『れんげ荘』2013.10

(一)

 45歳で23年勤めた会社を退職して貯金生活者になる。それで何をするのか気になったので読んでみた。

 月十万円の生活費で80歳まで生きられる貯金額らしい。月三万円の木造アパートの一室を借り、一人暮らしを始める。最初の一年間は劣悪な生活環境と戦って終わる、とともに小説も終わる。続編があるらしい。『働かないの れんげ荘』、図書館の紹介文によると「散歩に読書にししゅう、時々おしゃべり。四十八歳」とある。予約数が約百名で、自分の予想では順番がくるのは数か月先と思われる。中途半端な気分なので、同じ作者の似たような内容の本を探してみる。

 『モモヨ、まだ九十歳』、九十歳の祖母が一人で娘の所まで旅行してくる。驚くほど元気だ。自分の祖母の話が書かれているようだと思い借りてみる。祖母の娘である自分の母親が、最近見事に「この母にしてこの子供状態」なので、今度母親が来たら、この本を教えてあげようと思う。

 気になるのは、モモヨさんがこの先どのような人生の終わり方をしたのかだ。この本は、そこまでは書かれていない。大抵の人は年をとって、死ぬ直前まで元気でいて、ある日眠るように、あるいは寝ている間に亡くなる死に方を希望すると思う。自分の母親もかねがねそう言っている。

 図書館でその後の様子がわかる本がないか探してみた。『母のはなし』という本がある。モモヨさんの昭和五年生まれの娘さんが「母」だ。

 179頁から180頁に望みの記載があった。

 「朝ご飯を食べた後、ソファに座っていたんですって。お義姉さんが洗濯物を干そうと前を通ったら『ご苦労さま』って声をかけられたんだけど、干し終わって部屋に戻ったら、もう息をしてなかったっていうのよ」

 『母のはなし』も教えてあげよう。亡くなった時は96歳だったらしい。


(二)

 図書館に本を返しにいき、帰りがけにお勧めの本棚に『だから、あなたも生きぬいて』を見かけた。「まだ、需要があるんだな、一過性の流行りじゃなかったんだね」と思う。

 そして、「弁護士になったのが、そんなに偉いの?」と思い、その前に「ここまで落ちました」というのがあるからだ、と思う。小心者の自分には、むしろそこまで落ちられることの方がスゴイ。

 不登校の生徒が学校に行けるようになる。「えらい、がんばったね」と称賛されているのを見て、普通の生徒が「学校に通うのが、そんなにスゴイことか」と思うような感じだろうか。

 若い時に夢を追いかけて、すぐには成功せず下積みの貧乏生活を送ったり、学校を卒業して就職しようとして、自分が何をしたいかわからず悩んだりする小説は結構あるように思う。

 退職して時間がたっぷりできても何をすればよいかわからない人も多いと思う。宝くじで何億円あたっても仕事を辞めないという人は、辞めてもすることがないからというのもあるかもしれない。お金を無制限に使えるなら、また別だろうが。

 生活のため、お金を稼げるようなことはしなくてもよく、でも、お金をたくさんは使えないというときに、「自分はいったい何をしたいのか」、このテーマで書かれた小説は、「意外とない」のではないだろうか。

 城山三郎の『毎日が日曜日』という本がある。図書館で「ちら見」したところ、退職してこのようにして自分のやりたいことを見つけて生き生きと暮らしています。というより忙しく働いているうちが花みたいな感じなので読むのを止めた。

 『れんげ荘』の主人公は学校を卒業してすぐに「いい会社」に務めて23年たってから「いやになって」辞めたので、辞めてこれをしたいというのがない。世間並みの常識で「充実した」ことをどうでもこうでもしなければいけないということはない、という状態で終わったように思う。

 でも、退屈で死ぬことはないにしても、これに耐えるのは結構大変だと思う。この後どうするか気になる。

 若い時に我慢しないで、普通のレールを外れて、その後で世間の普通のレールに乗るのと逆パターンの小説だと理解している。


(三)

 結構前に、本屋で『無印○○』という本がたくさん積まれているのを見て、気になったが、無印良品の服は、なんだかつまらないような気がして好きではないので、読んだことがなかった。

 今回、作者に興味を持ったので、最初に出た本を読んでみることにした。いくつか読んだが、結局最初の作品が一番よかったという場合がけっこうあることに気付いたせいもある。

 『午前零時の玄米パン』、作品の中に玄米パンが出てこない。そこで、自分の玄米パンにまつわるエピソードを思い出した。

 大学生のときに、友人にイトーヨーカドーで玄米パンが売られているというのを聞いた。その時初めて玄米パンというのを聞いた。どんなものかと思い一人で行って、おいしいかどうかわからないので、餡入りを一個買った。友人にその話をしたら、「よく一個だけ買えたね」と言われて、「どうして一個だけ買えないのか」と、逆にこっちが驚いた。

 その後、ケーキ屋でケーキを一個だけ買いたいが買えないという経験をしてこの「一個だけ買えない」の意味がわかった。コンビニなら平気でスイーツ一個買いができるのにだ。最近コンビニスイーツが流行っているのは、こんな意味もあるんじゃないかと思う。

 務めてしばらくたってから、自分が「デパート」と言って同じグループに考えていたものが、「百貨店」と「スーパ―マーケット」の別があり、百貨店の商品券を使えるかどうかの違いがあると知った時には少し驚いた。その時、子供の頃、母親が父親の母親の買い物の付き添いをする際に、東京に住んでいる父方のオバから「贈答品は△△(最近東京から進出してきた)で買わずに○○(地元の老舗百貨店)で買ってくれ。東京では△△はスーパーだから」と言われたと母親に愚痴をこぼされた意味がわかった。

 『午前零時の玄米パン』を読んで思った。

 テレビで売れている歌手を見て「この程度に顔がよくて歌がうまい子はたくさんいると思うけれど、たくさんデビューして売れるのは、ほんのわずか。運がよかっただけでなく、売れるのはやっぱり他の人が持っていない、なにかがあるんだろうな。自分にはそれがなにかわからないけれど。

 エッセーは、他人が書いているのを読むと簡単に書けそうに思える。ただ、実際にあったエピソードネタは「すべらない話」を見ても思うようにネタが続かないんじゃないか。

 それと自分や自分の周りの人間のことを書くのは、結構勇気がいる。


(四)

 高校の時『猟人日記』を読み、主人公がうらやましいと思う。趣味の猟をしながらあっちこっち旅行して暮らす。猟をしたいとは全然思わないが。一人っ子で自分が二十歳くらいの時に一生遊んで暮らせる遺産を残して死んでくれる親がいてくれたらなぁと思う。といっても親子関係もキョウダイ仲にも問題はない。

 以前には母親との電話は三十秒で終えていたが、今は一回に三十分くらい話して、母親と同居している姉が母より元気で長生きするように祈っている。

 大学の時マックス・ウェーバーの『プロティスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を読む。プロテスタントの教えによって労働が美徳になり、労働が美徳となったことが資本主義社会にとってよかったという趣旨だと思った。自分には「勤勉なこと」がよいことであるのは、当然のことだったので、ヨーロッパでは、それまで「労働が美徳」でなかったことの方がびっくりだった。

 自分が好きな十九世紀のヨーロッパの小説の中で、紳士淑女が貧乏になったせいで生活費を稼ぐために働かなければならないのを恥ずかしく思うのは、こういうことだったのかと思う。

 就職してから、自分で貯金して金利生活者になれるものだろうかと思った。バブルがはじける前は定期預金の利子は最低でも三%、よければ四、五%という水準だった。四千万円で三%なら、税金を考えずに年百二十万円、月十万円だ。

 二十代の終わりぐらいに四十代の前半くらいで、金利生活者も夢ではないように思った。

 定期預金の金利が一%にも満たないようになったときには、金利生活者になるつもりで退職していたら、退職した途端食べられなくなり悲惨だった、危なかったと思う。

 でも、金利生活者になる必要があるのかと思う。今は公的年金がある。金利生活をする場合と同じ生活水準で元金を使っていっても、年金が出るまで貯金で暮らせるのではないか。死ぬ時に多額の貯金を残してどうするのか、と思う。

 ところが、途中で退職すると、当然年金額は下がる。そうすると年金だけで生活できなくなる。そんなこんなで結構いい額の給料取りの正職員が、四十五歳で貯金生活者になるのは、相当強い動機がないと普通は無理だろう。

 だから本当は、ただ「いやになった」だけで辞めるのは少し説得力がないと言われればそうかもしれない。作者ではないので、言われてないが。


(五)

 主人公が勤務先がいやになり、別なところに勤める気にもならないという気持ちが、わからないという人は幸せなひとだと思う。

 もっとその気持ちを説明してほしいという人には、説明してもわからないと思う。この気持ちがわかると言う人は、自分自身の経験で勤務先がいやになり、別の会社に勤めても同じことと思ったことのある人だと思う。「説明してもらわないとわからない人は、説明してもらってもわからない」と思う。ただ、何のことを言っているのか、わからないということもある。そういう場合は、説明しようとして、まだ話が途中なのに「あぁ、そういうことか。もう、わかったから、いいよ。」となる。それとも、自分の話方がくどいからだろうか。

 仕事上の不満を理解してもらうには、相手がその仕事の内容について知っている人でないと難しい。ただ、自分の仕事の内容を知っているのは、自分の仕事関係者になる。まさか不満を持っている当の相手に愚痴るわけにはいかない。せいぜい飲み会で同僚と上司の悪口をいうくらいだ。同じ仕事をしているが、仕事関係者ではない友人を持ちたいと思うが、いまだ実現しない。

 ドラマで、医師、弁護士、刑事が主人公のドラマはよくあるが、そこで扱われる人間ドラマは、たいてい、患者、依頼人、犯人についての話で、その職業の人間でなくても、わかる話だ。

 その職業を経験したことのない人たちがつくっているのだから、仕方がないのかもしれないが。

 ところで、話しても理解してもらえないだろうと思っても、話してくれと言われれば、「言っても無駄だから」と言ったことはない。相手に「自分にはわからない」ことをわかってもらうだけでもよいと思う。自分が相手にわかってもらうために一生懸命になっているということは、わかってもらえると思う。そうすれば、納得できなくても、こっちの言うとおりにしてあげようと言う気にはなるんじゃないだろうか。

 ストーカー事件の報道で気になるのは、ストーカー犯がどういうおかしなことをしたとか警察がどういう対応をしたとかが報道されるだけで、もと交際相手の場合のように、過去において一度は良好な人間関係があったようなのに、それがどうして殺されるほど恨まれるようになったのか、その経緯が全然わからないことだ。

 どうも、相手が少ししつこくなってきたら、徹底的に電話やメールを無視するらしい。相手の気が済むまで話してやったらどうかと思う。どうせ、話してもわかってくれないだろうと思えても。


(六)

 部屋代をケチったせいで、余計な出費をした自分の経験を思い出した。

 洋服を虫に食われた。本当に食われることがあるんだなと思った。友人の結婚式に一回着ただけのスーツはいまだに惜しい。その後、防虫剤をたくさん買ったが、災難に備える前の被災額が大きかった。最近ほとんど防虫剤を買わないが、トラウマのせいで、無駄に購入した防虫剤の費用もバカにならないように思う。

 ゴキブリが出て、撃退グッズも買った。物損はなかったが精神的被害は大きい。でも、北海道出身者なので、ゴキブリが出るシーンのドラマや小説が理解できるようになったのは、よかったかもしれない。

 梅雨のジメジメはいまだに実感がない。北海道の結露の湿気とカビの方が大変なような気がする。ベットの下に物を置こうとして足の長いベットを買ったが、今ようやっと、当初の目的を達した。本棚の本にまでカビができた。その部屋は家賃の問題というよりも設計ミスだったのではないかと思う。

 いくら北海道が寒くても自分の家で寝ている間に凍死したとは聞かないが、熱中症で死ぬ人はいる。ただ、暖房代と冷房代を比較すると暖房代の方が大きいように思うので、貧乏人には温かい地方の方が住みやすいと思う。洋服や靴にもお金がかかるし、だてに寒冷地手当が払われているわけではない。北海道電力と東京電力の違いがあるかもしれないが、電気ストーブを二台も使って電気代は大丈夫かと思う。この点は、作者の実体験に基づいているのか気になる。

 蚊に悩まされても蚊帳を吊ろうと言う気にはならないようだ。自分の子供のころは吊っていた。もう売ってないのかもしれないが。作者に蚊帳体験があるのかも気になった。自分としては、蚊帳体験がなくなったのは少し残念だ。汲み取り便所で下から蠅が飛んでくるのは、金輪際勘弁してくれだが。

 梅雨時に喫茶店に避難してコーヒーを飲み、冬の寒さで銭湯に通ったら、却って出費がかさむように思う。子供のころ銭湯に行っていたが、世間では毎日入浴するのがあたりまえだということを知った時は驚いた。風呂あり風呂なしで部屋代が一万円差以内なら風呂なしの意味がないだろう。同じような理由で、自分は交通費のことを考え、たとえ家賃水準が高くてもマチの中心部に住むことにしている。もっとも、通勤通学をしないのなら、駅近である必要もなければ東京である必要もない。地方出身の自分には東京である意味がわからない。当然、東京のどのあたりに住んでいるのかも見当がつかない。見当がつく人はつくらしいが。

 本当に貧乏なわけではないので、やはり、こだわりを捨てたら意味がないのだろう。


(七)

 部屋の中に雪が積もる。この建物だと水道も凍結するだろう。ほとんど外にいるのと変わりないような寒さらしい。さいたま市内でも外の池の水や水路の水が凍っていることがあるし、「つらら」も見かける。それに、テレビで時々水道の凍結にご注意くださいと出ている。

 ただ、普通の建物に住んでいて、東京圏で水道の凍結を経験したことのある人はどのくらいいるのだろう。北海道でも鉄筋コンクリート造のマンションなら、まず凍結しない。

 凍結のおそれがある場合は寝る前に水を落とす。「水を落とす」のが具体的にどのような作業になるか、わからない人もいるだろう。

 まず、水道の蛇口を全開にして、勢いよく水を流す。流れている間に水道の元栓を閉める。二階の部屋で、元栓が外の一階にある部屋を借りたことがある。元栓を閉めようとして玄関を出た際に、無意識でいつも外出するときのようにドアノブの内側の出っ張りを押して施錠してしまう。外出するつもりはないので、鍵を持たずに出た。自分で自分を締め出す。寝る時間なので夜の11時くらいで、裏の家にいる高齢の大家さんは既に8時に寝ている。同居家族はいない。

 大家が合鍵を持っているのは分かっているが、まさか叩き起こすわけにもいかない。歩いて30分くらいのところに合鍵を持っている親の家までサンダル履きで行く。道南で雪が少ないのでよかった。夜中にいきなり飛び出してきたかっこうで帰ってきたのだから、親は当然何事かとビックリする。事情がわかって叱られる。翌日朝帰りする。帰ってきたときに、同じアパートの人に見られなかったのは幸だ。

 このほかにもいろいろな悲喜劇がある。真下の住民を巻き込んだのもある。

 『れんげ荘』には、水道の凍結話は全く出てこない。作者の実体験にないせいかどうかはわからない。そもそも、小説を書くための取材をするのかどうかもわからない。

 なんだったら、ファンレターを書いてみようかと思ったりする。


(八)

 水道を凍結させない方法は、他にもある。水を細く流しっぱなしにする方法だ。細くし過ぎるとやっぱり凍り、出し過ぎると水道代が心配なうえに、音が気になる。

 この方法で、朝起きたら水深2cmくらいで部屋中水浸しになっていた。排水管の口が、氷でふさがれていたからだ。

 水がもったいなかったので、ホースで台所の蛇口から洗濯機に水を流し込み、洗濯機から余分な水が流れ落ちるように、洗濯機のホースを排水管に入れていたので、そのホースを流れ落ちる水がつららが凍るように凍ったのだろう。台所の流しの配管の方を使って、急いで部屋の水を掻い出した。 

 部屋の外にまで流れださなかっただけ、まだましだった。

 トイレは水洗で、こちらは、スイッチ一つで元栓が締められる。使い終わってタンクに水が溜まる間にスイッチを入れるだけだから、使うたびごとに水を落とす。

 水道が凍結して業者を呼んで解凍してもらうと一回に五千円くらいかかる。結局、トイレの水を絶対に凍らせないようにして、台所の方は自然に任せることにした。長くて三、四日で自然に解ける。解けたときに急いで洗濯をする。それ以外はトイレから水を汲んでくる。

 道南だからできることで、多分、札幌なら春まで解けず、旭川なら、水道管が破裂して自然に解けるまで待ってはいられないだろう。

 雨漏りしたり、換気口の上についている屋根のような覆いの中に鳥が巣を作り雛が孵って鳴き声がうるさいこともあった。夜中にかさこそすると思ったら、ネズミがごみ箱の中で暖をとっていた。

 そんなこんながあって、二年四カ月ちょっといた(昭和五十年代終りから 六十年代初め頃)。

 引っ越した理由は、勤務先に近すぎたせいだ。通勤のために歩く距離が短すぎて運動不足で身体の調子が悪く、歩いている間に気分転換できたのが、それがなくなり精神衛生上もよろしくない。

 そこで、歩いて三十分くらいのところに引っ越した。その引越し先で服を虫に食われるという惨事その他があった。

 結露に悩まされるのは、その次の部屋で、ゴキブリに遭遇するのは、更にその次の部屋だ。

 更にその次は、同じ建物の別の部屋の小さい子供の声と近所の飼い犬の延々と続く鳴き声に悩まされる。

 今の部屋にも不満はある。完璧な借家などないとは思うものの、あと一回くらいは引っ越すんじゃないかと思う。


(九)

 主人公が暑すぎず寒すぎない秋の季節が子供の頃に比べ短くなったと嘆くところがある。

 確かに自分も気候が極端になったというか荒々しくなったという印象がある。ゲリラ豪雨とか竜巻とか、地震雷火事親父には入っていない。

 ただ、最近、真夏や真冬の方が過ごしやすいんじゃないかという気がする。

 子供の頃季節の変わり目は、たいてい風邪をひいていた。もっとも、冬の間も風邪をひいていたので、一年の半分くらい風邪をひいていたような気がする。インフルエンザの予防注射は二回することになっていたが、途中で風邪をひくので二回目の注射をした覚えがない。風邪はひいてもインフルエンザにはなったことがないような気がする。今年のインフルエンザの症状はこれこれと聞くが、自分の症状はいつも同じで変わらなかった。自分の風邪の専門家になった。

 大人になってほとんど風邪をひかなくなったが、春の季節の変わり目は毎年風邪をひく。ただ、大人になってからは花粉症なのか風邪なのかよくわからない。目がかゆい時は花粉症なのだと思う。

 春でも秋でも、ちょうどよい気温の時は少なくて、寒すぎるか暑すぎるのが変わり番こにくるという感じだ。何を着たらよくわからなくて、一日に何度も着替えをする日がある。

 一年に着る機会が五日くらいしかないような服もある。五日連続同じ服を着ているわけにもいかないので、似たような服をだいだい五着くらいは持っている。着る機会が少ないので傷むこともなくずっと持っている服がある。なんと中学生のときからある毛糸のカーディガンが一着、高校一年の時からあるサマーセーターが一枚ある。これはもう一生持っているんじゃないかと最近思う。


(十)

 主人公は、同じアパートの隣人に「自分は、もう着ないけれど、まだ、着られる服」をもらう。

 お返しに「一客だけ買うということができずに五客セットで買った湯呑茶碗」のうち二客をあげる。

 同じアパートの住民と親しくなったことがない。自分が変わっているのか、それとも主人公に隣人と親しくさせないと小説にならないからなのか。

 主人公が一年の間に交流があったのは、ほかにアパートの管理人親子、学生時代の同性の友人一人(電話で二度ほど話す)、母親、兄夫婦、兄の子供くらいだと思う。

 多分、仕事をしていた時には、仕事関係者と家族親戚と学生時代の友人(同性で一人)しかつきあいがなかったんじゃないかと思う。

 そして、退職したら仕事関係者とのつきあいが一切ない。学校を卒業した後もつきあいがある友人がいるのが不思議なくらいだ。

 こういう人間はけっこういると思うがどうだろう。好むと好まざるとに関わらず会って話さざるを得ないという人間以外に、いい年をした大人で、ただ会いたいだけで会ってつきあいが続いている人間が何人もいるという人は、どんな人間なんだろうと思う。


(十一)

 主人公の一か月の生活費が十万円、家賃が三万円で、それ以外の内訳がわからない。

 国民年金の保険料が平成25年度で一か月15,040円、付加保険料が400円、貯金生活者にとって、月々支払うメリットは全くないので、一年分口座振替で前納すると181,400円になる。これで、年3,880円の得になる。自転車操業のその日暮らしの本当の貧乏人ならこの特典は享受できない。もっとも高収入の人にとっては、意味のない額かもしれない。貯金生活者にこそ意味のある情報だ。それとエヌエッチケーの受信料も年払いにすると安くなる。1号で付加保険料がわからない人は今すぐ市役所に駆けつけないとだめだろう。それから、主人公が大学生の時は国民年金が任意加入だったから、ほぼ間違いなく国民年金に未加入だったと思う。だから60歳まで保険料を支払っただけでは、国民年金の全額支給は受けられない(60歳以降、任意加入で40年間分払う方法があると思う)。以前、政治家の未加入問題が騒がれたことがあったが、任意加入時代に大学生で国民年金に加入している政治家がいたら、そっちの方が不思議でたまらない。親が貧乏なら掛け金を払う余裕はなく、金持ちなら国民年金に頼る気持ちがなかっただろう。学生本人が自分でアルバイトをして払っていたら、相当意識の高い人だろう。その後、政治家になったからと言って、大学生の時の意識の高さまで求めるのは、過剰な期待だろう。高校を出てすぐ就職していると18歳から厚生年金に入り責められることもなかったのだろうが、高校を出てすぐ就職している国会議員というのはどのくらいいるのだろうか。

 金持ちはより金持ちに、貧乏人はより貧乏になる仕組みは、たくさんある。貧乏人はそれすらも知ることができない場合もある。

 都市銀行は銀行側の基準によってお得意さんと判断された預金者に対して、いろいろな特典を設けている。しかし、この特典の内容は、だれでも見られるホームページには明らかにされておらず、該当者のみがわかるようになっている。もっとも、その特典も金持ちでないと意味がないものもある。最近では誰でも見られるサイトにいろいろ書きこむ人が多いので、完全に秘密ということもないが、当然ガセも多いだろう。

 さて、主人公は月の生活費十万円を現金でおろしている。水光熱費等の月々の支払も口座振替にしていないようだ。これもまた損をしている。というか、全部現金払いできるんだろうか。携帯やブロバイダへの支払いはクレジットカード払か口座振替払だったと思うのだが。

 そもそも十万円の中に国民年金の保険料や国民健康保険料が入っているのか疑問だ。国民健康保険料は前年の所得に応じて決められるので、3月末に退職してその後無収入でも、退職した年に払う保険料は最高限度額になる場合がある。主人公の場合は多分そうなる。そのため、退職して二年間は任意継続制度で、従前どおりの額の二倍の額(それまで雇用主が負担していた分も自分で負担するから)の支払を選択する方法もある。多分退職した年はそちらの方が安い。退職した年の翌年の国保の保険料の額は三カ月分の給料額を基に決められるので、多分国民健康保険料の方が安くなる。

 自営業の所得が普通の給料取りと同水準なら、自営業の保険料の方が高い。日本の制度はいろいろと(まずしい)自営業者にとって厳しいものとなっている。民間の生命保険に加入してしていたとして、勤め先で保険料を天引きして払う団体扱いになっていると割引になる。だから退職すると保険契約の内容が同じなのに保険料が上がる。低所得の自営業なら給料取りになった方が経済的にはずっと得だ。

 地方税も前年分の所得について翌年課税になるので、これは退職しない場合と同じ額を支払うことになるが、予定していないと貯金なしの無職者にとっては、大変なことになる。年によって所得額の変動が激しい自営業者も同様だ。その点、国は稼いだその年に課税して年末に清算する方式だから、地方に比べ国の方が取りっぱぐれがないようになっている。さすが、権力の大きさの違いと思う。税の規定は、とにかく充分に捕捉することができないことを恐れ、とりやすいところから、とりやすい時にとるという精神に満ちている。源泉徴収を考えるとよくわかる。簡単に捕捉できるようになった方が税法の内容も納税者の得になり、国の費用が安くなることからしても、国民の負担が減ると思う。銀行口座も捕捉できればもっと国民全体の負担が減ると思う。国民総背番号制ができたときには、すぐにやればいいのにと思ったが反対が強く実現しなかった。損をするのは金持ちだけで、金持ちが反対しているのだろうと思っていた。

 主人公が国民年金基金に加入したほうがよいかどうか。自分としては、厚生年金に平均的男性の給料並みかそれ以上の給料で23年加入していたら、あまりメリットがないように思う。貯金で生活して70歳まで支給を遅らせたら、60歳まで働いたくらいの年金額になると思う。65歳から受け取っても平均的女性の給料を貰っていた人が定年まで働いたくらいの年金額になると思う。確かに貯金は使ってしまえばそれまでで、公的年金は生きている限り支給されるが、貯金に所得税はかからないが(貯金を作るときに一回課税されている)、年金収入には所得税がかかり、所得に応じて公的保険料も高くなる。負担能力のある人には、相応の負担が求められ、その負担能力はストックの貯金額ではなく、フローの所得額によって判断されるとすると、貯金を使って将来所得を増やすことは、将来負担も合わせて良く考えてみる必要がある。

 主人公が考える、「80歳までもつ貯金」という80歳の意味がわからない。

 主人公は、退職して一年は部屋がボロイせいで過酷な自然と戦っているが、二十三年間給料取りをしてきて退職し再就職していなければ、日本の制度がいかに労働者と扶養家族持ちに温かく、そうではない人間に冷たいかという現実に直面する方が厳しい経験ではないかと思う。

 主人公が同じく退職して無職でも元同僚と結婚すれば、国民年金の掛け金を払わなくてもよく、夫は扶養手当も貰える。所得税の基礎控除もそれ以上の収入がないと意味がない。外国には引ききれない場合には、逆に国から給付する制度があることを知った時には驚いた。控除制度は貧乏人のための優遇策と思っていたら、その恩恵を受けることもできないほどの貧乏人がいるということに気付いたのもショックだ。


(十二)

 主人公の食生活について。出汁はちゃんととって、味噌汁だけでなくそれ以外の料理にも使い、食材は自然食品を売っている店で買っているらしい。

 『かもめ食堂』に書かれている食についての考えと共通するものがあるようだ。

 独身の人に対して、「外食ばかりでは、偏った食事になるので自炊しろ」という人がいる。けれども、よほどちゃんとできる人でなければ、むしろ定食屋で外食したり、幕の内弁当を食べた方がバランスのとれた食事がとれると思う。野菜不足なら、コンビニやスーパーでサラダだけ買うこともできる。

 おかずを一度に一人分だけ作るのはけっこう難しい。連続同じ献立になりやすい。例えば餃子の皮を買うと二十枚セットで売っている。一度に二十個つくり、昼に十個、夜に十個、これだけ、なんてことになったりする。皮が小麦粉でこれが主食、中身にひき肉とキャベツ(野菜)が入っているから、バランスがとれているということになるのだろうか。

 一人暮らしの自炊をちゃんとやるのは、けっこう大変で、その辺のところをもっと書いて欲しいと思ったりする。

 三年くらい前に、健康診断の血液検査でコレストロールが多いと言われた。肉と魚と油と乳製品をなるべく取らないようにした。野菜を漬物や煮物で食べていたら、塩と味噌と醤油の消費量がアップして、今度は血圧が高めと言われた(コレストロールは二年がかりで正常範囲に戻った)。味噌、醤油はなるべく使わず、かわりに酢を使い、塩も控えめにする。野菜の甘みがかなり出るので、調味料を控えめにしても不味くはない。薄味を続けて、たまにカップラーメンを食べてみたら、味が濃すぎておいしくない。塩分控え目にしたら、血圧はすぐに元に戻った。もともと低めだった。

 ところが、今年の春に乾燥した日が続いたと思ったら、背中の表面がガサガサになっているのに気付いた。椅子の背が当たっている場所だ。合わせ鏡で見たら、皮下出血したように赤黒くなっている。多分、血流が悪いせいだろう。それにしても、こんなことは初めてだ。皮膚を作る栄養素、つまりたんぱく質不足ではないかと思い、肉と魚も普通に食べるようにする。結局、野菜は意図的にたくさんとるようにして、味付けは薄めにして、あとは、何でも満遍なく食べることということに落ち着いた。ただ、チーズは最近ほとんど食べていない。

 すったもんだしたあげく、「バランスのとれた食事」というよく聞く話に決着した。


(十三)

 主人公は、不要な服を処分する。その時、ハンガーはどうしたのだろうと思う。

 自分は、壊れたり汚れたりしないと捨てられない性分で、使い勝手が悪くて別なものを買ったり、服の整理の仕方のポリシーが変わって別なものを買っても、古いものを捨てないので、過剰にハンガーがある。クリーニングに出した服がハンガー付きで戻ってきたり、服を買ったときに一緒にハンガーを貰ったりして増えたのもある。

 いろいろな種類のハンガーを見ていると、それを買ったときに何を考えていたか思い出したりする。その中に、木製ハンガーが三本ある(本でいいのかな?)。

 多分買ってから三十年以上経っている。自然の木目やニスの光沢、平坦でなく人間の肩のカーブに近い曲がり具合など、見ていて気持ちがいい。そのハンガーを買ったときに、母親に見せた。

 母親は、「重くて嵩張るね」と言った。意表をつかれたが、心中「そのとおりかも」と思い、家にあった安っぽいプラスチックのハンガーは、家が貧乏なせいだけでなく、機能性の問題もあったのかと思う。

 それで、試しに買った三本だけしか持っていない。ただ、今改めて似たようなプラスチックのハンガーと比べてみるとそんなに違いはないと思う。

 それに重くて嵩張ったとしても、それに見合った洋服だんす、クローゼット、住宅があれば何の問題もない。やっぱり、うちが貧乏だったせいで、母親の気にいらなかったのだろうと思う。イソップのキツネの「すっぱいブドウ」みたいなことだったのか、今度母親が来たら、何食わない顔で、この木製のハンガーを渡してみようかと思う。


(十四)

 主人公の六畳間と台所、共同トイレは、大学の寮で親しくなった友人が、寮を出て借りた部屋と同じだ。その友人の部屋に一晩泊めてもらったことがある。一人暮らし一日体験入学のようなものだ。

 押入れに布団と洋服を入れ、昼間布団を押入れにしまい、ちゃぶ台を置けば三畳間でも大丈夫かもしれない。純和風に暮らすと狭い部屋でもよいが、押入れがあることが重要だ。

 最近、すっきり暮らそうと思い、いらないものを整理している。主人公は実家を出て一人暮らしを始めたので、今現在いるものだけ持って出たのならすっきりしているだろう。

 ただ、実家は倉庫ではないので、今は使わないが残しておきたいものを実家に置いているなら、適当な時期に引き取らないと、知らないうちに捨てられてしまうこともあるので、注意が必要だ。

 最近母親が自分の年齢を考えてものを整理した。いきなり「いるなら引き取って、いらないなら捨てる」と言われたものが、そもそも、母親が保管していることを知らなかったものだったので驚いた。

 小学校から高校までの成績表や作文、絵などだ。成績表と高校合格発表風景を写した新聞記事の切り抜きなどを自分で取っておくことにした。写真には母親が写っている。自分も一緒に見に行けば隣に写っていたのにと、いまだに見に行かなかったのを残念に思う。自分は出無精だ(デブ症ではない)。

 高校三年の成績表を見ると、三学期の受験科目ではない科目の成績が意外と良い。主要科目の実力テストの順位は三年になってから下がっている。相対評価のせいだろう。

 小学校の低学年の時、友達と普段駆けっこをした時には勝てるのに、運動会の時には勝てないのが不思議だった。大きくなってから、友達は運動会の時は、真剣に走っていて、普段は気を抜いて走っているからだということがわかった。いまだに、何の得にもならない時には気を抜き、特別な時には普段以上の力を出せるということとは無縁だ。

 務めているときに、同じ係の人に「強引ぐ、マイウェイ」と言われた。当時、カラオケでよく歌われていて食傷気味だった歌の歌詞の「ゴーイング、マイウェイ」のもじりだ。

 最近では「空気が読めない」とか言われる。この点については「読めない」のではなく「読まない」と思っている。こっちが気を使っているのが相手にわかると相手により気を使わせてしまい、お互いに気づまりになってどうしようもないからだ。


(十五)

 「まだ使えるけれど、もう使わない」場合に、いつ捨てるかが問題だ。子供の時に長姉が「捨てた途端に、使い道が見つかる」と言ったことがある。世間で言われていることか、姉が自分で考えたことかはわからない。

 姉たちは自分がいらないものを捨てる前に、末っ子に欲しくないか聞いてくる。「いらなければ捨てる」と言われると断れない。ほとんど脅し文句のようなものだ。

 次姉は、はやりものが好きで、すぐに飽きる。小学校の時に香りつきのチリ紙がはやった。次姉は集めていたが、いらないというので貰った。学校で鼻をかむときにドンドン使ったら、同じクラスの人に贅沢だと驚かれた。

 次に姉は便箋と封筒の収集を始め、これももらった。便箋は、中学校の時にノート代わりに使ったが、封筒はいまだに手元にある。郵便番号を書く四角が印刷されていない。折り目が茶色くなってきたので、そろそろ無理にでも使おうと思っている。

 姉は中学生になり、手袋をたくさん作りだした。母親がごみ箱に捨てられているのを拾って、「洗えば綺麗になる、もったいないから」と言って自分によこした。ほどいて別なものを編んで使い切った。

 その後、いらなくなったものを貰ったことはないが、新品をプレゼントされたことはある。これはこれで使わないし、捨てられないしというものがいくつかある。

 自分が使っていたもので、捨てるのが早すぎたと思ったのは、近眼の眼鏡だ。近眼の度が進んで買い替えたのだが、老眼になってから、読書用に使えたのにと思った。最近、わざわざ近眼の度を緩くした眼鏡を作った。老眼になるとどうなるかは、年を取らないとわからない。父親も近眼だったが、年をとってから近くの物を見る時に眼鏡をはずして見ていた。「老眼になったら、近眼がなおるのか」と聞いたら、「近眼で老眼になったら、遠くのものも近くのものも、はっきり見えなくなる」と言われた。その時はどういうことかよくわからなかった。最近、近眼の方が得かもしれないと思う。目の良い人が老眼鏡を家に忘れたら、誰か他の人に読んでもらわないとダメということがある。けれども、若い人に「これ読めないから読んで」と頼んだら「字が読めない人」と思われ、びっくりされたり不審がられるだろう。本を読みあげようとしてためらっていたら、漢字が読めないと思われかねない。その点、近眼なら、眼鏡をはずすだけでよいし、遠くのものなら「見えないから読んでくれ」と言えばすぐ理解される。若い時に、眼鏡代を払った負担が、年を取ってから報われるというものだ。針の穴に糸を通すのも、らくらくだ。

 主人公は、仕事の時に着ていた服は、改まったときのためのスーツを何点か残しておくだけにして処分したが、これは気が早かったのではないかと思う。散歩のときに着るとよいのにと思う。腰痛防止などのためには、一日に一時間以上は散歩したほうが良いと思う。そして、散歩すると服が傷む。自分は肩にリュックをかけて歩いていたら、肩と腰のところがすれて、気がつくまでにかなりの服をダメにしてしまった。今は鞄を手に提げて歩いている。


(十六)

 エヌエッチケーの「うつ病」についての番組を見た。

 魚は天敵に遭遇すると脳がストレスホルモンを出し、それが出続けると脳がダメージを受けてうつ病になるらしい。

 猿は集団で生活するので、一人にされると不安になり、不安になるとストレスホルモンを出し、それが続くとうつ病になる。

 今でもアフリカには狩猟で生活している人たちがいるが、獲物は公平に分配されうつ病になる人はいないらしい。実験では不公平な扱いを受けると、よい扱いを受けた人も悪い扱いを受けた人もストレスホルモンの量が増えるらしい。

 さらに、過去のストレスを感じる記憶によっても、ストレスホルモンを出すらしい。

 昨日、民放で一人暮らしの高齢者についてやっていた。仕事をやめ同居家族がなく、近所づきあいをせず友人がいないと孤独ということになるらしい。話相手がいないと脳に刺激がなくボケやすいということらしい。

 孤独だとうつ病になりやすいが、不公平な扱いで悩むことも対人関係で悩むこともなくうつ病の危険は減る。

 孤独で不安になるというのは、もともとは、集団で食べ物をとり、敵から身を守っていたのが、一人になると文字通り生きていけなくなるからだろう。

 今は、一人で生きているとは言っても、山奥で自給自足するならともかく、お金があれば二、三分歩いてスーパーで食べ物を買ってこられるので、よく考えるとうつ病になる孤独というのとは違う。天涯孤独でも、お金があれば、生きていくために必要なたいていのことは解決する。

 主人公は、隣人と親しくなっているから孤独ではないのかもしれない。でも、一日の大半は一人で過ごしていると思う。孤独によるうつ病の危険と不公平と悪い記憶によるうつ病の危険とを比べるとうつ病の心配は、ないのかもしれない。


(十七)

 お正月の福袋は、「老若男女がいる家族が買うと、だれかしらが使えるので無駄にならずお得だ」というのを聞いて、「なるほど」と思った。

 町内会の行事を見て「小さい子供がいないと参加できないな」と思う。

 朝の八時頃に小学校の近くを通ると、集団登校に大人が付き添うだけでなく、交差点で交通安全のために大人が立っている。三十代くらいの女性と七十代くらいの男性が主力だ。どういうふうに声をかけて人を出しているのだろうと思う。

 主人公は隣に住んでいる人と親しくなったが、これだけでは近所づきあいをしているとは言えないだろう。町内会費を払っていないのは、ほぼ間違いがないと思う。

 子供のころは、田舎だと近所の人間の目が気になっていやだから、都会に住みたいと思っていた。道を歩いているときにぼんやり考え事をするのが好きなので、だれかに道で会うたびに挨拶しなくっちゃと思うのは苦手だ。

 だんだん年をとってくると、不安になってきて町内会に入って近所づきあいをしようかと思いだす。年を取って世話になるようになってからだと虫が良すぎるので、今から貸しをつくっておいた方が良いのかとも思うが、それにはまず永住する場所を決めないとと思う。

 日曜日の早朝散歩していたら、数人で道路の清掃をしている。これは、あらかじめ清掃の日時を決めてやっているのだろう。町内会か団地の自治会かはわからない。清掃をするのはいいけれど、自分の都合のいいときではなく、決められたときにやるのは、大変だなと思う。勤め人なら休みの日は寝坊をしたいんじゃないか、でも、休日は遊びに行きたい人も多いだろうから、早い時間にやってしまおうというのだろう。平日なら、専業主婦か年寄りでないとできないから不公平だとかいうのかもしれない。実際、若めの男性が多い。

 やっぱり、近所づきあいは難しいと思う。




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