまり読まれなくなったのは、このせいではないかと思った。

 ただ、よく考えてみると、キットが事情がはっきりとしないお金を受け取ったことが、罠に落ちる切っ掛けになっている。キットが働きに見合わないお金を受け取らない正直者の態度を厳しく貫いていたらこの災難には合わなかったろうと思う。自業自得というのも少しはあると思うと、こちらの気持ちも少し楽になる。

 しかし、顧客に頼まれたというだけで、自分に何の害もなさない者を窃盗犯に仕立てる事情に、同情の余地はないように思う。動機は金銭的利益ということになるのだろうが、この件によって弁護士資格をなくし、破滅している。

 下巻373頁「クウィルプはここの大事なささえになってる人じゃないこと?」

 下巻313頁「わたしは法律にたずさわる者。議会の法令では『紳士』と呼ばれてます。その免許状のために年々英貨十二ポンドを払って、その称号を維持してるんです。」

 『紳士』と呼ばれる仕事をしても、犯罪に手を染めないと事務所を維持できないということなら、相当問題だろう。あるいは、このことで、現代的意義のある小説として見直されることになるのかもしれない。

 最後にネルが死んだあとで、祖父が死ぬところは、普通なら涙を誘うところだが、ネルの死がこの老人のせいだと思うと、あまり感動しない。

 賭博に手を出した動機がネルに財産を残そうとするためで、賭博に狂っていない時には、ネルにとって愛すべき身内ということになる。老人と離れると幸せになれるだろうけれど、老人に対する愛情によって離れられない。こんなところも、現在でも廃れていない主題を含んでいる。

 全体に善人と悪人がはっきり色分けされすぎているところが、リアリティを欠くようにも思われるが、ネルの祖父については、一人で善人の面と悪人の面を兼ね備えている。




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