『お登勢』2013.6

(1)

 子供の時、ポーラテレビ小説を学校が休みの時だけみていた。学校に行っていて見られないところは、母親からどうなったか聞いていた。

 津田貢がお嬢様と別れてお登勢と結婚したのに、お嬢様と一緒に死んだと聞き、どういうことかよくわからなかった。一度好きになった相手はやっぱり忘れられないものなのか、子供なので大人の恋愛感情がわからないので、大人になったら理解できるようになるのかずっと気になっていた。いい大人になってからNHKで『お登勢』をやるということで見たが、残念ながら津田貢が死ぬ前のところで終ってしまった。

 母から続編があると聞いていたので、津田貢が死んだ後のことも気になっていたので、この際、原作を読んでみることにした。ちなみに、NHKのドラマで主演した沢口靖子さんは、原作のイメージにぴったりなので、沢口さんを思い浮かべながら読む。

 読んでみて思ったが、恋愛感情だけではないなと思う。

 『お登勢』を読んで一番感動したところが、北海道に渡り、野生馬の群れのリーダーを捕まえるところだ。捕まえたというより馬の方から捕まえられたのだろう。

 野生馬のリーダー(雄馬)を捕まえようとして、子供がお腹にいる雌馬だけを捕まえることができた。それから、毎晩雄馬が雌馬がいる牧場の柵を飛び越えて中に入り、雌馬の前で柵を飛び越して見せる。ところが、雌馬は柵を飛び越えることができない。ある朝牧場を見ると雄馬が柵の中で雌馬と一緒に牧場の草を食んでいる。雌馬が逃げることができないのがわかり、雌馬のいるところに自分も一緒にいることにしたのだろう。馬にも人間と同じような男女のあるいは親子の愛情があるのかどうかはわからないが、人間どおしの愛情より馬どおしの愛情の方が感動的だった。

 『続お登勢』の方で一番感動したのは、一度捕まえて馴らしたが狼に襲われた際にいなくなっていた馬に再会し、野生馬の群れのリーダーに戻っていた馬が、お登勢だとわかったらしく、お登勢のところに帰ってきたところだ。馬と人間の間の愛情に感動した。人間どおしの間には愛情以外にいろいろ難しいところがあって、それが、純粋に感動するのを妨げるのかもしれない。


(2)

 『お登勢』の主人公は、もちろんお登勢だが、『続お登勢』の方は加納睦太郎の方が主人公にふさわしいように思う。ストーリーを語ろうとすると睦太郎の行動が中心になるからだ。

 睦太郎は『お登勢』の中で、徳島藩士が徒党を組んで稲田家の家臣達を襲った事件に加担した罪で遠島になる。稲田家当主は徳島藩主に仕えているが、稲田家に仕える武士は徳島藩主から見ると家臣の家臣ということで主従関係が間接的になる。そこで、稲田家家臣は家禄が高くても徳島藩主に直接仕える一番末席の武士より更に低い身分の武士ということで、足袋の色でその身分が明らかになる取り扱いをされていた。

 徳川幕府がなくなると稲田家の家臣に対する武士階級の中の差別的取り扱いがなくなり対等の武士になれると思い、稲田家家臣は尊王攘夷派として積極的に動く。徳島藩主はその血筋から徳川幕府側に立たなければならないところ、どちらが勝ち組になりそうか見極めきれずに、どっちつかずの態度をとっていた。

 徳川幕府が滅び、新政府は藩主に直接仕える武士は士族、間接的に仕える武士は卒族とする統一方針を示す。この方針によれば稲田家も当主のみ士族となり家臣は全員卒族となる。新政府樹立に貢献した稲田家は、稲田家家臣だけ特例として士族として認めるか徳島藩から分離独立して稲田藩としその家臣を全員士族とするよう、新政府に働きかける。徳島藩士は、稲田家が新政府の方針に背く反逆者だとして稲田家家臣を襲う。新政府はこの稲田家襲撃事件を徳島藩内の内紛として襲った方の武士を処罰し、稲田家は兵庫県の支配下とし、北海道の静内への移住を命じる。

 『お登勢』の最後では、遠島になっていた睦太郎が、何年かして罪を許され、稲田家襲撃事件の際にお登勢に切りつけて瀕死の重傷を負わせていたため、お登勢に謝罪しようと北海道まで来て、札幌の妹のところで偶然お登勢に出会って謝罪する。

 お登勢は稲田家家臣の津田貢が好きで、襲撃事件を知り津田貢を助けるため津田家に行き、そこで津田家を襲った睦太郎に会う。睦太郎はお登勢が加納家に奉公にきて会って以来、お登勢のことが好きで、お登勢が津田貢を逃がしたのを知り、私情もあって切りつけた。

 津田貢が死んだことをお登勢に知らせ自分と一緒に徳島に戻るよう話をするため静内に睦太郎が現れる。睦太郎が来たことを知った稲田家の人たちが睦太郎を殺そうとするのを、お登勢が手引きして睦太郎を逃がす。

 『続お登勢』で、お登勢は東京の学校に行く甥を連れて東京に行き、甥が睦太郎に偶然出会う。睦太郎は東京で、稲田家襲撃事件を処理した新政府要人(岩倉卿)を一人で襲撃しようと車夫をしながら機会を窺っていた。睦太郎は甥にお登勢と会えるよう連絡を頼む。横暴な客のためにお登勢との待ち合わせ場所に行けない睦太郎は客ともめる。客が薩摩藩出身の政府官僚だったため、客の方が一方的に暴力をふるったにも関わらず、睦太郎の方だけが牢に入れられる。牢の中で出会った人民参加の総選挙による民選議院の設立運動家と接するうちに、新政府要人襲撃の無益さを感じた睦太郎は、計画を放棄し、静内に行ってお登勢のそばで生きようと決心する。

 静内で外国製の農機具の働き具合を見ているときに、担当の出先の役人がお登勢に酒を注がせようとするが、お登勢が自分は酌婦ではないと断ったため、それを根にもった役人が嫌がらせをし、新式の農機具の使用を遅らせる。札幌の本庁の役人に話がわかる人間がいたので、その人に事情を伝えて善処を頼もうという声が上がったが、出先を飛び越して本庁に直接話をするというのは、江戸時代の直訴と同様後難が心配される行為だとして決心がつかない。睦太郎は皆に内緒で一人で嘆願書を持っていく。嘆願書を読んだ本庁の役人は、睦太郎が責任を取って自害するつもりでいるのを察し、嘆願書は読まずに別のルートで事情を知ったことにして、出先の役人を交代させる。

 静内で本格的に馬産地となる取り組みが進められ、狼退治のため毒薬を東京で入手する役目を睦太郎が引き受ける。役目をはたして帰る途中、乗った船が嵐で沈む。睦太郎と船員の二人だけが漂流しているところを救われる。船員は睦太郎を別の船員の殺害の罪で告発する。船員たちの恥知らずな行為の責任を睦太郎に押し付けようとしたものだ。睦太郎は薩長の役人が幅を利かせているなかでの裁判が公平に行われるとは思えず逃亡するが、捕らえられる。(睦太郎が岩倉卿暗殺を断念し静内に行ったあとで、岩倉卿暗殺事件が起き、犯人が睦太郎の名前を言ったために、事情聴取ということで睦太郎が拘束されたことがあったが、その際、不当な取り扱いを受けた。)

 睦太郎が牢にいる間に西郷さんが決起し内戦が始まる。政府は、重大犯罪を犯したのが明らかな者を除き兵隊に志願する容疑者は不問に付すと決める。睦太郎は兵隊に志願し、お登勢との面会を許される。お登勢は、睦太郎が戦争に向かうのを見送る際に睦太郎が好きだと話す。睦太郎は九州に行き戦争で人を殺し吐き気を感じる。

 戦争から帰った睦太郎は、函館で函館新聞の発行の仕事に誘われる。これからは剣ではなく言論の力で民衆のための政府をつくろうと言われるが、政治活動も大事だが、民衆の一人として静内で生産活動に生きる方を選択する。静内に戻った睦太郎はお登勢と結婚し、子供ができたことがわかるところで物語が終わる。

 以上のように、『続お登勢』は睦太郎を中心に進む。続編の方が面白いように思う。ただ、いきなり続編を読んでもダメだろう。続編のために正編が必要だ。テレビドラマでやるとしたら、一年かかるだろう。ぜひ、NHKの大河ドラマでやってほしいものだ。歴史がでてくるが主人公が実在の有名人ではない。ただ、三田佳子主演の『いのち』は主人公が歴史上の実在の人物ではなかったと思うし、非常におもしろかった。

 歴史上の人物にすると、どうしても主人公の考えが今の価値観から見て、共感を呼ぶものにならないように思う。古いものを壊して新しいものを作ろうとしても昔の時代における新しいものは、現代から見たらやっぱり古い。政治的に成功した人なら当時の価値観を肯定した人間になるだろうが、その価値観は大抵現在の価値観と相いれないと思う。主人公がその当時正しいと考えられていた思想に基づいて頑張っても、今の価値観を持った人間がそれを見て共感や興味を感じるのは難しい。歴史上悪人と考えられてきた人を取り上げ、現代の価値観で描くと再評価できておもしろいということもあるが限界がある。その点、庶民が主人公だとその時代の権力者に対して現代人が感じるのと同じような疑問を主人公に思わせることができ、そうしても主人公を裏切り者にも負け犬にも世を拗ねた者にもさせないという利点があると思う。


(3)

 『続お登勢』を読むと政治面では、明治維新によって権力者が薩摩・長州藩出身の武士等に変わっただけで、庶民が権力者の横暴に苦しむという点では徳川幕府の時代と同じで、むしろ、薩長というだけでその能力のないものまで権力を持たされ、持ちつけない権力を正しく行使できない者のせいで、以前より悪くなった面もあると思わせられる。

 睦太郎が乗っていて沈んだ船は官船で、乗組員の上級船員が薩摩藩出身で態度が悪い。明治維新の時代のドラマのせいか、鹿児島弁を話す人と会ったこともないのに、その船員が話している言葉が鹿児島弁だとわかる。その船員に対していい感情がもてず、鹿児島弁にまで悪感情をもってしまった。

 ここで、どうして登場人物は徳島弁(それとも阿波弁か)も淡路弁も話さないのか不思議に感じた。その地方に特徴的な話方がないはずはない。といっても、どういういい方になるのか全然わからないが。作者も札幌出身ということなので、多分知らなかったと思う。使いこなせないので書けなかっただけのことかもしれない。

 あるいは、わざわざ書き慣れない読み慣れない言葉遣いに気を使うのが書く方も読む方も煩わしいということかもしれない。そうすると、この薩摩の人にとってあまり名誉ではない場面で、ことさら鹿児島弁を使うのはフェアではないかもしれない。

 明治維新を真似ても権力者の顔ぶれが交代するというだけでは何が今までよりよくなるのかわからない。ただ、その政党に所属するというだけで権力を持たされ、持ちつけない権力の行使をうまくできない人が出てきた分、前より悪くなっただけというのは、勘弁してほしい。


(4)

 『続お登勢』での一番の関心事はやはり、加納睦太郎の思いがお登勢に受け入れられるかどうかだろう。

 41頁から

 「だが、お前が(いますぐではなくても、いつかは私をうけいれてくれると)約束してくれさえしたら、私は侍の意地も捨てる。計画も忘れる。開拓百姓になって、生涯お前のそばを離れない。登勢、いま私を愚かな過去の亡霊から救うことができるのは、お前だけなのだ」

 「若旦那さまは猾い。卑怯です」

 お登勢は真直ぐ睦太郎を見つめて言った。

 「私が猾い?」

 「そうです。若旦那様の仰有りかたは、お前がうんと言わなければ、俺はとんでもないことを仕でかすぞと、おどかしているのもおなじに、わたしには聴えます。」

 愛を得るためでもつなぎとめるためでも、同情をかおうとしてすがりつくのはみっともない。もっともプライドをまもるよりも手に入れたいものがあるのかもしれない。どうでもいいことだけれど睦太郎は武士だからか、お登勢とは呼ばずに登勢という。そもそも「お」を付けると呼びにくい名前もある。例えば(龍の子太郎に出てくる)「あや」とか。他にも江戸時代にありそうな名前で「お」を付けられない名前があるか気になっていた。

 154頁

 「強引なことはしたくないんだ。もう私は、そういう失敗をさんざん繰返してきた。激情にまかせて、あれを斬るようなことまでしてしまった。登勢も自分の意志を無視した強引さに屈するような女じゃない。登勢は私の心を知っている。だから、あとは待つしかないのさ」

 強引さを示すのが自分の愛情の深さを示す方法だと勘違いしている人は多い。ただ、睦太郎の強引な行為は斬った行為だけだったように思う。もっとも、これだけでもすべてを終わらせるような失敗ではあるが。

 ただ、自分の気もちを話すことは何度もしていて、そして、何度もきっぱりと断られている。話をすること自体は拒絶されていない。待つにしても自分の気持ちが変わっていない、今でも待っている、相手の気持ちは今はどうなっているのか、ということは知りたいだろうと思う。それさえもできなかったら、睦太郎はどうなっていたのだろうかと思う。

 幸い、睦太郎はお登勢のそばにいることは許されて、自分の気持ちをお登勢にとって望ましい行動で示す機会を与えられたため、お登勢の気持ちが変わる。

 179頁から

 お登勢は睦太郎にたいして、とり返しのつかない罪を犯したような気がしてならなかった。まるで彼女自身が睦太郎を殺したようにさえ思われるのだった。

 せめてこういうことにならないうちに、なぜ睦太郎の気持を受け入れようとしなかったのであろうか。彼の思慕はそのひたむきな真実さにおいて、山をもゆるがすようなものであった。それを知っていながら、ついにここに至るまで応えようとしなかった自分が、お登勢はいま譬えようもなく傲慢な、思いあがった女のように思えるのだった。

 遭難して生死が不明だったが、幸いにして睦太郎は救出された。睦太郎が初めてお登勢に告白してから結婚するまで約十年経っている。睦太郎の性格は続編になってから変わったように思う。睦太郎が変われたのは、ハッピーエンドで終わらせるための作者の作為もあるような気がする。


(5)

 『続お登勢』で函館が出てくるので、誰か知った人でも登場するかと思ったら、函館新聞創刊の協力者の一人として、杉浦嘉七さんの名前があった。(259頁、270頁)

 271頁では「いまにして主権在民が天賦の真理であることを国民に知らせるのでなければ、北海道を含めて日本中が藩閥政府と政商どもに食い荒されて危急の際であるから、貴君(睦太郎)にもいち段の奮起を期待したい」とある。とはいえ、主権在民を国民に知らせる活動のためにお金は必要だ。お金持ちだから単純に悪ということではなく、稼いだお金をどう使ったかが大事だろう。

 何代目の杉浦嘉七さんかと思い検索してみたら三代目だった。『場所請負人福嶋屋杉浦嘉七 四代物語』の出版の紹介文のなかに、「江戸から北海道へ渡り場所請負人として漁場の経営にあたった初代、巨万の富を築いた二代、近代商人として脱皮を果たした三代」と書かれていた。三代目は世の中のためになるお金の使い方をしたようだが、残念ながら杉浦家は四代目どまりだったようだ。

 最近、既得権がどうのとよく聞くが、それが利益を一部の者で独占せずにみんなで公平に分けようということか、自分が分け前にあずかれない他人のものを羨んで、自分が手に入れられるように変えたいだけなのか判断がつかない。

 『お登勢』『続お登勢』を読むと権力者が変わっても農民が天候不良と重税によって苦しい生活を続けることに変わりがないということになる。ただ、アイヌの人達にとっては、静内は豊な恵みの土地であったろうし、お登勢たちもその土地にあった産業というものがあって、お米を作ることだけにこだわる必要がないことに気付いたようだ。




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