『もう犬を飼ってよろしい』2013.4

(1)2013.4.18

 子供のころ、姉が学校の図書館から「もう犬を飼ってよろしい」という本を借りてきて、題名が変わっているので興味を引かれ、自分も読んでみた。

 それより前か後か覚えていないが、母親が犬を飼うと死んだときに悲しいので、犬は飼わないと言ったことがある。多分、姉が犬を飼いたいとネダッタのだろう。母親に犬を飼ってもらうようにするうまい言い方を考えるという点では、この本は姉の役には立たなかったと思う。

 ただ、母親の理屈でいけば、友人と別れる時がつらいので、友人はつくらないということになりそうだ。犬の寿命より付き合う期間の短かった友人は大勢いる。もっとも、ほとんどが自然消滅だし、死んだという噂も聞かないから、今でも友人だと思ってもよいのかもしれない。


(2)2013.4.19

 「もう犬を飼ってよろしい」をまた読んでみる気になったのは、いまだに被差別部落出身者に対する偏見が残っているらしいことを知ったからだ。

 同和問題あるいは部落問題を最初に知ったのは、小学校の高学年の時で、学校の授業中との記憶がある。日本の話でも、北海道出身者には実体験がないものの一つだ。北海道にもアイヌ民族に対する差別問題はあった。それとも、今もあるのだろうか。

 「コタンの口笛」を中学校の時に、学校の図書館から借りて読んだ。佐藤さとるの本を読んだことがあり、本家のコロポックルのことがわかるのかと思って借りた。実際に読んでみると、アイヌ民族の風習を守って暮らしている家の子供の話で、風習の違いに対する相互理解のなさから、いろいろと問題が起きる。

 「もう犬を飼ってよろしい」も「コタンの口笛」にも子供がいじめられるところがある。ただ、どちらも「いじめ問題」の本だとは思わなかった。「差別問題」の本だと思っていた。


(3)2013.4.20

 「もう犬を飼ってよろしい」の後書きの日付は一九六七年十月だ。

 小説の最後には、「じぶんたちのうちのことについて、先祖について、いままで知らなかった、どんな新しいことがわかっても、けっしておどろいたりなどはしませんね。」と書かれている。

 この先祖のこととは、先祖が江戸時代に士農工商より下の身分だったということだ。

 二百三十頁には、「迷信とか、偏見というものは、おそろしいものだ。じぶんではそんなバカなことはないと思っていても、いざとなると、ついひょいと、そのとおりのことを考えてしまうんだからなあ」とある。

 この偏見は、「おれたちのノウミソは、ふつうの人のノウミソとちがっているのではないか?」と表現されている。

 たいていの差別問題には、「違い」がある。性別とか身体的能力とか、確かに違っている。違っていることを認めるだけなら差別にならない。

 違っていると言うこと自体が差別になるという点が、被差別部落問題がほかの差別問題と違う点だろう。


(4)2013.4.21

 「新編埼玉県史」通史編7に、次の記述がある。

 昭和二十六年(一九五一)、戦後の部落解放運動を転換させる大きな事件がおこった。同年十月、『オールロマンス』という雑誌に「特種部落」という小説が掲載された。保健所の一職員が書いたもので、京都府内の部落を舞台にして部落を犯罪や闇取引、暴力団、売春などの巣窟であると書いた小説であった。(666頁)

 解放委員会京都府連は、部落に何の行政施策もおこなってこなかったから、このような部落に対して悪意にみちた小説が書かれたのであり、責任は市の行政姿勢そのものにあるとして厳しく糾弾した。市長らもこれを認め、以後積極的に同和行政をおこなうようになった。(666,667頁)

 県下でも〜「いくら便所ばかり立派になったって金を稼ぐ手段がない」という現実はかわらなかったが、下水の設置や流し台の新設など目にみえる部分の事業については、しだいに成果をみせはじめていた。(669頁)

 戦後民主化の波にのって各地で部落出身の公職者が生まれたが、町村合併によってそのほとんどの人たちが役職をとかれ、せっかく獲得した同和予算も反故にされるという事態が生まれた。(669頁)

 2012・10・26号の週刊朝日で、O市市長のH氏についての連載が始まった。が、次の号でおわび文がのり、連載は中止された。

 おわび文には、『編集部にも電話やメール、ファクスなどで、「差別を助長するのか」「チェック態勢はどうなっているのか」といったご批判の声が多く寄せられました』

 『差別を是認したり助長したりする意図はありませんでしたが、不適切な表現があり、ジャーナリズムにとって最も重視すべき人権に著しく配慮を欠くものになりました』とある。

 記事をつくった人にとっては、現在、「被差別部落問題」は既に終わったことという認識があったのかもしれない。しかし、H氏の親やH家のルーツをH氏に対する悪口の材料として使っている認識はあったと思う。親のことや家のルーツそのものを攻撃材料にしてもよいと考えるだけで、「もうジャーナリストとしては、終わっている」と思う。 

 ただ、今の憲法の内容を考えると、血筋ということについての偏見をなくすのは困難だと思う。自分がよくわからないのは、同じY染色体を持つ人について税金を使い続けることに、どういう価値があるのだろうかということだ。  


(5)2013.4.22

 H氏の父親が暴力団組員で被差別部落出身者であったことは、2011・11号の新潮45に書かれている。この記事が出た後で、2011・11・3号の週刊新潮と週刊文春でも関連記事を扱っている。

 そして、2012年12月に、にんげん出版から「橋下徹現象と部落差別 (モナド新書) 」が出版されている。市の図書館の紹介文は、『「政治家・橋下徹」の本質を明らかにするために、その血脈=出自を結びつけて論じるなど、ジャーナリズムとして決してやってはならないこと。橋下徹氏に対する部落差別キャンペーンを徹底批判』とある。残念ながら、現在予約者17名で、どのようなことが書かれているかは、すぐには確認できない。他にどのような本を出版しているのかと思ったら、同じ新書に「日本共産党VS.部落解放同盟」があった。

 埼玉県に住むことになったとき、狭山市と聞いてなんだか聞いたことがあると思った。おそらく狭山事件の関係かと思う。県民としては、こちらの方も気になるところだ。この本は、無競争だ。

 予約者17名ぐらいは、かわいいもので、本日予約者数1460名という本がある。「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」だ。これを書いている間にも数を増している。1200人代のところで自分も予約をかけておいたが、これは、いったいいつになったら読めるのだろうという興味の方が大きい。実は、村上春樹の本はいままでひとつも読んだことがない。マスコミの力とは、なんとすごいものだろうと思う。  


(6)2013.4.23

 国分一太郎児童文学集の第四巻が「もう犬を飼ってよろしい」で六巻まである。

 目次の最後を見ると装幀が山藤章二とある。窓絵とさし絵は別の人だ。窓絵というのは、表紙の絵のことだろう。前後の表紙に四枚の葉(それとも花弁か)を三本、親指と人差し指でつまみ、他の三本の指を立てている手の形が白抜きになっていて、前表紙の方にだけ、その白抜きの中に絵が描かれている。

 この白抜きの手が装幀の人の仕事になるのだろう。だから見ただけでは、山藤章二とはわからない。それで「この山藤章二さんは、あの山藤章二さんだよね」と思ってしまった。

 文学集は、一九六八年から一九七二年にかけて発行されている。最初に読んだ時は、自分が子どもなので山藤さんを知らなかったからか、まだそんなに有名でなかったからか、装幀の人のことは、特に気にしていなかった。

 後から「あれ、有名な人がしていたんだな」と気付くのは、昔見たドラマに、今は有名な人が出ていたことに気付くのに、ちょっと似ているようだと思った。




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